投稿日:2012年04月19日 (木) 06時24分
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船頭多くして……
ことわざを正確に使いこなせなくて恥ずかしい思いをすることがある。 子どものころにはいろんなことわざを教訓として聞くことがあったように覚えている。「人の振り見て我が振り直せ」とか「転ばぬ先の杖」とか「石橋を叩いて渡る」とか。大人の口から出るこういったことわざを行動規範としていたようにも思う。 近ごろでは、話の中にことわざを取り入れて話すことが少なくなったように思うし、かりに取り入れたとしても聞き手がそれを知らないということもある。 「袖振り合うも多生の縁」とも「袖すり合うも多生の縁」とも言うことわざは、着物を着る機会がめっきり少なくなった今日では、袖を振り合ったりすり合ったりすることはほとんど経験しない。洋服なら「袖が触れ合う」ことがあるからか、「袖触れ合うも多少の縁」という言い方も耳にする。文字に書くと知識のなさが露呈することがある。「多少の縁」と書いたりするのだ。 この年になるまで間違って覚えていたことわざがある。新聞記事を読んでいて気がついた。 一隻の船に船頭がたくさんいると、舵をとる方向がてんでんばらばらで進まないというように理解していて、「船頭多くして船進まず」と覚えていた。ところが新聞記事には「船頭多くして船山に登る」と書いてあるのだ。改めて調べてみると、自分の記憶、使い方が間違っていることがわかった。思い込んでいると、間違っていることに気付かないものだ。自信が持てないときには、迷わず調べてみることだ、という教訓を得た。 もっとも、「船頭多くして船進まず」という形を使う人も、いることは、いる。 (2012年4月19日)
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