投稿日:2012年03月15日 (木) 20時15分
 |
しちまっちゃった
完了の表現に「しちまう」「しちゃう」という形式がある。文章の地の文ではまず使われない口頭語形式だ。語源については、「してしまう」が縮約されたものと考えられるが、田中章夫(2002)『近代日本語の語彙と語法』(東京堂出版、2002年)によると、そう簡単に説明できるものでもないようだ。 筆者が「しちまう」形式を自覚したのはザ・フォーク・クルセダースが1968年に歌ってヒットした「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・パロディ・ギャング作詞)の中の「おらは死んじまっただ」という歌詞でだ。田中はこの歌詞を「まぎれもなく関東方言を模したものである」「江戸期以来、最も身近な方言として、江戸・東京の人々にまねされることの多かった三多摩・埼玉南部などの近郊方言に由来する、擬似的な方言とみることができよう」と述べている。そして「しちまう」は東京の下町ことばだと言い、今では高齢者が使うものとしてとらえられている。 一方、「しちゃう」は1965年の「愛して愛して愛しちゃったのよ」(浜口庫之助 作詞・作曲、田代美代子&和田弘とマヒナ・スターズ 歌)、や山本リンダが歌う1966年の「こまっちゃうナ」(遠藤実 作詞・作曲)によって強烈な印象を持った。鳥取県倉吉市でも「しちゃう」という形式は使っていた。この「しちゃう」は田中によると「ほぼ、関東大震災の前のころ、山の手は『〜チャウ』中心」(p.404)、「関東大震災から昭和初期にかけて、下町ことばにも、若い人々から、次第に、『〜チャウ』系の言いまわしが浸透してきたとみられる」(p.406)ということだ。 「しちまう」と「しちゃう」は別々に使われるものであって、決して両者が漣接して使われるはずはないと考えていた。しかしながら、テレビドラマで「しちまっちゃった」のような共存形式が観察されたのである。この形式は田中の著書でもまったく指摘されていないし、井上史雄『日本語ウォッチング』(岩波新書、1998年)でも観察されていない。 フジテレビ系のドラマ『早海さんと呼ばれる日』第8話の開始後10分あたり。早海優梨子(松下奈緒)が店に入ってきて「お義父さんは?」と尋ねたのに対して、カウンターにいた石田源造(渡辺哲)が「なんだか、うちのほうに引っ込んじまっちゃってよお」と答えたのだ。 この形は「引っ込んでしまってしまった」というような重複表現だと言えなくもない。「財布を内ポケットにしまってしまう」というように、前の「しまう」を本動詞、あとの「しまう」を補助動詞として使うなら問題はない。だが「引っ込んでしまってしまう」はどちらの「しまう」も補助動詞であり、理論上考えにくい連続だ。「引っ込んじまっちゃってよお」という表現も、奇妙な形式だが、違和感をさほど伴わないで耳に入ってきた。発話の仕方でそう感じたのか、この連接形式があり得なくないものだからなのか、真相は未詳である。 (2012年3月8日)
|
|