僭越ながら、ささやかながら。
僕はあらゆる不思議をわりと素直に信じるたちでして、ネコタさんのところをはじめ、方々のサイトや掲示板で体験談や物語の不思議に触れては、あまり忙しくもない余暇を楽しませてもらっている者です。
ところがとても残念なことに、僕自身は不思議とはとんと縁のない人生を送っています。
いつだっていかなる不思議、幽霊、UFO、なにかの怪奇、信じられない運命、なかでもひときわ宝くじの当選なんかには遭遇する心の準備はできているのに…。
もしかしたら、僕には自分の経験に基く価値観がないから、そのおかげでいろいろなかたのお話をひとより余計に楽しめているのかも知れません。
ここでひとつ不思議なお話でもご披露できれば、ネコタさんにちょっとほっとしてもらえるのじゃないかと思うのに、そんなわけでして、これまでに理科室掲示板に書き込めるようなお話の持ち合わせもなかったのでした。ごめんなさい。
でもこれではナンですから、母の話を少々、文章にしてみたいと思います。(よよ、用意してたんちゃうよ!)
僕の母も僕とは大して変わらず不思議とは縁のないひとだと思います。ですが、子供を見る母親の勘というのは確かに存在するのだろうと、僕が信じざるを得ない出来事はありました。
母はあまり身体の丈夫なほうではなく、なにかあるたびにやれ肩が腰がどこそこが痛い、心臓が苦しいと言ってはため息をつくひとで、どうやら本当に心臓が丈夫ではないひとのようでした。…もっとも、床に伏すとかそろそろお迎えがとかいった様子はぜんぜん見られないのですが。
僕が補助輪なしで自転車に乗れるようになったある日、たぶん小学校にあがってそう経っていない頃のことです。
近所の友達の家へ遊びに行こうと、僕は自転車に乗って家を出ました。母は通りまで出て僕を見送りました。
僕は元気な盛りのわんぱくでしたから、友達の家へ向けて全速力の立ち漕ぎで、人も車もそう見当たらない通りを飛んで行きました。
そして家から五十メートルか百メートルか、それくらいのところでコロンと、道はまっすぐで整った舗装で晴れた日で、転ぶ要素なんてどこにもないのにコロンと、僕は一回転をしてほんとに飛んだのだそうです。
のちに母曰く、「あの日に限って妙な胸騒ぎがして息苦しかったから、すぐには家へ入らずにずっとあなたを見送っていたのよ。だからいつでも駆けつける用意ができていたわ。」
また、僕が二十歳前の学生だった頃のある日。
僕は学校から家に帰ると、すぐに手を洗いうがいをしついでに歯を磨く、冬場の小学生みたいな息子でした。
僕が帰宅して玄関のドアを開けると、あがりかまちには母が渋面で腕組みをしていました。
(バレた!?)
「ただいま」よりも先にくんくんと匂いをかがれた僕は、その帰り道に初めてタバコを吸った僕だったのでした。
のちに母曰く、「あの日に限って妙な胸騒ぎがして息苦しかったから、あなたが帰ってくるのを待ちかまえていたのよ。」
まったく、お母さんには隠しごとができません。この先も、僕が悪事に手を染めたり、大変な事件に巻き込まれたりしないように、どうか長生きをして、お母さんの味の煮物和え物を、いつまでも食べさせて欲しいと思います。
ちなみに、僕は小さいときからすごく騙しやすい、担ぎやすい人間みたいでして、大人になってそれを自覚していてもなお、しょっちゅう悪気のないウソをつかれては笑われ、「もしかしてあの時のアレは担がれたのかな?」と何年も経ってから疑いはじめることも度々です。ですので、母の話が単なる偶然か冗談か、果たして信じたとおりの母の勘なのか、それは母のみぞ知るところではあります。
こんなお話ですので、ネコタさんがほかの幻想譚の構想中にでもふと思考の端っこに思い出していただけたらば幸い、これからもネコタさんの文章を読めることだけでも、僕には十分でございます。
乱筆お粗末さまでした。