[3636]未來日呼
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2009年10月17日 (土) 14時03分
『それ 人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、 凡そはかなきものは この世の始中終 幻の如くなる一期なり。 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。 今に至りて 誰か百年の形体を保つべきや。 我や先 人や先 今日とも知らず 明日とも知らず、 おくれ先だつ人は 本の雫 末の露よりも繁しといえり。 されば 朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり。 既に無常の風来りぬれば すなわち二の眼たちまちに閉じ、 一の息ながく絶えぬれば 紅顔むなしく変じて 桃李の装を失いぬるときは、 六親眷属集りて歎き悲しめども 更にその甲斐あるべからず。 さてしも あるべき事ならねばとて 野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、 ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。 されば 人間のはかなき事は 老少不定のさかいなれば、 誰の人も はやく後生の一大事を心にかけて 阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、 念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。』 ------------------------------------------------------------------- 昨日の朝、仏前にて月忌の法要があった 浄土真宗本願寺派での法要で、読経の後、上記の御文章を拝読された・・・ その後の御説教で、なぜかグッと胸に徠ものがあって、はからずも泪してしまった・・・
仏前で泪するのは何年ぶりか・・・、自分でもビックリで、、、 命の儚さに何か感じ入るものがあったのか・・・ 夕方には、それを体感してしまった。
昨日は人の儚きことを感じざるをえない日だったな・・・
南无阿弥陀仏 ・・・・・・
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