| [19] 015:ニューロン その2 |
- 幸村透子 - 2003年03月01日 (土) 19時14分
図書館の空気は子どもの頃を思い出させる。 本の背表紙を眺めながら、八戒は書物に没頭していた記憶の自分の姿に苦笑した。 (…そういえば、最近あまり読んでませんね) 棚に走らせる視線が、自然と自分の興味を満たす本を探す。 もともと興味の対象が散文的で、分野を問わず気に入ればどんな本でも読む。 妙な事を知っていたり、変に博識だったりするのはそのせいでもあるのだが。 「何かがない」という奇妙な喪失感を埋めるのに読書が最適だったというだけのこと。
ふと、一冊の本に目が止まる。 『Neuroscience Research』 (そういえば、一時期脳科学や神経医学の本を読んでいましたね……) 花喃と逢う少し前、そしてその少し後。 今考えると、自分の気持ちに裏づけが欲しかったのか。 理屈で読む本を選んでいたわけではないと思うが、自分の行動を自分自身で勘ぐってしまう。 (随分ヒネくれていますねぇ。僕って) そっと本を手に取る。 捲ると、より濃くなった図書館独特の匂いが、する。 「随分インテリな本だな。横文字か」 「……三蔵」 声をかけられるまで気がつかなかった。 「人が何を思い行動するかも、物理的法則として考えられるようになったか」 それは本の内容に対しての言葉だった。 解ってはいるが気がつくと口に出していた。 「僕が貴方に惹かれたのも、ただの物理的作用として考える事もできますよね」 何気なさを装ってはいたが、三蔵は含むものがあるように感じた。 「何が言いたいんだ。はっきりしろ」 「いえ、別に…。ただ僕は、僕の勘違いを貴方に押し付けているのではないかと、時々思うんです。貴方は本当は嫌なのに。僕の脳はどこかおかしくて、それで…」 多くの人を殺し、そして死ぬ筈だったのに生きていて。 三蔵の、陽の光のような存在感に惹かれた。 その上、惹かれた相手を自分の元へ引き寄せずにはいられなくて。 でも三蔵は、拒絶こそしないが自分をどう思っているのだろう? 他人の心は書籍のように読むことができない。相手を理解する事も、所詮は自分が得た情報の中で推測しているに過ぎない。 拒絶されない事で満足しようと思っても、時々こうして不安が先走るのだ。 「脳だとか神経構造だとか、そういったものは寺の管轄にないな。基本的に学問の管轄だろ。そういった仕組みが解明されれば良い事だってあるんだろうがな。人の好き嫌いもそのせいにできるし」 淡々と話す様子に、八戒は自分の内側が冷えていくのを感じる。 その深い紫色の瞳を見ていられなくなり、思わず眼を逸らした。 三蔵はその様子に、言葉を続けた方が良いと判断する。このままでは勘違いされそうだ。 「でも良い事ばかりか? 必ず例外はあるだろ。何だかんだ言ったって、自分の意志で動くものが全て同じであるわけがない。薬の効きだって個人差があるだろうが。人の精神が科学的に証明されたって、そんなもんを自分の行動に当てはめてどうすんだ。ナントカが分泌されたとか意識して、てめぇはこうすんのかよ?」 一撃離脱のような色気もへったくれもない口付け。 八戒は驚いて本を落としそうになった。床にぶつかる寸前に、何とか抱え込む。 敷物に膝をついて見上げた三蔵は、窓から差し込む西日を背にしているのでどういう表情をしているのかが解らない。が、八戒には解る気がした。 「何笑ってんだよ。それに下からじろじろ見てんじゃねぇ」 「いえ…何だか嬉しくて」 立ち上がった視線の先には、やっぱり不機嫌そうな表情。 でもどこか柔らかくて。 「はぁ? バカかてめぇは」 「バカかもしれませんねぇ」 こんな些細な事で嬉しくなるのだから。 (我ながら現金ですよね。カードで旅費を決済しているのに、キャッシュですか) 思考が飛躍した結果の、埒もない自分の思いつきに、八戒は暫く笑いが止まらなかった。
宿に戻ると、悟空と悟浄も既に戻っていた。 悟空はベッドに寝そべり、悟浄はさほど興味もなさそうに部屋にあった雑誌を捲っている。 「何してたんだよ…こちとら猿の保護はもうごめんだぜ?」 煙草の吸殻が山積みになった灰皿に、更に吸殻を乗せて悟浄は椅子から立ち上がった。 「どこ行くんですか?」 「ヤローとこれ以上一緒にいられるかよ。折角でかい街なんだし、今夜くらいはキレイなねーちゃんとご一緒したいっつーの」 「さっきナンパに失敗してたくせに〜」 「あれはてめぇが横から出てくるからだろーが!」 「俺のせいかよ!」 「当たり前じゃねぇか!」 「何だと!」 際限無い言い合いに、終止符を打ったのはハリセンだった。 「お前らいい加減にしろぉ!」
彼らの脳神経には、「過去に学ぶ」という要素が欠落しているのかもしれない……?
…終

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