投稿日:2012年09月09日 (日) 18時38分
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なんだかの理由
語源がはっきり理解できないためなのか、音の似た、間違った語形で使っている言葉がある。 小学生のころ(1960年前後)、教科書を読むときに、ダ行音をラ行音に間違えて、特にドをロと発音する同級生がいた。コドモをコロモと発音し、ジドウシャをジロウシャと発音する類である。「なんらか」を「なんだか」と発音して使うのは、この逆である。同級生の例は子どものころにありがちな誤用で、やがて修正されるのだが、「なんだか」の例は成人の誤用であり、正しいと思い込んでいるフシもあり、指摘されるまでは直らないと思われる。 「なんらか」は「なんら」に「か」が付いた形である。「なんら」は「何ら」である。「ら」は接尾語だが、意味がはっきりしない。このあたりに誤用が生じる理由があるのかもしれない。 「なんだか」は、原因や理由や事情がはっきりとは分からない状態を表している。このような不明確な状態での原因や理由や事情といった意味合いで「なんだかの原因」「なんだかの理由」「なんだかの事情」というような言い方が生まれたのではないかと想像されるのである。 ところで、「なんら」は、「問題はない」とか「関係はない」のように、否定表現といっしょに使い、否定を強調する副詞である。この場合には「ら」が「だ」に言い間違えられることはない。つまり、「なんだ問題はない」「なんだ関係はない」というような言い方は観察されないのである。 にもかかわらず、「なんらかの」のほうは「なんだかの」と言い間違えられる。不明確だという意味と、ラ行音とダ行音とが似た発音だという事情が相まって生じたのではないかと考えられる。 「願わくは」を「願わくば」と言い間違えたり書き間違えたりすることがしばしばある。間違いだと認識しない人も多いと思われる。多くの人が間違った形を使うようになると新しい語形として認知されるようになる。これと同様のことが「なんだかの」にも適用される日が来るかもしれない。 (2012年9月6日) |
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