投稿日:2012年03月29日 (木) 05時45分
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ソーキューすぎる
以前に「サッキューすぎる」という表現について考えたことがあった。(2011年2月10日、第201回「サッキューすぎる」)今度は「ソーキューすぎる」という表現だ。 「早急」は「サッキュー」と読むのが伝統的だが、「ソーキュー」という読み方もかなり定着している。どちらで読むにしても「早急」に、度を過ごしているという意味を加える「すぎる」を付けるのは、違和感を伴う。しかし、見過ごされるというか聞き逃されている現実がある。 観察されたのはドラマ「ストロベリーナイト」(フジテレビ系、2012年3月13日放送)第10話の中である。捜査会議で姫川玲子(姫川班主任、竹内結子)が報告した事柄について、日下守(日下班主任、遠藤憲一)に「予断ではなく、ちゃんと証拠をそろえてから物を言え」と指摘された。この状況で、葉山則之(姫川班巡査長、小出恵介)がつぶやく部分だ。 「やっぱりちょっとソーキューすぎましたかねえ」 報告するのは段階的にまだ早すぎたのではないかという意味合いである。 前回の事例は沢村一樹(1967年生)が発話したものである。早急をサッキュウと読むことを知っていると考えられる年齢である。これに対して今回の事例は小出恵介(1984年生)が発話したものである。早急をソウキュウと読むのに抵抗感を持たない世代だと思われる。 ところが、「ストロベリーナイト」を演出したのが佐藤祐市(1962年生)である。沢村一樹とほぼ同世代で早急をサッキュウと読むことを知っていると考えられる。台本の読み合わせが行われていると思うのだが、問題のセリフの発音をだれも聞きとがめなかったのだろうか。 脚本に「早急すぎましたかねえ」と書いてあるのだろう。この回の脚本は龍居由佳里(たついゆかり、1958年生)だ。年齢的に「サッキュウ」と読ませるつもりで書いたのではないかと思われる。仮にそうだとしても、「早急」に「すぎる」が付くこと自体に違和感を持つのだが、この感覚は世間の感覚とずれているのだろうか。 (2012年3月22日)
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