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連載小説『ディアーナの罠』

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名前 MUTUMI
題名 67
内容 「……言ってるし、思ってるし」
 むうと頬を膨らませながら、一矢はケースを受け取った。
「気のせいですよ」
 人を喰ったような表情を浮かべ、ボブは倒れ気味だった女性の上半身を支え直した。ボブの胸に女性の頭が当たる。
 一矢はパカリとケースを開け、手早く目的の物を取り出した。小さな瓶のキャップを回し、中の液体を半分だけ女性の足へ振りかける。薬品が傷に染みたのだろう、ピクンと投げ出されていた足が微かに痙攣を起こした。
「意識があったら絶叫されてるかな」
「……されてますね」
 女性の力無い上半身を抱えたまま、ボブが一矢の言葉に応じる。互いにこれがまともな治療では無い事を承知しているので、余計に後ろめたい気がした。
「麻酔なしで患部へ消毒剤を振りかけられたら、誰だって泣き喚きますよ」
「……」
 一矢は軽く肩を竦めると、残りの消毒剤を脱脂綿へと振りかけた。適度に濡らし、傷口やその周りを丁寧に拭う。黙々と手を動かしつつ、
「……この傷、きっと残るね」
 ほんの少し気掛かりな調子でそう漏らす。
「そうですね」
「女の人なのに……綺麗な足なのに。可哀想」
 真っ赤に染まった脱脂綿を投げ捨て、一矢は止血効果のある薬剤のフィルムやガーゼを当て、クルクルと包帯を巻いた。適度な力を加え、患部を押さえる様に治療を施す。白い包帯が何とも痛々しかった。
「ここで出来るのはここまでだ。縫合も、薬も投与出来ないし……、シズカまだかな」
 使わなかった薬剤や注射器をケースの中へ戻し、一矢はボブのポケットにそれを捩じ込んだ。
[88] 2005/10/21/(Fri) 19:03:50

名前 MUTUMI
題名 66
内容 「あのう、路地裏で女性を保護したんですけど。ずぶ濡れで左足を撃たれていて……意識ないんです。あなたは、この人のお知り合いですか?」
”なっ!? 気絶しているのか!?”
 一矢の発言に慌てた声が返って来る。
「はい。パタリと」
”傷は!?”
「ええっと、血がべったりで……あー、うー。大丈夫……かな? えと、多分」
 非常に曖昧な言い方を一矢はした。
”どっちなんだ!?”
「どっちかな? あの僕、ちょっとわからなくて……」
 問いつめる声音に、脅えた発言が返される。声はオドオドとしているが、その瞳はいつもの勝ち気な一矢のままで、何も変わってはいなかった。
「僕そんな事までわかりません。でも血がドクドクって……」
 じっと一矢の視線が女性の足に向けられる。スーツを染めながら、水滴混じりの血がポタポタと踝から流れていた。けれどそれは普通の出血で、決して動脈を傷つけた時のような、吹き出すものではない。このままにはしておけないが、手当てをすれば十分治癒可能な範囲の傷だ。
「僕、一体どうしたら……」
 ほんの少し狼狽した気配が声に混じる。啜り上げる鼻の音が追加された。
”落ち着け! メディックカーの手配をしてくれ。我々も直ぐそこに向かう!”
「は、はい」
 頷き返しながら、一矢は通信端末を持っていない方の手で、ボブの抱え歩いている女性の靴を脱がせた。負傷している足の方のズボンを先から切り裂いて行く。
「あの、それであなたは一体誰ですか? 僕、危ない人とかかわりあいになる気は……」
”すまない。名乗っていなかったな。私はロン・セイファード。星間中央警察の者だ。君の側で負傷しているのは私の部下に当たる”
「刑事さんですか!?」
 殊更びっくりした声を張り上げつつ、血で張り付いたズボンを皮膚から剥がしてゆく。
”そうだ。事件を捜査していて……”
 濁すような言葉尻に、一瞬一矢の手が止まる。
「……負傷されたのですね? 事情は大体わかりました」
 素直に頷き、
「それで、この通信端末はどうしたら?」
 と尋ねてみる。
”そのままにしておいて欲しい。逆探知でそちらの場所を割りだせるから”
「はい! あの。僕、メディックカーの手配をするので少し離れます」
”わかった”
 承知したと言う声を最後に、一矢は通信端末から顔を離した。それっきり向こうからの呼び掛けもなくなる。
 元居た場所、シズカを待って雨宿りをしていた人通りの全くない場所に到着すると、一矢は通信端末を床に置いた。踏まれても大丈夫な様に、わざと端へ寄せる。
「無茶苦茶な会話ですね」
 終わるのを待っていたボブが、呆れた声で感想を漏らす。
「人畜無害だっただろう?」
 若干得意気に一矢が胸を反らした。
「……ノーコメントにさせて下さい」
 ヤレヤレと首を振りつつ、ボブはその場に膝をついた。女性の負傷した足を傷付けない様に、慎重に体勢を確保する。傷付いた足が冷たい床に優しく置かれた。切り裂かれた左足のズボン布がペタリと床につく。
 やぼったい布の間から細い素足が見えていた。普段ならドキリとする所なのだが、今回は血で濡れておりそれどころではない。一矢もボブも真剣な顔で、露になった傷口を見ていた。
「消毒する物ある?」
「簡易の救命セットなら」
 言いながらボブが胸ポケットを探る。
「用意がいいな。何時も持ち歩いているのか?」
「一矢が側にいる時はですが」
 返された回答に、一矢がムッとした表情を浮かべる。
「なんで僕がいる時限定なんだよ」
「気にしないで下さい。別にトラブル率が高いとか、命の危機を感じる事が多いとか、……全然思ってませんから」
 しれっとした表情で言いながら、タバコサイズの救命セットケースをボブは取り出す。
[87] 2005/10/20/(Thu) 23:26:28

名前 MUTUMI
題名 65
内容 「もしもし。あの……どちら様ですか?」
”そういう君こそ誰だ?”
 通信端末から、低い男の声が漏れ聞こえる。
「僕ですか? 通りすがりの市民です」
 その返事にボブの足が止まった。
”市民?”
「はい、一応」
 何を言ってるんだと、ボブは唖然として一矢を見る。一矢はボブを横目で見、ペロリと小さく舌を出した。
(今のはわざとか)
 その仕草で、ボブは一矢の意図を汲み取った。星間中央警察の現状がはっきりと判らない以上、女性の意識が醒めるまで待ち、事情を問いただしてから、こちらの身分を明かすつもりなのだろう。内通の疑いがある第5班相手では、流石に慎重にもなる。
(確かにそれが最善なのだが……)
 ボブは女性を抱えたまま、軽く唸った。
(どう誤魔化すつもりだ?)
 伺う様に一矢を見ると、人をくった微笑みに出会う。
(……また何か企んでるな)
 溜め息混じりのボブの思いを他所に、一矢は誠実そうな声で訥々と報告した。
[86] 2005/10/19/(Wed) 15:17:35

名前 MUTUMI
題名 64
内容  暫しそうして呆然としていた二人だったが、一矢が女性のポケットから取り出した通信端末が、五月蝿く音を発するに至って、ようやく注意をそちらへと向けた。通信端末からはしきりに呼び掛ける声が聞こえて来る。
「……出た方が良い?」
「ええ。任せます」
 ずぶ濡れのまま、にっこりと笑ってボブは一矢に対応を譲った。一矢は短く溜め息を零す。
「こういうの副官の役目なんじゃないの?」
「そうですか? 俺は両手が塞がっていますから」
 気絶している女性を抱きかかえ立ち上がろうとして、ボブは左手がねっとりと染まっている事に気付く。
「一矢」
「え?」
 通信端末に向かって話しかけようとしていた一矢は、呼ばれてボブを振り返った。
「怪我をしているようです。左脚が打ち抜かれています」
「具合は?」
「レーザーが貫通しているようですね。動脈に損傷はないようですが、……急いだ方が」
 軽く頷き、一矢は元々の待ち合わせ場所を指差す。
「そろそろシズカが来る。うちに運び込もう」
「わかりました」
 怪我をしている部分になるべく触れない様に、ボブは女性を抱き上げる。痛むのか無意識に女性が軽く呻いた。そのまま慎重に足を進め、ボブは元いた場所へと戻って行った。
 その横を歩きながら一矢が通信端末に返事を返す。
[85] 2005/10/18/(Tue) 15:59:01

名前 MUTUMI
題名 63
内容 「俺もまずったかと思いましたが……、一矢がスピードを殺していてくれたので何とか」
 擦り傷と恐らく打ち身からだろう、唇を歪めてボブは答える。内臓の破損や骨折の自覚はないらしい。ざっとボブの状態を確認した後、一矢はようやくその言葉を信じた。
「良かった」
 ほっとした気配を発しボブの横に膝をつくと、一矢はずぶ濡れの彼の肩に額を押し付けた。
「?」
「……また亡くすのかと思った」
 小声で呟き、次の瞬間ハッとして一矢は慌てて離れる。
「……そ、それはさておき!」
 ゴホンとわざとらしく咳を発する。物凄くらしくない事をした為、一矢が何時になく照れているのをボブも感じた。
(ああそうか。ゲイル・J・フォックスを思い出したのか)
 それで急に甘えたのかと思い、ボブは少しだけ愉快になる。星間広しと言えども、フォースマスターが真顔で甘える人間なんて片手で足る程しかいない。光栄と言えば光栄なのだろう。
「ええっと、それで結局……誰?」
 片膝をついたまま、一矢は視線をボブの腕の中の人物に向けた。くたっとしたまま人影は動かない。乱れた髪が濡れたまま張り付いていて、顔を隠していた。二人は小柄な人影を観察し、ややして恐る恐る一矢が声を発する。
「ねえ、ボブ。もしかして……」
「腕に当たる感触が物凄く柔らかい……です」
 若干言い難そうにボブが申告する。
「……」
「胸……だと思います」
 どう考えてもこの感触は、それだと本能が告げる。
「女の人? でも、どうしてあんな所に?」
 小首を傾げた後、一矢は意を決すると、意識を失ったままの女性のポケットに手を突っ込んだ。ゴソゴソと中の物を物色する。それを見て、ボブが低い声を一矢に向かって発した。
「気絶している女性の服を探るのは、マナー違反ですよ」
「……知ってる。別にやましい事はしてないよ」
 やっぱり後ろめたく思っているのだろう、返す言葉に力はない。そうしてゴソゴソとしている内に、右のポケットからは繋がったままの通信端末が、左のポケットからは手錠が出て来た。
「手錠?」
「正規の物の様ですね」
「……まさか」
 一矢とボブは視線を合わせる。
「可能性はあります。ディアーナに入ったと連絡は受けていますから。それにこの服……」
 水を弾いているスーツは、よくよく見ればどこか覚えのあるデザインだ。
(この野暮ったさは……)
「星間中央警察」
 そう声に出し、一矢は右手で額を押さえた。顔が渋面になっている。
「……恐らくは」
 ボブもそんな一矢に短く同意を返す。ポタ、と水滴がボブの顎から流れ落ちた。雨に降られたまま一矢がガクリと肩を落とす。
「ということは」
 一矢は遠い目を向けた。
「失敗したという事か?」
「そういう事ですね」
 ボブも憂鬱な表情を浮かべた。雨はそんな二人を嘲笑うかの様に、降り続ける。
[84] 2005/10/16/(Sun) 20:39:29

名前 MUTUMI
題名 62
内容  そんな風に考えていた中、突然ぶら下がっていた人間が落下する。人影の手足が壁を掴もうと闇雲に動いた。
「しまった!」
 ボブが鋭く反応すると、水たまりを蹴散らし落下予測地点へと駆け込んだ。バシャンと足下から白い飛沫が上がる。
 一矢は慌ててその場に立ち止まり、落ちて来る人影に意識を合わせた。自由落下させたのでは、ボブは到底間に合わないし、下で人影を受け止めるにしても、重過ぎてボブがダメージを受けるからだ。少し速度を殺す必要がある。
「持ち上がれ!」
 一矢は両手を前に突き出し、イメージ上の人影を抱え込んだ。ドスンと一矢の両手に、信じられない重量がかかる。
「うっ」
 余りの重さに、ガクンと膝が沈んだ。
「重……っ!」
 両手で見えないものを支えたまま、腕に力を込めて全身全霊の力で膝を伸ばす。ブルブルと腕が震えたが意地で押さえ込み、一矢は視線をボブへと向けた。
 ボブは半ばスライディングする格好で、一矢が支えた落下中の人影の真下に潜り込む。若干落下のスピードの遅くなった人影が、コンクリートに接触する瞬間、飛びかかる様にボブは人影を抱き込んだ。
 ドン!
 肉のぶつかりあう鈍い音が響く。ボブはそのままコンクリートの上を数メートル滑った。バシャバシャと濁った水が波紋を広げる。
「ボブ!」
 慌てて一矢が側に駆け寄る。
「大丈夫です」
 頭から泥水を被ったまま、ボブが半身を起こす。上着もズボンもずぶ濡れになっていた。
「本当に?」
 ポタポタとボブの髪から落ちる水滴を、目の端に入れながら問いかけると、
「ええ」
 しっかりとした答えが返って来た。一矢が安堵の息を吐き出す。
「吃驚した。巻き込まれて怪我をしたのかと思ったよ」
[83] 2005/10/16/(Sun) 17:40:19

名前 MUTUMI
題名 61
内容 「何故あんな所に人間が!?」
「知らないよ!」
 ボブの疑問に一矢が叫び返す。そしてその後、自信なさげに付け加えた。
「パフォーマンス?」
「……そんな訳ないでしょう!? この天候でそんな馬鹿な事を誰がしますか! それに、あの高さから落ちたら即死ですよ!」
 そう言い返して、ボブは雨の中へと躍り出た。一矢も慌ててその後を追う。
 水滴が横殴りに降りかかる。あっという間に二人の着ていた服は水分を含み、ヨレヨレとした物へと変わった。頬に当たる水滴が、流れとなって顎のラインを滑る。視界の悪い雨の中、二人は古びたファッションビルへと全力で駆けた。
 窓の柵に絡めたワイヤーにぶら下がった人影は、ユラユラと左右に揺れている。左手が緩慢な動作ながら、近くにある突起を掴もうと精一杯伸ばされていた。突起が雨で滑るのか、白い手が何度も上下に揺れる。走りながらそれを見ていたボブが、思わず舌打ちした。
「自殺志願者ではないようですが……」
「長くは持ちそうにないね!」
 隣を走りながら、一矢も言い返す。どこの誰かは知らないが、随分動きが苦しそうだ。かなり無理をしているように見えた。
[82] 2005/10/13/(Thu) 23:06:00

名前 MUTUMI
題名 60
内容  朝から降り出した雨は、昼を過ぎてもやまなかった。ジメジメとした湿気が服に張り付いて、いかにも鬱陶しい。指で胸元を掴み、一矢はパタパタと扇いだ。ほんの少し風が入り、ましになった気がする。
「……何をしてるんです?」
 側に佇むボブがチラリと視線を投げかけた。
「鬱陶しいから風を送ってる」
「効果の程は?」
「心持ち……あるかな」
 土砂降りの雨を眺め呟く。ボブは一瞬、呆れたような表情を浮かべた。
「無意味な事を……」
「それはそうなんだけど、手持ち無沙汰だし」
 ビルの軒先で仲良く雨宿り中、もといシズカの迎え待ちな二人は、する事もなくぼーっと雨を見ていた。
「雨、やまないなぁ」
「天気予報では、1日中こんな感じらしいですよ」
「そう」
 空に視線を転じれば、どこまでも真っ黒な雲が続いている。重厚過ぎて、クラクラくる程の雷雲だ。
「雷も鳴ってるし」
「嫌いでしたっけ?」
 ドン、ガラガラという独特の響きに、肝を冷やす者も多い。遠くでは平気でも、案外真上で鳴られると怖いものだ。
「僕は平気。どちらかというと、綺麗だって思う方だ」
「……だと思いましたよ」
 感電するかもしれないという心配を、平気で足蹴にできる神経を持った一矢らしい感想だと思った。ボブ自身も平気な方だが、恐らく一矢の場合は足下に雷が落ちても、平然とした顔をして立っていられるのだろう。
「それにしても遅いなぁ、シズカ」
「そうですね。そろそろ着きそうなものですが……」
 シズカの運転するエアカーらしき影は見えない。
「混んでるのかな?」
「有り得ますね。ここは繁華街ですし」
「そうだね……って、ボブ!」
 ぼんやりと視線を投げかけていた一矢の目付きが、豹変する。
「どうしました?」
「あそこ!」
 一矢が指差したのは、50メートル先にある古びたファッションビルの側壁だった。理由はわからないが窓の柵から人がぶら下がっている。
「!!」
 ボブがその不自然な光景に、思わず息をのんだ。
[81] 2005/10/10/(Mon) 09:03:14

名前 MUTUMI
題名 59
内容  その男は下界を見下ろすビルの屋上にいた。剥き出しのコンクリートは雨でびしょびしょに濡れており、凹んだ部分には淀んだ水も溜まっている。トロトロと流れる雨水は男の足下を通り、ビルの側壁に落ちていた。
 男は黒光りのするレーザーライフルを左手に持ち替え、右手で胸ポケットを探る。ガサゴソと合羽の繊維が擦れる音が、雨の中に響いた。
「ち。止まねえなぁ」
 豪雨を見上げ、辟易した様にひとりごちる。
「こんな事なら雨用の装備も持って来るんだった。今どき合羽着て狙撃してるのは、俺ぐらいのもんだぜ」
 対雨天候用装備、早い話が雨対策用の自動展開傘とか、悪天候用の防水服とかの事だ。
「何にも用意してなかったから、こっちもずぶ濡れだ」
 やれやれと、合羽を着ているにも関わらず中の服まで湿気ている男はぼやく。
「唯一の楽しみまで湿気ていたら、俺はもう引くぞ」
 ゴソゴソと動いていた右手がポケットの中の煙草を探り当てた。一本取り出し口に喰わえ、火をつける。ふわりと細い煙りが立ち昇り、ニコチンの香りが広がった。
「ふうーーー」
 口の中にたまった煙りを吐き出し、男は再度レーザーライフルを構える。男の持つレーザーライフルはやや小ぶりだったが、その筋では有名な逸品だ。安定性が良くエネルギー効率も良い上に、飛距離も長い。至れり尽せりの名銃だった。勿論、星間軍でも正式採用されている。
「さあて、バンビちゃんはどこかな?」
 ニタリと目尻を下げて電子スコープを覗く。土砂降りの雨、水のカーテンとはいえ補正の入った電子の目を遮る事は出来ない。肉眼では確認出来ずとも、機械の目は正確にそこにある物を弾き出す。
「男バンビはさっき仕留めたから、次は女バンビか……。ああ、見つけたぜ。星間中央警察の子鹿ちゃん」
 スコープの中にメイファーの姿が映る。男が煙草を吸っている間にも、指名手配犯、ネロ・ストークとメイファーはビルからビルへと飛び移っていた。
「……猿かお前等は」
 些か呆れた感情を露にし、男は呟く。
「まあいい。どっちにしろ……邪魔だ」
 スコープの中央にメイファーの姿が嵌った。男は眉間や心臓ではなくメイファーの足を狙った。せわしなく動く体の挙動を予測し、五感を総動員してその動きを感じる。
「邪魔者は退散願おうか」
 誰に言うでもなく呟き、トリガーを引く。虚空にかすかな音が連続して響いた。発射された光弾は、屋上を走るメイファーの右足に全て命中する。
 太股をレーザーで撃ち抜かれ、メイファーの体勢が崩れた。含み笑いを浮かべながら観察する男の前で、メイファーの体が転がる。絶望的な表情を浮かべたままメイファーの体が、屋上からビルの谷間へと落下した。
「さようなら、バンビちゃん」
 男は壮絶な笑みを唇に浮かべた。それは冷酷で無慈悲なものだった。死に行く者を前に、男は歓喜すら抱いていた。自分が奪った命に対し、沸き起こる興奮は麻薬にも近い。この男にとっては、堪らない愉悦の瞬間なのだ。
 だがそんな男の喜びは、直ぐに怒気へと変化した。落下したはずのメイファーがビルの谷間で、何かに捕まり生きていたからだ。メイファーの体が宙吊りのままユラユラと揺れている。男はプライドを刺激され、スコープをメイファーの手元に合わせた。
「……何に捕まっている?」
 観察するまでもなく、それが細いワイヤーだと気付く。メイファーの右腕、手首のリングからそれは出ていた。どうやら細いロープが格納されていたらしい。恐らく星間中央警察の装備品の一つなのだろう。ビルの屋上から落下したメイファーは、咄嗟にロープを窓の柵に巻き付け、転落を防止したようだ。
「やるな。だが……」
 男は呟き再度トリガーを引いた。再びレーザー弾が発射され、メイファーの命を繋ぎ止めていた細いロープが焼き切られる。メイファーの体は一瞬にして落下した。男の耳には聞こえない悲鳴が聞こえる。
「お前の負けだ」
 唇を歪め男は言い、煙草を足下に落とした。濁流の様に流れる水で火はあっという間に消える。男は煙草を踏み潰し、レーザーライフルを肩に担ぐと悠然と踵を返した。
 ザーー。ザァ、ザー。
 男の影を消す様に、雨は降り続けた。
[80] 2005/10/07/(Fri) 13:34:18

名前 MUTUMI
題名 58
内容  メイファーの全身から血の気が一気に引く。背筋が凍えるのをメイファーは自覚した。
 星間中央警察の制服は、仕事の危険性から特殊加工が施されている。1、2発のレーザー弾ならば、直撃されてもせいぜい服が焼ける、或いは皮膚が焼けただれる程度で済むはずだ。ところが今回はそうなってはいない。
(そんな! 狙撃者は、同じ箇所を正確に複数回狙撃したというの!?)
 ゾッとして、背筋が震えた。
 謎の狙撃者は、動いて転がり回るテリーのたった1ケ所の傷口に、複数回狙撃を加えていたのだ。何度も同じ箇所を攻撃されては、特殊加工を施していても、レーザー光を防ぐ事は出来ない。
(なんて……腕!)
 相手が一流である事をメイファーは知る。
「う、ううっ……」
 呆然と硬直していた時、ぐったりしていたテリーがくぐもった悲鳴をあげた。
「! しっかりして!」
 メイファーはテリーの耳元で怒鳴る。テリーは虚ろな瞳を細く開けた。吐く息は荒く、脂汗が顔中に広がっている。
「メイファ? 俺……っ!」
 動こうとして、走った激痛に顔を歪める。
「ぐっ」
「テリー!」
「大丈夫だ……。それよりも……奴を追え」
 肩の傷に手を当て止血の為に押さえながら、倒れたままだったテリーが上半身を起こす。顔色はもう蒼白に近かった。
「何を言ってるの! こんな状態のテリーを放置出来る訳ないでしょう!」
 メイファーはテリーに怒鳴り返し、体を支えよう手を差し出す。けれどテリーはそんなメイファーの手を払い除け、青白い容貌のまま諭す様に言葉を絞り出した。
「心配いらない。俺は後から来るロン達に……回収してもらう。……それより早く行け! まだ……奴に追い付ける」
「テリー」
「……逃がすな」
 荒い息の中、テリーはそれだけを告げる。メイファーにはテリーの気持ちが痛い程わかった。刑事としてのプライドから、追跡を諦めるなと告げる彼の気持ちが……。
 テリーの傷は深いとはいえ、決して致命傷ではない。本人の言う様に、こちらに向かっているロン達に、手当てをしてもらうのが一番妥当で適切な判断だった。
「でも……」
 躊躇うメイファーを前に、テリーがニヤリと唇を歪める。
「行けよ」
「……」
 テリーの目に妥協を許さない光が灯る。それを目にして、メイファーは俯くと弾かれた様に走り出した。躊躇いを抱えたまま、メイファーはその場を後にする。屋上の壁に背を預け、雨に打たれたままの状態でテリーはメイファーの背中を見送った。
「捕まえろ……メイファ」
 激痛に囚われていたテリーの意識が、急速に遠くなる。
「やべえ……なぁ」
 朦朧とした意識の中、何とかポケットに手を入れ、持っていた通信端末をテリーは稼動させる。現在地をロンに知らせるためだ。ポケットの中から、状況を尋ねるロンの小さな声が聞こえて来た。けれどテリーはそれに答える事も出来ず、ズルズルと上半身をずり落ちさせた。
 バシャン。
 水たまりの中に落ちる音がし、水滴が跳ねる。テリーの全身から不意に力が抜けた。雨の音がふっと聞こえなくなり、深い闇の底にテリーの意識は沈んで行く。
 ザー、ザー、ザー。
 気絶したテリーの体にも容赦なく雨は降り注ぐ。肩から流れた血が、絵の具のような線を腕に胸に腹に落とした。ピクリとも動かないその体は、まるで死人のようでもあった。
 ザー。ザー、ザー。
 雨は一向に止む気配を見せなかった。
[79] 2005/10/04/(Tue) 22:13:28






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