投稿日:2012年05月17日 (木) 05時25分
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第268回 よすが
ずいぶん久しぶりに目にしたように思う。忘れかけていたといってもよい語である。 「各国憲法の現状と傾向を知り日本国憲法のありようを考える縁(よすが)にしたいと考えたからである。」(駒沢大学名誉教授・西修さん) http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120503/plc12050303220004-n2.htm 『新潮文庫の100冊』を検索してみると、わずか6例がヒットするだけである。しかも、『国盗り物語』『新源氏物語』に各2例、『痴人の愛』1例、そして『ビルマの竪琴』の解説文に1例だった。使用されている作品が限定的である。 頭のなかにある用法は「〜をしのぶよすがとして」のような形式だ。用例にも「往年の盛大さをしのぶよすがもないが」(国盗り物語)、「せめて彼女を偲ぶよすがに」(痴人の愛)の例がある。 国語辞典を調べてみると、《「寄す処(か)」の意。古くは「よすか」》(『デジタル大辞泉』)と語源が記してある。「処(か)」で思い出すことがある。「すみか(住み処)」「ありか(在り処)」「かくれが(隠れ処)」である。いずれも「場所」という意味である。古いところでは「おくか(奥処)」(「おくが」の形で記憶にあった)がある。住む、在る、隠れる、奥というのは語源意識も残り、語義も理解できる。しかし、「よすが」が「寄す」だとは思いもよらなかった。語源意識はまったく働かない。 さらに、「縁」を「よすが」と読ませている点も知識の外にあった。「縁」と書いてあったら、「えん」は言うまでもなく、「ゆかり」か「えにし」と読むのだという知識はあった。しかし、西さんの原文の文脈では「よすが」としか読めない。「縁」を「よすが」と読ませるのは学識のあらわれだろう。ちなみに、西さんは1940年生まれ。 (2012年5月17日) |
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