投稿日:2012年12月06日 (木) 05時09分
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第297回 微塵にも
「微塵」は非常に細かい(微)ちり(塵)というのが原義の名詞である。ニ格になって「微塵に砕ける」のように、砕けた結果が微塵になるという関係を表す。さらに「も」を付けた形で副詞となり、「疑う気持は微塵もない」のように否定文で使われる。「微塵の疑いもない」のようにも使う。 ところが、「微塵にも〜ない」という表現に出くわした。初めて目にする表現であった。 ******************** 政策や価値観の一致で譲る気配を微塵(みじん)にも感じさせなかった橋下氏だが、年内の衆院解散・総選挙が濃厚になると、そのスタンスは微妙に変わる。 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121118/waf12111818000009-n2.htm ******************** 普通は「微塵も感じさせなかった」と表現するところだろう。 例によって新潮文庫の100冊を検索してみる。「微塵」は以下の用法で現れる。 【名詞】微塵となって四散する/落ち葉が微塵に押しひしゃがれた/微塵に砕けた/岩をも微塵にする/微塵程になる、(「も」を伴って否定文の中で使う)微塵の寂寥も感じていない/微塵の関係もない/微塵ばかりも善の痕跡を発見することができない (「も」を伴って副詞となり否定文の中で使う)微塵もない/両の翼を微塵も動かさず/感情を微塵も変らせることはできなかった/逡巡の翳さえ微塵もみえません/転訛を計る心なぞは微塵も貯えてはいなかった このような用法には違和感を持たない。普通の表現だと理解できる。 しかし、インターネットで検索してみると、「微塵にも」という形式が割とヒットするのである。 微塵にも上がらない口角/書き(ママ)気が微塵にも起こらない症状/そんなこと微塵にも思っていない/迷惑を微塵にも考えたことあるのでしょうか/微塵にも感じさせない/自負の念を微塵にも感じず/学ぶことなど微塵にもない/微塵にも役に立たなかった/微塵にもやる気を感じさせない/微塵にも理解できなかった/微塵にも話題にならなかった、など。 これらの用例はすべて「微塵も」と表現するほうが一般的な用法だと思う。あえて「微塵にも」とする必然性、必要性を感じない。もしかしたら誤用なのかもしれないが、この形が少なからず使われていると見なければならないだろう。 次の例は非常に特殊なものとして記録に留めておくことにする。「少しでも」「いささかでも」といった言い換えが可能であり、否定を伴わない仮定表現において使われている。 「微塵にもそのように思われているようでしたら」 http://bakusai.com/thr_res_show/acode=6/bid=272/tid=2321782/rid=117627000/word=%94O%98%C5%8F@/ 「微塵も」がなぜ「に」を介して使われるのか、「かりそめにも」の影響があるとも考えにくいのだが。 (2012年12月6日) |
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