投稿日:2012年05月10日 (木) 05時18分
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第267回 感動しませんか?
かつて(2001年5月)小泉純一郎首相(当時)が大相撲の優勝力士、貴乃花をたたえて「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。おめでとう」と言った。「感動した」という表現が流行の気配をみせたことがある。実際に感動した場合、感想を求められて「感動し(まし)た」と言ったり、相手に共感を求めて「感動し(まし)たね」などということはあるだろう。しかし、一方的に「感動した」と言うことは、少ないと思う。感動は内発的な精神現象であり、意志のコントロールが効くような事柄ではない。 「感動しませんか?」という表現がある。「日本体育大学の集団行動、感動しませんか」「北島康介選手、感動しませんか」といった表現である。これは、感動的な出来事やその出来事の主体について、感動するでしょう?と共感を求めるものであり、容認できる用法である。 しかし、次のような用法は、はてなマークを付けたくなる。 ********************************* 感動しませんか? 美術館・博物館を鑑賞する旅♪|阪急たびマガ(関西版) 阪急交通社の広告http://blog.hankyu-travel.com/mail_club/200/2012/095682.php 三川屋とともに日本を感動しませんか http://sansenya.com/index_j.html ********************************* これらは誘いかけ、勧誘である。この用法が成立するためには動詞の意味に意志性が含まれている必要がある。しかし、「感動する」という動詞には意志性が含まれていない。それにもかかわらずこのような用法が出てくるのはなぜだろう? おそらく美術館・博物館を鑑賞することによって感動的な体験をする旅をしませんかということだろう。また、三川屋が企画するツアーで感動的な日本体験をしませんかということだろう。誘いかけているのは感動することではなく、旅をすることである。その旅のメニューに感動的な体験が予想されることを盛り込んでいるのだと考えられる。実際、「感動体験しませんか」という表現もある。 普通なら非文法的な表現として扱われるものであっても、広告といったジャンルでは破格が許される、破格の表現をあえて使うことによって耳目を集めることが可能になるのだと考えられる。 (2012年5月10日) |
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