スピーチ大会用掲示板
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[71] 題名:平成26年度 第三回スピーチ大会「この人を語る」 名前:坂本恵理奈(25期) 投稿日:2015年01月26日 (月) 16時40分
私が初めて出会った三戸ゼミ生、そして、同期が多い私達にとって、大切な先輩。
そして、2年前のスピーチ大会で、私が語り、その場にはいなかった人。
それが石嶺佑騎さんです。
私が初めてゼミに参加した日、暗―いゼミ室へ向かう階段の途中、
不安でいっぱいいっぱいだった私に、優しく、そして明るい笑顔で話しかけてくれたのは、石嶺さんでした。第3募集で入ゼミした私は、もう何回も参加しているであろう同期や先輩方となじめるかどうか、心配ばかりしていたのですが、石嶺さんの明るい笑顔と、その気さくさに、心が軽くなり、不安な気持ちが一気に吹き飛んだことをよく覚えています。
その最初のゼミで、チーム決めが行われたのですが、石嶺さんは、最初に私を指名してくれました。なぜ、私を指名してくれたのかはわかりません。しかし、初めて参加したゼミで緊張し、また「きっと売れ残るだろう」 そう覚悟していた私にとって、本当に、嬉しい出来事でした。
2年生の半年間、私は石嶺チームの一員として過ごすことになりました。私と三厨君、そして藤田君という、生意気な2年生たちがメンバーです。議論の時、同期が3人いるからか、私達は本当に生意気で、石嶺さんを先輩とも思わぬくらいの生意気ぶりでした。(今の3年生を見習えと思うほどに生意気だった。)しかし、そんな私達を相手に、石嶺さんは、時には先輩らしく、チームリーダーとしてチームをまとめ、そして、時には同期のように、私達に接してくれました。毎週4人で、図書館のワーキングスタジオで学んだ日々は、忘れることができません。何も知らない私達に、三戸ゼミを教えてくれたのは石嶺さんです。ゼミに入って最初の半年を、石嶺チームで過ごせたからこそ、私は今もこうして三戸ゼミにいるのだと思います。
3年生になり、石嶺さんとは別々のチームになりました。しかし、何度も石嶺さんの家にお邪魔し、時には迷惑をかけたこともありますが、共に、勉強しました。
ある時、私達のチームがレジュメを書けず、困っていると、自分が担当しているレジュメではなくとも相談に乗ってくれ、一緒になって、どうしたらよいかを考えてくれました。また、「お腹が空いた、何か食べたい」そんなわがままをいう後輩たちに、石嶺さんは「えー仕方ないなあ」と文句を言いつつも手料理を振舞ってくれました。あのヒラヤーチー、本当においしかった。
いつも気遣いができ、そして後輩達を大切にしてくれる、そんな石嶺さんがいたからこそ、みんなが石嶺さんの家に集まったのではないかと思います。
そして季節は過ぎ、私は4年生になり、最上級生になったはずが、なぜか先輩石嶺さんはまだ、ゼミ室にいました。しかし、そのおかげで、私は大切なことを、学ぶことができました。
あるゼミでの刮目のこと。私達4年生は、まだ自分達がゼミの中心として動いていたころのようにしか振る舞えず、先輩としての学び方が出来ていませんでした。そんな時、石嶺さんは「3年生には3年生の、4年生には4年生の学び方があるのではないか」と諭してくれました。きっと、多くの4年生が、その石嶺さんの言葉を聞いて、何かを変えなければいけない、と感じたはずです。私達の先輩として話をした石嶺さんの姿から、先輩としての姿勢を学びました。
また、今年の夏合宿の最後の夜、もうくたくた、あとは探泥をするのみ、となった時、休憩スペースで、石嶺さんと何気なく話をすることになりました。そして話題はチームのことになり、石嶺さんは後輩の佐藤君の育て方について、真剣に悩み、考えていることを話してくれました。私はそんな石嶺さんの姿を見て、「先輩として後輩をしっかり育てなきゃいけないんだぞ」と叱られたような気がしたと同時に、石嶺さんを改めて尊敬しました。
ゼミの時間だけでなく、いつも優しく、そして後輩思いな石嶺さん。石嶺さんには誰にも言えないような相談事も、なぜだかすることができました。
そして、私たちに、先輩の姿を見せてくれた石嶺さん。
石嶺さんがいたから、私たちは、こうしてゼミを続けてこれたのだと思います。
私は石嶺さんより先に卒業してしまいます。できることなら一緒に卒業したかった。でも、石嶺さんが残ってくれるから、来年のゼミもきっと大丈夫だろう、そう思います。そして、石嶺さんはいつまでも、私の尊敬する先輩です。
私は石嶺さんに教えて頂いたことを、まだきちんと自分のものにできていません。しかし、あと残り僅かのゼミで、少しでも成長した私を見せられるよう、頑張りますので、宜しくお願い致します。
[70] 題名:平成26年度 第三回スピーチ大会「この人を語る」動画アップロード!! 名前:三厨昌平(25期) 投稿日:2015年01月24日 (土) 10時46分
スピーチを各スピーカーごとに動画で撮影して
youtubeにアップしました!
リンクを知っている人だけが動画を観られる「限定公開」です。
再生リストになっているので、20日の全スピーカー分あります!
【watch it!!】
[69] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:笹井純也(26期) 投稿日:2015年01月21日 (水) 18時10分
「三戸ゼミの先輩」三厨さん
三厨さんは「トロンボーン」です。
ん、どういう事だろう、皆さんそう思うかもしれませんが、
トロンボーンというこの楽器は、表現豊かでさまざまな場面で欠かせない存在、だからです。
そう、トロンボーンとは三厨さんが演奏する楽器ではなく、三厨さんそのものなんです。
この楽器は、バリッとバンド全体を引っ張っていくときもあれば、
スーッと曲全体を静かに支えるときもあります。
うん、三厨さんです。
またトロンボーンは、ジャズ・クラシック、果ては現代音楽に至るまで、幅広いジャンルで活躍し、その状況に応じた、様々な一面を見せつけてくれる楽器です。ご存知の通り三厨さんも、レジメ発表や刮目、掲示板でも八面六臂の大活躍。
このように、まるでトロンボーンのように、様々な一面を持つ三厨昌平さんですが、後輩である僕には、とっておきの顔を見せてくれています。
後輩である僕、そう、僕にとって三厨さんは「先輩」なのです。
本当に、「先・輩」なのです。
例えば、前回のスピーチ大会のことでした。
スピーチに後悔が残る僕は、ゼミが終わっても一人座っています。そんなとき三厨さんはこう声をかけてくれました。
「笹井、幹事から評価シートをもらって、皆に共有したらいいよ。自分も皆も豊かになる。」
なるほど、そんな手があったとは!
そのとき僕は、「指摘されなければ気づけなかった学びのチャンス」、を得たはずです。
また、三戸ゼミ乾パン カレンダーを作った時でも、三厨さんは「先輩」でした。
そのカレンダーを見せた時、なかなかの好感触。
「やった! 三厨さんを納得させる出来だったんだ!」
と内心、天にも昇る心地だったのですが、もっとすごいなと思ったのは、そこからです。
「これで、ゼミの曜日だけ色が違ったら 完璧だったんだけどなぁ」
なるほど、言われてみれば、本当にその通りでした。
見て、即座に、的確な指摘。たっくさんの引き出しを持っていて、
それをしっかりと後輩に伝えてくれているのです。
先ほど、レジメ作成、発表、刮目、掲示板、幅広い分野で大活躍と言いましたが、その見えない裏側だって、大活躍。
本の交換会、ワインボトル、レジメ作成、就活などなどなどなど!
ここでは紹介しきれないエピソードだって、僕はたくさん持っています。
そう、三厨さんはいつだって、表も裏も、金管楽器のようにシャイニングで超クールなのです。
こんなにたくさん指摘してくださり、こんなにたくさん育てようとしてくれる先輩は、僕は今まで会ったことなんて、あるはずがないじゃないですか!!
伝統や学びを伝えてくださっている三厨さんは、本当に本当に「先輩」です。
そんな先輩三厨さんと過ごせる時間も、残り少なくなりました。三厨さんに憧れるなら、僕自身も「トロンボーン」に、もしくは「自分の楽器」に、ならなければ嘘です。
まずは討論会・追い出し合宿で先輩の期待に応え、
そして今年教わったことを、来年の後輩へたくさんの学びや伝統を伝えること、
「それが僕の後輩としての役目」、だと思っています。
さきほど、表現豊かでさまざまな場面で欠かせない存在、と言いましたが、”欠かせない存在”のまま来年度を迎えるわけにはいけません。「後輩」として、いけません。
卒業までに、三厨さんの期待を上回るようなアドリブ ソロ ハーモニー……、僕は奏でてみせますよ! 「先輩」!!
〇笹井純也(26期 1/21 18:42)
原稿のブラッシュアップとともに、
ここの場で、一番読み手を意識した投稿とはなんだろう、と考えて、
もっと修正していきたいと思います。
自分が読むときの(印刷した紙媒体の)原稿では、
文章の途切れがないようにに意識した改行や、
段落ごとの狙いを書いています。
しかし ここに投稿する際に削ってみました。
この掲示板は紙媒体ではなく画面上にあり、
読み手はスピーチをする人ではない、と考えたからです。
その一方で、「作成者が何を考えて書いたのか」がわかりやすい投稿であれば、
「次回スピーチを考えるかた」の参考になりやすくなります。
インターネットでも読みやすく、また構造が分かりやすい改行とはどうするのか、
つまり、読み手は誰か・コンセプトは何か、を考えてもう一度投稿します。
【mikuriyasan】
[68] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:中村貴治(20期) 投稿日:2014年12月02日 (火) 12時21分
「映画を観た者には、歌う義務がある」
今年の9月2日、天王町駅前のカラオケ店の一室。
液晶画面に映し出されているのは「松たか子 Let it go 〜ありのままで〜」。
マイクを握るのは、この「打ち上げ会」を楽しみに準備してきた、
我らが院生の阪本さん……、ではなく、この私。中村でした。
なぜこんなことになったのか。それも掲示板に私が書いた『アナと雪の女王』の感想を読んだ先生の指名の言葉をいただいたからです。
映画評論を聞くことを趣味にしている私は、様々な評論家の熱心な議論を聞き、レンタルショップで『アナと雪の女王』を見た瞬間、「自分も論評をしてみたい」、という欲求に勝つことができませんでした。
そう。私が生まれ変わったらなりたい職業は、私にそのように思わせてくれた、「映画評論家」です。
皆さん、「映画評論家」と聞いて、何をイメージするでしょうか?
CMで早口に捲し立てるおすぎとピー子でしょうか。それとも、肉食系代表として王様のブランチに君臨するLiLiCoでしょうか。
私が言いたいのは、そのどちらでもありません。それはいうなれば「映画ライター、コメンテーター」であり、私のイメージする「映画評論家」ではないのです。
映画評論家とは、綿密な資料収集と取材を行うことで、
「何故、その映画が作られたのか」、「その映画を見るべき理由は何か」、
監督・製作陣の意図や、社会的な背景、映画表現の妙といった、より広い視野から映画を論じることで、その映画を見ると得られることを、論理的に明らかにしてくれる仕事です。
「映画という題材を通して、私たちの世界を見る目を変えてくれる」
それが、映画を評論するという行為であり、それができるのが映画評論家なのです。
そんな評論に感化させられれば、私が『アナと雪の女王』だって観てしまっても、もう仕方がありません。
ここしばらく、私は、親しい友人と、家族と、隙をみつければ映画の話をします。
「ふーん。そうなんだ。ところでこの間『鈴木先生』っていう映画を観たんだけどさ…」
その場で流れているのが、CMだってドラマだって、ニュースだって関係ありません。ゼミで培った力をフルに使い、鮮やかに現実と結び付けて好きな映画の話をしてみせます。
時には、「『ブラックスワン』っていうのは、〜〜〜〜っていう映画、らしいよ。見てないけど。だからさ…」
もはや、私が映画そのものを見たかどうかも関係が無くなっています。
映画を観た人に向かって見てもいない私が、訳知り顔で意見を述べることもあります。
全く迷惑な話です。真似はしないでいただきたい。
しかし、映画評論家になると言っても、並大抵の努力でなれるものではありません。
第一線の映画評論家ともなれば、資料収集やインタビューもこなしながら、年間の観賞本数はゆうに映画館で500本、600本を超えると言われます。DVDなども含めれば、どれほどになるか。まさに、「息をするように映画を見」なければなりません。
今からなろうと思っても到底難しいのが、映画のもつ意味を明らかにする、映画評論家という仕事なのです。
しかし、彼らが私たちに教えてくれる世界は、魅力にあふれています。
彼らの評論を聞かなければ、私は
『猿の惑星』が単なるSFではなく、60年代アメリカの人種対立を描いた寓話であり、
『ローマの休日』がヨーロッパ共同体の構築に向けた戦後処理を下敷きにした作品であり、
『2001年宇宙の旅』に潜むのが冷戦構造における核戦争の警鐘と恐怖であり、
『千と千尋の神隠し』が戦後日本の享楽的な消費社会の罪と罰を描いた作品であると、
想像することもありませんでした。
このような評論に感化されたからこそ、私も黒澤明や、今村昌平、園子温から、ヒッチコックやポン・ジュノ、果ては宮崎駿の『崖の上のポニョ』まで観ることになったのです。
映画という側面から社会を切り取り、新たな世界を描き出すことで、読み手の視野を拡げることができる。
それが「映画評論」という営みであるならば、それは学問という営みと似ている。そう、私は思います。
私は、今回の人生では幸運にも大学に入って三戸ゼミに出会い、先生の学問の道を歩むことになりました。しかしもし、事情によって大学に入らず、趣味に生きる人生を送っていたのなら、きっと映画評論家を志していただろうと、そう思うのです。
【hyoron】
[67] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:藤田航平(25期) 投稿日:2014年12月02日 (火) 00時55分
一人の女性と出会いました。
2011年春、大学に入学して間もない、ある日曜の夜、僕はある一人の女性と出会いました。
田舎から出てきたばかりで、右も左も分からない18の僕の前に現れた女性
すらっとした細身で、整った顔立ち、肩のあたりで縛った黒髪、きらきらと輝く瞳...美しかった。
そして美しいだけではなかった。
その言動、立ち振る舞いからは、知性や教養、強い意思を感じました。
才色兼備という言葉はこの女性の為にあるのだろう。
なにより素晴らしいのは彼女の笑顔だった。
美貌と知性を兼ね備えていても、決してお高くとまることなく、
無邪気で愛らしい笑顔を僕に見せる彼女に、僕は心を掴まれてしまった。いや鷲掴みにされてしまった。テレビ画面を通して。。。
彼女の名前は大江麻理子。テレビ東京のアナウンサーです。今日帰ってから夜11時からのワールドビジネスサテライトで会えます。
なぜ僕がそこまで彼女に惹きつけられるのか、それは、彼女そのものの魅力だけではありません。
それは彼女が、「女子アナ」だからなのです。
そうです、もし生まれ変わるなら、わたしは「女子アナ」になりたい!
男性アナウンサー?あんなのは女子アナのオマケです
いくら彼らにほほ笑まれても僕の心には響きません。
女子アナ、というとみなさんどのようなイメージを持つでしょうか。
数千倍という倍率の入社試験を勝ち抜き、美貌と知性を兼ね備えた究極の存在、
その「女子アナ」という修飾語が、大江麻理子さんの魅力をよりいっそう引き出しているのです。
「才色兼備」という四字熟語が最も似合う職業です。
こう言うと、なんだかお高くとまった、高嶺の花のような存在に感じます。
しかし、実はそれだけではないのです。
女子アナは、我々の生活に寄り添い、時に慰め、時に元気付け、今日を生きる力、あすを生きる力を与えてくれているのです!
朝ごはんを食べているとき、まだ寝ぼけている体に、「今日も1日がんばってね」とエネルギーを与えているのは、ごはんでも、味噌汁でも、卵焼きでもありません。
めざましテレビの生野陽子アナと加藤綾子アナなのです。
お昼まで寝てしまい授業に出られなかったとき、「大丈夫、次から気を付けようね」と慰めてくれるのは、笑っていいとものタモリさんではありません。
ヒルナンデスのミウラアナウンサーなのです。その証拠に笑っていいともは終わりました。
夜遅くゼミから帰ってきて一息ついているとき、「今日もお疲れ様、ゆっくり休んでね」とあなたの体を労わってくれるのは、缶ビールやホットココアなんかじゃありません。
ワールドビジネスサテライトの大江麻理子アナウンサーなのです。
これほどまでに我々の生活に寄り添い、支えてくれる職業が他にあるでしょうか。
看護師が支えてくれるのは患者だけ、
キャビンアテンダントが支えてくれるのは飛行機の中だけ、
アイドルが支えてくれるのはオタクだけ。
女子アナは男性も女性もその他も、子供から大人まで、病院だろうが飛行機の中だろうと、朝から晩まで支えてくれます。
我々の生活は女子アナと共に回っていて、女子アナによって支えられているのです。
彼女らは僕たちに、今日を生きる力、明日を生きる力を与えてくれるのです。
女子アナとはそんな素晴らしい職業なのです。
僕もそんな、人々に元気を与える仕事がしたい
今日も一日頑張ろう、今日も一日充実していたな、僕に会った人がそう思ってくれるような仕事がしたい。
生まれ変われなくとも、テレビの向こうの何千、何万人が相手じゃなくとも、目の前の1人に対して、そんな働き方や、生き方はできるはず。
でも仮に、もしも、もしも生まれ変われるなら、決してキャバクラでバイトはせず、大江アナのような女子アナになりたいです!
そして僕の笑顔で、皆さんを癒してあげます。
以上、滝川フジステルがお送りしました。それではまた来週お会いしましょう。
【josiana】
[66] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:三厨昌平(25期) 投稿日:2014年11月29日 (土) 22時59分
T.スピーチ大会に取り組む前に
1.今回のスピーチ大会、何を得るか?何のために行うのか。
コンセプトを理解した構成を作ること。話術で点を失わず、堂々と話すこと。
分かっている課題があるならそれを知った上で堂々と話す。
この文章を考えることで職業理解を深めたい。
2.誰に聞かせるのか?
ゼミ生と先生。→自分が音楽に力を入れていることは知っている。しかしそれについては知らない。
ジャズや、音楽の用語は知らないが、音楽は全員好きである、と予想。
3.評価について
Q1.説得性とは? A.三厨がミュージシャンになりたいのは分かる。
Q2.共感性とは? A.あ、俺もミュージシャンやってみたいかも!音楽やりたい!
U.スピーチ原稿
1.【出だし・ツカミ】
あー〜−〜あああああああああああああああああああああ、すごい。本当に、すごい。
なんなんだ。
ニューヨークの世界的なビッグバンド、ヴァンガード・ジャズ・オーケストラの来日公演にて、
アルトサックスのディック・オーツをソリストとしてフィーチャーしたジャズスタンダード曲”I Love You”
曲の最後に2度目にソリストに用意された即興演奏の場面、それ以外の全ての楽器と観客が静まり返る中で
ディック・オーツはただ一人体の底からエアーを楽器に吹きこみ、吹き込んだ楽器からは哀愁も喜びも
含んだフレーズが大〜きな波となって、客席に刺さっていました。
私は開いた口を閉じることができず、フレーズの波に誘われるままに叫んでしまいました。
2.【聴く側の感覚、感動】
プレイヤーの温度とパワーがジワジワ高まり、
腹にキュッと力が入って内に締まり、締め付けられた内臓が上に詰まって苦しくなり、
目は見開き、頭はてっぺんに破裂しそうになったり、
甘く柔らかい音色、目は一点をみつめて虚ろに、耳は誰のものか分からず、全身から力が抜け、体を起こして座っているのも難しくなり、そのまま意識が遠のき、すうー…っと。
もう何の感情か、誰の感情かも分からない。脳が混沌とした状態に。
それが終わった後で我に返り、自分の奥底から沸き起こるプレイヤーへの尊敬や感謝の
気持ち。
3.【その反動】
自分の意識を数分だけでも狂わせた、その刺激の強さ、自分の中での衝撃の強さは
その夜は頭を駆け巡って覚めることが無く、
次の日になっても、その次の日になっても、「ああ、すごかった。あの感動をもう一度
味わいたい。」
あの感動を味わいたくて、次のライブまで頑張ろう。と思える。
「うまい」や「かっこいい」では無いのです。ただただ、すごい。
聴く人の気持ちや感覚をめちゃくちゃに動かし、魅了させる。
4.【共感性】←これが全く意味をなしていなかった。
ジャンルは違えど、みなさんも一度は音楽に憑りつかれ、何回もカセットを、CDを、
あるいはMDを、今ならウォークマンを、iPodを、何度も聞いて、何度も聞いても
その曲や、歌手や、バンドに心が昂ぶってしまう。
みなさんもそんな経験が一度はあるのではないでしょうか。
ましてやライブなどはプレイヤーが放ったメッセージが100%に近い状態で刺激がナマに、刺さって、飛び込んできます。
その音楽が魅力あるものなら、その魅力に抗うことは難しいのではないでしょうか。
5.【テーマ、自分の願望】
私も、それができるようになりたい。自分の楽器でできるようになりたい。
人を笑顔にさせる、などの次元ではありません。
人の感覚を、めちゃくちゃに揺り動かし、皆が日々生活しているときには感じ得ない感覚に持っていきたい。
ステージの真ん中で、その曲に込めた思いを、その日の自分の気分を、自分の体の一部になった楽器から、喉から、これが一番いい音だと信じて作り上げてきた音で、歌いあげる。
バンドがヒートアップして、そのパワーはステージと客席の間を行き来し、増幅され、
観客は一体となって体を揺らし、
最後には自分の発した音が、会場の奥の方に「シュー…」と消えていき、一瞬の沈黙。
そして拍手喝さい。
終焉後のロビーや楽屋では何人ものお客さんが興奮して自分の所に飛び込んできては、
生き生きとして帰っていく。
ああ、ミュージシャンになりたい。
ミュージシャンになって、自分の演奏にお客さんが感動して、感謝されたら、どんなに
嬉しいだろう。
まだ演奏機会をもらえることに感謝するばかりの私は、ミュージシャンになることは憧れます。
7.【現実における諦め】
しかし多くのミュージシャン志望の若者が、各所で活動を始める大学卒業の時が近づく今
私がその選択肢を取ることは、少し難しい。
仮に百歩譲ってミュージシャンを名乗るほどの実力にたどり着くことはできても、
会場に居合わせた全ての人の感覚に訴える演奏ができる人やバンドやオーケストラは、
世界でもほんのわずかです。
もし生まれ変われるなら、もっと早くから音楽に親しんで、音楽にぶつかっていく十数年間を過ごした上で
ミュージシャンになりたい。
8.【じゃあ現実でどうするか】
でも生まれ変われなくても、音楽はずっと続けます。
楽器に手をだし、音楽にのめりこんでいった私の4年間は、
大学での勉強を楽しみにしていた4年前の自分からすれば、最悪の選択です。
しかし、大学生活を使って音楽に真剣に取り組んで、数々の大きな衝撃と喜びを得たことは、
私の今までの人生で最も大きなできことです。
仲間とぶつかりながら、音楽に本気で取り組むことで、人間的にも大きく成長できたと思っているし、
本当にありがたいことです。
サッカーをしていた高校時代や、ひたすら机に向かっていた予備校時代の自分は、絶対に持ち得なかった。
だから音楽はこれからも続けることでしょう。
私は音楽の魅力に抗うことは出来ません。
V.反省
1.つかみと締め
出だしから内容に繋げる、第二声を考えていなかった。
今回は締めを静かに終えることとしたが、結果的にはあまり工夫が無い終わり方になってしまった。
これはいずれもつかみと締めについて理解が足らなかったことである。
2.内容について
音楽に取り組む喜びは語ったが、ミュージシャンという「職業」については語れなかった。
ミュージシャンという「職業」の簡単な説明や、
ミュージシャンになって何がしたいのか、をいうところを織り込んで原稿を考え直したい。
3.話術について
メリハリ強弱が平均4.16点、間の取り方が平均4.25点で、それぞれ4点以上だったことは良かったと思う。
しかし、弱については拘ったが、強についてはこだわってできなかった。
これは準備不足であると同時に、理解の不足であった。
次回、どこを強調して、それを強と弱のどちらで表現するのか、あるいはダイナミクスでは表現しないのか、というところをしっかり検討したい。
【番号:66、 削除キー:musician】
[65] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:安藤陽介(25期) 投稿日:2014年11月29日 (土) 00時00分
■Target:ゼミ生
■Value:音楽プロデューサーの楽しさ、すごさ、おもしろさ、可能性
■なりたい職業:音楽プロデューサー
僕には好きな音楽のアーティストが何名かいます。
特に好きなのはサザンオールスターズとMr.Children。
これまでの人生で僕に音楽の素晴らしさを伝えてくれた二組といえば、サザンとミスチルです。
その代表的な、日本の音楽業界を支えてきた2つのグループを手がけたのが、小林武史というプロデューサーなんですね。
小室哲哉とイニシャルが同じということで、TK時代という音楽のいち時代を築いた正真正銘のヒットプロデューサーなのですが、
私はもし、生まれ変わったら、そんな、ヒットも量産し、長年愛される音楽とそれを届ける場所をつくる、小林武史のような音楽プロデューサーになりたいと思っています。
サザンオールスターズですよ?Mr.Childrenですよ?
こんな夢があって、大多数の人の心を動かせる仕事はないんじゃないでしょうか。
じゃあ私が、具体的に音楽プロデューサーになって何がしたいのかっていうことをココで話したいと思います。
1.まずはひたすらライブハウスを練り歩く。
東京で言えば下北沢や渋谷など、さまざまなライブハウスを練り歩いてですね、
すこし腕のあるバンドがいれば、ライブ後に声をかけて、音楽プロデューサーの安藤というものですけど、
という名刺を渡してですね。翌日は事務所の方につれていくと。
2.そうやって集めたバンドの中からまた絞り込んで、楽曲やプロモーションビデオをプロデュースして。
こういうイントロがいいんじゃないかとか、ここはこういうコーラスいれてもいいんじゃないとか、
そうやって、アーティストの良さをじわじわと引き出していってですね。
そしてデビューに関しても、大物プロデューサーですから、電通さんとか博報堂さんとか、
いろんな広告代理店とタッグを組んで、話題の映画にタイアップしてみたり、
むりやりヒルナンデスに出さしてもらったりとか、資生堂のCMソングしてもらったりですね。
そういう戦略的なあらゆるPRを施策を打って、デビューさせると。
3.売れる
デビューさせたら、毎年2作3作、シングルを作ってですね、アルバムを作ると。
アルバムツアーを行います。
武道館と五大ドームツアーですね。全国のドームツアーで5万人の前で、僕はキーボードを引いてですね。長い長いツアーを終えると。
ツアーが終わればですね、そのDVD、ブルーレイプロデュースをします。
ここはこういうオープニングにしたらとか、メイキング映像も入れたらアドバイスをして、
ライブでは味わえないような、音楽の良さ素晴らしさを伝えていくと、
で、ここからがプロデューサーの面白いところですね。
いまざっと話しましたけど、これまでに、大物アーティストを何人もプロデュースしていると、
そうなってきたら何ができるかと、もうひとつしかありません。安藤Fesですよね。
安藤Fesっていう夏Fesを毎年海の日に、千葉の幕張あたりでですね、野外のロックフェスティバルをやると。
小林武史が、Mr.Childrenと桑田佳祐をコラボさせれ『奇跡の地球』という名曲をプロデュースしたようにですね、
自分が手がけた大物アーティスト達をコラボさせて、そこで感動を生み出していく。
また自分の手がけていないアーティストも呼んで、「安藤さんが呼ぶなら」と来てもらってですね
あの人の歌を一緒に歌ってとか、そういうリクエストをして、Fesを作り上げていく。
こうやって愛される音楽と、それを伝える場を作るというのは、これはもうアーティストではできなくて、
プロデューサーだからこそ出来ると思います。これはただ自分の欲求を満たしたいだけではなく、音楽と、それを伝える場を作り、それにメッセージを込めれば、メッセージ次第では社会を少しずつよくすることができるかもしれない、、
小学校が音楽が苦手で、今で音符も読めない私は、そんなことを願っています。
鍵盤ハーモニカの鍵盤には、音階が油性マジックで書き込まれていたような私ですが、
生まれ変わったら、音楽で人を感動させ、ひとりひとりの人生に寄り添えるような、そんな安藤Pになりたいと本気で願っています。
【ando】
坂本とミスチルでかぶっていたとは。調査不足でした。
[64] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:坂本恵理奈(25期) 投稿日:2014年11月25日 (火) 01時00分
私の人生には、今まで3回の困難がありました。
1回目は、中学校の部活の時。
私はバスケットボール部に所属していたのですが、バスケットって、10人いないと試合ができないんですね。私の代は3人しかいなくて、しかも後輩もやめてしまったんです。3対3すらできず、2対1しかできなかったんです。まともな練習なんて全然できなかったんです。
試合に出ることもままならない状況で、部活へのモチベーションがどんどんなくなっていきました。
部の雰囲気も悪くなっていき、私は、「もういっそ、やめて他の部へいこうかな」とさえ思うようになってしまいました。
2回目は、大学受験の時。
私は進路選択に迷っていました。目指したい所があったのですが、その時の学力では少し無理がある、手が届きそうにない所でした。両親にそのことを伝えたのですが反対され、「どうしよう、私はどこを受験すればいいんだろう」とずっと悩んでいました。早く進路を決めてそこの入試傾向に合わせた勉強をしたいのにそれができない、そんな毎日が続きました。
3回目は就職活動の時。
1次面接や2次面接をなかなか突破できず、もう一生就職なんてできないんじゃないか、こんなことをやっていて何の意味があるんだろう、そう思うほど落ち込んだ時期がありました。
早く就活をやめたい、と思うばかりで、なかなか前向きに行動することができなくなっていました。
私はこれらの困難を、ある人たちのおかげで乗り越えることができました。
それは、Mr.Children、そう、ミスチルなんです。
中学校では、ミスチルの曲に励まされ、限られた環境の中でも精一杯頑張ってみよう、と思うことができました。
おかげで後輩もたくさん入り、部の活気を取り戻すことができました。
大学受験の進路選択では、ミスチルの曲を聴いて、どうせなら行きたい所をしっかり目指そう。やるだけやってみよう、と思い、悔いのない決断をすることができました。
就活のときも、ミスチルの曲を聴いて、もう1回1から頑張ってみよう、と思い直すことができました。
そのおかげか、だんだんと面接も突破できるようになり、今では無事に内定を得ることができました。
そして昨晩、ミスチルは、なんと4度目の困難を救ってくれたのです!
明日のスピーチ大会、何を話そう、どんなテーマにしよう、あーどうしよう、、、あれこれ考えているうちに時計はもう1時。とりあえず原稿を書いてみよう、やっぱり違う、どうしよう・・・。時計を見るともう2時。
だめだ1回休憩しよう。コンポの再生ボタンを押した瞬間、、、そうだ!ミスチルになろう!!
今まで私はミスチルに何度も何度も救われてきました。もうこれは運命としか言えません!
だから私は!生まれ変わったらミュージシャンになりたい!そしてMr.Childrenに入りたい!!ミスチルに入って私が誰かを救いたい!!そのためには、私が生まれ変わるまで、ミスチルが音楽業界で生き残っていなければなりません!
だから皆さん!Mr.ChildrenのCDを買ってください!!お願いします!
【mr.children】
[63] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:浦林幸輝(25期) 投稿日:2014年11月24日 (月) 23時05分
「芸術は爆発だ」という、有名な言葉があります。日本の芸術家、故岡本太郎の非常に有名な言葉で、皆さん一度は聴いたことがあると思います。生まれ変わったらどんな職業に就きたいか、どうせ「もしも」の話をするのなら、少々突拍子もない話のほうがいいじゃないでしょうか。というわけで、一般的な職業とはかなりかけ離れているかもしれませんが、僕は生まれ変わったら「芸術家」になりたいと思います。
しかし、「芸術家」というとなんだか凄く特殊な人というイメージがあると思いますが、広い意味で言えば「芸術家」と言えるような職業に就いている人は結構沢山います。イラストレーターや音楽家、作家もそうですし、なんらかの創造性を発揮しているということであれば、広告やテレビ番組の制作、アパレル、イベント、製品のデザインなんかも一種の芸術家だといえます。
それに、そうした職業に就かなくとも、人間は根源的に芸術性を持っています。歴史を振り返ってみても、それは明らかです。絵画であったり音楽であったり文学であったり、人間の歴史は常に芸術とともにあり、そしてそれは文化であり豊かさでもありました。映画を見るのも、服を選ぶのも、そこにはなんらかの芸術性があるからなのだと思います。
また、小さい頃、人は誰しも芸術家でした。絵を描いたり歌を歌ったりするのが好きだった人は多いと思います。
僕も昔、絵を描くのが好きでした。遊びで絵を描いたりもしましたし、小学校の図工の授業はいつも楽しかったです。もっとも、その情熱は多くの場合いつしか失われていくもので、僕も絵を描くことはほとんど無くなってしまいました。
もし、小学校の頃の情熱のまま今でも絵を描きつつけていたらどうなっていただろう?と、時々考えることがあります。きっと今より遥かにうまい絵が描けていたに違いありません。そして目に留まった美しい風景を、頭に浮かんできたこの情景を絵にして描き留める形にすることができたらいいのにな、と思います。ですが、そうしたことは趣味でやっている人も沢山いますし、気が向いたら僕もやっていみたいなと思います。
こうしてみると芸術家というのはそれほど特別な存在ではありません。ただ、僕がなりたいのはもっと狭い意味での「芸術家」で、自分の強い感性に従い作品を作り、それを発表することで人々の共感を呼び、評価され、副次的に収入を得ているような人のことです。
ただ、はっきり言って、そうした純粋な芸術家という職業選択は、賢明な選択ではありません。芸術家として社会的な地位と機能と収入を得て社会に統合される可能性はとても低いですし、道のりは非常に険しいです。なれたとしてもその生活は不安定で保証もなく、生きて食べて養っていくという意味では、これほど悪い選択はないかもしれません。それはなぜかと言うと、「芸術」というものが、そういった「生活をしていく」という合理性の範疇にそもそもないからだと思います。
考えてみれば「芸術」なんて、生き物として生きていく上では不必要なものであると言えます。人間以外の動物には芸術はありません。花や孔雀の羽は、芸術的であるかもしれませんが、それは生存戦略の結果であり、そこには芸術性はありません。ただ、そうなったというだけです。
だからこそ、ある意味「芸術家」ほど人間らしい職業はないかもしれません。そして純粋に芸術家であればあるほど、生命活動の合理性からは遠ざかっていくとのだと思います。ですが、世の中には「芸術家」として生活している人が居ます。それはやはり、「芸術」を世の人々が欲しているからに他なりません。
人間は「芸術」を必要としています。なぜそうなのか、僕にはその明確な答えは出せませんが、そうだと思います。そして、芸術家が自分の思いや考えをぶつけた作品は、きっと誰かにも同じような共感をよぶはずです。自分が本当に「こうだ!」と思うことをストレートに作品として表して、多くの人にこれでもかというくらい批判されたりけなされたりするかもしれませんが、それでもこの世のどこかにそれを本当に良いと思って共感し、必要としてくれる人がいる。それは何にも代え難い無上の喜びだと思います。そして「芸術家」が職業として成立している状態とはそうゆうものだと思います。それはある意味、社会的存在として他者からの共感を欲している人間の一面の究極の形かもしれません。
冒頭で「芸術は爆発だ」という言葉を引用しましたが、僕は岡本太郎に強い共感を覚えてます。彼に一から十まで同意する訳ではありませんが、今まで話したことも岡本太郎の考えにかなり影響を受けていますし、具体的に芸術家になったらどういうことをしたいかと言われれば、彼に近いことをしたいです。例えば彼は、高度成長期まっただ中の大阪万博の際に、万博の「人類の進歩と調和」というテーマに真っ向から反抗して、万博会場の屋根をぶち抜いた「太陽の塔」を打ち立てました。岡本太郎は近代以降の科学技術と経済の進歩・発展を否定して、人間のプリミティブな面を、絵で、文章で、像で世にまっすぐと訴えかけています。もし生まれ変わって芸術家になれるなら、そういう風に、人間のあり方とは何かを強く訴えかけるような作品を生み出し続け、世に燦然と輝く芸術家になりたいと思います。
なんだか話していて恥ずかしくなってきました。恥ずかしいと思うあたり、今の僕は芸術家には向いていないのかもしれません。幸か不幸か、現在の僕はそうした芸術家のあり方とは異なります。理性や知性や合理性を働かせ、生きるため、生活するために、大学に入り、就活をし、来年度からは社会人として働いていくつもりです。別にそれが悪いことだとは思いませんし、それはそれで良いと思っています。ただ、もし生まれ変われるなら、そうした合理性から離れ、自分を「爆発」させるような芸術家という生き方をしてみたいなとも思います。
「もしも」の話はあくまで仮定の話であり、現実では起きたことしか起こりません。「芸術家」になりたいと何故僕は思ったのか、そう自分を見つめ直しながら、残りのゼミを、残りの人生を自分の納得できるように過ごしていきたいと思います。
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[62] 題名:平成26年度 第二回スピーチ大会 「生まれ変わったらなりたい職業」 名前:木田世界(25期) 投稿日:2014年11月22日 (土) 19時15分
参考:活動報告No.517
太字・・・強く
イタリック・・・ゆっくり
<>・・・早く、一気に
↘だんだん下げる
↗だんだん上げる
(胸を張り、笑顔であたりを見回す。早口にならないようにペース配分チェック。)
わからないです。
生まれ変わったらなりたい職業というこのテーマ。
歳をとったせいか、頭が固くなったもので、全然思い浮かびません。
ですので、小さいころにどういうことが好きだったかを考えてみました。
小学生の時、国語の時間に
志賀直哉の「清兵衛とひょうたん」という短編を読んだんです。
このお話に出てくる、清兵衛という12歳の少年、
ちょっと変わり者でして、ひょうたんが好きで、毎日朝から晩までひょうたんを磨いては眺めていました。
ある日、清兵衛少年は、街の屋台で数十個の瓢箪が売られているのを見、
その中に手足が震えるほどの見事なひょうたんがあるのを見つけ、それを10銭で買います。
清兵衛はそれを気に入って、学校に持っていき、
なんと道徳の時間にまで磨いていたのですが、
先生に見つかって、↘ 没収されてしまいます。
先生はそれをつまらないひょうたんと思い、骨董屋に安く売ってしまったのですが、(1,2,3数える)・・・・・・・・・
実は清兵衛がひょうたんを見る目は非常に鋭く、
その骨董屋は先生から買い取った瓢箪を600円、今でいうと100万円でとある富豪に売ったのです。
小学生の僕はこの話を聞いて、10銭で買ったひょうたんが100万円で売れる!?
<「100万円あったら、プリンを1万個買えるじゃん!!」と考え、>
(´∀`;)なんて単純な子供だったのでしょうか!?
ひょうたんの種を買って、実際に育ててみることにしたのです!
そして、その結果がこちらです!
(瓢箪を出す!みんなに見せびらかす。)
このようにひょうたんを育てることには成功したものの、いくつかの問題点がありました。
実はこのひょうたん、まだまだ小さい部類なんです。
この種類のひょうたん、ちゃんと育てると僕の背丈ほどの高さのものができるんです。
(一気に) <猫の額ほどの我が家の庭では、土地が足りない!>
そして、収穫したひょうたんは、水につけ中の繊維を腐らせて、
このように、(♪ひょうたんをはじいて音を出す♪)空にするのですが…
(一気に)<その間は猛烈に臭い!クサヤや臭豆腐の比ではありません。密封しなければ近隣住民から苦情が来るでしょう。>
さらに、出来上がったひょうたん。
母は、「こんなもんいくつも作って、うちのどこに置くスペースがあるの?」とぼやいたものです。
(1,2,3、4 数える)
そこで、僕はもし生まれ変わったのなら、地方の大地主(おおじぬし)の息子になって、農家になりたいです。
そして、様々な農作物(のうさくもつ)も育てながら、思う存分ひょうたんを育てたい。
地方の農家になれば、十分な広い土地を使い、より大きなひょうたんを育てられます。
また、人の少ない所であれば腐らせている間(あいだ)の匂いもそんなに気にする必要はない。
なにより、ひょうたんを↗ 100個200個300個とおける、広い部屋を作ることができます!
その中から、清兵衛の発見したような素晴らしい瓢箪を見つけだし、磨き上げて高値で売る…
なんていう妄想をしています。
(1,2,3数える。)
でも、どうでしょうか?
(ゆっくりと、小さな、引きこむような声で)
昼はひょうたんや農作物(のうさくもつ)の世話をする。
夜になれば本を読み、ぼんやりと物思いにふける。
(一気に)<冬になれば暖かいコタツに入って、(*^^*) ひょうたんにお酒でもいれて、呑む!。>
そんな生活も、素敵ではないでしょうか?
(1,2数える。腹から大きな声で!)
みなさん、もし万が一、知り合いの方で、広大な土地を持つ農家がいて、後継者に困っているという人を
知っていたら、ぜひ教えて下さい。
お礼に、オークションで高値がつくこと間違いなしのひょうたんを差し上げます。
(礼、ゆっくりと退出)
(記号含め 1544字 本番タイム4:14 )
【評価】
1.話術
(自己評価)
練習のときより短い時間で話し終わった。全体的に、思っていたより早口になっていたのだろうか。
(ただし、評価を聞く中では早口で聞き取りづらかったという感想は無かった。
コミカルな話だったので、早口でテンポよく語って良かったのかも知れない。)
特に、話の前半部であまり変化が付けられていなかった。強調したい語句だけでなく、文レベルで強調箇所を作ればよかったと思う。
また、ゆっくり、小さな声で喋る場所ももう少し作れたはず。
(コメントから)
・生き生きと話せていたのは良かった。
・全体的にもっと変化をつけるべき。
・話し方を工夫しているのを、意識的でなく自然に見えるようにする。普段話すときも、良い話し方ができるぐらいにスピーチの技術を自分のものとするべき。
・<>普段話すときも、自信をもって話すべき!
2.内容・コンセプト
(自己評価)
・説得性・共感性にかけると思った。
もともと、瓢箪というテーマがニッチなうえ、なんで瓢箪を育てたいのか、その魅力は何かを語っていなかった。
「面白い」話であったかもしれないが、「心に残る」「役に立つ」の要素はゼロだった。
・農家になった後、どのようなことをしたいのかをあまり語れていなかった。
・瓢箪を育てることを中心に語っていたので、「なりたい職業」よりも「やりたい事」になっていた。職業、という要素が薄かった。
・生まれ変わらなくてもできると思った。
(コメントから)
・「前中半までエピソードで語る」のが出来ていて良かった。
・前中半部分のロジックが弱い
・後半がロジックがいくつも重なり、くどい。「うまれかわったら農家になりたい」の後すぐ終わっても良かったのではないか。
・清兵衛と瓢箪の話は、「お金を儲けた」話ではなく、「他の人が見抜けない価値を見抜いた」という話だったのでは?
その解釈の上で後半の生まれ変わったら…という部分を作ったほうが魅力的・共感性のあるスピーチになったはず。
例えば、「生徒の価値が見抜ける先生になりたい」と言って、「生まれ変われなくてもなれますね、そのような先生になれるよう努力を重ねたい」と続けても良かった。
3.その他
(コメントから)
・瓢箪を持ってくるのは良いが、出しておきっぱなしでは間抜け。いくつかのグッズをもってきて、
順々に出す。瓢箪を掲げて見せびらかす、等もっと工夫を。
・原稿をもってはいけない。スピーチの基本中の基本。過去注意されたことを生かさねばならない。
【反省】
今回も原稿の完成が遅れ、十分に練習できていなかった。
テーマの発表時から色々考えていたが、やはり単語レベルでメモを作っていてもあまり深まらないので、
早めに文章で考え始めたほうが良いと思った。
文章にして自分の原稿を読んで、それになぜ違和感を感じるのかを考えていくとはじめてテーマのコンセプトがわかって来ると思う。
今回のスピーチでは、説得性と共感性を持ってその職の魅力を語ることが必要だということをテーマから見抜かなければならなかった。
「自分はどのように生きていくのか」を改めて考えるためにこのスピーチ大会があったはずだ。
こちらのテーマに手を上げたとき、自分の人生に関して今ある制約を取り払って考えるチャンスだと思っていたのに、
原稿を書く段階で余裕を失い、その意識が無くなってしまったことが非常に残念だ。
次回からは、「聞き手をどう動かしたいか、何を感じてもらいたいか」に関して具体的な目標を立ててスピーチに望むとともに、
「このテーマではどんな評価シートを作るべきか」も予想しておきたい。
スピーチを書いているときは、後半部分がくどくなってしまっていることに気付いていなかったが、今読んでみるとたしかにくどいように思える。
以前のスピーチでも「いつ終わるのだろうか、と後半部分を冗長に感じた」と言われてしまったことがあるので、
スピーチのコンセプトをよく考え蛇足をつけないようにしたい。今回も、終盤部分は前半と上手く結び付けられていなかったと思う。
また、原稿がなくても喋れるように最低三日前には原稿を固め、もっと練習の時間を作りたい。
本の交換会は残り4回となってしまったが、交換会に向けても原稿を作ってスピーチを鍛えたい。
残り8回のゼミにおいても刮目等の機会で練習したいと思う。
【speech】