投稿日:2013年10月10日 (木) 07時04分
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薄色
川端康成の『千羽鶴』のことを調べようと、ネットを歩いていて、翻訳家の松野町夫さんの「文脈依存文の効用と定冠詞の威力 『千羽鶴』と”Thousand Cranes”」という記事に行き当たった。http://langsquare.exblog.jp/8806189/ ここに「薄色のカアネエション」の解釈を巡る考察がある。「薄色」とはどんな色なのか、と。松野さんは「絵志野」の三の使用例を挙げている。
もらって帰った志野の水指に、菊治はやはり白ばらと薄色のカアネエションを入れてみた。(新潮文庫版『千羽鶴』絵志野 三 p.95)
この「薄色」を「薄い色」と理解して、何色なんだろう、薄桃色だろうか、淡黄色なのだろうか、色がはっきりしないとしている。読み進めていくと、同じ絵志野の三の終わりの部分に、次のように書かれていて納得がいくと述べている。
白と薄赤との花の色が、志野の肌の色とひとつに霞むようだった。(同上p.101)
これで解決したように思われる。しかし、必ずしもそうとは言えない。 薄色というのは、辞書に記述されている「染め色の名。薄紫色。」と解するのが適切である。単なる「薄い色」ではなく、特定の色を表す語である。 実は『千羽鶴』には、「薄色」の語が引用例も含めて3回出てくる。いずれも「薄色のカアネエション」である。一つは絵志野の三以前の一にある。
花は白ばらと薄色のカアネエションとであったが、その花束が筒形の水指によく似合っていた。(同上p.80)
そして、もう一つは絵志野の次の章である。
この水指を文子にもらって来た時、菊治はさっそく白ばらと薄色のカアネエションとを入れたのであった。(母の口紅 一 p.105)
川端は「薄赤」と表現して「薄色」の種明かしをしたのではなく、薄色の類似の色として薄赤と書いたのではないか。ただ、薄赤より薄紫のほうが、より適切だとは思われる。 (2013年10月10日) |
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