投稿日:2013年08月01日 (木) 05時26分
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違うべきだ
ソニー損保のCF(瀧本さんとクルマくん 確率篇)の中にこんな表現がある。
瀧本美織は考えた。 たくさん走る車と、あまり走らない車。走る距離が違えば事故にあう確率も違う。それなら保険料も違うべきだ。だからソニー損保の自動車保険は走る分だけ。この仕組みが支持されて、ダイレクト自動車保険、9(きゅう)年連続売上げナンバーワン。http://sonysonpo.same64.com/sonysonpo039.html
この中の「違うべきだ」という表現に違和感を覚える声がツイッターやYahoo知恵袋などに現れている。助動詞「べきだ」は無意志の自動詞「違う」には付きにくいのではないかという疑問であろう。「違える」とか「変える」にすると座りがよくなる。「違っているべきだ」としても座りがよくなる。 「違うべきだ」に感じられる違和感や不自然さは、何に起因しているのだろうか。 動詞「違う」には複数の意味がある。このCFのメッセージでは「走る距離が違えば事故にあう確率も違う。」に使われている「違う」と「それなら保険料も違うべきだ。」の「違う」とは同義だろう。すなわち「差がある」という意味である。もしそうなら、「差があって当然だ」「差があってしかるべきだ」という意味であり、「違って当然だ」とも言えて、問題はないはずだ。 動詞を「異なる」に変えてみるとどうなるだろう。「走る距離が異なれば事故にあう確率も異なる。それなら保険料も異なるべきだ。」これは問題がない表現である。ただ、「違う」と比べて「異なる」は幾分硬い印象がある。 ネット上で「違うべきだ」の他の使用例を検索してみた。 「話し言葉と書き言葉は違うべきか?」「それなら前にやった小道具は違うべきだとか」「温泉養生も違うべきだ」「そこは会社によってスタンスは違うものだと思うし、違うべきだと思う。」「日本とアメリカのスタンスは違うし、違うべきなのだ。」「他の安定的職場と守り方が違うべきだと思う。」「男と女は違うべきなのだ。」「グリップの形は個人個人で違うべきだ」「文化が違えば売る商品も違うべきだ。」などの例がヒットし、『コークの味は国ごとに違うべきか』というタイトルの書物が発行されていることも知った。 さらに、『国会会議録検索システム』で検索した。昭和22年の第1回国会から、現在の第183回国会までの約66年間のヒット件数は124件だった。平成年間のヒット件数は22件だった。昭和22年から昭和42年までの20年間で67件、昭和43年から昭和63年までの20年間で35件だった。「違うべきだ」は頻繁に使われる表現ではないけれど、国会においては昭和の方が平成より、比較的多く使われていたと言えるだろう。 参考までに、一番古い使用例を示しておく。
その会議を構成する構成員の事情が――実は中労委あるいは地労委の場合もそうでありますが、労働委員会の場合は違うわけでありまして、それぞれの階級を代表する者と、それから中立的な者との組合せによつてできておるという構成の特殊性から考えると普通一般の決議のとり方よりは当然【違うべき】ものと私は思うのであります。(第3回 衆議員 労働委員会 10号 昭和23年11月27日)
「違うべきだ」という表現は、耳慣れないけれども、文法的に間違いだとは言い切れない。 (2013年8月1日) |
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