| [49] 081:ハイヒール |
- 綺兎里 - 2003年07月20日 (日) 21時12分
「ほら、これなんかグッとクんだろ?」 「何がクんの? なんでこのねーちゃん、靴だけ履いてんだよ」 「はぁっ!? これだからガキはヤなんだよ! 上は裸なのに下は黒の網タイツと赤いハイヒール。そのアンバランスがいいんじゃねえかよ」 「ガキって言うなよなっ! …でも、そんなモンなのか?」 「そんなモンだって。それにこの、黒レースのガーターベルト。これがもう最高でショ」 「さいこーかあ。なんかそー言われっとそんな気がしてきた」 「だろ? 大体いくら寺にいたからって、お前このままじゃ18の男として間違ってるぜ?」 「間違ってるって言われてもさ。俺さんぞーにナンも教えてもらってねえし」 「あー、アイツはダメ。……しゃーねーな。ここはこの悟浄サマが一肌脱ぐしかねーか」 「ホントかっ!?」 「ああ、任せとけって!」
「そりゃ、ご苦労なこったな」 四人部屋の隅のソファの陰で何やらごそごそ話し込んでいるから、後ろからそう声を掛けたら。
「ギャーーー!!!」 一瞬凍りつき、次の瞬間つんざくような叫び声を上げて、悟浄は後も見ずに部屋を飛び出して行った。 動転のあまり足元が疎かになった相方に踏み潰されて逃げ遅れた悟空が、それでも這うようにしてその後に続く。 妙な格好で一刻も早く部屋を出ようとする悟空を、入れ替わりに部屋に入って来た八戒が怪訝そうな顔で見送った。
「どうしたんです?」 「俺が知るかよ」 四つん這いの悟空の背中を見つめていた視線を、そのままこちらに向けてくるから。 俺は袂の煙草を探りながら、そう応えた。 俺の応えに八戒は小さく首を竦め、ソファの裏側を覗き込む。 「…おやおや、こんなもの見てたんですか。これじゃ逃げ出すのも無理ないかもしれませんねえ」 そしてそう言ってくすくす笑いながら八戒が床から拾い上げた雑誌には、半裸の女の写真が何枚か飾られていた。 「なんでだ。別に逃げることはねえだろうが」 煙草に火をつけながら、そう俺が言うと。
澄んだ緑碧の瞳が、丸く見開かれた。
「何だ」 そう訊いてやれば。 「いえ、その。……三蔵はこういうのご覧になるの好きじゃないのかと思ってたもんですから」 八戒はらしくもなく口篭もりながら、そんなとんでもないことを言った。 「なんで俺が見なくちゃなんねえんだ。俺は、サルが見るのは構わねえだろうと言ったんだよ」 だから相手の言葉をそんなふうに修正してやると、八戒はもう一度目を見開く。 「今度はなんだ」 少しばかり苛々しながらそう尋ねると。 「えーと、その。悟空に見せるのもイヤなのかなあと……」 要領を得ないことばかり言うから。 「あいつもいつまでもこのままってワケにもいかねえだろうが。俺はこんなだから役に立たねえし」 珍しく物分りの悪い相手にうんざりしながらそれでも丁寧に応えてやっていると、八戒は何を思ったのか、抱えていた荷物を脇のテーブルに置いてゆっくりと近づいてきた。 「だから河童が…」 「そんなにご自分を責めることはないですよ? 貴方は今のままでいてくださればいいんです」 そして人の話の腰を折って、優しげな声を出す。 こいつ、何を言ってんだ? そう思っていると肩を抱いてくる腕に、やっと相手の言っているコトが飲み込めて。 俺は、剥き出しになっていた肩に触れかかる指先を叩き落した。 「痛いなあ。何するんですか」 「そりゃこっちの台詞だっ。俺は、俺は坊主だから女には縁なしだっつってんだよっ」 のんびりとした口調に余計に苛立たされてそう吐き捨てると、八戒は妙に納得した様子で、ああそうですかとにっこり笑った。
「いやあ、僕はてっきり……」 「てっきり、なんだ」 「…いえ、なんでもないです」 相手の言葉を遮った声が、無意識の内に低くなっていたらしく。 八戒は、言いかけたコトを途中で引っ込めた。 そして小首を傾げ、少しの間何事か考えるようにする。 「…八戒?」 沈黙が何故か気詰まりで、そう声を掛けると。 「でも、初めての指南役が悟浄と言うのも、ちょっと問題ありますね」 八戒はそう言ってからひとり納得したように頷いて、またにっこりと笑った。 「こういうことは最初が肝心ですからね。悟空が歪んだ性癖を持ったら大変です。ここはやっぱり僕が教えた方が。ええ、その方がずっといいです」 八戒はそんなコトを言って、また微笑んだ。 その、いっそ清々しい笑顔を見ていたら何故か、 「それもちょっと問題があるんじゃねえのか」 とは、言えなかった。
「三蔵だって、その方がいいでしょう?」 「俺は別にどっちでも…」 「その方がいいですよねえ?」 人の話を聞いていないから。 俺はすっかり面倒になって、曖昧に小さく頷いてみせた。 すると八戒はもう一度笑って、 「悟浄には、僕からよく言っておきます」 誰にともなくそう宣言した。
言う? 言うっていったい何を言うんだ? そう思ったが、なんとなく訊かない方がいい気がして。 俺は八戒から目を逸らして、指先に挟んだままだった煙草を唇に持っていった。 そしてゆっくりとライターの火を移し、八戒が足取りも軽く部屋を横切り潜ったドアを閉じるまで。
面白くもない床の節穴を見つめながら、じっと動かずにいた。

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