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スピーチ大会用掲示板

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[91] 題名:平成30年度第一回スピーチ大会 テーマ「自己紹介」原稿 名前:後藤 孝宏(長県大一期) 投稿日:2018年06月14日 (木) 15時07分

後藤 孝宏(一期生)

テーマ「自己紹介」
サブテーマ「変わりつつある私」
裏テーマ「もっと君たちも私も主体性を持たねばならない」
【ツカミ】
今回のスピーチのタイトルは「三戸ゼミで変わりつつある私“後藤 孝宏”」です。
【本文】
三戸ゼミ三年目を迎え、四年生となった私は、自分の意見や考えを話すことへの抵抗など感じずに
毎回のゼミを送ることが出来るようになっています。今後も積極的にゼミ論集の発刊などをしていきたいと思います。
(小間)
そんな私ですが、三戸ゼミに入る前は消極的でした。
出来る限り矢面にたたないように、角が立つような言動、行動は控え、周囲の空気を気にして、ただふざけて笑っているだけの
mf傍観者」であろうとしていました。
しかし、三戸先生の下で学ぶ三戸ゼミには「傍観者」という役割は存在しません。
<語り手、聞き手、評価者、進行…
全ての人が当事者であれるのが三戸ゼミの「学び」にあります。(断言)

私は去年、そして一昨年の僕に問いたい。
「傍観者として振舞って、満足しているのか?」と。
 過去の僕はきっとムキになってこう答えるでしょう。
「皆と同じ以上のことはしている。やれと言われたことはちゃんとmfしている。」と。
―――――――ここで大きく間をとる――――――――
さて、皆さんはここまで聞いて、自分自身のことをmf「今の私」とmp「過去の僕」どちらだとおもいますか。
(小間)
私は、掲示板係という役職もあり、皆さんの刮目を毎回読みます。
まず、書き込まない人は論外としましょう。そのうえで、ただ書き込めば、ただ参加すれば傍観者じゃないのでしょうか。
毎週似たようなことを書きこみ、具体的な解決案を伴わない懺悔を繰り返し、次回のゼミに活かさない君。
とあるゼミ生は「もう一日たりとも休むわけにはいかないと思い知らされた。」
(小間)と書き込んだ次のゼミを休みました。
(中間)
「過去の僕」が「今の私」に変わった決定的なエピソードとして、去年のインナーゼミがあります。
当日私は司会進行という大役を任され、皆さんの学びの一端を担うmf「当事者」となりました。
そこで、様々な指摘をしていただき、反省と実践を繰り返して、三戸先生含め他の先生方から大変評価していただきました。
また、インナーゼミで二人の後輩が大きく成長してくれたことも実感し、本当にうれしく思いました。(笑顔)
そういった成果や結果を、本当の意味で喜びや次への原動力へとつなげられるのはmf「当事者」だけです。

【締め】
私の三戸ゼミでの最終目標は、卒業の際に三戸先生から
「君がいなくなるのは困るなあ」「時々OBとして話にきてくれよ」
と評価していただくことです。
三戸ゼミ史に名を残してもらえるよう。
(小間)
私は「傍観者」から「三戸ゼミ生」へと。
 そして「学生」から「社会人」になれるよう、
(小間)
これからも皆さんと自分自身に厳しく、ビシバシ頑張っていきたいと思います。
そして「今の私」は「未来の私」にこう問いたい。
「君は今、満足していますか。」


削除キー【zemi0613】


[90] 題名:平成27年度第三回スピーチ大会 笹井原稿『踏み込め!高橋!』 名前:笹井純也(26期) 投稿日:2016年01月20日 (水) 00時22分

「いや、分かんないっす」
例えば、高橋はよくこう言います。
就活について聞いてみても、「うーん、就活、俺もう最近よく分かんなくなって、いや、分かんないッス。」
「…どうしたの?」「分かんない。大丈夫。」

いつも笑顔で話しやすい割に、どこか相手に一歩踏み込まない、踏み込ませない。
高橋と話していてもいつの間にか高橋を知らずに終わる。彼はそんな側面を持っています。
だからこそ今日 僕は、「高橋篤史」のそうでなかったときのことから話したいと思います。


あれは去年の合宿のことでした。
春合宿か追い出し合宿か、それすら決まらないままだった二日目の夜。
あの日はゼミ生みんなが疲労困憊、まさに佳境。
明日の準備が終わらない。
あれも決めないといけないし、これも話さないといけない。
そんななか佐藤はすーーーっごく機嫌が悪いし、
さっき話そうと言ってた三厨さんは寝てるし、起きないし。
もーーーーう、ダメだ。結局のところ僕の責任なのだけれど、もう、本当にダメかもしれない。

あぁでもチームの課題も終わっていない。と思って部屋に行き、
「高橋ごめん!全然チームの課題一緒にやれてない!!」
   (間)
「うぉん、笹井は頑張ってる。これあげる。」
手渡されたのは、GJカード。
もうそれだけで良かった。嬉しかった。高橋のその一言で、
あれほど辛かった体も不思議と楽になり、もう一度がんばろう、まだ頑張れる、そんな気持ちにさせられたのです。
紙一枚で、たった一言で、こんなに楽になるとは、僕はその日、初めて知りました。

前回の夏合宿で、高橋は悔しい思いをしたと聞いています。
きっと、そのときのことが気にかかっていたのでしょう。
自分の後悔を忘れずに温めていて、そして次に自分と同じ立場になった人のために行動する。
すべきだと思っていても、なかなか出来る事ではありません。

もしそのとき高橋の一言がなければ、僕はあの合宿で全てを放り投げていたかもしれません。
あのGJカードには、高橋の自分から一歩踏み込む優しさと、
自分の後悔を繰り返したくないという気持ち、その二つが込められていたと思っています。
改めて、高橋、ありがとう。


しかし、この話には続きがあります。
結局 最終日のGJカードの集計も高橋がやってくれて、無事合宿が終わり、
それから一〜二週間たったときのことです。
僕はもちろんあのGJカードを改めてもらいたいと思い、高橋に聞いたところ、
  「GJカード、どっかやっちゃった。」
そんな馬鹿な。たった一〜二週間で無くなるはずはない。
ここだけの話、きっと彼なりの照れ隠しなんだろうなと僕は推測しています。
  「探せばあるんじゃない?」と聞いたのですが、
  「いや、ない。あのことは忘れよう。」
なんだ! やっぱり隠してるんじゃん!

確かに気恥ずかしいのは分かります。
あんまりひけらかしたりするのは、格好悪いし、威張った後に恥をかくのは僕もすごく嫌です。
しかし、高橋は自分の行動を過小評価しすぎではないでしょうか。
僕もつい自分の意見を途中でやめてしまうこともありますが、
途中でやめる高橋の話を聞いていると、最後まで意見を言ってくれればいいのに、と思います。

それで良いのか高橋篤史。
忘れられていいのか、高橋篤史。
それでは僕は勿体無いと思うのです。
せっかく高橋と過ごしたのに、そのままないことになってしまう。
みんなが気付かぬところで作業して、
何をやったか問われれば何もしてないと言い、
ついには忘れられても良いと言う。あんまりです。

そしてもし本当にみんなから忘れられたら、さびしすぎやしないだろうか。
いや、本当のところ僕が、忘れられた高橋を見るのが嫌なのでしょう。

だから高橋、もう少しだけ、相手に一歩踏み込む頻度、
自分の行動を伝える頻度を高めてくれないだろうか。
それが僕の気持ちです。
さあ高橋、一歩踏み込んでくれ!


【h27_3rd_sj】


[89] 題名:2015年度第二回スピーチ大会 高橋原稿 『力合わせる200万〜楫取県令に一言申す〜』 名前:高橋篤史(26期) 投稿日:2015年11月29日 (日) 19時01分

「力合わせる200万」(かるたを詠むように)
そう、これは、みなさんおなじみ「上毛かるた」の札の一つです。

え、みなさんご存じでない。
おっかしいなぁ。 群馬県民の間では、認知度100%なんですけどね。

上毛かるたは、群馬県のほぼすべての小学校で教わる群馬県独自の歌留多です。
年代によって人口は変わるため、200万だったり、190万だったりしますが、
この札には、「群馬県民、皆が力を合わせて頑張っていこう!」という強い願いが込められています。
この札は、取った人にボーナスポイントが与えられるほど、
上毛かるたの中では特別な札です。
 

しかし現時点で、このように群馬県民が一体になっているとは言い難い部分があります。
それは、「県都 前橋 絹の町」と詠まれる県庁所在地の前橋市と「関東と信越結ぶ 高崎市」
と詠まれる人口第一位の高崎市という群馬県を代表する両市の間に深〜い溝があるためです。

たとえば、(↓少し訛りながら)
「前橋なんか、県庁だけじゃん。お前のせいでネットで馬鹿にされるんだよ!」
「高崎だって、新幹線しかないだろ!調子に乗るな!」
「ヤマダ電機の本社は前橋から高崎に移ってきたぜ!」
「前橋には今度、コストコとイケアができる。」
「そのせいで、中心市街地はシャッター街じゃんか!」
「何なん!」「何なん!」
といったののしり合いが日常茶飯事で行われています。

この様に、中心市街地が利根川と10qの距離でしか離れていない両市の隔たりは
とてつもなく大きいものがあるのです。


では、なぜこのようなことになってしまったのか。

事の発端は、廃藩置県がなされた明治初期に遡ります。
上野国あらため群馬県の県庁はもともと、前橋市ではなく高崎市に置かれていました。
この時の県令は楫取素彦という人です。
そう、今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公である楫取美和子の夫で、大沢たかおが演じている人物です。
彼は日清日露戦争期、高崎中心部の土地が軍部の拡張により手狭になってきたため、県庁を一旦前橋に移しました。
そのとき高崎市民は、数年後また高崎に戻すとの約束を交わすことで県庁移転を受け入れたのです。

しかし、あれから100年以上たった2015年、その約束が果たされることはありませんでした。


そこで「私はもしも過去に戻れるなら」、(強く)
この明治初期の群馬に行ってみたいと思います。
そうして、楫取県令に対して、一言申してみたいのです。
「県庁をしっかり戻すようにしてください!」
「県庁を戻せないなら、最初から約束なんかしないでください!」
「そうしないと、100年後にも遺恨を残すことになりますよ!」  
「前橋と高崎がどちらも中途半端な都市になり、
結局は、群馬県自体も中途半端な県になってしまいますよ!」と。
と。

前橋市で生まれながらも、高崎市で育った私。
どちらの市に対しても、なにより群馬県に対して、
愛着と誇りを持つ私の熱い想いを楫取県令にぶつけてみたいのです。

そうして、それから100年以上も続く不毛な対立の芽を摘み取りたいのです。


「鶴舞う形の群馬県」(かるたを詠むように)
これは「力を合わせる200万」と並んで「上毛かるた」の中でも特別な句です。
県の形が、鶴が飛んでいる様に見えることから、この句ができました。

「鶴は1000年」と言われるように、
鶴は長寿すなわち長い繁栄を象徴する大変めでたい鳥です。

これからの日本、どんどん人口が減っていき、地方自治体の存続の危機が予想される中で、
群馬県が“舞う鶴”の様に、これからも栄えていくためには、
もう一度、県民皆が結束しなければならないのです。

そのためにも過去に戻り、楫取県令に直訴することによって
「力合わせる200万」
の下、両市が手を取り合い県民皆で、群馬県を盛り上げていく社会を実現していきたいと思います。


【記事番号:89 編集キー:h27_2nd_ta】


[88] 題名:2015年度第2回スピーチ大会 佐藤原稿 『史実に残る聖女に会いたい』 名前:佐藤樹(26期)  投稿日:2015年11月28日 (土) 20時51分

神の声を聞いた。啓示を受けた。という逸話や人物は歴史上にあります。
それは到底信じられません、が、嘘だといいきることもできません。
その中には奇跡としかいえないようなことを成し遂げた人もいるからです。
だからこそ、自分の理解を超えた、奇跡としかいいようのないできごとを、
叶うならばその場で、自分の目で、確かめたい!
人間を超えた超常的な存在、本当にいるのか、には興味が尽きないからです。

僕が確かめたいのは、およそ600年前,15世紀初頭。フランス。
百年戦争の真っ最中。
フランスはイングランドに掌握される一歩手前。
そしてそのときのフランスには対抗する手段がなかった。
そのとき現れたのが、あのジャンヌダルクです。

ジャンヌは農村に生まれた普通の村娘ですが、イングランド軍を駆逐し、王大使をランスにてフランス王位につかしめよという啓示をを受けたと記録されています。
これだけならただの幻聴ですが、ジャンヌが従軍してからのフランス軍は快進撃を続け、ついには当時の王太子シャルル7世の戴冠まで実現させました。
ただの村娘が、従軍したとたんに軍が快進撃を重ねる、そんなことふつうはありえません。だから僕には信じられません。理解できません。
しかしこれは歴史的にあった出来事です。
実際、そこで何が起きたのか、を確かめたいです。

また従軍する前にも、不思議としかいいようのないことが起きています。
ジャンヌが初めてシャルル7世に謁見したとき、シャルル7世は玉座に別のものを置き、
自分は一般人にまぎれこんでいたと聞きます。
それでもジャンヌは初めて会うシャルル7世を見分けたらしいのです。
フランスを勝利に導いたこと、シャルル7世を見分けてたことが本当ならば、彼女が本当に啓示を受けていたのではないかと考えざるをえません。
啓示を受けたということは、啓示を送る存在がいたはずです。
ならば彼女がなしたことは、神の存在の照明になるのでしょうか。
果たしてジャンヌ・ダルクの真実は。。。

ジャンヌ・ダルクは彼女をうとましく思った王に裏切られ、最終的に宗教裁判で魔女として処刑されてしまいます。
その宗教裁判は政治的圧力の強いものだったと聞きます。
僕はそこに参加して、彼女と話してみたいです。
彼女との対話を通じて、自分の理解を超えた世界、自分の感覚では理解できないものを感じたい。
と同時に、できるならば、彼女を助けたい。
彼女は、最後までキリストの教えを信じていて、火あぶりの刑にされているときでもキリストの名前を叫んでいたそうです。
それを見ていた人たちは最初罵倒していたのに、彼女の信仰への姿勢を見て最終的には彼女のために祈りをささげたといいます。
信仰のために生きた人間が、政治的に邪魔だからとその信仰の敵対者として処刑されることは不条理だと思います。そんな不条理は認めたくないです。

彼女は自分の信じるものに命を賭しました。
信仰によって本来なすことが難しい・不可能だということも成し遂げたのです。
その生き方を、学びたい!


【記事No.88  編集キー:h27_2nd_st】


[87] 題名:2015年度第2回スピーチ大会 笹井原稿 『ベートーベンの笑顔』 名前:笹井純也(26期) 投稿日:2015年11月26日 (木) 00時08分

ベートーベンの笑顔……って見たくありませんか?
音楽室のベートーベンは、いつだって仏頂面ですよね。

そんな訳で「もし一度だけ過去に戻れるのなら」、
僕はまず、19世紀初頭のウィーンに飛び立ちます。
もちろん笑顔を見に行くだけが理由ではなく、その生演奏も聴きたいです。
また、この時代には、”あの”ベートーベンだけでなく、モーツァルト、ショパンなど、
有名な作曲家が一堂に会しています。
そのため、ベートーベンとモーツァルトの会話をこっそり伺ったり、
様々な名曲の初演奏を聞いてみたり。
もう、考えただけでも心躍ってしまいますよね。

そしてなんといっても1824年5月7日。
ベートーベンの第九、年末に流れる歓喜の歌で有名ですが、
その初演奏、これは見逃せません。
当時は作曲家と演奏家が兼ねていたところがあったので、
ベートーベン自らが耳の聞こえないなか緊張の面持ちで振る指揮、
期待していなかった観客たちが徐々に身を乗り出していく様子、演奏直後の拍手喝采、
指揮台から振り返ったベートーベンの不安から喜びに変わる表情、
それら全てを目の当たりにすることが出来るのです。
せっかく過去に戻れるのならば、ここでしょう。
19世紀初頭のウィーン。

でも、僕の本当の目的は、もっと別のところにあります。
現在 失われてしまったはずの作品を現在に持ち帰ること、それが僕の本当の目的です。

例えば、ベートーベンの楽譜。
ベートーベンは一度引っ越しの際に、楽譜を大量に紛失しました。
その原因は、引っ越しを手伝った家政婦さんが間違えて、楽譜を梱包材として使ったから、
と判明しましたが、その楽譜はいまも見つかっていません。
ああ、名曲だろうに、もったいない……。

僕だったらその場所・その時間に訪れ、その家政婦さんに声を掛けるでしょう。
「あの、すみません……。
 その紙で包む代わりに、こちらの紙で包んで頂けないでしょうか?」
そしてベートーベンの自筆譜を入手です!
ただ僕は歴史を改変することはしたくないので、
自分の紛失に気付き、怒り狂うベートーベンさんはそのままにしておきます。
残念でした、僕が未来に持ち帰ります。

さて、たった一度きりでも、過去に戻れる人はそういません。
そうであるなら、現在に生きる人のために何かを持ち帰った方が有意義で、
きっと楽しいでしょう。

たしかに僕は旅行が好きですし、音楽も好きです。
しかし世の中には僕なんかと比べ者にならないほどの音楽マニアがわんさかいます。
同じ曲を聞いても、僕なんかよりも深い感動を覚える人々がたくさんいるはずです。
そうであるなら、失われてしまった作品を現在に持ち帰る、
それが僕の一番やるべきこと・やりたいことだと思っています。

音楽があれば、芸術があれば、
ベートーベン以上の仏頂面だって笑顔にできるはずです。
過去でも現在でも笑顔を見たい、
過去でも現在でも、やりたいことは同じですね!

【記事No.87  編集キー:h27_2nd_sj】


[86] 題名:2015年度第2回スピーチ大会 「もしも過去に戻れたなら・・・。」 名前:渡邊諒太(26期) 投稿日:2015年11月25日 (水) 15時08分

【スピーチの注意点】「強・強・強」とならないように。ゆっくりと話す事(悠然と)。
【原稿の記号の意味】・は一秒待て。「、」は半秒まて。「。」は「、」より長めに待て。

【原稿】
そうだ、ソクラテスに会おう!(強く)



今回のテーマを考えたとき、行きたい場所、あってみたい人はたくさんおり、悩みました。

まず、いつに戻るか?10年前?100年前?それとも…。
でも、どうせ戻るのであれば今から成るべく遠くの時代に行きたい。

次に、どこへ行くか?日本に留まろうか。それとも別の国?
だとしたら、どこに。やっぱり遠いところに旅してみたいなぁ。

そこで世界史の年表をひっくり返して、ずっと前の方。そしてずっと西の方。
彼、ソクラテスの元へ行こうと思いました。


では、ソクラテスに会っていったい何がしたいのか。
それは、彼に直接会いたいということです。

ところで、皆さんはソクラテスの著作を見たことは有りますか?
というのも実は、彼に纏わる著作は全て彼の弟子や、周りの人物によって描かれたものなのです。
ソクラテス自身は本を書いていない。もちろん彼の周りの人物を通して彼を見ることは出来ます。
でもせっかく過去に戻れるのだから、ソクラテスが何を考え、どの様にふるまったのか、
彼を直接この目で見、この耳で聞き、この口で語り合いたいと思うのです。

そして、ソクラテスに会いたい理由がもう一つあるのです。
みなさん、ソクラテスが「青年を誤った道へ進ませ堕落させた」罪を着せられ、
アテナイの裁判によって、死刑を宣告され、毒を飲んで死を迎えたことは知っていると思います。
彼は死刑ではなく追放刑を受け生き続けることも、脱獄によって死を免れることも出来たはずなのに、
不正に対して自分の信念を曲げない為に、その刑を受けたことも知っていると思います。

しかし「知らないことと知っている事を分け」「知りうることと知りえないことを分け」
「人間が知るべき知とは何かを追い求める」、「知」を愛していただけの彼が、
何故あの様な死に方をしなければならなかったのでしょうか。私は納得が出来ないのです。

きっと彼を追放刑にするように、そして脱獄するように説得することは出来ないでしょう。
一番弟子のプラトンですら説得できないものを説得するのは生半可の物ではありません。

しかし、裁判の投票を覆すことはなんとか出来るのではないでしょうか。
投票があと30票だけ無罪に流れていれば、彼は死なずに済んだと言います。
なら、その30票を死に物狂いで集めたい。
そして自分も無罪へ投じたいと思います。
それによってソクラテスを救いたいのです。

ソクラテスを救ったらどうなるのでしょうか。
ソクラテスの無罪を示したアテナイという国はスパルタ人に支配され、そして「衆愚政治」のまま没落したという汚名を着せられることはなかったでしょう。
そしてソクラテスの教え、「知」を愛する姿勢は多くの地域や時代により強い影響を与えるでしょう。


それでは果たして、ソクラテスが寿命をまっとうした今の世界はどうなるのでしょうか。

2000年以上前の事です。この教室に机が一個増えているだけかもしれません。
あるいはこの教室を出て聞こえる学生たちの話題が、バラエティ番組やJ-popなどではなく、
TVとは何か、メディアとは何か、音楽とは何かという問いを立て激しく議論を交わしているかもしれません。
でもソクラテスに会い、議論し、その思想を不遇の死から守ろうとした自分は間違いなく変わっているでしょう。

想像力を働かせて過去に思いを馳せ、その時代を変えてみる。
時代を超えて自分を変える旅に…、一緒に出掛けましょう。




【仮タイトル】ソクラテスの運命を変え、社会と自分を変える旅
【構成(話の流れ)】
掴み…「そうだ、ソクラテスに会おう!」+間
序.何故、この時代に飛ぶのか。
T.ソクラテスに会って何がしたいのか?
 1.本を書かなかった彼と直接会いたい、学びたい。
 2.彼の死を変えたい。
 3.その結果その時代はどうなるのか。
U.これによって今はどうなるのか。
 1.今生きる社会の物的変化と精神的変化は何か。(T.2に対する返答)
 2.ソクラテスから学んだ僕はどうするのか?(T.1に対する返答)
結.古代へ飛んで、得られるものは…。
締め…(この話を纏める効果的な締めは?)+余韻

【アドバイス】
・つかみが唐突すぎて聴き手を置いて行ってしまった。
・その続き(なぜこの話をするか)が長く感じる(くどい)。
その分、初めからソクラテスの死に納得していないと話した方が伝わるだろう。
・出だしの言い方はOK、話が変わったときには間や強弱を意識的にしたほうが良い。
・「不遇の死を遂げた人」ならだれでも良いと聞こえる。
ソクラテスを扱う理由として、その思想にまで立ち入るべきだろう。
・「何故ソクラテスなのか」が無い。
というのも「生き続けたらどうなっていたのか?」という分析が出来て内省ではないか。
ここに深みを持たせることでより知的に面白いスピーチになったのだろう。
・原稿に熱を込めること。
ソクラテスの何が好きか、何が魅力かを持っていれば
それを中心にそれを納得・共感させる原稿が出来上がるはず。

【記事No.: 編集キー:h27_2nd_gttp_wr】


[85] 題名:2015年度第1回スピーチ大会 『三戸ゼミ以外の私』 名前:藤田航平(25期) 投稿日:2015年07月14日 (火) 12時32分

月の裏側って、地球からは見ることができないのは知っていましたか?
月の自転のスピードと、地球の周りを一周するスピードがちょうど同じなので、
地球からは常に同じ面しか見られないんだそうです。
良く知っていると思っていた月でも、実はその半分しか知らなかったんですね。

では、みなさんはどうでしょう。同じ三戸ゼミ生のことをよく知っているでしょうか。
私はどうですか?
去年一昨年といっしょにやってきたメンバーですから、そろそろ私のイメージも固まっているでしょう?

では、三戸ゼミの藤田と言えば? 
「スピーチ」
そうですね。昨年のスピーチ大会では、「今までで一番大きかったこと」、「生まれ変わったらなりたい職業」、「この人を語る」で3冠を達成することができました。
留年することになり、まさかスピーチ大魔王になれるチャンスが来るとは思わなかったので、
3年時のスピーチ大会で3冠を達成できなかったことが悔やまれます。
もともと何か人前で話をしたり、自分の考えたもので人を楽しませるというのは好きで、中学時代には文化祭で全校生徒の前で漫才を披露したこともありました。

もう一つよく挙がるのが、「無表情」
昨年の夏合宿の三戸ゼミ大相撲、同じチームだった25期の坂本が僕につけた四股名は「すまし顔」。なんだそりゃと思いましたが、同じチームの石嶺さんや高橋は納得した様子。いつもツーンとしてすましているからというそのまんまの理由。
やる気がない。感情がない。何を考えているかわからない。怖い。という坂本の追撃にちょっぴり傷ついた僕。
考え事をしたり、難しい話についていこうとすると、どうして怖い顔になってしまうようです。

そう、三戸ゼミの私と言えば、「無表情のスピーチ王」
「無表情のスピーチ王」といえば、三戸ゼミの私…


しかーし!!!
それは藤田航平という球体の、1面でしか、ないのです。
突然ですが、私は鎌倉シャツというアパレルショップでアルバイトをしています。

そこでの私のあだ名はふじピー、
到底「無表情のスピーチ王」とは、異なります。

まずなんと言っても、、、笑顔です♡
当然接客業ですから、明るく元気に笑顔で働かなければいけません。
アルバイト中の私はお客さんの前ではもちろん、レジを打つときも、店頭を掃除している時も、さわやかな笑顔を絶やしません。
唯一無表情でいるのはマックでの休憩中だけなので、マックの店員さんには嫌な思いをさせているかもしれません。

そして、、、バイト中の私は話しベタです。
どうオススメすればお客様に買っていただけるのか、いつもなかなかうまくいきません。
お客様一人一人が何を求めているのか、それをお客様に嫌がられない距離感のコミュニケーションのなかで探りだす。
あまりの難しさに疲れ果てると、
スピーチの技術なんてほっぽり出して、精一杯の笑顔で「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を連呼するだけ。


そう、三戸ゼミの藤田「無表情のスピーチ王」とは打って変わって、
バイト中のふじピーは「笑顔の話しベタ」なのです。

三戸ゼミでブラック企業やブラックアルバイトについて夜遅くまで議論した次の日、
僕は地位も機能もないアルバイトとして朝早くからタイムカードを切るのです。
今日スピーチ大会で優勝したあと、明日お客さんのためにしどろもどろするのです。

これが私のもう一面です。

しかし、ここで大事なのは、そのどちらも同じく私であり、どちらも等しく大切なものであるということです。
どちらか一方が本当の私なのではなく、どちらも私が選択した私の人生なのです。

NASAやJAXAの探査機による観測で明らかになったところによると、月の裏側は、美しい表とは違い、クレーターだらけの荒れた地表のようです。
しかし、その表と裏で一つの月なのです。
なでしこジャパンが勝った裏には、イングランドのオウンゴールがある、それがワールドカップなのです。

さあ、せっかく1年長くゼミにいられるようになったので、このゼミでの1面だけでなく、みなさんと球面で接したいと思います。

勇気を出して、どんどん探査機を飛ばしあいましょう。



2015s1_fujita


[84] 題名:2015年度第一回スピーチ大会 高橋篤史 原稿 三戸ゼミへの関わり方 名前:橋篤史(26期) 投稿日:2015年07月12日 (日) 23時02分

『三戸ゼミの私』
<本文>
「これでいいのか高橋篤史」
三戸ゼミに入ってからというもの、私はしばしばこう頭の中で唱えることがあります。

今になって振り返ってみると大した不自由や悩みもなく
なんとなく勉強や部活をしてなんとなく成果をだして過ごしてきた小中高

そして、なんとなく企業や経営者の話が好きだったから経営学部のある横国に入り、
入学したての一年は興味のある授業に出ては、帰って遊ぶ。

そんな変わり映えのしない日常を一年間すごし、
「このままでいいだろう」と思っていた二年の春私は三戸先生に出会い、三戸ゼミナールの門をたたきました。

それからというもの自分の無気力だった大学生活が徐々に変化していきました。

入ゼミ当初、
先輩方に力の差はもちろん意識の差をまじまじと見せつけられ
萎縮してしまっていた私。
間違っていることなど何もないのに「間違ったことを言ってしまうのでないか」と恐れていたり、
「自分の話などだれも聞かない」と無駄なことを気にしていたりして、ゼミ内での発言も少なくなってしまい。
どこか他人事のようにゼミを捉えるようになっていました。
そんな寡黙な姿を他の人たちは、さぞ不思議がっていたように想像します。

しかし、私は自分の無口な教え子・後輩といったそんな状況に「これでいいのか俺」という思いが強くなっていきました。
そう思ったきっかけは、同期のみんなが先輩の意見に質問したり反論したりしていく回数が増え、ゼミの中でどんどんと存在感を増していく姿を目の当たりにしたことです。
同期には負けたくない、後れを取りたくない。それが自分の原動力となりました。


そう思い立った私は、夏合宿の幹事を引き受けることにしました。
結果は散々でした。もう少しうまくできると思っていた。他のゼミ生の助けがなければ夏合宿は開催そのものが危ぶまれるかもしれない事態にもなったでしょう。


私はこの夏合宿で大きな失敗を犯し情けない醜態をさらしたことで
「これでいいのか自分」という思いを更に強くさせました。
それからというもの私は夏合宿のリベンジを原動力として、ゼミにのめり込んでいきました。「自分はこんなもんじゃない」ということを知らしめたかったのです。


まず、主体的な発言を増やしていく。これは春合宿のチーム名「発言しないで委員会」に色濃く表しました。三井ゼミとの討論会では積極的に発言できなかったもののこの春合宿ではチームメンバーの笹井と協力し最後の最後で発言数で勝利することができるようになりました。結果発表の時に自然と交わしたハイタッチはこれまでの発言数少なさを打ち破ることのできた嬉しい記憶として忘れることはないでしょう。



私は大学を卒業しこれからも様々な問題に直面していくでしょう。
課題に直面した時は一回立ち止まって、
私は三戸ゼミで身に付いた自分を省みる姿勢を思いだし、
「これでいいのか高橋篤史」と自問自答を繰り返していきたいと思います。

【2015s1_takahashi】


[83] 題名:2015年度第1回スピーチ大会 石嶺原稿 「三戸ゼミにおける私の在り方と目標」 名前:石嶺佑騎(24期) 投稿日:2015年07月12日 (日) 22時15分

「私が教えられることなんて、一つもない」

大学二年生の頃、ただ日々をなんとなく生きていた私は「夜遅――――くまでやるゼミがある」と聞きました。
そこに入れば自分も何か変われるんじゃないかと思い、三戸ゼミの門を叩きました。

しかし入って数か月経って私は部屋に引きこもり、ようやく三戸ゼミに戻った時にはなんと沢山の後輩が待ち構えていました。
ゼミの経験が少なく、モチベーションすら負けているんじゃないかと思った私は
「彼らに教えられることなど一つもない、だからせめて話しやすい、彼らと打ち解けられる人になろう」
と決心しました。
時にはひらやーちーを振舞い、時には共に桃太郎電鉄をして、誘われるままに富士山に登りました。
それが最初の三戸ゼミの自分に課した、小さな目標でした。

しかしあることをきっかけにそれは大きく揺らぎます。
それは、私が4年生の時に私のことを語ってくれたスピーチ大会の時のことです。
坂本は、「石嶺さんはいい人、それを否定できる人はいないんじゃないでしょうか」と語り始め、
最後まで私のことを優しくていい人なのだと語ってくれました。その後のコメントの時には「いい
人」についてのコメントが飛び交い、その時の私は恥ずかしさと情けなさで一杯でした。

それは私が本当にただただ「いい人」で、「見習いたい先輩」ではないのだと痛感したからです。
勿論坂本がそんなことを伝えるためにスピーチをしたのでないことは分かりますし、坂本に優しくて
いい人だと言われること自体は喜ばしいことです。しかし同時に今までの自分は「自分が教えられる
ことなどない。」と決めつけて、それを言い訳にして、後輩に対して先輩としての姿勢、少しでも何
かを教える、注意するということから目をそらし続けたのだということに気付いてしまいました。
その結果がこの「いい人」というフレーズに集約されているような気がして、本当に堪らなかった。

『いい人のままでは、終わりたくない…。』

それからの私の目標は、「何か少しでもいいから後輩に教えられる注意できる先輩」に変わっていきました。
「佐藤ー、チームリーダーなんだから、ちゃんとしきってよ。」「人に注意されてすぐにメモをとる
のはいい心がけだけれど、メモばかり見て相手の目を見ないのは失礼だから、話を聞き終わってから
メモをとりなさい」「この間俺の部屋に来たときゴミが床に放置されていたので、ちゃんとゴミ箱に
捨てるように。」「ラインで何か呼び掛けるときは、読んだ人がそれに応えたくなるような文章を作ろう」
なんだか口うるさい気もしましたが、私はそれを貫きました。

しかしこの目標も、あることをきっかけに揺らぐことになります。

佐藤が私の部屋に遊びに来たとき、ふと「石嶺さんはなんつーか、、お母さんみたいですよね!」
と言いました。

お母さん・・・?確かにただの「いい人」ではなくなりました。でもお母さんってなんだ??
私が目指していたものはお母さんだったのか??・・・どうせなら、むしろ、尊敬されたい、
貴方のここが見習いたいと言われたかったのではないか。
私はまたもやこのままではいけないと考えます。しかし今度ばかりは、なかなかどうすればいいのか
思いつきませんでした。

そうして悩んでいる私に、、、ついに3度目の転機が訪れました!

それは、ついこの間のゼミ。三戸先生から「性格」と「人格」の話を聞いた時です。
「性格」は「好き」と結びついていて、「人格」は「良い」と結びついている。
性格はキャラクターにもあるんだ、どうせならここを目指してはどうだ?

そうか。誰かに「貴方のようになりたい」と言われるためにはやはりこれが必要なのだ。

私は今までずっと。誰かと接する時だけその時の目標に従うようにして、「自分」から目をそらし
続けてきました。でもそれでは、結局「理想の先輩」にはなれないのだと気付きました。

好きなことよりも、良いことをする。そうして後輩に尊敬されるような「理想の先輩」になる。

これが三戸ゼミ5年目にして3度目の「三戸ゼミの私」としての目標です。
正直全く自信はなく、このような大それた宣言をしてしまっていいのかと自分でも不安になります。
でも三戸ゼミは今年で終わるわけではありません。三戸先生はずっと私達の師匠であり、私はずっと
君たちの先輩です。今は未だいい人やお母さんかもしれないけれど、いつか「カックイイ人だ」と
言わせてやるから、覚悟しておいてください!

【2015s1_ishimine】


[82] 題名:2015年度第1回スピーチ大会 笹井原稿 「三戸ゼミが与えた父への影響」 名前:笹井純也(26期) 投稿日:2015年07月12日 (日) 20時41分

タイトル 「三戸ゼミが与えた父への影響」
(テーマ 「三戸ゼミの私」)

●はじめ(つかみ): ゼミの影響を受けている父は、明日こう話す。
予言します。
明日の朝、僕の父は朝ご飯を食べながら、僕にこう話しかけます。
「昨日、三戸先生は何とおっしゃっていた?」
間違いなくこう言います。
なんならベッティングを開催し、1000ゼミ―を賭けても構いません。

そう、「三戸ゼミの私」、
「私が三戸ゼミ生であることを強く意識する」のは、
他でもなく、父と話しているときなのです。
なぜなら、うちの父が「三戸ゼミの影響」を強く受け始めているから、です。


●エピソード@: 向学心旺盛な父は、DVD鑑賞により成長する。
どういうことでしょうか。
例えば、火曜と木曜にはガイアとカンブリアがあります。
我が家では僕がゼミに入ってから番組を見始めたのですが、
父の述べる感想がどんどん変わっているのです。

@はじめのころは、
「純也、カンブリア宮殿の村上龍って格好良いなぁ。
毎回インタビューして、「村上龍はこう考えた」なんてやってさ、多彩な人だなあ。」
「待って待ってお父さん、意外と村上龍もおかしなこと言っているよ。
 少なくとも三戸先生はいつも突っ込んでいる。」
 なんてやり取りがありました。

Aそれからだんだんと、
「村上龍、意外としょうもないこと言っているなぁ。」
へと変わり、

B今では、
「純也、今回の放送内容には納得できないんだよ。なんでかって言うとな、…。」
 …まだ僕、その回の放送を見ていないんだけど。

そんな変化をしてゆく父と話すたび、
「ゼミで学んで、そして伝えて、良かったな」と喜び、その一方で、
「僕も見習わないとなあ」と危機感や悔しさを感じさせられます。


●エピソードA: 口下手な父は、ゼミを介して息子と会話する。
そんな毎日を送っていますが、困ったときがありました。
今からいち、にい、3週間前のことです。
普段水曜の朝は「昨日、三戸先生は何とおっしゃっていた?」から
親子の会話が始まります。
しかし3週間前、僕は風邪をひき、ゼミを休みました。
そのため、食事が始まっても「何を話せば良いか分からない。」

それは 父も同じらしく、どこか そわそわしています。
「いただきます」「はい」「いただきます」「おう」
沈黙。
「純也、体調良くなったか?」「うん。」
また、沈黙。

昔は気にならなかった沈黙が、このごろ妙に気になります。
先日渡した『人民は弱し、官吏は強し』は読み終えていないようですし、
昨日父は僕に気を使って、ガイアを見なかったようです。
うーん……、何を話したらいいのだろう…、と、その時、
「純也、来週、ゼミ行けよ」
「うん、そうする。」

このように最近の私は、三戸ゼミになしでは父と会話が成立しません。
ものの見方や話し方、将来の自分のためだけでなく、
いま現在の「家族との会話」でも、私にとって、三戸ゼミは欠かせないのです。
そんな意味でも、このゼミと出会えたことは幸運でした。


●まとめ(しめ): 私がゼミの話をしなければ、今の父はいなかった。
去年の今頃は、父がこんなになるとは、こんなになるとは、夢にも思いませんでした。
もしこのゼミに入らなければ、成長もなく家族との会話もない……、
そんな生活を送っていたでしょう。
だからこそ僕は、父親と話すとき「三戸ゼミの私」を感じるのです。

さて皆さんは家族に、ゼミの話をしているのでしょうか?
もしあまり話していない、という方がいましたら、ゼミの話をしてみませんか?
半年後には思わぬ展開が待っているかもしれません。
なんならベッティングを開催し、1000ゼミ―を賭けても構いません!
(了 予想時間:5分00秒)


<メモ>
[スピーチを三行でまとめる]
私が「ゼミ生としての私」を感じるのは、父と会話をするときだ。
なぜなら、父はゼミの影響を受けているからだ。
その関係は楽しいので、皆さんも家族にゼミの話をしてはどうか?


[目次]
1. はじめ(つかみ): ゼミの影響を受けている父は、明日こう話す。
2. エピソード@  : 向学心旺盛な父は、DVD鑑賞により成長する。
3. エピソードA  : 口下手な父は、ゼミを介して息子と会話する。
4. ブリッジ    : 最近の父は、ますます影響を受けている。
5. まとめ(しめ) : 私がゼミの話をしなければ、今の父はいなかった。


[会話の注意点]
父の会話  … 左を向く・堂々と・腕を組む
純也の会話 … 右を向く・おどおどと(いつも通り)・手を前に出す


[各エピソードでの大まかな表現]
1. はじめ(つかみ): ゼミの影響を受けている父は、明日こう話す。
   →つかみは軽く、二段落目はハッキリ・ゆっくりと強調させる。
    一段落目と二段落目の落差を激しくさせる事が重要。

2. エピソード@  : 向学心旺盛な父は、DVD鑑賞により成長する。
   →一段落目は二段落目以降のやり取りを意識して、あえて印象を残さない話し方をする。
    ただし、「どんどん変わっている」は若干強める。
    二段落目以降のやり取りは、登場人物の変化を伝える事を意識する。
    最終段落は まとめ。よって、最終段落の前後は長めに間を取る。

3. エピソードA  : 口下手な父は、ゼミを介して息子と会話する。
   →エピソード@と、意識することはほぼ同じ。
    ただし、二段落目の沈黙を際立たせるために、
    二段落目以外は話すペースと間の取り方を早くする。
    また、「ゼミ行けよ」「そうする」は、真剣な面持ちで。

4. ブリッジ    : 最近の父は、ますます影響を受けている。
   →「そろそろ しめに入るんだ」という雰囲気を出す。
    喜びと照れくささ、感心と驚き、真面目さと笑い、それぞれを同時に表現する。

5. まとめ(しめ) : 私がゼミの話をしなければ、今の父はいなかった。
   →一段落目はゆっくりと、かみしめるように。
    二段落目(最終段落)は、軽い雰囲気に戻す。


〇笹井純也(26期 9/2 21:30)
第一回、修正しました。
石嶺さんから教えてもらいながら、
細かい表現と、「三戸ゼミの私」に沿うように、変更しました。

特に、以下のブリッジは前後の内容と関係なかったため、すべてカットしました。
(●ブリッジ: 最近の父は、ますます影響を受けている。
 さて、最近の父はますますゼミの影響を受けています。
 CMを見ては、そのCMが役に立つ・面白い・心に残るのどれかを指摘し始め、
 兄夫婦に久しぶりに会えば、カンブリアを語り始めます。
 更に言えば、父の中の僕への扱いが、「息子の笹井純也」から、
 「三戸ゼミの笹井純也」へと変わってきている気すらします。
 …なるほどこうやって学ぶのかと思う一方で、ちょっと気恥ずかしい。



【2015s1_sasai】




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