スピーチ大会用掲示板
スピーチ大会の原稿はこちらに
[51] 題名: 名前:藤田航平(25期) 投稿日:2014年02月05日 (水) 01時54分
「恥ずかしがり屋」は短所でしょうか?
たしかに人前でモジモジしたり、声が小さくて聞き取れないというような様子だけでは、他人に良い印象は与えられないでしょう。
しかし、
そうでなく、なんだかかわいい、応援したくなるような「恥ずかしがり屋」もいます。今日僕が語るのもそんな恥ずかしがり屋、
笹井純也です。
みなさんご存知のように、彼はなかなかの恥ずかしがり屋です。
特にこのようなスピーチ大会の場での彼の緊張はすごい。
前回のスピーチ大会、始まる前の生協タイム、彼は生協の本棚に向かって、口をパクパクさせながら小さく震えていました。僕が心配して「笹井どうした」と声をかけると、「スピーチのイメージトレーニングです。」と照れながら教えてくれました。イメトレの段階でそれではと本番を心配してしまいました。本番がどうだったかはここでは言わないでおきますが、本当にかわいい後輩です。
決して準備をしていないわけではないのです。もちろんスピーチの原稿もきちんと用意していますし、本の交換会の時、隣からこっそり彼のノートを覗くと、しっかり紹介文の原稿も準備しています。ただちょっとシャイなのです。
ではなぜ笹井の「恥ずかしがり屋」はこんなにも応援したくなるのでしょうか。
それは彼の恥ずかしがり屋の仮面の下には、熱い熱いハートが隠れているからなのです。
今年の夏合宿、笹井は都合がつかずに参加することができませんでした。しかし、掲示板の夏合宿の刮目の場には、合宿に参加できなかったことがとても残念であること、その時間で自分が独自に学んだこと、合宿の分の学びをこれから取り戻していきたい。ということがしっかりと書き込まれていました。
秋学期最初のゼミで、笹井の所属チームが、我々ふじさんチームに決まった後のことです。彼からこんなメールが来ました。
「おはようございます。新しくふじさんチームに入った私は、次のゼミまでに何をするべきでしょうか?」
夏合宿でどんなことを勉強したのか、それに参加できなかった自分は何をしたらいいか教えて欲しいというメールでした。
僕はこれまで、こんなに熱意あるメールをもらったことがありませんでした。合宿の後に掲示板で書いた想いは本物だったのだと感じました。
夏合宿で勉強したこと、これからやること、いまからでも笹井が参加できることをまとめて返信すると、「丁寧にありがとうございます!これからよろしくお願いします!」と顔文字つきでとても嬉しそうな返事が返ってきました。
「ああ、こいつとはうまくやっていけそうだな」と安心しました。
それ以来彼は、授業などの関係でチームの話し合いに参加できなかったりすると、いつもメールを送ってくれました。「話し合いに参加できなくてすみません。今からできることはありませんか?」本当に良い後輩です。
「チャンスを逃したことが悔しい!自分も学びたい!チームに貢献したい!」という熱い想いをもったやつなのです。そんな彼の想いはいろんな形で流れ出ます。彼の言動から、姿勢から、掲示板への書き込みから。きっとみなさんにも伝わっているはずです。
この情熱があるからこそ、恥ずかしがり屋という彼の性格も、決して短所などではなく、真面目で一所懸命という良い印象を与えているのです。
夏合宿に参加できなかった遅れを取り戻すどころか、今年ふじさんチームで一番成長したのは、笹井純也でしょう。
シャイな熱血漢。とても信頼できる男です。
君と同じチームになれて良かった。
ありがとう。
キー:sasafuji
[50] 題名:「藤田航平を語る」 名前:笹井純也(26期) 投稿日:2014年02月05日 (水) 01時38分
初めてのゼミ、緊張した僕の隣の席は藤田さんでした。
それ以来、木曜一限の経営管理論や、火曜四限の産業組織論でいっしょでした。
富士山(ふじやま)、マウント富士に登らないかとも誘ってもらいました。
秋学期からは藤田さんがリーダーのチームふじさんにはいり、
台風の時のゼミと新年会で二度行った「たほいや」では、二度とも藤田さんとペアになりました。
何かにつけて縁のある藤田さんですが、「藤田さんと出会えて、よかったな。」と思っています。
僕は藤田さんの、圧倒されるようなスピーチや話術より、魅力的な部分を知っています。
例えば、こんなことがありました。
春学期最後のゼミ、本の交換会がありました。
紹介が終わり、ゼミ室がざわつく中で藤田さんとすれ違った瞬間に、
「顔色悪いけど、大丈夫か?」と、一言声をかけてくれました。
その一言は、半年たった今でも忘れられません。
特に、周囲の人がいる前で言うのではなく、すれ違った瞬間、一対一になった「隙」を見て話しかけてくれた所がとても配慮してくださっているなと感じました。
たくさんの人の目の前では、声をかけられた側としても、本音を言いにくい場合があります。
またたくさんいる中で声かけた場合、周囲の人の立場としても、
「顔色が悪いと気付けなかった。」などと考えてしまいます。
声をかけられた人 だけではなく、周りの人をも意識していると感じました。
こんなこともありました。
忘年会企画のしゃぶしゃぶの肉を買いに行きました。集合場所は横浜駅の相鉄改札前です。
すると、当日の集合時間直前にラインが流れました。
ふじた「寝坊しました。すみません。」
結局、買い出しには石嶺さんと二人で行き、
藤田さんは間に合わず調理が始まってからの登場となりました。
しゃぶしゃぶをしながら話していると、
「実は寝坊してなかったんだけどね。」
「え? どういうことですか?」
「買い出しに3人もいらないと思ったんだけど、それを言うとまたラインで誰が抜けるかの話になって面倒でしょ。」
「あぁ。」
これは私がガラケーでラインを使っているのも、あるかもしれません。
振り返ると、忘年会の後で石嶺さんの家に7人で集まり遊んだ時でも、
レジュメを作る集合時間を決める時でも、
そして、記念合宿でOBの方々に挑戦的な行動に出たのも、藤田さんでした。
常に誰かに気を使わせる事なく気を使ってくれたように思えます。
藤田さんは本当に尊敬できる先輩です。
このようなスピーチ大会でしか感謝を伝えられない後輩ですが、
藤田さん、いつもありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
【fujitasan】
[49] 題名:2013年度第三回スピーチ大会 (2014/01/22開催) 「中村貴治を語る」 名前:木田世界 (25期) 投稿日:2014年01月25日 (土) 17時26分
「この人を語る」というスピーチで、まず最初に語られるべき人は、だれでしょうか。
それは、ここにいるゼミ生の中で一番感謝され、一番尊敬されている人です。
〜1〜
そう、われらが師範代、「中村貴治」さんです。
中村さんを語らずして、このスピーチ大会を終わらせることができるのでしょうか、
いや、終わらせられません。
〜1,2,3〜
25周年記念合宿の時の中村さんの姿が、印象に残っています。
スピーチ大会では、中村さんと杉山さんが特別審査員を勤めていたのですが、
OBを前にしても、中村さんは師範代として淀みなくコメントしていました。
杉山さんも、
「中村くんの指摘の的確さに実は内心うなっていました。もうすっかり「師範」なんだなあと。」
と合宿の感想で書かれています。
審査員としてのコメントも、OBとしての感想に絞り、評価は中村さんに任せきりだった、と仰っていました。
ゼミの伝統を色濃く受け継いでいるOBの方々からみても、的確なコメントを話すことができる。
そんな中村さんだからこそ、杉山さんも、安心して評価を任せたのでしょう。
〜1〜
そして明朝、4時過ぎに目が覚めてしまい、ふと一階の宴会場を覗いてみると、
あの畳の上で、浩友会で配る資料を、一部ずつ綴じている中村さんの背中がありました。
記念合宿に向けて、誰よりも多くの準備をし、誰よりも多く頭を悩ませていたゼミ生は、
中村さんでした。
中村さんがいなければ、記念合宿を成功させることはできなかったでしょう。
〜1,2,3〜★★★
ゼミ生個人個人にとっても、中村さんに感謝する出来事はいくつもあります。
Skypeチームのドラッカーのレジュメが、まだまだだと叱られてしまった時、
中村さんは「いくつか気になるところがあるので、このレジュメを僕のアドレスに送ってください。」
と、声をかけて下さいました。
そして、中村さんから返信されてきたワードファイルを開くと、
余白の部分に、アドバイスがびっしりと書かれていて、赤い文字で隙間がなく埋め尽くされていています。
<僕たちが作ったレジュメは、こんなにも直すべきところが多かったのか…>
この上なく情けなく、悔しく思うと同時に、
なんて丁寧で、熱心な方なんだろうと、改めて思わされました。
多くの人は、頼まれればレジュメの添削をしてくれるかもしれません。
でも、「このレジュメは放っておいたらマズい。どうにかしなければならない」と思い
自分から後輩に声をかけ、添削し、
しかもこんなに丁寧にコメントをつけてくれる人は、滅多に居るものではありません。
★★★〜1,2〜
いつも丁寧で真剣な中村さんですが、ゼミ生にとって中村さんを尊敬する一番の理由は、
やはり中村さんが師範代であることです。
例えば議論をしている時、沈黙が続いてしまって、どう進めればいいのかわからない。
そういう時は、自分たちでどうにかしなければ、と思っても、ついつい中村さんに頼りたくなってしまいます。
このゼミはどのような場であり、どう振舞うべきであるのか、
それを一番確実に知っているゼミ生は中村さんだからです。
スピーチ大会の評価を聞くときも、先生と中村さんのコメントを聞いている時に、
みんな一番必死に、手を動かしてノートをとっています。
中村さんの言葉から、コンセプトに基づいて考えるとは何か、学ぶことができました。
〜1〜
ゼミ活動の中で、ぜひこの人の言葉が聞きたい、ぜひこの人の評価が聞きたい
そのように思わせてくれる人が、中村さんです。
そんな中村さんのような師範代に僕もなりたい、そう思います。
〜1〜
中村さんを見ていると、
僕は今年、三年生としてどれほど二年生に学ぶ機会を与えられたのだろうか、
来年、四年生として、お手本になるようなゼミ生に、果たしてなれるのだろうかと、自問自答したくなります。
〜1,2,3〜
中村さんのような師範代になる、この言葉を嘘にはしません。
(記号含め1570字)
○ 木田世界(25期 1月25日 17:10)
前回のアドバイスで聞いたことを、そのままの形でいれて作った原稿になってしまった。
結論に一工夫必要、聞かせどころとなるメインパートが必要、感謝や敬意を語るというコンセプトに基く、ということだった。
結論は、繰り返しと疑問を入れるなどの工夫はしたが、<中村さんのような><師範代に>…という二つの要素の概念を示す形でエピソードをまとめていなかったので、
結論の意味が薄れてしまった。
また、そもそも<言いたいこと・結論>が中村さんのような師範代になりたい、中村さんは凄い人で尊敬している、中村さんに感謝したい、この人を語らずして終わらせられない、
などいくつものことにばらついてしまったこと自体、無理があった。(さらに、「この人を語らずして…」というつかみと、結論「中村さんのような…」も一致していない。)
このスピーチで伝えるべきこと、伝えたいことは○○だというコンセプトを、言語化・可視化して明確にすることが不十分だったから、結論が曖昧だった。
コンセプトがないため、ストーリー・流れがなかった。
原稿を添削してもらったエピソードは最初は一番上にあったが、スピーチ直前に真ん中の部分へ移動した。振り返って見れば、エピソードの並び順に必然性がなかった。
聞かせどころとして、原稿を添削してもらった話をおいたが、
この部分でだんだんと声を大きく、そして言葉を重ね、繰り返しながら早口にヒートアップするというような、話術面での工夫がなく、聞かせどころであることが伝わらなかった。
また、この、添削していただいた話が一番語れるエピソードであるなら、尊敬する中村のような師範代になりたい、という結論より、
中村さんに感謝したいという結論、ストーリーにもっていくべきだったろう。
自信を持って語れるエピソードのある奴を語れ、と先生が仰っていたが、語りやすいエピソードのある側面を選んで語るという発想を持てなかった。
感謝や敬意を語る、それはいいかもしれないが、
その両方をかたる必要があったのか…感謝の念を丁寧に述べて、感謝のエピソードを中心にまとめて、最後に一言中村さんのような感謝される人間になりたいと言い、
温かい丁寧な口調で話せば、尊敬の念は十分伝わったはずだと思う。
(師範代という概念をよく理解していない現時点ではこの選択肢を選ぶのは適当ではないかもしれないが…しかしもし師範代としての中村さんを語るなら、
丁寧で真剣と言うより師範代として求められることを果たしている、というべきだった。
振り返って見ると、自分のスピーチはいつもコンセプトが一つに絞れていなく、エピソードが散らかっている気がする。
その理由として、一つ一つのエピソードを丁寧に詳しく書くのが苦手だということがあると思う。
その場の情景が浮かぶように、人・もの・場所について的確に描写して一つ一つのエピソードを生かしたい。
次回は、誰が、誰に対して、いつどこでというコンテクストと、何のためにというコンセプト、
よりテーマに相応しい口調(今回なら、もう少し温かく、テンポの変化がある口調)を心がけたい。
[追記]
評価点数一覧(活動報告458)を見ると、僕は間の取り方を比較的低く評価しがちだった。
間を取りすぎる話し方が自分のクセになっているので、間が短めの人に低く評価をつけてしまっていた、
aaa
[48] 題名:2013年度 第3回スピーチ大会「浦林幸輝を語る」 名前:坂本恵理奈(25期) 投稿日:2014年01月21日 (火) 22時59分
こんなに寝る人は初めて見た。
それが、今年の夏までの、私の浦林君に対する印象です。
私はとてもよく寝る人間で、疲れているときなどは平気で12時間くらい寝てしまいますし、
どんな環境でもぐっすり寝られるのが取り柄、というくらいなんですが、浦林君はそんな私が見てもびっくりするくらいよく寝ます。
DVDを見ながら隣で寝ていることはよくありますし、寝坊してチームの集まりに遅れてくることもよくあります。
そして、何と言ってもすごかったのは一緒に富士山に登った時です。
途中何度か休憩をとったのですが、そのわずかな時間で浦林君は寝ていたんです!
「こんなに寒くて、こんなにごつごつした岩場で、しかも世界遺産になった富士山を登っているというのによくすぐ寝られるな」
もはや感心を通り越して尊敬してしまいました。
頂上についてからも、私や石嶺さんがラーメンやうどんで体をあっためている間、
浦林君はごはんも食べずにただただ寝ていました。私のカメラには寝ている浦林君ばかりおさめられています。
そんな「よく寝る」という印象しかもっていなかった浦林君ですが、この半年間同じチームで学んできて、
その印象は全く違うものになりました。
浦林君は「私にないものをたくさん持っている人」というのが今の印象です。
色々あげるときりがないのですが、例えば、先日の忘年会。
私たちは偽装メニューとしてミルクティーを作ったのですが、これが結構難しい。
本物と偽物を同じ味に近づけるために、まろやかさが足りない、もっと甘さが必要、などと
生クリームを加えたり砂糖を加えたりと色々試したのですが、結局その日だけではうまく作れませんでした。
すると、浦林君が一言。「じゃあ俺がレシピを考えてみるよ」え?レシピを作るの?と思ったのですが、
次の日の夜、ケータイを開くと本当に浦林君からレシピが送られてきていたんです!
2人でやっても大変だった試作を1人でやって、しかもそのうえレシピまで作っちゃうなんてすごい!!
私はただただ感動し、そしてそのやる気と探究心を見習いたいな、と思いました。
また、浦林君はよく「話すのが苦手」と言っていましたが、前回のスピーチ大会、浦林君の話はとても面白く、
私個人的には藤田君と同じくらい、同点をつけたくらい、いいな、よかったな、と思ったのですが、
すごかったのはそれ以降。刮目や本の交換会で話をするとき、それまでの話し方とは全然違い、
まるでスピーチのように話すようになっていました。スピーチで学んだ話し方をしっかりと他に生かしている、
何よりどんどん変わろうとする姿勢がすごい、と私は隣で話を聞きながら感心すると同時に、
私は負けているな、頑張らなければ、と強く感じたのを今でも覚えています。
この他にも、チームで議論をしているとき、ここは納得できない、なぜ著者がこのように言っているかわからない、
そう浦林君が指摘するところは私が全く気に留めなかったとこ、気づかなかったとこ、しかも本質的で重要なこと、
ということがよくあり、本の読み方、視点の違いなど、毎回学ぶことばかりです。
このように、いつも私にないものを教えてくれる浦林君と同じチームで学べたことは、とてもよかったと思います。
松井さんや石嶺さん等、上の代の方々を見ればわかりますが、自分にないものをたくさん教えてくれ、
すごいな、私も負けていられない、そう思える同期と一緒に学べるということは、
とても幸せなことだ、と実感しています。
これから、少なくとも春合宿までは今のチームが続きます。それまで、浦林君をそばで見ながら研究し、盗めるだけ色々なものを盗みたいと思いますので、浦林君、これからもよろしくお願いします!
【削除キー:urabayashi】
[47] 題名:反省:2013年度第三回スピーチ大会(2014/01/15開催)「三厨昌平を語る」 名前:木田世界 (25期) 投稿日:2014年01月20日 (月) 01時06分
★1.15 活動報告 (スピーチの反省など)
<この人を語る>
「この人はどういう人か」、「なぜこの人を語るのか」を語る。
感謝と敬意、あるいは期待をその人に伝える。「いい人」ではなく、「すごい人」として話す。
締めは、つかみより重要。締めが良くなければ残らない。
<スピーチ大会の「刮目」と反省>
話術面では、しゃべるのが苦手だった自分からしてみればかなり向上でき、嬉しかったです。
今後はもっとうまくしゃべれるように、上手い人との差を考えていこうと思います。
僕が今回のスピーチで立てた「狙い」は、三厨の強みと弱みを指摘することで、
三厨の自己発見や成長につなげることができるんじゃないか、というものでした。
そういう意味では、三厨に対する「期待」は持っていたと思います。
しかし、ゼミ幹を務めゼミを支えてくれた三厨、チームメイトとして活動してきた三厨に対する「感謝」や「敬意」を
伝えようとする姿勢を強く持つことが出来ていませんでした。スピーチのコンセプトというの把握という点でも、
人格という面からもまだまだだと思います。
自分に対する敬意を持てていないから他者への敬意を持てていないという先生の言葉が心に残っています。
では、自他に対する敬意をどうやったら持つことができるのだろうか、
自他の何を尊敬すれば良いのだろうか、考えています。
自他が成長し、実績を上げている。あるいは一生懸命努力している。今という時間を最大限に生かしている….そして、お互いに競い合い、評価しあっている。
そういう状況を作らなければ、敬意を持つことはできないのだと思います。
今回のスピーチの具体的な反省として、指摘されたことは
・後半に理屈っぽくなってしまった…その通りだと思います。
責任倫理、志操倫理という言葉をいれることによって分析が深まったというわけでもなく、
削るか、エピソード→理屈→エピソードという順にして、
最後のエピソードでもう一度感情を持ち上げるべきだった。
・三厨の欠点を丁寧に説明しすぎた…自分ではそこまで強調しているつもりはありませんでしたが、
批判的な姿勢になりがちだということは自覚しておいた方がよいと感じます。
チームメートとして期待しているという要素を明確に強調すればよかったです。
「たほいや」で三厨と一緒にぼろ儲けしたエピソードを入れて、
チームワークというか、強みと弱みを相補している関係だったといえばよかったと思います。そうすれば、切磋琢磨という結論に自然につながっていったはずです。
三厨とこういう関係を作っていきたい、という方向に向けるべきでした。
以下、その通りだと思ったことを列挙します。
・終わり方に工夫の余地があり…論理のつながりという点でも、インパクトという点でも
・結論が唐突だった
・「まぁ」とため息、手の無駄な動き、話が多かった。
・起承転結を意識する、メインとなる聞かせどころをつくるなど構成をさらに意識すべき
長くなりすぎましたが、全体的に
<聞く人の視点に立って話すこと>を意識し、
特に、
@論理のつながりを、一ステップずつ丁寧につなげる。
Aしかし、理屈っぽく説明的にならないよう気をつける。
B起承転結、聞かせどころ、つかみと〆、ストーリーなど構成の意識
を今後の目標にします。
【削除キーaaa】
[46] 題名:2013年度第三回スピーチ大会(2014/01/15開催)「三厨昌平を語る」 名前:木田世界 (25期) 投稿日:2014年01月20日 (月) 01時02分
〜(前にたち、深呼吸し、周りを見渡してから)〜
去年の夏、合宿が始まる日の朝、8時5分。
僕は、和田街の商店街の横の、古びたアパートの廊下で、三厨の部屋のインターホンを押していました。
〜(静かな声で)〜
一回目、二回目と押して、しかし彼は目を覚ましません。
三回目を押して、四回目を押そうとした、まさにその時。
〜LOUDER〜 ↓(下を向きながら)
ガチャン!とドアが開き、「ごめん…!!」と、ついに、ぼさぼさの髪の毛と、充血した赤い目の顔が出てきました。
↓(頭を抱えて、小さい声で)
ジャージを脱ぎながら、||(>д<)||「・・・最悪だ」「バカだ…」「なんで大切なときに限って寝坊するんだ・・・・・・」
と彼は自分に向かって呻きます。ノートをカバンに詰め込み終わるまで、もう十数回は呻いていたかもしれません。
結局、なんとかわかしお号の発車時間に間に合うことができました。
〜1,2〜 (SLOW)
三厨という男は、(^^)ゼミ幹を務め、ビッグバンドの全国大会に出場し…とかなり活発に活動しています。
その一方で、上手く仕事を人に割り振れずオーバーフローしてしまうこともあります。
合宿の前も、ビックバンドの練習が重なり、寝る間も無いほど忙そうで、いつも目の下にクマが出来ていました。
合宿の遅刻は、様々なことに挑戦しながらも、安定した結果を出せない、彼の<不器用さ>を表しているのではないでしょうか。
〜1,2,〜
三厨を語る上でのもう一つ話したいことは、その夏合宿での彼の姿勢です。
ドラッカーについての議論で、組織の責任はどうやってとるのか、議論していました。
〜(速いスピードで話す)〜 〜↓(首を振って)〜
「結局、個人個人に責任を分けることは不可能じゃないか?」 「いやいやいや、個人が責任をとらないなら誰が責任をとるんだ?」
議論は平行線が続いています。
司会が、「まぁ、じゃあ次の論題に移ろうか」と言ったときです。
〜(ハラから声をだす!)〜
「いや、まだ答えが出せてないだろ!」
彼は議論を続けることを提案しました。
その議論の中で、彼はどんどんと質問していきます。
〜(速いスピードで)〜
「この質問の意図は何か?これを議論したらどんなことが分かるのか?」
「だれが、いつ、なにを、どのように、を明確にして説明してくれ」「その言葉はどういう意味か?」
夏合宿で一番たくさんの質問をしたのは、間違いなく彼でしょう。×
(SLOW)
議論を納得できるまで突き詰めること、やるべきことをやり抜こうとすること、
これは彼の、いい意味での頑固さ、意志の強さの表れだと思います。
〜1,2,3〜
この頑固さというのは、ドラッカー流に言えば志操倫理を持っている、つまり信念や価値を持ちそれを貫こうとしていると言うことができます。
志操倫理には、それと対をなすもう一つの倫理があります。
〜1,2(あたりを見回す)〜 それは、責任倫理です。
ドラッカーは、責任倫理について、「人間の一般的な欠点も考慮に入れながら、己の行動の結果を予測し、その結果に責任を持つこと」だと言っています。
<欠点も考慮し>、 <予測を立て>、 <結果に責任を持つこと>。
例えば、・・・「こんなにたくさんバンドの練習を合宿前日に入れたら、疲れて寝坊して遅刻するかもしれない。」
と、自分の体力の限界を考慮して予測を立て、
「じゃあレジュメは前から作って、前日は早く寝られるようにしておこう。そして遅刻という結果にならないようにしよう」と、責任を果たすことです。
(SLOW)
自分の力の限界を考慮しながら、安定して結果を出すという<責任倫理>を、まだ持っていないが
やるべきだと信じることを行う頑固さ、つまり<志操倫理>は強く持っている、それが三厨という人間ではないでしょうか。
〜(周りを見渡す)1,2,3,4〜SLOW
僕自身を振り返って見ても、まだまだ志操倫理も責任倫理も持つことはできていません。
だからこそ、この一年も、お互いに切磋琢磨していきましょう。
〜(姿勢正し、礼、前を向いて、退出)〜
[45] 題名:2013年度 第3回スピーチ大会「木田世界を語る」 名前:三厨昌平(25期) 投稿日:2014年01月16日 (木) 17時07分
[1/3枚目]
礼
私たちが学ぶ、この経営学部。
(間)
私の学年の同期で、最初に有名になった男がこのゼミにはいます。
(胸で呼吸をする)
「木田世界といいます。」 ←声色を真似て
「世界」!
なんとスケールの大きい名前でしょう!!!
そのインパクトある名前はもちろんのこと。
大教室の最前列、教壇の目の前の席を陣取り、
授業では必ず手を挙げ、
授業が終わると、パンパンに膨れ上がったリュックサックで颯爽と立ち去る
彼の名前と顔を知らない者は誰もいませんでした。
我々の学年には「木田」という苗字を持つ男が2人いるのですが、
もう一人の木田くん、木田「しゅんすけ」くんを説明するときには必ずといってよいほど
(間)
(雰囲気を変えて)
「世界じゃない方ね」と、世界くんが必ず出てきます。
彼の名前は、もうひとりの男の個性を完全に飲みこんでいたのです。
(おもしろそうに)
(声色を明るくして元気に)
そんな彼と同じゼミに入ったのは一昨年の6月のこと。
[2/3枚目]
どんな奴なのだろう、と彼のノートを覗くと
それはそれはもう文字が、ひったすらびっしりと書きなぐられていたんです。
読めない。
彼曰く、見たこと・聞いたこと・考えたことは、
できる限り逃さずに早く書き込むため、場所を選ばずねじ込むんだそうです。
(何かウケさせる)
かばんの中も「入れば良い」かのように
ぐちゃぐちゃと、しかしきっちりと全部入っています。
ぎっしりとつめこまれたカバンは、パンパン、ではなく(腕を出して)カッチカチです。
そのスタイルはレジュメ作りでも同じです。
チーム名のもとになったSkype、
これを使って僕たちはいつも準備しているのですが、
ポンポンポンポンとこれでもかというくらい文章が送られてきます。
なんとも大胆な議論を展開する彼の文章は、驚くべきものがありますが
ただ一つ、
荒い。
誤字脱字
謎の改行
突然の項目立て
僕と高橋はその訂正に追われ、ゆっくり本を読んで理解し直すなんてできないんです。
[3/3枚目]
そうしてレジュメを完成させ、いや完成しないまま、
意識が遠のき
(静かに)
目が覚めると、、、
8時45分!部屋に鳴り響くドアホン!
(落ち着いて、ニヤリと)
さあ、夏合宿です。
ダッシュで特急に飛び乗った僕を見て、中村さんは、
「横浜駅に三厨がいないと知って、木田君はすぐに相鉄線のホームに走って行ったよ」、と言っていました。
そうです。
彼はSkype会議中に僕から返答がなくなったことを気にかけていたのです。
なんとも素晴らしいチームメイト!
これはありがたかった…
ドアを開けると、そこには木田の姿が。
そして彼の胸元にはなぜか…キッチンタイマーが…
何に使うのかと聞けば、電車で寝過さないように、とのことでした。
それを聞いて
朝の根岸線の中でキッチンタイマーを止めて横浜で降りる彼の姿を思い浮かべましたが、
僕は何も言葉を返せませんでした。
そんな、いつも全力でゼミに取り組む木田世界。
ゼミ幹事の僕を大きく超える働きをしてくれて、僕も、ゼミも、ゼミ生も
本当に学びになり、そして助かっています。
木田、君がこのゼミに居てくれて良かった!
(一呼吸)
ありがとう!
そしてこれからも今まで通りの…いや、それ以上の…
いや、
ぜってえ負けねえ。
完
【59kida】
[44] 題名:2013年度第2回スピーチ大会「心に残る『あの風景・あの言葉』」 名前:藤田航平(25期) 投稿日:2013年11月27日 (水) 14時46分
腹が減っては戦ができぬ。という言葉があります。
力を出して戦うには、飯を食べる必要があるわけです。
三戸ゼミでも1年に何度か、数日間にわたって本気で戦う場所があります。そう、合宿です。数日間朝から晩まで勉強し、遊び、また勉強する。という、戦があります。
その戦をするための、御宿ニュー日の丸での食事が、僕は大好きです。
僕にとって、三戸ゼミといえば合宿、そして合宿といえば宿での食事。なのです。
皆さんもちろんご存知でしょうが、まずなんといってもあの宿の食事は、とても豪華で、とても美味い。
朝から3品、4品は当たり前。昼もガッツリ。特に夜にはメインディッシュだけでも数品これでもかと並びます。例えば今年の夏合宿の晩御飯のメニューでは、
さんまの塩焼き、刺身の盛り合わせ、鶏の唐揚げ、焼いた伊勢海老、伊勢海老の味噌汁などなど、もはやお腹いっぱいです。伊勢海老にいたっては2回も登場しています。
一人暮らしの貧乏学生の僕が1週間、いや、1ヶ月かけて摂るような栄養を、たった1日で摂ることができます。こんなに食べて良いのか。
去年の夏合宿で初めて三戸ゼミの合宿というものに参加し、初めて見る宿の様子と、合宿費のバランスに多少の疑問を抱いていた僕は、初めて宿の食事を目にした時、なるほど、あれだけの額の合宿費はこの食事に割かれているのだな。と納得し、その豪華さと美味しさに感動したのを覚えています。あの飯を食べられだけでも、合宿に参加して良かったと思えるでしょう。
しかし、
実は御宿の食事は、いつでもおいしく味わえる、というわけではないのです。
今年の夏合宿、午前の討論会で、「自由とはなんだ?」「組織の責任はだれに?」などなど、我々ふじさんチームが他チームからコテンパンにされた日のことです。
午前中の不甲斐なさに重い足取りで大広間を出ると、
廊下にはもうすでにスパイシーな香りが漂っていました。
昼食のメニューはそう、定番のあのカレーライスでした。
僕は3日に1回は必ずカレーを食べるほどのカレー好きで、カレーならなんでも、いやもはやカレー味ならなんでも美味しいと感じる程なのですが、
その日のカレーは、違ったのです。
まずスプーンが重い。あれ?おかしいな。僕も年をとったかな。
心なしか福神漬もいつもの輝きを失っているように見える。
カレーもなんとなく僕のだけ具が少ない。
そしていざカレーを口に運んでみると、あれ?
何かがおかしい。
そうだ、かすかにほろ苦い。
おかしいそんなハズはない。この宿のカレーが美味しくないなんて。だって道幸はもうおかわりに行っている。やっぱりこのカレーは美味しいのだ。ではこのかすかに感じる苦さはいったいなんなのだ。
ああそうか、これが悔しさの味か。
午前中の勉強での悔しさが、まさかカレールーの中に潜んでいたとは。
身をもって、いえ、舌をもって悔しさを知ったカレーライスでした。
合宿での食事は、その合宿での気持ち・感じたことを、舌の上で再確認させてくれます。
「いただきます」の言葉と共に、ある者は達成感や勝利を味わい、またある者は悔しさを噛み締める。
三戸ゼミナール25周年合宿はもう今週末に迫っています。
今回も宿の食事が非常に楽しみです。
みんなで、本当に心から美味しい、そんな食事が食べられるよう、良い合宿にしましょう。
【curry】
[43] 題名:2013年度第2回スピーチ大会「心に残る『あの風景・あの言葉』」 名前:坂本恵理奈(25期) 投稿日:2013年11月25日 (月) 20時18分
三戸ゼミと言えば・・・・。「男」のゼミです。
この会場を見ればわかるように、OB・OGの方々を見ればわかるように、
男が多くて、女が少ない、「男」のゼミです。
去年の10月、私が2年生の時の、後期初めてのゼミのことです。
前期1度しかゼミに出られず、夏合宿にも参加できなかった私は、とっても緊張していました。
どんな人がいるのか、うまくやっていけるのか、と色々と不安に思いながら、恐る恐るゼミ室のドアを開けました。
しかし、そこにいたのは新山さんと馬君の2人だけ。他の人はまだ来ていないようでした。
それから誰が来るのかなあ、とドキドキしながら待っていると、入ってくるのは男の子ばかり。
「あれ?なんで男の子しか来ないんだろう…」とちょっと不安に思いつつ、嫌な予感も若干していたのですが、
そのまま待っていると、やっと1人、ジヨンが入ってきました。
「よかった、やっと女の子が来た!」と嬉しく思ったのもつかの間、
その後入ってくるのはやはり男の子ばかりでした。
その日のことではっきりと覚えているのはここまでです。
正直、その日のゼミで何をしたか、あまり覚えていません。
「厳しいゼミだというのは聞いていたけど、女の子がいないなんて聞いてない!」
今だから言えますが、それが初日のゼミの率直な感想です。
「女の子が少ないと色々大変そうだし、やりづらいだろうな、これからどうなるんだろう」という漠然とした不安と、
ゼミ室に女の子が2人だけ、という衝撃の風景は、今でも心に残っています。
しかし、今になってみれば、そんな不安に思うことは全くありませんでした。
日々の勉強や合宿を通じて、私の勘違いでなければですが、出会ってから1年間とは思えないほど、
みんなと仲良くなることできました。
また、女の子が少なくていいこともたくさんありました。
例えば、ゼミ合宿では、男の子は何人でシャワーを使っているかは知りませんが、
私たちは1人1つのシャワーを当然のように使うことができます。
そして、男の子が、きっとぎゅうぎゅうで入っているであろう浴槽に、ゆったりと、つかることができます。
とても贅沢です。
さらに、ゼミが終わった後は、先生が車で送ってくださいます。
もし、女の子が多ければ、全員を送っていくことは難しいでしょう。
男の子が歩いて帰る中、特に雨の日は、みんなが傘をさして帰る中、車で帰れるので、
女の子が少なくてよかったなあ、と思います。先生いつもありがとうございます。
そして三戸ゼミに入ってなによりよかったと思うのは、男も女も関係なく、
このゼミには尊敬できる人がたくさんいるということです。
先生から学ぶだけでなく、勉強の姿勢や考え方、スピーチの仕方や本の紹介など、
挙げればきりがないほど、ゼミの仲間から学べることはたくさんあります。
学びの仲間に男女は関係ないんだと、この1年を通して学ぶことができました。
しかし、そうはいっても、やはり女の子がいるに越したことはありません!
今年は男の子しかきませんでしたが、5人とは言いません。
来年こそは1人でいいので女の子を入れて、三戸ゼミで女子会を開くのが私の今の目標です!
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[42] 題名:2013年度第2回スピーチ大会「心に残る『あの風景・あの言葉』」 名前:浦林幸輝(25期) 投稿日:2013年11月21日 (木) 20時07分
昨年度の六月十三日の午後四時五十分、皆さんは自分が何をしていたか覚えていますか?
僕は経営学部B棟333号室の前で、扉に耳を当てて中の様子をさぐっていました。
その日は僕にとって初めてのゼミの日でした。事前に言われた通りの場所と時間に来たはいいものの、
本当にこの部屋であっているのか不安になり、入る前に中の音を聞いて確かめようとしたのです。
意を決して扉を開けると、中にはすでに何人かが座っていました。その全員とほぼ初対面でしたので、
人見知りな僕にとっては正直かなり気まずく緊張しました。しばらくして、
それまでの講義で見慣れていた先生がいらっしゃった時は、内心ほっとしたのを覚えています。
今となっては先生がいらっしゃるときの方が緊張しますから不思議なものです。
そして僕にとっての記念すべき第一回三戸ゼミナールが始まりました。皆さん、
新ゼミ生が初めてゼミに参加したときに何をするでしょうか?当然分かりますよね。
「自己紹介」です。今思えば愚かなことですが、当時の僕は自己紹介で何を言うかを
事前に考えてきませんでした。なので他のゼミ生の自己紹介の間に、必死に何を話そうか
考えました。そのとき、どんな内容にしようかという基礎になったのが、高校生時代の
尊敬する先輩に言われたある一言でした。それは「新しく人とすぐ仲良くなるには、
とにかく自分をさらけ出せ」というものです。僕はその言葉を信じ、自分がどういう人間なのか、
なぜこの大学のこの学部に入り、そしてなぜこのゼミを選んだのかといったことをありのまま、
嘘偽りなく話しました。
が、自己紹介が終わった直後に先生はなんと、
「自己紹介は全て本当のことを言う必要はない、嘘をつきなさい」
とおっしゃいました。
「嘘をつきなさい」?!この先生は一体何を言っているんだ?!「先生」という立場の人間が、
自分の教え子に対して堂々と「嘘をつきなさい」と言っている。そんな経験は初めてだったので、
このゼミはとんでもないゼミだ!とそのときは思いました。
僕はそれまで親にも先生にも、「嘘をつくな」「正直でいろ」「嘘つきは泥棒の始まりだ」
とまで言われて育ちました。昔慣れ親しんだ童話の中でもそうです。ピノキオの鼻は伸び続け、
狼少年は最後には狼に食べられて死んでしまいました。そんな幼い頃から形成され、
当然だと疑うこともなかった「嘘をついてはいけない」「正直でいなければならない」という価値観を、
よりによって「先生」という立場の人間に否定され、かなりショックを受けたのを覚えています。
しかし、その後の説明を聞いて納得しました。自己紹介は何の為にするのかというコンセプトを捉え、
そこから何をすればいいのか考えるという、それまで考えたことのない自己紹介へのアプローチを聞き、
成る程、確かにそうだと納得させられました。
「正直でさえあればいい」と思考停止していた自分にとって、
「嘘をつきなさい」という言葉はそれまでの価値観をひっくり返す、衝撃的なものでした。
そしてそれは、実際にその後の色々な場面で活かせましたし、これからも役立っていくでしょう。
「嘘をつきなさい」。僕はこの言葉に従い、自己紹介などのときに笑顔で堂々と嘘をつけるような
人間として生きていこうと思います。
以上僕の嘘偽りないスピーチでした。
【削除キー:uso】