投稿日:2012年12月13日 (木) 04時47分
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第298回 蚊に食べられる
「蚊に刺される」「蚊に食われる」「蚊に噛まれる」「蚊に吸われる」 複数の言い方がある。地域による違いもあるようだ。「刺す」「食う」「噛む」「吸う」の原義を根拠にしてどれが正しいかといった議論になることもある。しかし、これは慣用的な表現だから原義は背後に引き下がっていると見るのがよい。 「蚊に食べられる」という言い方がある。この表現からは巨大バイオ生物となった蚊に人間が丸かぶりされる(丸呑みされる)ようなイメージが感じられる。 慣用句は形式が固定しているために、普通の表現と違って形式を入れ替えることは難しい。「ハンバーガーを食べる」とも「ハンバーガーを食う」とも、さらには「ハンバーガーを召し上がる」とも言える。しかし、「道草を食う」を「道草を食べる」とは言えない。「同じ釜の飯を食う」とは言っても「同じ釜の飯を食べる」とは言いにくい。「道草を召し上がる」人はいないし、「同じ釜の飯を召し上がる」というのは文体的にミスマッチだ。 「蚊に食べられる」というのは「蚊に食われる」を上品に言い換えたものだという印象を受ける。実際の使用例は次のものである。
友達といっしょに廃工場に立てこもった中学生の息子に話しかける母親の発話である。
「そんなところじゃ、寝られなかったでしょう?」 「よく寝られたよ」 「からだが痛いでしょう?」 「痛かねえよ」 「かぜひかなかった?」 「ひかねえよ」 「蚊に食べられなかった」 「いい加減にしてくれよ。みんなが笑ってるじゃないか」(宗田理『ぼくらの七日間戦争』角川文庫、p.94、1985年初版、1997年71版p.94)
優しく丁寧な物言いで息子に話しかけている様子がうかがえる。その丁寧なものの言い方が、乱暴な男性の使う言葉のような印象を伴った「食われる」の使用を避け、「食べられる」を選ばせたのだと推測できる。 慣用句としての固定性が勝るはずだが、中学生の息子を持つ優しい母親のイメージでは「食われる」とは言わせられなかったのかもしれない。もっとも、「蚊に刺される」なら上品な女性も使える。 作者の宗田理さん(1928年生まれ)は、東京生まれだが愛知県西尾市の出身である。その地域では「蚊に食われる」というのが一般的だとするなら、それを女性に発話にさせる際に「食べられる」に変換したのかもしれない。 (2012年12月13日) |
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