投稿日:2014年01月30日 (木) 04時37分
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まんざらじゃない
気になる表現があった。見慣れない、聞きなれない表現である。 「〜でもない」という形式の慣用的な語句に、「ほかでもない」「縁起でもない」「ろくでもない」「とんでもない」「屁でもない」「言うまでもない」「まんざらでもない」「なんでもない」などがある。これらは「も」を「は」に置き換えて表現すると、違和感をおぼえたり、存在しない表現になったりする。 逆に「出る幕ではない」「言わないことではない」「たまったものではない」「捨てたものではない」などは、「は」を「も」に置き換えて表現すると存在しない表現になったり違和感を覚えたりする。 問題にしたいのは「まんざらじゃない」である。元の形にすると「まんざらではない」となる。自分の知識の中では「まんざらでもない」と、「も」を使う。ところが、次のような表現を目にしたのである。
以前から、50回目の出場となる今回限りの引退を表明していた北島(注:三郎)さん。終演後に「若い皆さんから『新しい紅白』が生まれると思います」と、紅白の未来について期待を込める一方で、「若い子たちに『かっこいい』といわれた。まんざらじゃないな」と語り、笑みをのぞかせるなど終始満足そうな表情を浮かべていた。 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140102/ent14010216040008-n3.htm
言い間違いかと思って検索してみると、使用例があった。「アメリカ娘もまんざらじゃないわよ」(曲名)「毎日生きるのもまんざらじゃないなって思えてしまった」(mojokosan.doorblog.jp/archives/35087318.html )「三冬に撃たれ叩かれた若侍どもも、痛そうな顔をするが、まんざらではないらしい。」(『剣客商売』)。ただ、「アメリカ娘も」「毎日生きるのも」「若侍どもも」のように、表現中に「も」が出てくるのが面白い。北島さんの発言も、「そういわれるのもまんざらじゃないな」とすると落ち着くような気がする。 「ではない」と「でもない」を比べると、「は」の場合は全部否定、「も」の場合は部分否定といった差があるように思われる。「そうではない」と「そうでもない」はそうだ。ただ、「まんざら」は語源が明確ではなく、何が否定されるのかが不明確だ。否定形式はとっているけれども、否定しているわけではない(わけでもない)。むしろ肯定していると言える。北島さんは「若い子たちに『かっこいい』と言われてうれしかった」のだろう。それをストレートに言わないで「いやではなかった」といった意味合いを込めて「まんざらじゃない」と表現したのかもしれない。 (2014年1月30日) |
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