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[61] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会 「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:笹井純也(26期) 投稿日:2014年11月19日 (水) 21時07分
「生まれ変わったらなりたい職業」スピーチ原稿 笹井純也 ver. 2.0
タイトル:「 〜〜」
ドラえもん!!
みなさん、ドラえもんの正式な職業名は、知っていますか?(間)
正式な職業名は、特定 意志薄弱児童 監視指導員と言います。
僕は生まれ変わったら、その特定 意志薄弱児童 監視指導員になります。(「意志薄弱〜」を覚えてもらう。ゆっくり)
ドラえもんをみてわかるように、待遇はあまりよくない、と言って良いでしょう。(遠慮がちに)
場所と時代さえ超える単身赴任。のび太への365日、正月休みさえない対応。それなのに、安売りバーゲンしか買えない低賃金。そして極め付き、寝床は押入れ。(「寝床は押入れ」はさっと言う。)
あんまりです。一見、全然 魅力的ではありません。(ここまで、コミカルに。)
しかしこの職業、他の職業では絶っ対に敵わないほど、一人の少年と時間的にも精神的にも深いかかわりを持ちます。
(情熱をこめて。かけはし)
(ここから真面目に。)
ここに僕は魅力を感じます。それはおそらく、僕自身が意志薄弱な児童だったからでしょう。
小学校1年生の秋から、僕はほぼ小学校に行っていません。ジャイアンよりタチがわるい少年がいたからであり、僕がのび太より逃げやすい少年だったからです。
授業が一時間目から五時間目まであるうち、1・2時間目は欠席し、3・4時間目はやっと登校、給食は食べずに帰宅するので、5・6時間目は欠席。そんな日々でした。(手を出す・ゆっくり・短い間)
またジャイアンとのいざこざのおかげで、小学校と中学校にいる間では、全く声が出なくなりました。入学式も卒業式も合唱コンクールも無言で過ごしました。(いい感じの間)
僕はその当時、ドラえもんが、深くかかわってくれる人がいて欲しかったのです。(ハッキリ)
あげつらうクラスメイトでもなく、どうにか喋らせようと模索する先生でもなく、ただただ将来を心配させてしまう親でもなく。
もしドラえもんがいたら。わがままですが。秘密道具なんてなくても良いんです。(だんだん早くかつハッキリ)(短い止める間)
もしあの時ドラえもん、のような存在がいたら……、どんなに救われたことか。(前のめり)
そんな気持ちがあるからか、家の本棚には今でも、何度も何度も読んで、
ボロボロに擦り切れた『ドラえもん』が、ならんでいます。
(ドラえもん1巻をさらっと?見せる。まじまじではない。
思い出深い感じに。優しさともハッキリとも違う。)
そのうち一冊は、こんな感じです。
ドラえもんの職業、特定 意志薄弱児童 監視指導員の魅力は、一人の人間と深く関わることでした。
しかし、魅力に気づいたからと言って、なりたい職業になるかは別です。(さっきとは違って冷静に。手で別と示す。)
小中学生のころ意志薄弱だった僕は、高校に入り遅刻せず学校に行き話すようにもなり、この大学に入学し、このゼミに入ります。
しかし今年の6月以降、心療内科に通うことになってしまいました。前期の多くのゼミと夏休み、夏合宿に、理由はどんなことであれ、参加できていませんでした。(共有事項。早め)
夏休みが終わり、10月7日の火曜日、今日は秋学期第一回目のゼミです。
正直なところ、その日は不安な気持ちが強かったです。集中できないままにゼミの時間は過ぎていき、ついに刮目の時間です。
「笹井君、に言ってもらいたい。」佐藤は僕を指名しました。(しずかに)
(長い間)
刮目の後、たくさんの言葉をかけてもらいました。(ここから早く・個人名の部分は顔を見る。いない時は一人を見過ぎない)
刮目直後に全員の前で直接言葉をくれたのは三厨さんで、
ゼミ終了後に声をかけてくれたのは馬さんで、安藤さんで、木田さんで、陳さんで、
一瞬 目が合った時に「グッと」無言で頷いたのは藤田さんでした。(まじめに)
気付けば、僕の着信履歴は9割がた渡辺と佐藤と木田さん(木田さんは遠慮がちに)により埋まっています。(携帯を出す。)
高橋に至っては、その日 出会った途端タックルしてきました。(まじめとすがすがしくの架け橋・楽しそうに)
嬉しかったです。(清々しく)
当時は嬉しいはずなのに嬉しいと感じられないと、悔しい気持ちもありましたが、今は違います。(すがすがしくの維持。)嬉しかったです。
直接かかわってくれる、面と向かって話してくれる、優しさも厳しさもある。
それは、とても嬉しいことです。初めて知りました。
10月7日の僕にとって、その場にいる三戸ゼミ生は、全員ドラえもんでした。(しみじみ)
のび太にとっての、監視指導員ドラえもんの存在の大きさを知りました。(まじめに戻る)
だからこそ、生まれ変わったら、特定意志薄弱児童監視指導員になりたいのです。(ここ一番の声。ゼミ生に「だからこそ〜」を忘れさせない)
生まれ変わることができなくて、ドラえもんの世界に飛び込むこともできないのなら、
僕はこのゼミで、ドラえもんとのび太に負けないくらい深い関係を築きます。(きっぱり・遅くなく。断絶という言葉の色ってかんじ)
次に誰かがのび太になった時は、今度は僕がドラえもんになります。
(やさしげ。渡邊がくれば、渡邊をみる。いなかった時の目線は注意)
そして、本物ののび太には「ドラえもん、学校のみんなと三戸ゼミ生みたいな関係になりたいよ。なんか道具出して!」と、ぜひ、言わせましょう。
(前半:軽率ではないけどコミカルに。 後半:一行前より優しく。ゆっくり。rit.からのフェルマータ的なイメージ。)
【doraemon】
[60] 題名:平成26年度 第一回スピーチ大会 「自己紹介―人生で最も大きかったこと―」 名前:安藤陽介(25期) 投稿日:2014年07月16日 (水) 06時06分
自己紹介「人生で最も大きかったこと」
ある朝のことでした。
私、安藤陽介は一件の電話とともに、目覚めました。
その電話が、僕が金曜日まで行っていた、マレーシアのマラヤ大学への派遣を知らせる電話だったのです。
僕は入学当初から留学を希望していました。
その中でもこのマレーシアのマラヤ大学を選んだのは
アジアに出たい
アジアを知りたい
アジアの中で自分がどれだけ通用するかを知りたい
そう強く思っていたからです。
そのチャンスが、留学という形で舞い降りた。
「これは喜ばずに入られないだろう」ということで
その日のアルバイトはルンルン気分でやってました。
ではなんでアジアに出たい
アジアを知りたい、自分がどれだけ通用するかということでマレーシアに行ったかというと
僕が行ったマラヤ大学はマレーシアでトップの国立大学で、要するに中東から東アジアまでの優秀な学生が集まってるんですね。
つまりアジアを知るにはもってこいの環境。
僕はわくわくした気分で日本を発ちました。
そしていざ留学。授業に出てみると、やはり優秀な学生が多かった。
特に現地のマレーシア人は、日本の2倍や3倍の課題をこなしながら、授業の中のプレゼンテーションもこなしていました。もちろん
授業の中でも質問をどんどん行う。
だから「優秀」というよりは、「自分からどんどん学んでいきたい」という熱を感じる学生たちが多かったです。
そのような刺激的な出会いがある中で、一番刺激的な出会い、大きな出会いは
リー君という、中華系マレーシア人の学生との出会いでした。
そもそもマレーシアはマレー系と中華系やインド系などがいる多民族国家なのですが、マラヤ大学に居る中華系マレーシア人はとても優秀なんです。
何故かと言うと、政府がマレー系の民族を優遇する政策をとってるんですね。
ですから、国立大学も一定の割合でマレー人をとることになっている。
したがって、そこにいる中華系やインド系などの学生たちは狭いもんをくぐり抜けた選りすぐりの学生たちのです。
そのなかでも、リー君はとても優秀でした。
どれくらい優秀かといいますと、アメリカのオバマ大統領がこの前日本に来ましたね。
あのあとマレーシアにも来られ、なんとうちの大学で講演したのです。
そしてその講演の中で、学生代表として質問台に立ったのがリー君。これだけでも彼がどれだけ大学で認められているかがわかるでしょう。
彼とはLecture Series on ASEANというASEANに関する集中講義の中で出会いました。
その授業のグループワークで彼と同じグループになりました。
でいざ一回目のミーティングということで、僕は「これからからいろいろ決めるんだろうなー」と全く白紙でミーティングに望みました。
それに対し、リー君は、もうほとんどのプレゼン概要を作り上げ、議論の中でリーダーシップを取り、テーマの中から考えられる問いをあげて、僕達にどんどん質問を投げかけるんですね。
「いや、これは参ったな」と。
「自分は日本でもこのように学べていないんじゃないかな」と
すごく刺激的であるとおもに、恥ずかしいような自省の感覚を覚えました。
それ以来は彼になんとかついていって、積極的にコミュニケーションを取り、
彼から学ぶことを学んでいこうと意識するようになりました。
そして今度彼は、短期留学プログラムで日本に来ることになりました。
私とも東京で会うことになってるのですが、
そういう世界の素晴らしい学生とつながり、こうして別の国で会うことが出来る関係になったいうことは、
間違いなく、自分の人生の中で大きなこと何じゃないかなと思っています。
そして、それを大きな出会いとして活かしていくために、これからも日々精進していきますので、
また安藤陽介をよろしくお願いいたします。
【ando】
[59] 題名:平成26年度 第一回スピーチ大会 「自己紹介―人生で最も大きかったこと―」 名前:渡邊 諒太(26期) 投稿日:2014年07月15日 (火) 04時42分
2013年4月9日の午後1時、桜の花がひらひらと舞い落ち始め、
経営学部棟から理工学部までを貫くメインストリートには履修テントが立ち並ぶ、
活気付いた横浜国立大学。
その経営学部等109教室の後方に私、渡邊諒太は座っていました。
まだ昼休みの心地が抜けていないのか、教室内は全体的にざわめいており、
先生が教壇に立ったのちもしばらく続いていました。
「もう授業時間になっているよ、君たちは就職説明会でも、時間が過ぎて同じように騒ぐのかね?」
先生のその一言で、辺りが静かになっていきました。…そう、火曜三限の「企業と社会」、
僕が初めて、そちらに座っていらっしゃる、三戸浩先生をこの目で見た瞬間でした。
ゼミ生のおそらく全員が知っているとおり、最初は挨拶の仕方から教わり、
講義のガイダンスが始まりました。詳しくは覚えておりませんが、その時のお話のメインは、
履修制限をかけるということ、そしてそれは「単位の為ならば来るな。」ということでした。
正直なことを申し上げると、「何だかすげー厳しそうな先生だなぁ。」という印象を抱きました。
その後の社会的起業論を受けた際にも、三戸先生がおり、一緒に受けていた友人が質問があるということで、
少し肌寒い夕方に、友人に何となくついていくというような形で、先生の研究室へお邪魔することとなりました。
しかし、僕はそこで三戸先生とお話しした際に、三限の時に受けた印象がガラッと変わりました。
部屋には、本、本、本。当時の私には、一生かかっても読み切れないのではないか、と思わせるそれらは、
教授の研究室とはこうも圧倒的なものなのか、とまず驚かされるものでした。
その出で立ちもさることながら、三戸先生は海外のお菓子一つとっても、
そこから中国製の不信感と儒教のつながりはどのようなものであるか、源平合戦がいかにして日本の歴史に影響を与えたか、
自民党総裁の安倍信三の国家観はいかなるものであるのか、などなど。
ただ厳しいというだけではなく、視点や、そこからの分析に驚き、
そして話を聞いているうちに今まで少し縁遠いところにあった物事が、とても面白く感じました。
それ故にその後から社会的起業論の後は、毎週先生の研究室にお邪魔する日々。
そして、是非、先生のお話を伺いたい、自分でも視点を得、分析する能力を身に着けたい、
社会人として恥ずかしくない姿で卒業をしたい!そう思いながらこの三戸ゼミに入りました。
三戸先生と出会ったということ、これは今、私が生きてきた中で最も大きなことであると言えます。
いや、そうに違いがありません。
今、この三戸ゼミで学び、幹事としての役割を全うせんと、日々このゼミ室にやってきています。
そして未来、卒業後も、30年、40年後も、私は三戸ゼミ生であり、
第26期、三戸ゼミナール幹事の渡邊諒太である、そう胸を張れるようになるのだと、精進してまいります。
そして、人生の最期に「私の人生の転機は、三戸先生と出会ったことである。」と言えるようになります。
三戸先生、そしてゼミ生の皆さん、よろしくお願いします。
(構成のイメージ)
春に先生に会う。→ゼミでの学び→名前、ゼミ生としての誇り→未来へつなぐ
【反省すべき点】
・まず、原稿を十分に我が物に出来ていなかった。
→故に前半のぎこちなさや、余計な間投詞、
時間超過等を引き起こしたと言える。
・描写にムラがあり、後半の情景がやせて見えてしまった。
→原稿の詰めが甘い。「相手にどの様に感じてもらうのか」という
視点を持ち、やせさせない様に構成を練らなければならない。
・強弱やメリハリ、間を取れていなかった。
→木田さんの原稿と比較して分かる通り、原稿が原稿としてあり、
楽譜のような形になっていない。第二回スピーチ大会においては
改善できるはず。
【編集キー:syoukai】
[58] 題名:平成26年度 第一回スピーチ大会 「自己紹介―人生で最も大きかったこと―」 名前:木田世界(25期) 投稿日:2014年07月13日 (日) 23時10分
(深呼吸し、あたりを見ましてから、笑顔で)
(しっかりと口を動かし、ゆっくりしゃべる)
改めまして、四年生の木田世界です。
(飛田君の方を見て)
木に田んぼに、世界と書きます。
世界なんてたいそうな名前、気恥ずかしいのですが、
そんな名前も影響してか、僕は二年生のとき、カナダへ留学に行きました。
これが、ぼくにとって最も大きかったことです。
(SLOW)この留学を通して僕は、「学びの姿勢」を得ることが、出来たからです。
〜1,2〜
留学中のある日、学校の食堂にて。
魚の料理が出てきた時、僕はコックに「これはなんと言う魚ですか」と尋ねたのですが、
コックは、(Low voice)「これは魚だ。」としか答えません。
☆゜ ゜( ∀ )!?「え、いったいどういう種類のものですか?」
(Low voice)「いや、魚は魚だ。」
ああ、そうか。納得しました。
カナダ人にとっては、「魚は魚」、なんだなと。
(SLOW)
言葉はフィクションによって世界を切り分け、その区切り方は言語によって異なります。
日本人が見る世界では、魚がアジやイワシというように細かく分けられているのです。
しかしカナダ人が見る世界では、「魚は魚」でしかありません。
こんな経験してから、僕は日本で日常生活を送っている時でも、
「この単語を英語に訳すとなんと言うだろうか、こんなとき外国人ならなんと言うだろうか。」
と立ち止まって考えるようにしています。
(SLOW)
常に観察し、考え、学ぶことを重ねると、なぜ物事がそうなっているのかが分かる。
異文化での生活を通して、僕はそのような学びの楽しさを理解することが出来ました。
〜1,2,3〜
そして、留学中に、今まで自分のいた場所から離れたことで、
自分にとって<重要ではないもの>と<本当に重要なもの>がわかりました。
僕は留学に行く前、ビジコンやインターンといった課外活動に参加し、大学の授業にあまり関心がありませんでした。
しかしトロントでは、学ぶことが生活の中心で、学生たちは学びに積極的です。
授業で先生の話しに区切りがつくと、待ち構えていたかのようにあちこちで手が挙がります。
授業時間の半分は先生と学生の質疑応答です。
そして、図書館が24時間空いていて、早朝にも人が絶えません。
(゚ロ゚ノ)ノ!中には、図書館に荷物を持ち込み寝泊りしているつわものさえもいます。
留学を通して、「そうか、学生にとってインターンやビジコンはそんなに重要ではない、
ただただ学びに専念してもいいんじゃないか、」そう感じました。
〜1,2〜
日本から離れたことは、僕にとって重要なもの も教えてくれました。
それは、この、三戸ゼミナールという学びの場です。
留学中、掲示板を読むと、
「ああ、三戸ゼミでは今、夏合宿をやっているのか、(●´ω`●)楽しそうだなぁ、
(゜ロ゜)でもブリッジっていったいどんな恐ろしいゲームなんだろう?」
「先生は、正義論についてこんな面白そうな話をされたのか、( ◢д◣)これは直に聞きたかった。…」
やはりゼミに出たい、そしてそこで学びたいと思えました。
(SLOW)
留学という経験は、僕に学びの姿勢を与えてくれました。
具体的には、
ものごとを観察し考え、学ぶ楽しさ、
学生のうちに学問に専念することへの充実感、
そして、三戸ゼミという場で学べることへの喜びです。
(SLOW)
色々と話してしまいましたが、
今日は、木田世界というやつが、世界という名前だけでなく、
実際に世界に出て学ぶことのできる人間だと思って頂けたら幸いです。
(ボツ:福沢諭吉は若いころ、夜遅く、疲れきるまで勉強し、毎晩机に突っ伏して寝ていたので、
枕を使って寝ることはついになかったといいます
そんな学びをしたいといま改めて感じさせられます。)
(記号含め1427字:規定時間4〜5分 本番4分30秒すぎほど?)
活動報告 第一回スピーチ大会
今回の反省を3点選びます。
@名前を呼ばれて立ち上がる瞬間には、深呼吸して気持ちを落ち着かせておくべきだった。前に立ってからでは、遅い、弱くなる。
A身体表現としてのスピーチ
「この三点を学びました」、のような無駄な言葉を省き、そこに間を置くなどの工夫を。
Bいつも、直前まで原稿が形にならない。こんなエピソードでいいのか他にいいエピソードはないか、と思ってしまい、完成が遅くなり、読んで練習する時間が不足する。
次回はともかく(メモではなく)スピーチの形をした文章規定の文字数を埋めて早く形にして、読みながら直したい。
削除キー0713
[57] 題名:良かった3つのスピーチ(「この人を語る」第3回スピーチ大会) 名前:三厨昌平(25期) 投稿日:2014年02月28日 (金) 13時29分
〇三厨昌平
良かったと思うスピーチ、しっかり説明まで書いていなかったので
遅くなってしまいましたが、書き込みます。
評価は
1.その人にとって良い話かどうか、全体に伝わる話かどうか
2.原稿に工夫があるか
という軸にそって行います。
その3人は
1.木田@
2.石嶺さん
3.陳さん
の3人です。
1.木田@
私について説明した木田の1回目のスピーチ
誰もが知っているあのできごとの裏側にはどんなことがあり、
そこには私のどんな内面が隠れているのかを
詳らかにスピーチしていて、それは全体に伝わっていたし、
フォローも入っていて、語られた自分としては若干救われた気持ちになりました。
原稿も
〜LOUDER〜 ↓(下を向きながら)
や
〜1,2〜 (SLOW)
など話す音量、スピードだけでなく
||(>д<)||
や
(^^)など
どんな表情をしながら話すか顔文字を入れているところも
工夫されていて、耳だけでなくその場で目でも聴くスピーチ
としての表現の工夫の準備が良くされていて感心しました。
2.石嶺さん
ある場面を時間と空間で
展開していくことによって、その場に居る聴く人全体に対して
坂本の人の良さと思いやりを伝えるところがとても良かったです。
つい聞き入ってしまうほど、場面をイメージさせる話し方がされていて、かつ自然なスピーチでした。
僕はこのことだけで石嶺さんのスピーチを高く評価してしまったくらいです。
全体に伝わるスピーチだったし、おそらく本人にも伝わったのではないかと思います。
それだけに評価シートにも書いたように、「成長」の部分はいまいち論理的に理解できなかったので、ここがもっとわかりやすく話されていたらゼミで一番良いスピーチだったのではないかと思います。
原稿も木田ほどではないにせよ、工夫されていました。
3.陳さん
木田のように原稿に一目でわかる工夫はないものの、
掴み、そしてそれを中でつなげるストーリーがとてもほっこりするもので、良かったと思います。
「最初の出会いから全てが始まった」というような運命的な説明は女性が女性に語っていてもロマンチックだし、女性目線で女性を褒めるフレーズは聞いていてわくわくするものがあります。
語られた阪本さんはとても嬉しくなったのではないでしょうか。
【mikuriya】
[56] 題名:良かった原稿三つ・「この人を語る」2013第三回スピーチ大会 名前:木田世界 (25期) 投稿日:2014年02月05日 (水) 13時25分
○木田 世界 (25期 2/5 12:59 )
原稿の評価ということで、
1.構成(@締めAつかみB聞かせどころを意識するなど話全体での抑揚や流れC自然で論理的なつながり)と、
2.その人にとって良い話か、全体に伝わる話しか、愛情や期待・感謝や敬意が伝わるかでという二点で判断しました。
1.藤田航平「笹井純也を語る」
「恥ずかしがり屋」は短所でしょうか?という問いかけで聞き手の関心を引き、
、応援したくなるような「恥ずかしがり屋」もいます。と、笹井の人物像を一言にまとめ、
聞き手の頭に[それはどんな恥ずかしがり屋なんだろう?]とさらに関心を抱かせる、うまい出だしだったと思います。
たしかに、とても感動するとか、藤田が卒業する時に笹井が涙を流しそうだ、というほどに印象的だったわけではないですが、
応援したくなるような「恥ずかしがり屋」
イメトレの段階でそれではと本番を心配して…、本当にかわいい後輩です。
など、表現に温かみが感じられます。
合宿の後メールを送ってきたことなど、皆が知らない笹井の熱心さを紹介したのも良いと思いました。
締めは、これ以上どうすれば良くなるかはちょっと分からないですが、そこまで強く印象には残らないです。
2.陳媛「阪本夏美を語る」
ともかく「一目ぼれ」という表現が印象的で、他のどのスピーチのキーワードよりも残っています。
3.石嶺祐騎「坂本恵理奈を語る」
三つ目を選ぶのはなかなか難しいです。
やはり同輩を語ったものの多くが、「いい人、面白い人」としてしか語れなかったと思います。
石嶺さんのスピーチは、結論が前の話とつながっておらず、
「何か一つやり遂げて欲しい」というのも曖昧には思いましたが、
前半はエピソードが生き生きとして坂本の性格を伝えていてとても良かったと思います。
aaa
[55] 題名:2013年度第三回スピーチ大会「阪本夏美を語る」 2014.1.15 名前:陳媛 投稿日:2014年02月05日 (水) 12時35分
一目惚れ、そう、一目惚れです。阪本夏美さんに、ずっと考えていました。なぜ、彼女の周りに、いつも
留学生がいるのか、なぜ私を含め、留学生たちは何か問題があったら、他の人ではなくて、まず、彼女に聞
いてしまうのか。「そっか、一目惚れか、解答はすでに阪本夏美さんに始めて会う時に、あったんだ。」
夏美さんに始めて会う時はちょうど始めて三戸先生に会う時でした。その日は確か、4月の新学期が始まった
ばかりの始めての大学院のゼミの日でした。ゼミが始まる前に、先生に会いました。始めての横浜国立大学、
始めての三戸先生の研究室、今まであったことのない先生。。。正直、不安や緊張でいっぱいでした。研究室
にいたジオンと一緒に研究室を出エレベーターでおりる途中、夏美さんが出てきました。「この人が微笑んでる、
しかもおそらくエレベーターに入る前から一人でずっと微笑んでいた」ハーフっぽい大きい目で私たち、また
エレベーターの中を早いスピードで観察している。この人の目が好奇心、新しい生活へのあこがれで興味津々に
キラキラ輝いている。そう、間違いなく、このとき、この興味津々の笑顔この好奇心にあふれている目に私は
一目惚れしました。
ジオンは彼女を紹介してくれました。「そっか、三戸先生の大学院の新しいゼミ生なんだ。なんて小さい世界だ。」
その後、夏美さんについて大学院のゼミ室に行きました。教室の変更など、彼女も詳しい説明を聞いて、なぜか
先ほど研究室にいた時の不安や緊張感が和らぎました。
「なるほど、彼女の周りにいつも留学生がいる、問題、悩みがあったら彼女に相談する、彼女の魅力はここに
あったんだ。」興味津々またいろいろ気づいてくれて、熱心に助けてくれるところなんだ。留学生たちはみんな
最初自分の日本語に自身がないです。自分の言っていることがちゃんと伝わっているかどうか不安になりやすいです。
普通の日本人としゃべっている時、特にバイト先の責任者としゃべっている時、少しめんどくさがれる時もあります。
しかし、夏美さんとしゃべっている時は、いつも出会う時の興味津々の笑顔で私たちの話を聞いてくれて、日本語へ
の心配も自然と消えていきました。
また、外国人のため、まだ日本のことはまだわからない。また横浜国立大学に詳しくないでのいろいろとわから
ないといったことは、なぜか彼女がいつも気がついてくれます。私が大学院の入試を受けると聞いて、英語の過去問
を送ってくれて、いろいろ助けてくれました。出会う時の教室変更など、いろいろ詳しく説明してくれたのと
同じように。
おかげさまで、三戸ゼミのメンバーとなることができました。これからも皆さんと一緒に一生懸命、勉強します。
aaa
[54] 題名:「高橋 篤史を語る」 名前:渡邊 諒太(26期) 投稿日:2014年02月05日 (水) 10時13分
下の投稿を編集中に誤って投稿してしまいました。
削除キー設定もないままなので再投稿をさせていただきます…。
「私は文房具屋で文房具に囲まれると幸せを感じるのです。」
自己紹介でおそらくその日参加したゼミ生を不思議な世界に案内した男がいます。
そう、今この場にいる高橋篤史君です。
今日はそんな高橋君の「いいなぁ」と思う所を語りたいと思います。
彼の良いところ。ゼミの中ではもちろん、生協のシェルシュの中、経営学部のパソコン室、この棟の二階にある経営学資料室などなど。
たまに見かけ、そして話す度に笑顔を絶やすことのないことです。
僕なんかは話をする際にしかめっ面をしてしまったり、ボーっとして無表情になってしまったりすることも多いのですが、
高橋君は人と接するときには基本笑顔。
やはり笑顔で話しかけられると嬉しくなり、二年生企画などの話しをしたときも、
他愛のない言葉を交わした後にも、なんとなく心が明るくなるのです。
そしてもう一つの良いところ。それは彼が細かいところにも目が届く、ということではないかと思います。
夏合宿、そして記念合宿を思い浮かべると、こまめにお茶を汲んでいたり、
配ぜんやその後の片づけに奔走していたり、机などの配置換えをてきぱきとやっていたり、
ほかの人が一息ついている間にも動いているという印象があるのです。
僕が掲示板のベッティングを集計し場を立てるときにも
「集計を手伝ってくれない?」「いいよ!」
と答えてくれてすぐに、そして見やすい形で送ってくれました。
その時手伝ってくれたおかげでとても助かり、有難く感じたことを覚えています。
さらにもう一つ良いところ。それは笑顔を良さに加えた彼独特の雰囲気ではないでしょうか。
不思議なことではあるのですが、新年会や本の交換会、刮目の場などでゼミの空気がなんとなく緊張しているときに高橋君が前に出て話を始め、そして話し終える。
その合間に周りが和むといいますか、ゼミの中の空気が途端に柔らかくなるのです。それが話し方によるものなのか、その内容なのか、わかりません。
しかし文房具に幸せを感じる男は“何か”が一味違うのです。そんな高橋君がゼミの中に暖かさを生み出すムードメーカーになりつつあるのは間違いないと思います。
高橋君の「良いなぁ」と思う所は、素敵な笑顔、細かい気配り、そして言葉で形容しきれない暖かい雰囲気であるとお話しました。
しかし本来ならばもっと、もっと良いところがあるはず、そう感じさせる男であるのに僕自身が「語る」というというほどのことを話していないことを残念に、
申し訳なく思います。高橋君、ごめん。
だからこそ、これから3年、4年と学年が上がっていくなかでお互いに助け合いながら、
良いところを見つけあいながらゼミを過ごせたらよいな、と思っています。共に学び頑張っていきましょう。
今後ともよろしくお願いします。
削除キー:0205
[53] 題名:「高橋 篤史を語る」 名前:渡邊 諒太(26期) 投稿日:2014年02月05日 (水) 10時08分
「私は文房具屋で文房具に囲まれると幸せを感じるのです。」
自己紹介でおそらくその日参加したゼミ生を不思議な世界に案内した男がいます。
そう、今この場にいる高橋篤史君です。
今日はそんな高橋君の「いいなぁ」と思う所を語りたいと思います。
彼の良いところ。ゼミの中ではもちろん、生協のシェルシュの中、経営学部のパソコン室、この棟の二階にある経営学資料室などなど。たまに見かけ、そして話す度に笑顔を絶やすことのないことです。僕なんかは話をする際にしかめっ面をしてしまったり、ボーっとして無表情になってしまったりすることも多いのですが、高橋君は人と接するときには基本笑顔。やはり笑顔で話しかけられると嬉しくなり、二年生企画などの話しをしたときも、他愛のない言葉を交わした後にも、なんとなく心が明るくなるのです。
そしてもう一つの良いところ。それは彼が細かいところにも目が届く、ということではないかと思います。
夏合宿、そして記念合宿を思い浮かべると、こまめにお茶を汲んでいたり、配ぜんやその後の片づけに奔走していたり、机などの配置換えをてきぱきとやっていたり、ほかの人が一息ついている間にも動いているという印象があるのです。僕が掲示板のベッティングを集計し場を立てるときにも
「集計を手伝ってくれない?」「いいよ!」
と答えてくれてすぐに、そして見やすい形で送ってくれました。その時手伝ってくれたおかげでとても助かり、有難く感じたことを覚えています。
さらにもう一つ良いところ。それは笑顔を良さに加えた彼独特の雰囲気ではないでしょうか。
不思議なことではあるのですが、新年会や本の交換会、刮目の場などでゼミの空気がなんとなく緊張しているときに高橋君が前に出て話を始め、そして話し終える。その合間に周りが和むといいますか、ゼミの中の空気が途端に柔らかくなるのです。それが話し方によるものなのか、その内容なのか、わかりません。しかし文房具に幸せを感じる男は“何か”が一味違うのです。そんな高橋君がゼミの中に暖かさを生み出すムードメーカーになりつつあるのは間違いないと思います。
高橋君の「良いなぁ」と思う所は、素敵な笑顔、細かい気配り、そして言葉で形容しきれない暖かい雰囲気であるとお話しました。しかし本来ならばもっと、もっと良いところがあるはず、そう感じさせる男であるのに僕自身が「語る」というというほどのことを話していないことを残念に、申し訳なく思います。高橋君、ごめん。
だからこそ、これから3年、4年と学年が上がっていくなかでお互いに助け合いながら、良いところを見つけあいながらゼミを過ごせたらよいな、と思っています。共に学び頑張っていきましょう。
今後ともよろしくお願いします。
[52] 題名: 名前:石嶺佑騎(24期) 投稿日:2014年02月05日 (水) 09時42分
「石嶺さんはいい人」、前回浦林はそう語ってくれましたが、そのフレーズを最もよくつかっているのは、
そこにいる坂本です。[ジェスチャー] ・・・ではそんな坂本はどのような人なのでしょうか?
去年の十大ニュースの帰り、私の家で鍋パーティを行いました。 浦林と藤田、坂本、そして終電が
ない2年生みんながきて、合わせて8人もの人が私の部屋に来ました。
人をもてなすことが嫌いではない私は、「一人」台所で鍋を作っていました。 そんな時真っ先に、
「石嶺さん私手伝いますよ!」と私に声を掛けてくれたのは坂本でした。
ただ台所が狭いので、「ありがとう、大丈夫だよ!」と言って具材を切る作業を進めます。
しかしもてなすことが嫌いではないとはいえ、皆で楽しそーうに手放しで遊んでいるのを見なが
ら台所でネギなんかを刻んでいると、多少恨みがましい気持ちが芽生えてきます。
そうしてついに、その思いを我慢できずに、用意した鍋を皆のもとに持って行ったときに こう「ガツン!!」
と手荒に置いてしまい、場の空気を少し悪くさせてしまいました。
「石嶺さん怒っちゃってます?」 「全っ然怒ってないよー!」 なんて会話をしたりして。
まぁその場もなんとかなって、パーティーも終わり、始発も動き始めてみんなが帰って行きました。
そんな中なぜか坂本と藤田は部屋に残り、藤田はなぜか風呂に入り始めました。
そうして坂本と二人になったとき、昨晩の鍋のことが思い出されて「昨日はなんかゴメンな」と言いました。 すると「だから手伝うって言ったじゃないですか! でも私もゴメンなさい、あと昨日は鍋ありがとうござい
ました」、そう坂本は言ってくれました。
・・・嬉しかった! 誰もが「ありがとう」と言ってはくれるけれど、このときのありがとうほど嬉しいものは
ありませんでした。 だから昨晩坂本が、「石嶺さん肉が足りないです肉が!!」なんて催促したことは、
心のうちにしまっておくことにしました。
坂本は気遣いのできる、少し生意気だけれど本当に優しい「イイ奴」です。
だからこそ坂本には、この三戸ゼミでもっと成長して欲しい! かつて石嶺チームというチームがあり、
坂本はそのメンバーでした。 そのチーム比較的順調なチームだったのですが、一つだけ頓挫してしまった
試みがありました。 それは生協調査です。
週に一度生協に行き、あるジャンルの商品の有無をチェックし、そのジャンルの商品の売れ行きなんかを調
査する。 簡単そうですが、チェックシートを手に、商品棚と向かい合って一つ一つの商品をチェックする
のは大変だし、何より恥ずかしい作業です。
しかし坂本は「これ結構色んな発見があって面白いですね!」と言いチームで一番積極的にこの試みをやって
くれました。 ただこの調査はメンバーのモチベーションを保つことができず、頓挫してしまいました。
あのときもっと頑張っていれば、私たちはもっと成長できではないか、達成していれば、何か一つ大きな達成
感が得られたのではないか。 それは叶わなかったけれど、だからこそ今からでも、坂本には何か一つ達成し
てほしい。
勿論、私も頑張るので、お互いに課題を達成して、良いラストスピーチを飾りましょう!
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