投稿日:2013年03月21日 (木) 04時32分
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第312回 余儀ない
この語はうまく使いこなせない。 国語辞典には@「他にとるべき方法がない。やむをえない。よんどころない。」A「全くその通りで、他に議論の余地がない。その通りで異議がない。」B「へだて心がない。他の事を考えない。」(『明鏡国語辞典』)と説明されている。@の意味で使うことが多いと思う。 ただ、過去形に「なになにが余儀なかった」のような例が少しはあるももの、述語としての用法は少ないようである。「余儀ない事情」のような連体修飾用法としても使われ、さらに、「余儀なくされる」「余儀なくされている」といった形の述語の用法が多いと思われる。 国会会議録検索システムで2008年3月6日から5年間の「余儀なく」形式を検索すると、697例ヒットし、受身形の「余儀なくされ」が673例(96.6%)で圧倒的多数を占め、「余儀なくさせ」が18例(5.1%)、「余儀なくし」が5例(1.4%)であり、「余儀ない」はヒットしなかった。このことから、国会での使用法はもっぱら「余儀なくされ」という受身形が定型のようになっていると考えられる。実際には「余儀なくされた」「余儀なくされ(て)」「余儀なくされている」といった形で実現している。その意味は、やむを得ず、そのような事態に至ることを表している。 ところで、使役形の「余儀なくさせ」が18例ヒットするのだが、実際にはさらに受身になって「余儀なくさせられる」という形で使用されているようである。結果的には受身とほぼ同等だが、使役受身にした「させられる」はやむを得ない様子がより濃厚に含まれる印象がある。 このように観察をし、分析を試みても、実際に使用するまでには至らない。うまく使いこなせないという観念にとらわれているのである。 (2013年3月21日) |
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