投稿日:2013年03月14日 (木) 04時49分
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第311回 熱愛
米飯でなくても食事という意味で「ご飯」と言う。今は言うことが少なくなったかと思うが、靴やサンダルが入れてあっても「下駄箱」と言う。皮革でできてなくてもバスの「つり革」につかまる。このように、原義とは違う意味で使うことが普通になることが言語にはある。 熱愛の原義は「熱烈に愛すること。また、その愛情」(『明鏡国語辞典』)」である。愛する対象は人であったり芸術であったりする。愛するということは態度的なものであって、目に見える形ではなかなか現れない。 原義を保っている使用例として『西国立志編(さいこくりっしへん)』(1871年、中村正直訳)がある。「コレ何物ゾヤ、学問ヲ熱愛スルノ心ナリト云ヘリ」とある。 約100年後の1970年代には、テレビドラマの題名や歌謡曲の曲名に使われている。 1973年、東海テレビ制作の昼ドラマ『熱愛』、1979年、TBSの水曜劇場『熱愛家族・LOVE』。 1978年、作詞・あたらしかずよ、作曲・丹羽応樹、歌・五木ひろしの『熱愛』 熱愛という語を原義で使うことは、一般にはあまりないだろう。第三者が「彼は奥さんを熱愛している」と言うことはある。しかし、主体自らが「私はなになにを熱愛している」などと口にすることは気恥ずかしい気がする。 態度的な意味で使われるはずの熱愛も、目に見える形をとらえて取りざたすることが、特に芸能ニュースにはよく見られる。結婚していない芸能人の男女がいっしょに歩いているところを見られたりすると「熱愛疑惑」という表現で報じられることがある。そのような報道を「熱愛報道」と言う。不倫関係の場合もあって、それは「熱愛スキャンダル」になる。目に見える形の熱愛の実態は「インドア愛(部屋の中で朝まで過ごす)」とか「お泊まり愛」とか「焼き肉デート」といったことであり、愛するということに伴う態度は問題にされていない。 ご飯や下駄箱やつり革の例と同列に扱う必要はないけれど、本来の熱愛の、一つの形の現れに類似した事柄をとらえて、それを熱愛と称する。本来の意味を極度に拡大解釈した用法だと言えるだろう。 (2013年3月14日) |
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