投稿日:2013年01月03日 (木) 04時18分
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第301回 朴訥とした
国語辞典によると「ぼくとつ」には「木訥」と「朴訥」の2つの表記がある。自分自身は「朴訥」のほうになじみがある。意味は「質朴で訥弁であること。かざりけがなく、口数が少ないこと。また、そのさま。」(デジタル大辞泉)で、「朴訥な人柄」のように形容動詞として使う。 ところが先日、こんな用例を目にした。 ******************************** 「君はねえ。作家になった方がいい」 そう電話口でいわれたのが二十三年前。ゆったりとして朴訥(ぼくとつ)とした口調の主は、晩年の森敦先生。すかさず返したこちらの言葉は、「申し訳ありませんッ!」だった。 (朝日新聞2012年12月8日夕刊5面 藤沢周1959年生まれ) ******************************** 著者の藤沢周さんは1959年1月生まれの法政大学教授(日本近代文学)である。「朴訥とした」という用法は初めて見るものだし、「朴訥とした口調」というのも、意味は分かるが違和感を覚える。 ほかにも使用例がないかとネットで検索してみた。以下の例がヒットした。 ******************************** 金を逃した選手の表情を見るのはつらい。中矢(注)も「メダルをとれたが、目指していたものとは違う。自分が生かせなかった」と話す。「独特の雰囲気を味わったので、これから生きると思う」。試合中の激しさがウソのようにおっとり、木訥とした若者だ。 http://www.j-cast.com/tv/2012/07/31141190.html?p=all(Jcastテレビウォッチワイドショー通信簿) (注)中矢力(23)ロンドンオリンピック男子73キロ級の銀メダリスト。 ******************************** 以上2つの例は「朴訥(木訥)な」で言い換えることができるし、後者の例は、むしろそのほうがよい。 なぜこのような言い方が出てきたのだろうか。 「〜とした」という形式を取る語を探してみると、「まったりとした」「さらりとした」「きりっとした」「しゃきっとした」「のほほんとした」「ふんわりとした」のような和語がある。さらに、「隆々とした」「嬉々とした」「鬱々とした」「訥々とした」「颯爽とした」「陰々滅滅とした」のような漢語がある。 藤沢さんの「朴訥とした口調」は「訥々とした口調」の間違いではないかと思う。 しかし、新聞の記事に載っているだから校閲者の目にもとまっているはずだ。そうすると、校閲のチェックを通過したことになり、許容されていることになる。 「朴訥とした」という形式が正式に認定される日がくるのか、一過性の局所的な使用にとどまるのか。気にとめておきたい。 (2013年1月3日) |
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