スピーチ大会用掲示板
スピーチ大会の原稿はこちらに
[21] 題名:2012年度第2回スピーチ大会「人生で一番好きな映画」原稿 名前:中村貴治(20期) 投稿日:2012年11月17日 (土) 13時03分
「マネーボール」(2011)
@ まくら
ダルビッシュの今年の成績は16勝9敗、新人としては優秀な成績だったといえるでしょうが、
日本で圧倒的な存在感、球界No.1投手といわれていた期待度からすると、もう一つ物足りなかったといえるでしょう。
松坂大輔、上原、和田、青木、川崎といった、そうそうたるメンツが今一つ活躍できなかったのも、
やはりこのリーグのレベルの高さ、厳しさを物語っているのかもしれません。
それでも日本ハムの誘いを断り続ける大谷君ように選手にとって強い魅力をもった場所であることに、変わりはありません。
(間)
今回語りたいのは、ブラッド・ピット主演の2011年公開映画「マネーボール」。
アメリカ大リーグを舞台にした、実話に基づいたこの原作の本をもつ映画です。
A アスレチックスとは
この映画はどういう話かというと、一言でいえば、「金の『ない』球団の話」です。
物語は、題材となる「オークランド・アスレチックス」が、金満球団である
「ニューヨーク・ヤンキース」に2001年のポストシーズンで敗北したところから始まります。
このアスレチックス、どのくらいお金が無いのかというと、選手の年俸総額が、ヤンキースの3分の1以下です。
…おおざっぱに言えば、ヤンキースはアスレチックスを3つ以上持てるのです。
(間)
このお話は、金が無い、金が無いからいい選手が手に入らない、いい選手がいないから試合に勝てない、
試合に勝てないから人気が出ず金が無い、という「悪循環」にはまったチームが、
いかにして金満球団相手に勝っていくのか、ということを描きます。
B 元スカウトの雑談
面白いのは、球団のスカウト達が会議室でミーティングするシーンです。
このシーンはリアルさを出すために、実際の元スカウト使って選手の品評をさせているのですが、言っていることが、ひどい。
(間)
「…あの選手は駄目だ。彼女が不細工だから」
…彼女が不細工だから、あいつは自信が無い男であって大リーグで活躍できない、ということ真面目に言っているんですね。
主人公のゼネラル・マネジャーであるビリー・ビーンがこれでは駄目だということで取り入れたのが、
「セイバーマトリクス」という数理理論なんです。このどこが画期的なのかというと、一番重視するのは、選手の「出塁率」です。
つまり、それまで「ねちっこい」と言われて敬遠されていたような、粘ってフォアボールをとれる選手、
投手のミスを誘える選手を積極的にとっていくのです。それが何故いいのか、というと、「安い」からですね。
そういう地味な選手は人気がないので、安くとれるのがいいところなのです。
それまでスカウト達の経験によって行われていた選手評価の世界に科学を取り入れることで、
スポーツではなく「マネーゲーム」と言われるようになった大リーグに一矢報いようとします。
C ビリー・ビーンという男
何よりも僕が好きなのは、このビリー・ビーンという実在する男の人物像です。
彼は元々頭の良い人間で、スタンフォード大学に進学しようとしていたところ、
スカウトから走・攻・守の三拍子そろった超高校級の選手として高額の契約金をつまれプロ入りしました。
しかし、結果は9年間148試合で、打率2割1分9厘、ホームラン3本。しか打てませんでした。
この映画の背景には、彼が自らの決断への後悔から、
「もっと正しく選手の能力を判断するすべがあるのではないか」という想いを強くすると共に、
契約金に惑わされた自分を戒め、同時に「二度と金のために人生を左右されない」という決意を固めたということがあるのです。
結局、理論を取り入れたアスレチックスは、多くの反発を受けながら2002年には20連勝というア・リーグの新記録をたたき出し、
6割3分6厘の勝率をもってプレーオフにまでヤンキースを破って進出する、大成功を収めました。
ビリーの信念は、この活躍によってシーズン後レッドソックスから提示された、
5年で約13億という高額のオファーを蹴ったことにも、表れています。
D 結
映画の見事なところは、実話を着実に追いながらも、彼の半生を織り交ぜることで、
「チームのリーグ優勝」と「理論の成功」、そして「彼の生き様」のそれぞれが、丁寧に重なりながらラストに向かっていくところです。
観終わった後には、理論について、彼の生きざまについて、様々なことを観る者に考えさせてくれる映画になっています。
この話を聞いて、映画に興味をもってくれたら、是非帰りにTsutayaに寄って、DVDを借りてみてください。
観終わった後にはきっと「私のように原作本まで手を出して」映画についてもう一度考えてみたくなると思います。
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・スピーチの後に先生から「映画の内容を語りながらも、引き出した意味を中心にして語ることで、
単純に内容を説明する印象を与えない。これは本の交換会にも通じることだ」といったコメントをいただきました。
原稿を書いたのは自分ですが、そういった考えは意識的に持っていませんでした。
評価をいただくことは、悪い点だけでなく、自分でも気づいていなかった
自分の行い(スピーチ)の良い点に気付くことができる、という点で非常に有難いことだと思います。
また一皮剥けることができそうですので、このスピーチの経験を活かせるよう、
これからも意識的に話すことをしていきたいと思います。
【eiga】
[20] 題名:2011年度第2回スピーチ大会 ≪大切なもの≫ ・ 第二部 原稿予約 名前:新山 公太(24期生) 投稿日:2011年11月29日 (火) 09時49分
第二部も時間無制限の自由型、ということで雛型のみを用意していたため、
実際にスピーチ大会で話した内容に関しては後々書きくわえさせていただきます。
ちなみに、以下がその雛型。
(1)「3.11」による原子力発電所事故 → リスクマネジメントが大切
(2)リスクマネジメント = 過去の事例を分析し、未来を予測、予防を行う
(3)過去を知ること = 未来を知る
(4) ⇒ 過去を体系化して学ぶ = 「歴史学が大切」
[19] 題名:2011年度第2回スピーチ大会 ≪大切なもの≫ ・ 第一部 原稿予約 名前:新山 公太(24期生) 投稿日:2011年11月29日 (火) 09時30分
事前にきちんとした原稿の形にまとめてこなかったため、
すみませんが後に掲載させてもらいます。
テーマにもってきたものは≪遊び≫でした。
[18] 題名:2011年度第2回「大切なもの」【第二部】 名前:近藤祐太朗(22期) 投稿日:2011年11月21日 (月) 17時43分
何を大切に生きていますか、生きたいですか。
こんな問いは、今すぐに答えられるものでもないし、簡単でもありません。
三戸公『ドラッカー』の中でも挙げられている言葉に、
「人はパンのみにて生くるにあらず」があります。
考えなくてもいいし、私はここ何年かになるまで、考えてもなかったのですが、
人は、生きる意味を求めて生きていくものです。
今考えられることなんてしれているし、
人によっては理屈っぽいと思って嫌がられるかもしれませんが、
ふと道を歩いている時や、寝る前など、考えずにはいられなくなっています。
どんな風に生きたいか、何かぴったりはまる言葉がないかな、と考えました。
その中で、私は「善い」と「正しい」ではないかと思っています。
他にも、強いとか、美しいとか、優しいとか、いろいろイメージしてみましたが、
「善い」と「正しい」だと思っています。
善い生き方とは何か、正しい生き方とは何か、考えています。
また、「善い」と「正しい」のどちらが優先されるか、とも思います。
マトリックスにして考えると、
善くて正しい
善くないが正しい
正しくないが善い
良くなく正しくない
の4パターンがあります。
善いことと正しいことのどちらが優先なのか、まだわかっていません。
納得して生きていくために、何が善いのか、何が正しいのか、
読んだり、感じたり、考えていきたいと思います。
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【頂いたアドバイス】
○マトリックスにする意味
先生から、善いことは何となくわかるが、正しいことの中身がわからないから、
マトリックスにしても意味がないとご指摘をいただきました。
確かにその通りだと思って、やはりまずどんなことが正しいのか、とイメージして
考えていくようにしています。
○話し方について
下の第一部と全く同様です。
原稿を見ないようにもっと伝えたいことを詰めて臨まないといけませんでした。
話術レベルのご指摘を連続でいただいてしまい、恥ずかしいです。
○おまけ
正直、こんなことを話すのはどうなのかなと抵抗に感じていたのですが、
先生から「好感の持てる話ではあった」という意外な言葉をいただいて、嬉しく思いました。
[17] 題名:2011年度第2回「大切なもの」【第一部】 名前:近藤祐太朗(22期) 投稿日:2011年11月21日 (月) 17時18分
先日、「何を残して死にたいか」という話を、ゼミでしました。
その時は即興だったので、自分でも納得できるような答えは出せませんでした。
これについて考えていると、そういえば、気になっていたスピーチが3つありました。
1つ目は、タモリによる赤塚不二夫への弔辞です。
これは、3年ほど前、掲示板で、先生がゼミ生に見てみるように提案されているものでした。
私は、もちろんその当時はゼミ生ではなかったのですが、去年くらいに掲示板を最初から
読み返しているときに、この話題を見つけ、早速見たものでした。
なぜこの話が凄いのか。
まず、絶妙の語り口で、赤塚不二夫の作品を持ち上げていること。
赤塚不二夫はギャグ漫画に生きた人だからこそ、あらゆる出来事を前向きに肯定するのだと、
つまり「それでいいのだ」と。と言ったときは、話としての完成の高さに驚きました。
次に、あなたがいたからこそ、自分がここまで来られた、と感謝を伝えていること。
最後の一言「私もあなたの数多くの作品の中の一つです」
これを知ってからは、自分が親類の葬式に参加したこともあり、
弔辞をどのように読むのか、気にしていました。
2つ目は、忌野清志郎の葬式でした、甲本ヒロトの弔辞です。
清志郎にいたずらばかりされて、迷惑していたけど、それでも自分はあなたの影響を強く受けていた。
ロックの先輩として心から尊敬しているからこそ、その分の感謝が伝わる話になっていると感じました。
死んだときどうしてたか、と聞いたら、ステージ衣装のまま寝転がっていたっていうから、
今日は革ジャンできた、というところが、象徴的になっています。
これら2つは、タイプは違えど、亡くなった人と自分の関係を、エピソードを交えて
観衆に伝え、その人の人生により深い「意味付け」をしたものであるともいえます。
その人が残したもの、彼らで言えば作品。そして後輩・弟子である自分。
あと1つ、これは弔辞でもなく、ここ最近見たもので、3つ目。
スティーブ・ジョブズの、有名なスタンフォード大学の卒業式でのスピーチです。
母親が若い大学院生だったから早々と養子に出されたこと、退学を中退しながらも、
文字芸術の授業を受けたこと。それがなければ、マックのパソコンはなかった。
後から振り返れば、全てに意味があるのだと。意味を与えられるように生きていくべきなのだと。
ウィンドウズを痛烈に皮肉る節があって、その部分は好きでないのですが、
それでも、自分の生き方、学んだことを力強く伝えている点は、やはり凄いと思います。
仕事は人生の大きな部分を占めるものであり、真に満足を得る唯一の方法は、
自分の仕事を偉大な仕事であると信じることだと言っています。
彼は、世界中に巨大な影響を及ぼしている、マックのパソコンを残して死んだのです。
彼らの人生がどのようであったのかは、問題ではありません。
重要なのは、彼らがどのように考えて生きているのか、生きてきたのか、です。
「何を残して死にたいか」という問いは、
「何を大切にして生きたいか」と言い換えられると思います。
それが何であれ、何かを大切にして過ごすことが、人間として生きていく上で、
欠かせないことだとも思います。
自分というものを作っているものは、自分の周りの人やもの、環境であるならば、
それらを大切にすることが、人として生きることです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
【訂正】
○素材の選定について
5分の制限時間ぎりぎりになってしまい、後半をかなり駆け足で話してしまいました。
3つの素材を使うことより、1つに集中しても良いのではないかという意見をいただきました。
⇒3つ目のジョブズ氏の話はカットしても良かったと思っています。
○話し方について
自分が話そうとしてテーマが、あまり軽いものではなかったので、あまり身振り手振りを交えたり
抑揚をつけすぎたりはしない方が良いと思っていました。
ただ、原稿を読む、に近い形になってしまい、そのことは全員から指摘をいただいたので、
やはり相手に伝えるには、相手の方向を向いていないといけないと、改めて確認できました。
[16] 題名:2011年度第2回スピーチ大会「大切なもの」 【第二部】原稿 予約 名前:中村貴治(20期) 投稿日:2011年11月11日 (金) 17時30分
“日本語”って大切ですよね。
例えば、この筆箱も(用意した筆箱を手に取って示す)、「筆箱」という言葉があるからこそ、
「筆箱」と自分の頭で認識することができ、実際に筆箱として使うことができるのです。
言葉があるからこそ、対象そのものを認識できる。それが自分の世界を作っているのです。
三戸ゼミで「言葉」が重要とされるのも、そういった意味があると思います。
そういった意味では、日本語においては、先程の「敬語」や(【第一部】)、
もしくは「ざわざわ」、「がさがさ」といった多彩な擬音などが見逃せないものになりますね。
言葉が人それぞれの世界をつくるとしたら、日本人の強みとして挙げられている繊細さや、
礼儀正しさといった感性は、そういった日本語の特徴と無関係であるとは、思えません。
日本語が急激に崩れてきている、と言われてもはや久しいと思います。
“”第3の開国”と言われ始めている今だからこそ、日本人として守るべき「言葉」を、
もう一度しっかりと考える必要があるのではないでしょうか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
(推敲)
“日本語”って大切ですよね。
私は海外生活が長かったので、日本で暮らし、日本を知る度に改めて、
「日本語の良さ」を認識することが多くありました。
例えば、「ありがとう」という言葉があります。英語では、"Thank you"と言いますね。
日本語では、皆さんも見たことが有るでしょう、「有り難う」と書きます。
これは、世間や天、全体といったものに対する畏れを踏まえて、
"そうそう有ることではないのだ"と感謝の意を伝えているることを表わしています。
対象を相手に限定して、”Thank you”というよりも、私はこちらの方に、
「繊細さ」や「奥深さ」を感じてしまいます。
また、普段何気なく使い分けているでしょうが、
「私」と「ぼく」といった言葉も、日本語に特徴的です。
英語では、全て変わらず“I ”を使いますね。
例え話す相手が家族でも友達でも、先生でも大統領でも、同じことです。
でも、日本語は違います。「私」を使うのか、「ぼく」を使うのか。
どちらにするかで、自分と相手と、どのような距離感を掴もうとしているのかが、瞬時にわかる。
私は、「言葉のたった一つ」で、自分が相手とどのように付き合っていきたいのかが伝わり、
そこから相手との関係性を築きあげていくことができる、日本語の方に、力や、豊かさを感じます。
「英語」の重要性ばかりが訴えられ、その一方で日本語を崩して使ったり、
ぞんざいな扱いはしていないでしょうか。
もっと、自分達の使っている言語の魅力に気付き、大切にしていこうではありませんか!
――――――――
例をもっと増やしたい。
また、より相手の感性に訴えかけるような文をそれぞれ心がけたい。
【speech】
[15] 題名:2011年度第2回スピーチ大会「大切なもの」 【第一部】原稿 名前:中村貴治(20期) 投稿日:2011年11月11日 (金) 17時28分
「『敬語』は大切だ」
飲み会の席などに行ったとき、こんな言葉を聞いたことはないでしょうか。
「堅苦しい言葉は使わないで、タメ口でいいよ」
「いちいち敬語を使うのって、面倒くさいじゃん」
僕はこう言った言葉を聞くと、心の中で、いつも「うんざり」しています。
というのも、“敬語”を「誰に、どのように使うか」は、「自分が相手と“どのように”付き合っていきたいのか」、
その意思表示であり、その人のコミュケーションの感覚を表わすものだと考えているからです。
極端に言えば、同級生ですら「敬語」を使うのは、“アリ”だと、私は考えています。
“敬語”とはコミュニケーションにおいて、相手を尊重した上で、適切な距離感をつかむとても大切なものなのです。
(間)
三戸ゼミ生の皆さんなら多くの人は、ゼミ掲示板にどのような言葉で、
どのような言葉遣いで書きこもうか、些細な違いで考え込んでしまう、という経験があると思います。
その時に、特に問題になるのが敬語です。
私も三戸先生、そして太田さんや杉山さんなどOBの方々とやりとりをするとき、パソコンの前で
「この場合は『有難うございます』にしようか、それとも『どうも有難うございます』にしようか」…、
「『お願いします』にしようか、『お願い致します』にしようか」
…(間)そんなことを考えているうちに、数十分経っていた、ということはザラにあります。
未だに充分にできているとは思っていません。
周りから見たら「どっちでもいいじゃないか!」と突っ込みたくなるようなことなのかもしれません。
ですが、それはそれだけ考える価値のあるものです。
だって、「どのように敬語を使うか」こそが、その人が相手にどのように接したいかを表す最良の手段なのですから。
(間)
相手から敬語を使われると、
「自分から距離をとろうとしているな」と感じてしまう人も多いかもしれません。
でも、それは違います。
「鬼神(キシン)は敬してこれを遠ざく」
(※本番では、A3の用紙に文章を大きくプリントし、指し示しながら説明を行った)
『論語』に出てくる、孔子の言葉です。
「“鬼”や“神”といった人間の存在を超越したものは、尊敬の念をもって、遠ざけるものだ」という意味です。
そして、これはなんと【「敬」「遠」】の語源でもあるのです。
「敬遠」というと、「嫌っているから距離をおこう」としていると考える人も多いかもしれません。
しかし、敬語を使うのは、決して「嫌っているから距離を置こう」としているのではありません。
「相手を尊重している」からこそ、コミュニケーションの間合いを適切にとろうとしているのです。
それを忘れないで欲しいと思います。
(間)
2年前、2009年度3月の追い出し合宿、石井君という同級生が体調不良のため、
最後の合宿なのにやむをえず休んでしまったことがありました。
私はそのことがとても残念で、追い出し合宿中に彼に対して出来る限り心をこめたメールを送りました。
もちろん、使っていたのは「敬語」です。
送った後で彼から、「感動したよ。どもう有難う」と直接電話をもらえた時のことは、今でも忘れられません。
(間)敬語を使うからといって、相手と距離を感じてしまうということでは、無いのです。
むしろ、適切な距離感さえ掴むことさえできれば、より心に残るコミュニケーションを生み出すことができるのです。
(間)
掲示板に書き込もうとして、一言一言に「この敬語の使い方でいいんだろうか。」、
「相手は気を悪くしないだろうか。」凄く時間を使って考える。
でも、ふとした時に「俺何やってんだろ…」と考えてしまう。
別にいいんです!そんなことは。その考えは”邪念”です。どんどん考えてください。
言葉遣い、敬語をどのように使うかということこそが、
自分と相手、どのように距離を取るのが適切なのか、
自分のコミュニケーションの感度を高める、まさに最高の手段なのですから。
【speech】
[14] 題名:第二回スピーチ大会原稿(訂正前) 名前:市川宗近(23期) 投稿日:2011年11月11日 (金) 14時37分
大学生になってから、一人暮らしを始めた方が多いのではないでしょうか?
一人暮らしを始めてみて感じるのが、実家のありがたさ。
たとえば、
夜バイトから帰ってきて、晩御飯を作るのなんてめんどうくさくて
外食ですましてしまう。
自分の部屋の掃除は実家でもしていたけれど、
トイレやお風呂の掃除はしてなかったから、掃除がおろそかになって
まっている。
そういう経験はありませんか?
そんな家事のなかで、大変で、時間もかかって、すぐにたまって
しまうものといえば、洗濯ものだと思います。
洗濯ものというのは、結構厄介なんですよね。
明日洗濯するぞ!と思っても、次の日雨が降ったり、
晴れの日には、なかなか洗濯する時間がとれなかったり、
と、そうこうしているうちに着るものがなくなってしまって…
だからと言って、部屋干しすると、生乾きになってしまい、いやなにおいがしますよね。
しかも、洗濯ものを部屋干しすると、だいたい一回あたりバケツ一杯分の水を
部屋にばらまいているのと同じらしいです。
そんなことやっていると、当然部屋がジメーっとしてしまい、
カビっぽくなってしまいますよね。
私もそんな悩みをもった一人でした。
洗濯はいつも部屋干ししていたのですが、部屋がだんだんじめじめしてきて、
家に帰ると、扉を開けた時に、ムワーとした空気がくるんですね。
これは気持ち悪いと思ったので、たんす用の湿気とりを買って部屋に置いたのですが、
3か月もつやつがなんと、3日で終わってしまいました。
そんな時に出会ったのが、除湿機です。
湿った空気を吸い込んで、水分を吸収し、乾いた空気にして出してくれるのですが、
こいつがすごいのです。
使った初日から、じめじめしていた部屋が、カラッとさわやかな感じになりました。
本当に気持ち良かったのを覚えています。
しかも、こいつを使えば、部屋干しの洗濯ものも、普通に干すより早く乾かせます。
また、完全に乾かすことができるため、生乾きの臭いもありません。
とれた水も目でみることができるので楽しいです。
1時間使っても、3円くらいなので、経済的です。
でも、これからの時期は、むしろ加湿・加湿・加湿と加湿が騒がれる時期であると思います。
しかし、除湿機は小さいので、黙って誰の邪魔にもならず冬をこすことができます!
本体も、小さく場所もとりません。
洗濯するのに、時間を選ばず、そして、なにより早く完全に乾かせるなんて
一人暮らしの大学生にとって、こんな便利なものはないと思います。
私は、こいつを手放すことはできません。
【daini】
[13] 題名:第2回スピーチ大会【第二部】原稿 名前:衛藤雄介(23期) 投稿日:2011年11月09日 (水) 00時39分
私にとって“これ”は、例えるならバスケットシューズです。
バスケットボールをするとき、バスケットシューズを履かないと、すべって足の裏の皮がめくれて非常に危険です。
私にとって“これ”は、例えるなら野球のグローブです。
野球をするとき、グローブをつけないとボールをキャッチするとき突き指などとても危ないです。
自分はお酒が大好きなので、飲み会に行くとき“これ”を携帯していかないととても危険です。
先日、松井と高橋君と三人で飲んだ時、“これ”を持っておらず大変なことになりました。2人の今日の欠席は、自分のせいなのではないかと少し反省しております。
なのでみなさん、飲み会には必ず“これ”を持っていくようにしましょう。
そして私が忘れたときには、“これ”を貸してください。
私の大切なものは(“これ”を出す)…胃薬です!
[12] 題名:第2回スピーチ大会【第一部】原稿 名前:衛藤雄介(23期) 投稿日:2011年11月09日 (水) 00時34分
この横浜国立大学では、実に約6割以上の学生が一人暮らしをしています。
三戸ゼミの中でも一人暮らしの割合は非常に高く、私もその一人です。
彼らにアンケートをとってみると、一人暮らしをしていてとても苦労することナンバー1は病気の時です。
一人暮らしなので看病してくれる人もおらず、苦しい体で家事をしなくてはなりません。
特に風邪。少しの気温の変化や雨などで風邪をすぐひいてしまう経験は皆さんもあると思います。
では、どうすればよいのか?それは、事前に防ぐことです。マスク・手洗い・うがいは基本ですが、もっと根本的な問題として、体の免疫力を高めることが重要です。
免疫力を高めるには?自分は最も簡単な方法として、(野菜ジュースを取り出す)野菜ジュースを飲むこと進めます。これが、自分の考える一人暮らしに大切な物です。
(間)
なぜ野菜ジュースなのか?一人暮らしの学生は、自炊をできる学生が少なく、野菜・果物を採る機会が少ないため、ビタミン等を得るためにを頼れる物はサプリメントか野菜ジュースに限られます。
サプリメントは最近はコンビニに置いてある場合もありますが少なく、価格は比較的高め、しかも多くの場合は特定の栄養素しか摂取できません。
一方、野菜ジュースはほとんどのコンビニで多くの種類が発売され、他のジュースとほぼ同じ値段で、多くの栄養がとれます。
風邪予防の面からみても、実際自分は野菜ジュースを飲まない場合、一週間で風邪をひく自信があります。逆に飲んでいると、秋に窓を全開にしていてもまず風邪はひきません。
(他にも、ジュースにしてあることから飲みやすく、味も最近では飲みやすいものも多く販売されているため、学生でも抵抗なく飲むことが出来ます。)(←当日は忘れてカットしてしまいました)
よって、手軽さと飲みやすさから、野菜を採らない学生でも飲むことができ、それによって免疫力を高め、風邪を予防することから、一人暮らしを快適にすることができるので、自分はこの野菜ジュースが大切な物であると思います。これ、お勧めです!