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スピーチ大会用掲示板

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[81] 題名: 名前:石嶺佑騎(24期) 投稿日:2015年03月31日 (火) 11時01分

原稿上げるのが遅くなり申し訳ありません。
以下原稿です。

________________________

3年前、3年生になった私は沢山の後輩を迎えました。

新しく入ってきた新入生はばりばり発言するつわものぞろいで、
頼もしく感じる一方「彼らの先輩として振舞えるのか」、「彼らと良い関係を築けるのか」、
そんなプレッシャーを感じていました。そんな時、また新たな2年生がやってきました。

彼女は私と同じく思いつめたような顔をしていて、「なんだか私と同じ顔をしているな」
と少しホッとしました。
たったそれだけのことですが、私は本当に救われた思いをして、その日のチーム決めで真っ先に
坂本恵理奈さんを指名しました。

あの時の私、本当によくやってくれた!

坂本は私にとって、良き友であり、大事な後輩です。
お調子者で体調不良がちな私を決して軽んじることなく、3年間坂本は私を先輩たらしめて
くれました。

「何か手伝う事ありますか?」、「石嶺さんが卓に揃ってから乾杯しよう」、「先ずは石嶺さんに
取り分けなきゃダメでしょ!」

そんな優しい気遣いは『そうだ、私は先輩なんだ』と改めて確認させてくれる、
そして勿論嬉しかった!!

(酔っ払った同期に「はいはいそうだね」なんて言いながら水を勧めてあげたり、
私が半ば強引に漫画やゲームを勧めても嫌な顔一つせずに先ずは観てみて、「石嶺さんこれ面白く
ないです」「これ面白いですね」なんて感想をくれる。)

そんな坂本だから、「石嶺さん一緒に私達のチームで勉強しませんか?」とか「石嶺の作る
ひらやーちーが食べたいなー」なんて言われても「仕方ないなぁ」と応えたくなってしまう。


しかし、あと1,2か月でそのように坂本と関われなくなります。
そこにあたって1つ、気になることがあるんです。あるゼミの夜、何人かと一緒に喋りながら
帰っていると、「私、先生に褒められたことないな・・・」という坂本の声が聞こえました。
そうっだったかな・・・?
思い返してみるとそんなことない気がする、ただそういえば、坂本は先生にお褒め頂いてる時に
限っていつもしんみりとノートを見つめてうつむいている!またそれと同時に、ある時坂本が
「私はリーダーをやるようなタイプじゃないです」と言っていたことも。

私は、坂本にもう少し自分に自信を持って欲しいと思う。
坂本のスピーチは昔に比べて確実に上手くなっているし、勉強においても、坂本の説明はとっても
分かりやすい。実力はついてきているから、もう少しだけ自分を認めて上げて、積極的になれば
坂本はもっと成長できるはずです!

次に大学じゃないところで会うとき、私は木田と現3年生を育て上げておくから、互いに楽しい話
を、そしてお互いに刮目させあいましょう!!

【tosakamoto】


[80] 題名:平成26年度スピーチ大会:この人を語る「坂本恵理奈を語る」 名前:石嶺佑騎(24期) 投稿日:2015年03月31日 (火) 10時58分

原稿上げるのが遅くなり申し訳ありません。
以下原稿です。

________________________

3年前、3年生になった私は沢山の後輩を迎えました。新しく入ってきた新入生はばりばり発言するつわものぞろいで、頼もしく感じる一方で「彼らの先輩として振舞えるのか」「彼らと良い関係を築けるのか」、そんなプレッシャーを感じていました。そんな時、また新たな2年生がやってきました。彼女は私と同じく思いつめたような顔をしていて、「なんだか私と同じ顔をしているな」と少しホッとしました。たったそれだけのことですが、私は本当に救われた思いをして、その日のチーム決めで真っ先に坂本恵理奈さんを指名しました。

あの時の私、本当によくやってくれた!坂本は私にとって、良き友であり、大事な後輩です。
お調子者で体調不良がちな私を決して軽んじることなく、3年間坂本は私を先輩たらしめてくれました。
「何か手伝う事ありますか?」「石嶺さんが卓に揃ってから乾杯しよう」「先ずは石嶺さんに取り分けなきゃダメでしょ!」そんな優しい気遣いは『そうだ、、私は先輩なんだ』と改めて確認させてくれる、そして勿論嬉しかった。酔っ払った同期に「はいはいそうだね」なんて言いながら水を勧めてあげたり、私が半ば強引に漫画やゲームを勧めても嫌な顔一つせずに先ずは観てみて、「石嶺さんこれ面白くないです」「これ面白いですね」なんて感想をくれる。そんな坂本だから、「石嶺さん一緒に私達のチームで勉強しませんか?」とか「石嶺の作るひらやーちーが食べたいなー」なんて言われても「仕方ないなぁ」と応えたくなってしまう。

しかし、あと1,2か月でそのように坂本と関われなくなります。そこにあたって1つ、気になることがあるんです。あるゼミの夜、何人かと一緒に喋りながら帰っていると、「私、先生に褒められたことないな・・・」という坂本の声が聞こえました。そうっだったかな・・・?思い返してみるとそんなことない気がする、ただそういえば、坂本は先生にお褒め頂いてる時に限っていつもしんみりとノートを見つめてうつむいている!またそれと同時に、ある時坂本が「私はリーダーをやるようなタイプじゃないです」と言っていたことも。
私は、坂本にもう少し自分に自信を持って欲しいと思う。坂本のスピーチは昔に比べて確実に上手くなっているし、勉強においても、坂本の説明はとっても分かりやすい。実力はついてきているから、もう少しだけ自分を認めて上げて、積極的になれば坂本はもっと成長できるはずです!

次に大学じゃないところで会うとき、私は木田と現3年生を育て上げておくから楽しい話を、そしてお互いに刮目させよう!


[79] 題名:平成26年度スピーチ大会:この人を語る「安藤陽介を語る」 名前:渡邊諒太(26期) 投稿日:2015年03月26日 (木) 21時08分

第三回スピーチ大会の推敲前の原稿です。
こちらでのアップが遅くなり申し訳ありません。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「コーナイ炎と安藤さん」

10月6日第一回のゼミ、私はその場にはいませんでした。
それから11月の末まで、少し出てはずーっとゼミを欠席する日々を送りました。
他の三年生がゼミの活動をフォローしてくれている間にも気持ちはもやもやし続け、
「どうして大学へ、ゼミに行けないんだ!」と自問自答しながら
大学へ足を運べない日々を続けていました。

そんなある日、また自分の部屋の中に閉じこもり、じっと考え込んでいると、携帯が
「ピンポン♪」
と音を立てました。一通のメッセージが届いていました。

「渡邊、大丈夫か?何か悩んでいるなら話を聞くから、飲みに行こう。」

安藤さんからでした。

集合時間や場所についてやり取りしながら、電車に揺られて品川駅へ向かうと、
その時催されていた北海道物産展のブース前で安藤さんは待っていました。

その後駅ビル内の、歩いて2−3分のところにあるビールバーのような飲み屋に入りました。
白熱球が照らすお店でお互いバドワイザー片手に、最近の調子はどうか、
悩んでいる事は一体何か、ということを真剣に聞いてもらいました。

安藤さんと話しているうちに、私自身が相手にどう思われるかということにとらわれていて、
何か人より出来ないことがあると強く心が圧迫されている
そういった気持につぶされてしまっていたということに気が付きました。

正確に言えば、私が「こんなことを考えています」という話に対して、
安藤さんが、「渡邊はこういう考え方になっているんじゃないのか?」と
「確かにその通りだ!」と思うような分析をしてくれました。

安藤さんは話をする中で、

他人がどう思うか、見られるかという他人の評価に立つのではなく、
自分がどうするのか、何を目標とするかという自分自身の評価に立つ、ということ、

自分が出来ないことや弱みを見せてはいけないということはないのだから、
頼れるときにゼミの仲間を頼っても悪いことではないでしょう、ということ、

ただし、今の悩んでいる自分から変わりたいと思うならば、その変わろうという思いを先延ばしにしちゃダメだ、ということ、

こういったアドヴァイスをくれました。
そして、だからゼミについても別に焦る必要はないけれど、復帰するタイミングも自分で決めることが大切なんだと言ってくれました。

安藤さんはゼミに来ていない僕を心配して「飲みに行こう!」と誘ってくれる温かい心を持ち、
それだけでなく、「今はこういう状況でこうすれば良いのではないか」と的確に
分析とアドヴァイスをくれる頭脳を持っている人なのです。

あの時安藤さんが呼んでくれなかったら、今私はこの場に立っているでしょうか。
今自分がここでスピーチが出来るのは、チームの一員として、
三戸ゼミの先輩として、ゼミにつなぎ留めてくれた、

安藤さんのおかげです。

安藤さん自身に、僕が何かをお返しすることは難しいかもしれません。
しかし、安藤さんに助けてもらったこと、教えていただいたことを、
後輩に伝えていくことは出来ます。

今この場にはいない飛田君や、これから入ってくる後輩たちに対して、
伝えていきたいです。


【Watanabe-Ando】


[78] 題名:渡邊諒太を語る 名前:安藤陽介(25期) 投稿日:2015年03月24日 (火) 14時32分

僕が彼のすごさをはじめて知ったのは、2年前のオープンゼミ。
多くの2年生を囲い込むための手段として、2年生が見学できるように企画されました。

オープンゼミの内容は消費税増税はアリなのかナシなのか、という議論。
25期の現役生は、初めての後輩ができるということで、いいところをみせようと、
気合を入れて準備をしていました。

そして議論が始まりました。。
消費税の議論というのはかなり高度で難しく、なかなか結論が出ない。
まず経営学部の我々が経済政策の是非を問うているのが間違いなんじゃないか。。
まずいこのままで2年生は嫌気がさして退出してしまう。。
どうやって結論にもっていこうか、、悩んでいたその時、ある新入生が手をあげました。

目を見合わせる現役生。おい2年生が手を挙げたぞ、そんなのアリか!という顔をしていました。
手を挙げた新入生は、先輩である我々の議論を「いまおっしゃった○○はこういうことですよね??」とひとつひとつ確認し、これまで出た議論をまとめ、自分の意見を流れるように述べていきました。。
そこで再び議論は2年生も巻き込んだものとなり、活発化していきました。。

すごいやつが入ってきた・・・
おそらくそこにいたゼミ生全員がそう思ったに違いがありません。
僕はその2年生の積極性、思考力、そして堂々とした話し方に自分にはないものを感じました。

それが彼、渡邊諒太くんだったのです。。


----
世の中にはすごく器用すぎて、なんでもできてしまい、その力を発揮できない、という人がいます。
才がありすぎてその才に気づかず、その才能を生かし切れていない、という人です。
僕はその一人が渡辺だと思っています。
彼はだれにも負けない「学びたい」という欲望と、あふれんばかりの才能を持ち合わせているのに、このゼミでは少ししかその才能を発揮していないという気がしてなりません。
オープンゼミで見せたあの迫力と、自らの意見をわかりやすく論述する表現力。

最近の渡辺はその力の半分も出せているでしょうか??
もちろん、ゼミ幹事やチームリーダーとしてはそれなりにやってくれている。
しかし彼が持っている才能をもっと出すことができれば、
その論理的思考力でもっと優れたレジュメができるかもしれないし、
その表現力でもっとわかりやすく自分たちのチームの意見を伝えることができると思います。

---
なぜ渡辺は自分の才能を持て余しているのか。
僕はその原因は、彼が周りをみすぎているからだと思っています。
自分を人と比べながら、物事に取り組んでいると思います。
他人が自分より優れているか、そうでないか、そういうところに価値を置いているのではないでしょうか。

正直に言う。
渡邊よりすごい奴なんて、数えきれないほどいる。
それは誰の場合でもそうであって、そんなことを考えてもキリがない。

でも渡辺には渡辺にしかない強み、才能、すごさがある。それは僕は知っています。
これから就活、卒業、そして社会の一員となって、これまで出会ったことのない課題と向き合わなければなりません。
そのためには謙虚で、他人と対等でなければないと僕は思います。
僕は渡辺に、課題に本気でぶつかって、謙虚に、渡辺なりの答えを見つけていってほしい。そう思っています。

卒業があと1か月ほどでやってきます。
あと1か月でどれだけ僕が渡辺から学び、渡辺にも学んでもらうことができるか、
それを楽しみに、ゼミを過ごしていきたいと思います。

「watanabe」


[77] 題名:浦林幸輝を語る 名前:佐藤樹 投稿日:2015年03月24日 (火) 01時12分

原稿あげるのが遅くなりました。
まだ修正できていませんが、あげます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
@伝えたいこと(リスナー)…浦林さんは先輩として、こんなことをしていた。
A伝えたいこと(浦林さん)…一緒にいて勉強になったうえに、楽しかった。同じチームになれてよかった。
Bメインのエピソード     …“しっかりしろ”
C全体的にどんな話にするか…理性的に。ただ淡々とならないように、一緒に過ごせた喜びと感謝を意識する。
D浦林さんはどんな人だと思うか
(+)人当りがいい。気持ちの切り替えが上手。改善するところを伝えてくれる。
(−)眠そうなときはやや怖い。多少なりとも遅刻する。掴みどころがない。
それらをふまえて…

Eコンセプト…後輩から見た浦林“先輩”

F@〜Eを踏まえて…
起…あの夜の出来事
承…そこでどんな変化があったか
転…浦林さんがどんな人か
結…これから…(?)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<原稿>
起:“しっかりしろ”、と浦林さんに怒られてしまいました。
それは、10月8日の出来事です。我々PS4チームは、後期第1回目のゼミが終わったあとに、浦林さん宅にて、レジュメ作りを行っていました。午前2時を過ぎた頃でしょうか。しかしレジュメ作りは方向性も定まっていません。そのうえ、急に眠くなってきました。集中できない、テキストを読んでも内容が入ってこない、話し合いの内容も理解できない、そんな状態でした。浦林さんと石嶺さんは議論している、しかし僕は何を話しているかも理解できない。ただそこにいる状態でした。そんな僕に、浦林さんが言ったこと、それが先ほど述べた“しっかりしろ”でした。

承:浦林さんとは、4月から同じチームとして、行動を共にしてきて、楽しいこともいっぱいありました。しかし、“しっかりしろ”、と怒られたこと、これが一番記憶に残っています。なぜならば、この言葉のおかげで、僕は自分の振る舞いを見直すことができたからです。
その言葉を言われるまで、2年生のときの延長としての振る舞いをしていました。レジュメ作りを自分が主となってやる、ということはありませんでしたし、自分で何かをやろうというよりも、先輩を頼りきってしまっていました。集まって勉強をするときも、積極的に関わらない、どころか一番早くだらけ、そのくせ休憩になると元気になる、といった感じでした。そしてそのことがふさわしい行動ではない、ということを意識することもできずに過ごしていました。
 浦林さんに怒られたことで、自分の振る舞いを見つめ直すようになりました。ゼミ生として、3年として、チームリーダーとして、自分が今何をするべきか、という軸で自分の行動を考えるようになりました。まだ完全にはできていませんが、こう意識するようになったのは、浦林さんの言葉のおかげです。

転:浦林さんはこのように、怒るときは怒ってくれる人です。だからこそ、僕は浦林さんを信頼しています。ただ仲のよい先輩なのではなく、自分が間違えたらそれを指摘してくれる、故に信頼できます。
そして同時に尊敬しています。“しっかりしろ”と言われてから、浦林さんの行動を意識するようにしました。チームの集まりのときに寝過ごしたことはありました。内心“あれ?浦林さん。しっかりしてる?”と思ったことが何回かあります。けれどもそんなことは些細なことに思えるほど、浦林さんは魅力にあふれています。その中でも僕が一番見習いたいこと、それは気持ちの切り替えのうまさです。やるときはやる、そして何をやるにしても楽しんでいます。少なくとも、周りにそう見えるようにふるまっています。

結:この4月からは浦林さんは、社会人となり、遠く離れた広島に行ってしまいます。もう1年一緒に勉強できるならば、去年の4月の花見の席のように、また同じチームに指名します。しかし僕は浦林さんにとって、そのような後輩になれたのでしょうか。分かりません。けれども、そのような後輩になるために、残りの時間にも、成長し、刮目させます。

削除キー sato-urabayashi


[76] 題名:平成26年度スピーチ大会:この人を語る「高橋篤史を語る」 名前:藤田航平(25期) 投稿日:2015年03月13日 (金) 14時26分

「このチームはお前のチームなんだぞ」
ついに僕は彼にこんなことを言った。
正直、この言葉をいつ彼に言ったのか、僕は覚えていない。
それは、この言葉がその時思いついたようなことではなくて、
僕がずっと彼に対して思っていたことだからです。
彼は、チームの話し合いでも、ゼミでの勉強でも、
「積極性」という言葉とからは、遠い所にいる存在に思えた。
チームでの話し合い、彼に何か意見を求めると、「うーんそうですねーどうでしょうねー」
あまり発言せず、自分の意見を持っていないのだろうか、最初はそんな風に思っていました。
「もっと自分を出せ、このままじゃお前がいてもいなくても同じレジュメになるぞ?そんなのつまらないだろ?」
今年1年チームで活動する中で、少なからずこんな感情を抱いていました。
彼に力がなかったわけではない。
むしろみんなが思っている以上に、彼には力があることを僕は知っている。
意見を言う回数は少なくても、仕事を振ってみると、彼の力は示された。
チーム名と理念、そして大雑把なイメージを伝えただけで、彼は遊び心に富んだチームの求人票を完成させたし
手書きのぐちゃぐちゃの図を、改善点を踏まえたうえで、パソコンできれいに中心周辺構造の図にしてくれたのも彼だった。
さらに、チームのピンチを救うために、自らチューブのワサビの丸呑みを志願し、それを成し遂げるような度胸の持ち主でもあった。
そんな力のある彼だからこそ、もっと自分をだして、積極的に取り組んでほしいという僕の思いはさらに募っていきました。

「このチームはお前のチームなんだぞ」
そんな思いを大きくした僕が、ついに彼に言ったのがこの言葉でした。
もっと自信をもって、自分の意志で取り組んでほしい、そうすれば、いまよりもっと楽しくなるはずだと、彼に伝えました。
いつもはあの笑顔でなんとなくはぐらかす彼が、その時は真剣に話を聞いていたことを覚えています。
その話を彼が心から受け止めてくれたのか、
以降、彼は 少しずつ 少しずつ 変わっていきました。
チームでのレジュメづくり、いきなりバンバン意見をするようにはなりませんが、
自分の担当した部分については、しっかりと自分で仮説を立て、データを調べ、自らの考えを書くように、主体的に取り組むようになりました。
ゼミでの討論でも、自信なさげながらも、相手の質問、反論に受け答えをするようになりました。
みんなはそんな小さな変化に気づかなかったかもしれない。
でも隣にいた僕にはそれがわかりました。

そんな彼の変化が、1番大きなものとなって表れたのが、
11月25日火曜日
その日のゼミ終わりの括目でした
控えめに「はい」と言って
彼は立ち上がると、 彼が最近した引っ越しの話を始めたのです!!
今日勉強したことを振り返るのではなく、
ゼミの外であったことを、みんなを括目させるべく準備し、話したのです。
僕は嬉しくて、思わず手帳の11月25日に丸をして、「括目・引っ越しの話」とメモをしてしまいました
ゼミが終わってから、「括目させられたよ」と声をかけると、
いつものあの笑顔で顔を真っ赤にして笑っていました。

高橋
周りのみんなが思っている以上に、そして君が思っている以上に、君には力がある。
それは、これまで同じチームで、一番近くで見てきた僕が知っています。
「このチームはお前のチームなんだぞ。」
どうやらこの言葉は君にしっかりと届いたようです。
チームだけではありません。
お前のレジュメであり、お前の討論会であり、お前の合宿であり、そしてお前のゼミなんだ。
その方が楽しいだろ?
先週のゼミ終わりの括目、また僕はうれしくなりました。
「討論会に向けた準備のために、いままでチームでやってきた内容が中途半端な状態で終わってしまっている。チームでやってきたことをこのままで終わらせたくない!」
と君は言った。こんな発言は、1年前の君ではありえなかっただろう。
それを聞いて確信しました。
「このチームはお前のチームだな。」
これからもずっとチームメイトです。

【takahapi】


[75] 題名:平成26年度スピーチ大会:この人を語る「藤田航平を語る」 名前:高橋篤史(26期) 投稿日:2015年03月12日 (木) 17時23分

大変遅くなって申し訳ありません。
スピーチ大会幹事としてあるまじき行為をしてしまいました。

____________________________

藤田さんがいる。
私はいつも安心感を抱いていました。
何か困っているとき、よく藤田さんはこちらの眼をじっと見て、自分が目を合わせると、微笑んだ顔でうなずいてくる。私はその笑顔に、藤田さんの優しさを感じ、よし頑張ろうという気持ちになれるのです。
特に今年は、温故知新協働組合、略して温協のチームメンバーとしての藤田さんに大いに助けられました。
 温協として初めてチームらしい活動をした、新歓行事。藤田さんの口から丁々発止に出てくる面白いアイデアの数々、シャイニングでチョークールな人材略してシャチクなどを取り入れることで、飛田君をうちのチームに入れることはかなわなかったものの、満足のいく勧誘チラシを作ることができました。その後の、わさび寿司対決では、わさびの有無を見破った洞察眼によって私たちは見事高級な寿司を食べることができました。
そして、一番感謝しているのが、夏合宿でのことです。準備の段階で、私は合宿幹事という役目を担っていたものその仕事も中途半端に、そして音響のチームリーダーとしての役目も果たせていなかった。そんな状況を見かねて、藤田さんは直接声をかけることはせずとも、黙々と仕事をやる背中を見せることで、自分に対して、もっと頑張れよ!お前もやればできるだろ!という激励の言葉を投げかけてくださいました。そのたびに、自分はこのままじゃいけないと感じたのです。合宿での仕事の出来に決して満足はしていませんが、自分一人では自分の器量の小ささゆえに何度も押しつぶされそうになり、確実に成し得なかったチーム活動を、藤田さんをはじめとするチームメンバーのおかげである程度実りあるものにすることができました。

一方で、藤田さんがいてくれる。
ということに甘えていたのも事実です。ものの周りをよく見て、頭の中で考え、話術が優れているにもかかわらず、実際に行動する姿を見せることで周りを動かそうとする姿勢に頼り切っていた自分が確かに存在する。
藤田さんには、そんな責任感のない自分の心の内を見透かされて、
「このチームはお前のチームなんだよ」
そう言っていただいたことがあります。その言葉の裏に、自分に対する非難と期待の意味をくみ取りました。そしてその期待に対して、今まで答えられたかといえばそんなことは決してなかった気がします。
しかし、藤田さんはいなくなる。
数か月後には卒業してしまう。ゼミの時間に、もう頼ることもできなければ、助けられることもないし、期待されることもないし、期待に応える機会もなくなってしまう。
この短い時間で自分の成長を見せることによって藤田さんに恩返ししたいと思っても、成果をついぞ見せることはできていない。そんなことを思っていたある日、自分は藤田航平という先輩がしてくれたことを受け継ぎ、自分の後輩に語り継いだり、実行したりすることで恩を返すこともできるのではないかと考え付きました。
 今の私には、藤田さんの様に巧みな話術もなければ、知性も能力も備わっていませんが、相手に安心感と期待を与えられるように自分の能力を育てていきたいと思います。

(本人の方を向いて)最後に、藤田さん少し早いのですが、今まで本当にありがとうございました。

_______________________________
【huji】


[74] 題名:平成26年度第三回スピーチ大会:この人を語る「佐藤樹を語る」 名前:浦林幸輝(25期) 投稿日:2015年03月04日 (水) 12時06分

遅くなって申し訳ありません。
今年度第三回のスピーチ大会の原稿をアップします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「しっかりしろ」と、佐藤を叱ったことがあります。
PS4チームで、僕はあまり叱らない。だいたいいつも石嶺さんが「ちょっと佐藤〜、ちゃんと皆を仕切ってよ。チームリーダーなんだから」
石嶺さんが叱ると、なんとな〜く、不服そう。「はい…、わかりました、すみません…」
そしてそのことを石嶺さんが「佐藤、その態度はなんなの〜」
佐藤に言うと「そんなつもりじゃないんですけど…、そう見えますか…」不服そうに、いつもギスギスとした雰囲気になって
そんな2人を横から眺めていました
本人は本当にそんなつもりじゃないかもしれないが、どうしても石嶺さんと僕は不服そうに見える。
そのことについて石嶺さんと僕で話し合ったことが。あいつは先輩をなめているんじゃないか、一度ガツンと言った方がいいのでは
いつも叱っている石嶺さんより、あまり叱らない僕が言った方が良いのでは
あるゼミ終わりの日に、そのまま僕のアパートにPS4で集まったときに、眠そうにしながらチームの話し合いを佐藤にたいして「しっかりしろ」と、言った。我ながら冷たい物言いだな〜、これでもし佐藤のへこんでたちなおれなくなったりしたらどうしよう、と実は思っていました。
するとその後佐藤はどうなったか、しっかりするようになったんです
佐藤はそれから、いついつチームで集まろう、今日はここまでやりましょう、明日スカイプやりましょう、ここは石嶺さんがやってきてください、ここは僕がやってきてください、議事録は浦林さんお願いします、次はいついつどこで何時から集まりましょう
課題に対してだけでなく、コミュニケーションを図るようなこともするようになりました。
今度ウチで集まりましょうと言って、集まったらご飯を作ってくれたり、
おすすめの映画を貸してくれたり、ゼミ活動以外でも遊んだり、お酒をもってきたり。
最近リーダーっぽくなってきたね、と言うと、浦林さんに「しっかりしろ」と言われたからです
そんなに効き目があったのか、と僕の方がびっくりしてしまいました。
そうした佐藤の姿を見ていると、偉いな〜と思います。
もし僕がどこかで先輩に、「しっかりしろよ」と一回言われたからといって、その後ずっとしっかりしようと思えるだろうか…
他人から受けた指摘を素直に聞き、反省し、自分を改め、行動に移す。簡単そうなことですが、実際にこのようにできる人はなかなかいないんじゃないでしょうか。それができるのが、佐藤のすごいところだと、僕は思っています。
そうは言っても、まだまだ佐藤には至らない点があります。子供っぽいところがあったり、上手く司会をできずに頭を抱えたり、考えた新年会の企画が少々グダグダしたりしています。不満をもらしたり、泣き言を言ったり、弱音を吐いたり、どうすればいいか悩んだりしている佐藤もずいぶん見てきましたが、それでもチームのリーダーとして、副幹事として、ゼミ生としてすべきことをしていこうと努力し、考え、行動し、成長しているところもそれ以上に見てきました。ですから、きっと、佐藤は今後も成長し続けていくと思います。
少しずつ少しずつですが、着実に成長している。そんな佐藤を後輩にもてて本当に良かったと思います。
残念ながら、諸事情により今年度でPS4チームは解散してしまいます。
もうそんなに会う機会も残されていないかもしれません。
最後に佐藤に笑顔で一言贈りたいと思います。
佐藤、これからも「しっかりしろよ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
修正版については、後日改めてアップ致します。

【satoutatsuki】


[73] 題名:平成26年度 第三回スピーチ大会 この人を語る 「笹井純也を語る」 名前:木田 世界 投稿日:2015年02月04日 (水) 19時10分

(姿勢を正し、笑顔で。ゆーっくり喋る)
去年の春、桜咲く夜の公園で、
「もう一人のチームメンバーは………木田さん!」
と笹井に指名された時、
僕は心の中で「よし!」(o≧▽^)┘と思っていました。

笹井も僕も、普段のゼミの後、JRの横浜駅から帰るのですが、
駅の構内、南改札の中で別れる前に、いつも立ち話をしていました。
彼は、その日のゼミで疑問に思ったことや、迷ってしまったことなどを質問し、熱心に話を聞きます。

だから僕は笹井に指名された時、
学ぶ意欲を秘めた彼を、
もっと育てていくことができると思ったのです。(1,2,3数える)


この笹井チームで初めて活動をしたのは、新歓企画の準備の時。

求人票を作るために集合した時、
彼がおもむろにバックから取り出したのは、四角い紙製の箱。
そう、彼はなんと.... 水彩絵の具セットを持ってきたのです!!!
そこから、彼が隠し持っていた遊び心と、
<魅力的な求人票を作りたい!>という熱意が伝わってきました。

また、チームの理念を話し合う際、彼は真っ先に「一期一会」という理念を提案しました。
<一つ一つの機会を大事にし、いつも一生懸命に物事にとり組む>
この一期一会という理念は、まさに彼の持っている良さ表していると思います。     ( ⇩ 温かみを持ってゆっくり(*^-^*) )
ゼミ生の中で、「頑張り屋」という言葉が一番似合う男です。
(1,2,3,4数える 暗め低めの声に変えて)
…………………….
しかし、そんな「がんばり屋」の彼は、夏休みの前後、
ゼミの活動に参加できなくなってしまいました。(;_:)

その、夏休みの終わり、10月1日。
少しずつ元気を取り戻した笹井と連絡がつく様になり、
佐藤たちと一緒に晩御飯を食べに行って、その帰り道。

この日も笹井と僕は、横浜駅南改札の中の、いつものコンクリートの柱の前に立って、◆(1)

夏休みのことをついつい話しこんでしまい、◆(1.2)
二人とも終電を逃して、一緒に佐藤の家に押しかけることになってしまいました。( ^^)


そんな経験も、少しは助けになったのでしょうか、
彼は秋学期、だんだんとゼミに復帰し、
最近では、ゼミや掲示板で、<他のどの三年生にも負けない勢いで>活躍しています。

チームで作業をしている時も、
「今、木田さんと三厨さんが話していた〇〇って、どういう意味ですか?」と積極的に質問をしたり、
「レジメの校閲、僕がやります!」とできることを探して引き受け、チームに貢献してくれました。


(1,2)


さらに、前回のスピーチ大会。

彼はそこで、ドラえもん、
つまり「特定 意志薄弱児童 監視指導員」になりたいと言って、
「誰か他のゼミ生がのび太になったら、今度は僕がドラえもんになります」、と語りました。

彼は、夏休みに味わった困難を糧に成長し、
一生懸命に学ぶ「頑張り屋」だけでなく、
人を助ける「頼れる男」になろうとしているのです。

そんな笹井に、僕は期待を寄せています。

今学期のチームの作業、彼は三厨や僕に頼り、
どうやって進めていくか、指示を待ってしまうこともありました。
もちろん夏休みに参加できなかった分、勉強の流れをつかみにくかった、ということはあると思います。

(―1,2,目を合わせて―)

でも、君は来年、四年生になり、ゼミの最高学年になるんです。
だから、自ら判断を下し、チームメンバーやゼミ生を引っ張ってゆかねばなりません。

(1,2,ゆっくりと)

僕は来年、笹井が、<どんな「ドラえもん」になっているのだろうかと>、楽しみにしています。
(一呼吸して、退出)

参考:活動報告掲示板No.538

タイトル:笹井純也を語る
サブタイトル
候補@ 笹井に期待すること
候補A ササエモンに会いたい


【sasa】



[72] 題名:平成26年度 第三回スピーチ大会「木田世界を語る」 名前:三厨昌平(25期) 投稿日:2015年01月30日 (金) 22時24分

「あんまり仲良くなれない堅いタイプかもなあ」
1年生の時の授業で同じグループに入った時に思ったことです。
話していると教科書通りの答えしか返ってこず、服はなんだかサイズの合ってないものを着ていて、
なんか中学生っぽい。うーん、パス。

翌年、ゼミが決まって最初のゼミの時間の自己紹介で、
「木田世界といいます。世界に踏み出していく人間になりたい、です。」
→「ああ、一緒のゼミか。気合が入っているけど、彼の世界にはあんまり入れないだろうなあ。」
そして、溢れる気合と共に、彼はトロントへと去ったのでした。


木田とまともに関わったのは、3年の夏に同じチームになってからです。
4チームのチーム制を作るときに、木田を指名したのは他ならぬ私でした。
「きっと、すぐには同期と馴染めないだろうから、最初に入るチームは俺のところにしておこう。」

そんなナメた思いとは裏腹に
チームに合流した木田の、ゼミへの思い、レジュメへの勢いはただならぬものがありました。
僕はまだ半分しか読んでいないのに、気が付けば三戸公『ドラッカー』を大体まとめてしまっていた。
そしてレジュメも、僕がタイピングすることなく、猛烈な勢いでページが進んでいったのです。
でも、いつもゼミが始まる直前までのめりこんで書いていて、見た目はぐっちゃぐちゃです。
僕の仕事は、ぐちゃぐちゃのレジュメを構成を建て直し、体裁を整えること。
どう考え、何を書き、どういう工程で、何にどれくらい時間を掛けてレジュメを進めていくのか、彼は全く考えていなかったのです。
それからはもうずっと、木田とチームをマネージメントすることが僕の仕事です。

一番、やられた、と思ったことは、しかしこの間の11月頃でしょうか。
笹井と3人で内容を決めて、工程を決めて、論理展開を決めて、僕と笹井は仕上がりました。
でも木田だけ仕上がってなくて、データを持って帰った木田は、何を考えたのか、
レジュメ全部の内容を、170度くらい方向転換させてゼミに持ってきました。

彼のすごいところは、学ぶことに対する真摯さです。
見た目では、なんかとてもフワフワしているのに、学ぶことへのエネルギーはずっしりとしています。

木田のパソコンを開き、インターネットを起動すると、謎のホームページが出てきます。
ヤフーでも、グーグルでも、ゼミの掲示板でもない。
それは自分がやるべきこと、注意しなくてはいけないこと、先生から学んだことがびっしり書かれたメモのページです。
それから、掲示板に書き込む日時、先生が掲示板で話題に挙げていた本など。
それを見てこっそりページをコピーし、僕も自分のパソコンに同じグーグルドキュメントで、作りました。

今でこそみなさんはあまり覚えていないかもしれませんが、
思えば木田は人前で話すことが人よりも下手でした。
「あー」「えー」とか、途中で話が止まってしまうこともしょっちゅうでした。
話し方が一番うまくなったのは木田だと思いますが、それも彼が本気で自分の話し方を改善しようとしたからです。

悔しいことに、私は彼のように真摯に自分に向き合えません。
そう思えるのも、彼と二回も同じチームで勉強できたからだと思います。
「俺は今、自分に対して本気で取り組んでいるだろうか」、と彼と接するたびに思います。

大学時代の一番の友人を挙げるなら、もちろん木田を挙げます。
一緒に勉強したのは1年半だけですが、その1年半はずっと一緒にいた気がするからです。
ゼミが終わると、我が家に泊まり、翌日の一限を一緒に受け、
あとは2日間会わないでも金曜日から月曜日まではゼミの準備。
火曜のゼミが終わると、また我が家で一泊。
その間に、飯を食いながら先生が書いた掲示板の投稿の話をし、ゼミをどうやって良くするかの話をし、
店でテレビが付いてたら、番組の作り方についてあーだこーだと言い合う。
面白いことがあったら最初に話す相手も木田でした。
木田を笑わせることが、僕の楽しみの一つだったのです。

これがあと数か月で終わってしまうことに、僕はとても寂しさを覚えます。
ですが、お互いまたこれからも成長して、一緒に勉強しよう。
もっと言えば、一緒にチームを組んで仕事ができたら、なんて楽しいだろう。
この一年半、とっても貴重な学びを与えてくれたこと、感謝しています。
木田、ありがとう!


【kidasekaiwokataru】




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