スピーチ大会用掲示板
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[41] 題名:2013年度 第二回スピーチ大会 「心に残る『あの風景・あの言葉』」 名前:三厨昌平(25期) 投稿日:2013年11月21日 (木) 16時21分
1.導入
「読んで良し 書いて尚良し 学びの場」
三戸ゼミで学び、それを日々役立てているみなさんならもうピンと来るでしょう。
ゼミを思う時に必ず頭に浮かぶ「空間」、それが三戸ゼミナール掲示板です。
2.イメージ
私がゼミに入って掲示板の紹介をされ、その場に踏み込んでみたときの第一印象は
灰色で
テキストばかりの平板な二次元でした。
3.私たちはどういうものか
色鮮やかで、見る人の目を引くようなサイトを見たり
ユーザーインターフェイスが重視されて作られたアプリが入ったスマホを手に携えて生きてきた
私や私の同期は皆同じことを思ったのではないでしょうか。
4.実際の掲示板
しかし、よく読んでみればたくさんの「面白いこと」が書いてあります。それぞれが「面白い」と思ったそのことが学びとして
書き込む人と読む人をどんどん成長させているのです。
サッカーの試合一つとっても、
何も考えずに見れば娯楽や趣味の活動でしかありませんが、
5.学ぶということ
ベッティングを立ち上げて、メンバーの貢献意欲を引き出す工夫を凝らし、
選手の一挙手一投足に社会の変化を読み取る。
何事も関連付けて構造的に考えるという習慣を身につけ
常に学ぶ姿勢を持って毎日を過ごし、
本当にたくさんの時間をかけて灰色のディスプレイと向き合ってキーボードを叩いている先生やOBの先輩方の姿を思い浮かべるにつけて、
現役の「学んで生きる」学生の姿勢がまだまだ至らないな、と思います。
6.「思い」
また、何より「学び」だけでなく、それぞれの溢れる「思い」が書き込まれています。
読みながら思い浮かぶのは
よく先生がおっしゃっている
「いいなあ〜」
という言葉です。
7.佐々木さん
昨年5月の投稿、岡山に転勤になった佐々木さんの近況報告、
当時の佐々木さんの学びの範囲や、ゼミに対する思い、
自分の中で自分がどう変化したかという書き込みに対し、
8.先生@
先生が当時のご自分の「知の世界」を紹介して応え、
「きみの書き込み、嬉しかった。
次に会う時が楽しみだ。「刮目」だぜ、お互い。」と
書き込んで健康を気遣うあたり、
見ている者には歴戦のライバルにして大親友かのような関係を思わせながら、
9.先生A
「余計なことだが」と付け加えて「君の文章は硬い気がする」
というコメントで
弟子に対してやはり足りないことを教える三戸先生、
10.杉山さん
そんな書き込みに対し
「仲間の元気そうな、そして懐かしい声を聴くと嬉しくなる」
と書き込む杉山さん
11.現役から見て
このような光景は何代の後輩の私から見てもつい
「いいなあ〜〜〜」
と口から出てしまう光景です。
12.
先日発表された
書き込み大賞の書き込み数ランキングで私は
現役ゼミ幹事ながら総合トップ10入りを逃し
現役生部門でも安藤と木田に大きく差をつけてしまい
このお話をするのもたいへん恥ずかしく、残念で、後ろめたいですが
13.
「ご無沙汰ですが」という失敗をしてしまっても
我に返って再び学びの歩みを始め、思いを伝え合う。
そんな先生と、先生と共に25年間を過ごしてきたゼミの
時空を超えたつながりを保つ場の「有難さ」
に感謝しながら
先輩方のように学ぶ気持ちを強く持ち、
これからまた学んでいきます。
【削除:keijiban】
[40] 題名:2013年度 第二回スピーチ大会 「ゼミで学んで役立っていること」11/13 名前:渡邊 諒太(26期) 投稿日:2013年11月18日 (月) 09時16分
ぼくが三戸ゼミナールに入り、学び、役立っていると感じるものの一つは、「何を、なんの為にやるのか、コンセプトを考える」というものです。
これは前期にb-1グランプリ、伊那食品、ミュージックセキュリティーズなどのDVDを通して、学んできたものです。
今日は、この学びが直接的ではないけれど、役に立った時の話をします。
ぼくは今ハタチです。ハタチと言えば、それにまつわるイベントの一つとして同窓会があります。
この同窓会、ぼくの地域では中学のクラスメイトが集まる事になり、6月あたりから既に何人かが幹事として話し合いを始めているのだと幹事の一人である友人が教えてくれました。
その時はふーん、そうなんだ。位にしか思いませんでした。
しかしその後、9月あたりにその友人がぼくに相談を持ちかけてきたのです、「企画は順調に進んでいるけれど、自分の周りはほとんどいかないみたいなんだ。」と。
ぼくもその出欠席に保留をしていました。それは何故か。その理由の大きな一つが、参加料でした。
参加料一万二千円。インターネットで調べると相場より少し高い位です。その分ホテルは貸切にしており、写真を見る限り其れ相応に良いところでした。
「他の幹事は同窓会なのだから、ちゃんとしたところでやりたい、他の学校もこんな感じなんだと言ってこだわっているが納得できない。どうしたら良いだろうか。」と彼が言うので、
「コンセプトを考えればいいのではないか」ととっさに出てきました。
先生含め、古い交流を温め語り合う、その為にあるんじゃないか。
そう言う意味で高いホテルの宴会場である必要はあるのか。むしろ多くが学生だろうし、お金に余裕はないだろう。むしろ目的の邪魔になってるのではないか。と言う様に説得できるのではないかと提案しました。
その後改めて届いた出欠票には、ホテルほどでないけれど良さそうなお店で、七千円前後になると書いてありました。それだけでなく、プログラムも相談を受けた時に出したコンセプトに沿った型になっていました。
改めて友人に会い、その事を聞いてみると「おかげで他の人を説得できた、自分の周り含め殆どの人が参加するみたいだ。ありがとう!」と言ってくれました。
その時、三戸ゼミで学んだことが、コンセプトを大切にすると言うことが活かされたのではないか、とおもったのです。
そして、僕自身もこの出来事を踏まえ改めてコンセプトを大切にしよう。と思いました。
削除キー:speech1113
[39] 題名:2013年度 第二回スピーチ大会 「ゼミで学んで役立っていること」 (11月13日) 名前:木田世界 (25期) 投稿日:2013年11月16日 (土) 22時02分
姿勢を正し、周りを見回す。
三年の木田世界です。
宇宙君でも、未来君でもありません、僕の名前は世界です。
〜1,2,3〜
僕が三戸ゼミで学んだことは、(SLOW)謙虚に(/SLOW)なろうとすることです。
つまり、自分にはまだ(SLOW)見えていないものがあり(/SLOW)、
自分の知らない世界があると自覚すること、です。そして、それを知りたい!と強く願うことです。
謙虚になることは、<学ぶこと> と <聞くこと> において欠かせません。
数ヶ月前、ゼミ生が掲示板の課題をやっていなかった時があり、
その時に先生は、学ぶとは何かを話しました。
学ぶとは、まねぶこと、 <そのまんま受け入れる> ということです。
先生が与える課題というものは、どのように学んでいけばよいかを示す、指針のようなものです。
その指針を無視して、(P:静かに)自分の基準で判断し課題をやらないとすれば、
<自分が知っているという範囲>から抜け出すことはできません。(/P)
(目を伏せて)
〜1,2〜
僕の友人で、<他人の頭で考える>ということを言った人がいます。
あるとき彼は、アメリカのNGOで半年間働かないかと誘われました。
行くとすれば、半年間休学しなければなりません。
彼自身では行くべきかどうか、決められませんでした。
彼には、師匠として尊敬する人がいたのですが、
その人が参加することを勧めたので、
結局彼は誘いを受けることにしました。
半年後に帰ってきた時には、彼は別人のようにたくましくなっていました(^.^)
〜1〜
自分自身の基準では行うことのできない選択をしたことが、彼に成長の機会を与えたのだと思います。
尊敬できる人の助言について、まずは(F)腹をくくってその通りにやってみる!、
そういう姿勢(F)こそが(/F)自分を豊かにすると僕は思います。
〜1,2〜
謙虚であることは、<聞くこと>においても欠かせません。
もし自分が、分かったつもりになってしまい、話を正面から聞こうとしなければ<何も>取り入れることはできません。学ぶこともできないでしょう。
ある時のゼミで、先生の話を自分の言葉に翻訳しないように、こういうことですよねと置き換えてしまわないようにと注意されました。
話を自分の言葉に翻訳して聞いてしまえば、自分がすでに分かっていることしか聞き取れないのです。
〜1〜
聞くことは、今まで自分の中に無かったもの、未知のものを取り込むこととも言えます。
僕は、トロントで人類学のフィールドワークを行い、
その中で、ストリートミュージシャンたちがどのようなことを考えているか、インタビューしました。
そのインタビューでは、一問一答というかたちではなく、
相手の答えの中で、 <自分の予期していないもの> を見つけ、それを掘り下げていこうとしました。
この姿勢で臨んだインタビューでは、どんどんと自分の想像していない答えが出てきて、
次々と質問を思いつき、1時間、2時間があっという間に過ぎてしまいました。(^^)この上なく楽しい時間でした。
〜1,2〜
最後に、謙虚になること、自分が見えてないものを自覚しそれを知りたいと願うこと、
そして、謙虚な姿勢で<まねび>、聞こうとすることが重要であるともう一度強調して、
話の結びとします。
礼、退出
▲(記号含め1323字)
↓活動報告にも載せましたが、こちらにも載せておきます。
<反省>
今回は、前回のスピーチと同じ間違いをしない様にという気持ちだけで準備してしまい、
志の低い学び方をしていた。話し方という面では多少前進できたが、
このスピーチによって聴衆に影響を与えようという気持ちを持てなかった。
また、テーマによってスピーチで気をつけるべきことが違う、
特に今回の「役に立つこと」というスピーチではロジックが重要であり、
話し方ばかりに注目して準備していた自分はあまりに考えが浅かった。
本の交換会などでも原稿を作り練習しスピーチの学びするなど、
異なる物事・現象に共通の構造を見出すことをしっかりとは心がけていなかった。
ほか、構成も未完成だったと思う。
・テーマが三つは多すぎで、テーマ一つにネタを2,3という原則を無視してしまった。
・学んで役に立っていることより学んだことそのものであった。
・友人の話というゼミでの学び以外のものが入っていた。
また、話し方でも、上手い、というレベルではなかった。咳払いは今後気をつけたい。
また、25周年でOB相手に話すということを意識して、どちらのテーマを選ぶべきかという戦略を持っていなかった。
二年生が三年に聞かせるのであればゼミ面接や初ゼミなどの〈風景〉を語った方が良い、というのは、OBに対して三年がとるべき戦略にもなりうると思う。
<今後の目標>
次回のスピーチ「この人を語る」では、中村さんが言っていた様な
<聴衆を涙目にさせてやる>など「どう影響させるか」という目標を立てるつもりだ。
また、次の交換会では3,4人に手を上げさせるスピーチをしたい。
8888
[38] 題名:2013年度第1回スピーチ大会「私の家族」 名前:笹井純也 投稿日:2013年07月24日 (水) 00時30分
◇スピーチ大会
テーマは「私の家族」なので、今日は私が敬愛する父、笹井昌昭を紹介します。
どの点が愛らしいのか、どの点が尊敬できるのかを説明する前に、父について簡単な紹介したいと思います。
父の名前の昌昭の昌は日付の日をタテに2つ重ね、昭は昭和の昭です。趣味は俳句と書道と読書で、誕生日は8月8日生まれ、現在67歳です。8/8の67歳というと、ギリギリ戦時中生まれに当たります。三戸先生より8つ年上です。そして8人兄弟の8人目です。
ここで気づいた方もいるかと思いますが、父には「8」がラッキーナンバーです。以前の通勤電車は8:08分の電車、帰宅時間は偶然にも長針と短針がどちらも8を指す7:40、昔は8階に住んでいました。さらには昌昭の昌はデジタル数字の8をタテに重ね、昌昭の昭にも8が隠されています。数字の8は横に倒すと無限になり、漢字の8は末広がりを意味し、非常に縁起のよい数字です。
また別の特徴では、ちょっとした浪費癖と感情表現の素直さがあります。例えば、アイスならハーゲンダッツ、食べ物を買うなら成城石井、原産国は日本産というように、いつも少し高級品を買います。しかも冷蔵庫に入るか入らないか、ギリギリまで買います。そして病気がちな母に注意されてはしょんぼりし、食事が始まると心から楽しそうに食べています。いつもニコニコたくさん買ってきて、注意されてはしょんぼりし、食事が始まればニコニコ上機嫌、これが我が家の日常風景です。愛らしいですよね。
では私がどうしてそんなエイトマスター父を尊敬するのかを説明したいと思います。私には父の無駄遣いを理解できませんでした。いつもどうして高級なものを大量に買うのかを質問しても、はぐらかされてばかりでしたが、ある時 酒に酔った父は違う答えを返しました。
「おれがたくさんお金を使う理由は数字の8と漢字の八が関係している。」どういうこと?と思いますよね。
「数字の8のように経済は循環している。お金を持っている由緒正しき笹井家(今は没落)は、貧しい人にもお金がいきわたるように、世の中にお金を落とすことで貢献できる。
漢字の八は末広がりだ。その時の貯金は減っても、未来の自分達への先行投資になる。自己投資を怠れば、いつかその分が自分に返ってくる。
だから、おれは8(八)を大切にしているんだ。」
と言いました。
私は父からその理由を初めて聞かされましたが、祖母や母にはよく言っていたそうです。
父の浪費癖にはそんな背景があったとは知らず、その時から私は父の事を尊敬するようになりました。
父も今年で68歳、これからだんだんと父を支える必要が増えてくると思うので、これからも父の事を大切にしていきたいと思っています。
[37] 題名:2013年度第1回スピーチ大会「私の家族」 名前:藤田航平(25期) 投稿日:2013年07月23日 (火) 21時06分
太平洋をわたっていくような人になって欲しい。
そんな壮大な意味を込めて付けられた僕の名前は、航空機の航に太平洋の平と書いて、航平といいます。
この素敵な名前をつけてくれたのは僕の父なのですが、
この名前だけでなく、性格についても、父からもらったものが多いようです。
今日は僕の性格について知ってもらいたい。そしてそのために、ぼくの父について知ってもらいたいと思います。
みなさん、特に3年生以上はご存知だと思いますが、就活支援サイトのマイナビというものがありますね。
そのサイトに「長所・短所診断」というものがあります。いくつかの質問に答えるだけで、自分の長所と短所が分かるというのです。
マイナビさんが、 まずはこれをやれ と言うので、お言葉に従いやってみました。
マイナビによると僕の短所は、「決められたことを計画的にすすめるのが苦手」とのことでした。
なかなか痛いところを突いてきます。
確かに、小中高と夏休みの宿題は最終日ギリギリにやるタイプでしたし、大学の課題も前日になって始めることが多いです。
どうやらこれは、父の性格を受け継いでしまったようです。
ぼくの父は毎年人間ドックに行っています。
ビールが大好きで体脂肪率が気になるお年頃の父は、毎年人間ドックの1週間前になると決まって、ダイエット宣言をします。
まるで減量中のボクサーのように、運動をし、食事制限をし、苦しみながら、家族に愚痴をこぼしながら体を絞っていきます。
そして人間ドックから帰ってくると、まるで計量が終わったボクサーのように、これまでのダイエットがウソだったかのようにまた食
べ始めるのです。
これを長期的・計画的にできれば1年中健康でいられるのに、1週間程度のダイエットでは何も変わらないと思うのですが、
この計画性の無さ、僕は父に似てしまったようです。
では長所はどうでしょう。
マイナビ曰く、僕の長所は、「どんな環境でもリラックスして力を発揮できる」とのことでした。
褒められると照れます。
力を発揮できているかは分かりませんが、確かにある程度リラックスしている自信はあります。
どうやらこれも、父の性格を受け継いでいるようです。
父は中学校の教師をしているのですが、僕が中学生の頃、
父が転勤先の中学校で、バドミントン部の顧問になりました。
新しい職場で、やったことのないバドミントンの顧問なんて大変だろうと心配したのを覚えています。
そんなある日学校に行くと、クラスメイトのバド部の女の子から「昨日君のお父さんをコテンパンにしたよ」と言われました。
いったいどういうことだ!?父は女子中学生にコテンパンにされたのか?
帰って父に聞いてみると、父の務める中学校と、僕の中学校のバド部で練習試合があり、
その試合のあと、父は僕のクラスメイトに個人的に試合を申し込んだそうです。
仮にもバドミントン部の女子中学生に、初心者のおっさんの相手をさせるとは、なんということでしょう。
慣れない環境にいる父を心配していましたが、どうやら新しい職場を思いっきり楽しんでいるようでした。
これほどではありませんが、どうやら僕は父に似たようです。
このように、父の性格を受け継いだ僕は、
決められたことを計画的にすすめるのは苦手ですが、いつもリラックスして力を発揮できる。という性格です。
こんな長所と短所を持つ僕ですが、新しくゼミに入った2年生、そして3年生以上の皆さんも改めて、
これからどうぞよろしくお願いします。
【fujita】
[36] 題名:2013年度第1回スピーチ大会「私はこんな人になりたい」 名前:安藤陽介(25期) 投稿日:2013年07月23日 (火) 10時08分
私はこんな人になりたい
「私はこんな人になりたい」
私は芸術家のような人間になりたいです。
私が定義する、芸術家のような人間、とは
「自分が好きなことをただ行うことで、他人に、より多くの幸福をもたらす人」と定義します。
例えば音楽家なら自分の好きな音楽で、スポーツ選手ならスポーツで人を楽しませることができます。
それは素晴らしい生き方です。
自分が好きでやってることで、他人が幸せになれるのです!元気になれるのです。
自分が嫌々やってることでそれが人のためになることもあるかもしれません。
でも芸術家は違います。自ら好きでやってることが、人のためになってるのです。
漫画家の手塚治虫にこんな有名なエピソードがあります。
手塚治虫といえば、
手塚治虫は晩年、胃がんを患い病床に伏してました。
普通の人なら、死を悟り、今までの人生を振り返りながら、残りの人生を目いっぱい大切な人などと過ごすのではないでしょうか?
しかし、彼は違いました。彼はなんと、死ぬ直前までベッドの中で、漫画を描き続けていたのです。
これは一見すごいことですね。死ぬまで、漫画を描き続けるなんて。並大抵の人ならできないでしょう。しかし彼はそれを可能にしました。
なぜか。それは彼が漫画を描くことをただ好きでいたからだと思います。
彼は例えば私たちが死ぬ直前に家族と話したり、好きな音楽を聴くように、漫画を描いていたのです。
ただ好きだからです。
好きなことをすることで、何年たっても私たちを感動させてくれるのです。
こんな生き方、美しいと思いませんか?
しかしこの芸術家的ライフを実現するためには1つの壁があります。
それは、僕の、芸術家の定義にある、「好きなことをする」ということは「楽をする」ということではないこと。好きなことを本当に好きなことにするには、自分のものにしなければなりません。何度も何度もそれを経験し、あらゆる観点からそれを考察し、こだわりを持ち続けることでようやくそれが好きなるのです。そうやって好きになったものこそが、人に感動や幸福を与えることができるのではないかと私は信じます。
たとえば就職活動の中でよく言われるのが、「『好きなこと』『やりたいこと』の中から自分ができるような、自分にあった仕事を探しなさい。」という言葉。
これは、違います。
仕事をしたことのない私たちにとって、どんな仕事が好きかなのかは正直に言ってわからないし、判断できません。多少の好みがあっても絶対的にそれが存在するとは思いません。
大事なのは与えらた仕事や、出会った仕事に対して、真摯に向き合い、あらゆる観点からこだわりを持ち続ける。そこまでやったとき、それが本当に好きかどうかがわかるのだと思います。
僕は一般的な芸術家的才能は有りませんが、これからの人生を芸術的に、将来の自分の仕事を、死ぬまで愛せるような、そんな人間になりたいと思います。
【ando】
[35] 題名:2013年度第1回スピーチ大会「私の家族」 名前:坂本恵理奈(25期) 投稿日:2013年07月23日 (火) 01時50分
私の名前は坂本恵理奈です。坂本竜馬の坂本に、恵という字の恵、理科の理に奈良の奈という字を書きます。
この、「坂本」という苗字はありふれた苗字ですが、私の家族「坂本家」は、時代には全く沿っていません。
むしろ逆行していると言っていいくらいの家族です。
さて、皆さんは、自分の兄弟を尋ねられたら、何と答えますか?
私は決まって「上に1人、横に1人、下に1人姉妹がいる」と答えるようにしています。
どういうことかわかるでしょうか?
私の家族は、父、母、4歳年上の姉、私、そして双子の妹と、3歳年下の妹の、6人家族です。
そうです、4人姉妹なうえに、実は私、双子なんです。こう紹介してしまう、と双子の話を聞きたがる人が多いのですが、
今日は双子の話はちょっと置いといて、6人家族について話をしたいと思います。
6人が一つ屋根の下に暮らす。どんな生活か想像できるでしょうか。
一言で言ってしまえば、争いが絶えない。常に様々なことで喧嘩が起こります。
例えば、外にご飯を食べに行く時。簡単には行き先が決まりません。
「何食べたい?」と母に聞かれてそれぞれ答えるのですが、見ごとにバラバラ。お寿司、中華、ファミレス、焼き肉。よくここまでそろわないな、と感心するのですが、
本当にそれくらい、そろいません!それを決めるだけでいつも30分以上討論が続きます。
例えば、テレビを見るときのチャンネル争い。
アニメを見たい妹、音楽番組を見たい私、ドラマを見たい姉、そして野球中継を見たい父が加わり、
それはそれはすさまじいリモコンの争奪戦が始まります。CMになるたびに「今CMなんだからいいじゃん!」
といってチャンネルがかえられてしまい、もう何を見ているのだかさっぱりわかりません。
さらに喧嘩がエスカレートすると、リモコンを持ったまま家中追いかけっこが始まってもう大騒ぎ。
そんなことをしている間にテレビは父にとられ、母には「いい加減にしなさい!」と怒られてしまうのですが、
一度喧嘩が始まると収拾がつかないのが子供のけんかです。今考えるとたかがテレビで、と思いますが、
幼い私たち姉妹は、こんな些細なことで日々喧嘩をしていました。
このほかにも、夏は扇風機、冬はストーブの前で涼しい風、暖かい風に誰が当たるかと陣取り合戦が行われたり、
誰が一番最初にお風呂に入るかで喧嘩をしたりと、数え挙げれば本当にきりがないほど、ちょっとしたことで日々喧嘩をしていました。
そんななかで育った私は、あることを学びました。
それは「譲る」ということです。
どういうことかというと、何か自分の意見を通すためには、相手に譲ることも大切だ、ということです。
たとえば、私は音楽が好きなのでミュージックステーションなどの音楽番組、特に自分の好きなアーティストが出るときは絶対見たいと思うのですが、
それを見るためには、他の時間、他の曜日はだれかに譲る必要があります。
「この前あのドラマ見せてあげたから今日は私が見たいものを見せて」というように、
自分が本当に押し通したいことを押し通すためには、多少妥協できるもの、自分にとってそれほど重要でないことに
関しては相手に譲り相手に合わせることが必要だということです。
争いの絶えない、うるさい家族ですが、今は小さいころから身を持ってこのようなことが学べたことに感謝しています。
また、一人暮らしをしている今となってはあの騒々しい日々もいい思い出です。
私は周りに合わせてばかりで「自分の意見がないの?」と言われることが良くあります。
しかしその一方で、「頑固だねえ。」と言われることもあります。みなさんがもし、そのように思った時は、
今日の話を思い出して頂けると嬉しいです。
【削除キー:sakamoto】
[34] 題名:記事[33]について 名前:浦林幸輝(25期) 投稿日:2013年07月22日 (月) 17時40分
すみません!
記事の編集中で誤ってエンターキーを押してしまい、
[33]の記事に削除キーを入力せずに投稿してしまいました!(><)
削除キーを設定していないので記事の削除・編集が出来ません。
[33]の記事の正式な題名は
2013年度第1回スピーチ大会「僕は無敵になりたい」
です。
編集キー【muteki】
[33] 題名:2013年度第1回スピーチ大会[ 名前:浦林幸輝(25期) 投稿日:2013年07月22日 (月) 17時30分
こんなことを言うと皆さんに何を言っているんだ?だと驚かれるかもしれませんが、こうなりたいという理想像として、僕は「無敵」になりたいと思っています。本当に「無敵の男」になりたいというのが、僕の人生の大きなテーマの1つです。
僕は大学に入ってから合気道という武道を始めました。現在初段です。合気道は自分の単純な筋力に頼らず、自分の体を上手く使い、相手の動きにタイミングを合わせ、最小の力で最大限相手を制するという武道です。合気道の術理は見ただけでは分かりにくく、また武道として使えるようになるまでに時間がかかるため、よくインチキではないのかと疑われます。しかし、合気道は警視庁機動隊の特別研修科目に採用されるなど、実践でも十分に使える武道である事が認められています。例えば合気道の達人に塩田剛三という方がおられました。彼は身長154cm、体重46kgと大変小柄な老人ですが、かつてロバート・ケネディが合気道の噂を聞いて彼の道場を訪れた際、ロバートが同行していた身長190cm、体重100kgのボディガードと手合わせさせたのですが、塩田剛三はそのボディガードをいとも簡単に取り押さえてしまいました。小柄な老人が筋骨隆々な若者を倒してしまうという漫画の世界の出来事のような事を可能にしてしまう合気道の凄さに惹かれて、僕は合気道を始めました。
しかし、僕が「無敵」になりたいという一見幼稚園児のような理想を掲げているのは、単に合気道をきわめて超人的な達人になり、ボディガードを倒せるようになりたいからという事ではありません。それは、合気道の思想にあります。
先ほど触れた塩田剛三という合気道の達人が、かつて弟子にこのような質問をされました。
「先生、合気道で一番強い技は何ですか?」
それに対して塩田剛三はこう答えました。
「合気道で一番強い技、それは自分を殺しに来た相手と友達になることだよ。」
僕はこのエピソードを聞いて、合気道ってなんて素晴らしいんだと感動しました。普通の武道や格闘技は自分に害をなす敵を打ち負かし、勝つ事を目的としています。しかし、それでは負けた相手やその仲間に恨みや憎しみが残り、新たな敵を作ってしまうかもしれません。それよりも相手を傷つけず仲良くなってしまえば全てが丸くおさまります。これこそが合気道が目指す極地であり、合気道を合気道たらしめるコンセプトです。敵と争わず、仲良くなる。すなわち「敵がいない、作らない」という「無敵」を目指すのが合気道です。僕はこの「敵がいない、作らない」という思想に共感しました。そしてこの思想がこれからの世の中に必要なのだと思っています。
近代以来の人間の科学技術の発達は目覚ましく、人間の活動領域はどんどん広がっています。しかし、我々人間が住む地球という空間には限りがあり、また地球上の資源も有限ではありません。そうした中、全ての人が自分の欲望を全て満たそうとすると争いが起こります。そうした現状の中で、「敵を作らず相手と仲良くやっていこう」という思想は大変意義があると思います。ですので僕は、合気道の鍛錬を通じて「敵を作らない」という「無敵」の極地を目指し、自らその思想を体現して世の中に広めていきたいと思っています。それが、僕のこうなりたいという理想像です。
もし皆さんの中に合気道って面白そうだなと思った人や、逆に合気道ってインチキ臭いなと思っている人がいましたら、この後僕の所まで来てください。合気道の技をかけてあげます。
削除キー【muteki】
[32] 題名:2013年度第1回スピーチ大会「私の家族」 名前:三厨昌平(25期) 投稿日:2013年07月22日 (月) 08時47分
私の家には父、母、妹、弟の5人がいますが、
今日は私の母についてお話ししたいと思います。
働いて収入を主に得るのは父。
しかし家庭の方針について考え、子どもを育てることについて方針を持ってきたのは母です。
僕ら子供たちが夢を語る姿に、「あなたならできる」と子供たちの背中を強く押してくれて、とても心強いです。
家族の中で母の存在は大きく、単身赴任中の父と大学にいて下宿している私と、高校生で多感な時期を過ごして感情の変化が激しい妹弟と過ごす母、と家族はいま3つに分かれて過ごしていますが
この4人の間をとりもち家族5人の雰囲気を良くしてくれます。
人と一緒に何かをするのが好きで、書道家の友人の展覧会を我が家で開いたり、ダンサーを呼びお客さんを呼び、ダンスパフォーマンスを家でやったり、毎年10月末には地域で仮装した親子10組以上集めて、一人暮らしのお年寄りの家を一軒一軒回るハロウィンのイベントも行っています。
また妹と弟が小学生で子供会に入っていたころの繋がりを通じて、これには私も驚きましたが、先日は地元の小学校の運動会で、栃木県のゆるキャラ「とちまるくん」の中の人もやったそうで、初の着ぐるみ体験に喜びの写真付きのメールを送ってきてくれました。
そんな母から私が受け継いでいるのは、気になる人にどんどんアタックしたり、何かを企画したりするアグレッシブさ、そして人と人の間を調整することです。
会いたい人に会いに行って話を聴いたり、他大の人と繋がりを作って企画のビッグバンドを企画してきて、自分はそういうことが好きなんだということが最近分かりましたが、それはどうやら母から来ているようです。
また、全国大会に向けて猛練習中のビッグバンドサークルの中でも、バンドマスターやコンサートマスターなどの幹部の人たちと、助っ人として参加してくれている4年生の意見の相違をうまく調整したりしていますが、最近つくづく「ああ、これは母が家でやっていたことだなあ」と思い、長男としてそれを見ていた自分がいまそれを行っているのだろうと思います。
良き母を持ったことに感謝し、彼女から受け継いだものを精一杯生かして、これからの人生を生きていきたいと思います。
【削除キー:mikuriya】