[598]yen
Re:未だ日本に馴染めません;
私も似たような経験をしています。 私は、2年弱カナダに住んで、最近日本に帰って来ましたが、生活のあらゆる場面で場の空気を読めという暗黙のプレッシャーを感じ、かなり息苦しいです。 そういった息が詰まるような社会風土から少し距離を置いてみたいというのも、外国に滞在を決めた理由の1つでしたが、帰国後はより鮮明に、老若男女問わず日本人がいかに個人的主張を殺し、自分の属する共同体や組織(友達や学校のグループから会社の同僚、近隣住人、国家に至るまで)からドロップアウトするのを恐れているか、が見えてくるようになりました。 日本人論についての色々な文献が指摘している通り、それだけこの国では長い間、”共同体”というものが個人の生命力を押さえつけ、生き延びてきたかということだと思います。 例えば、”姥捨て山”にみられる、子供が年老いた親を山に捨てる農村のしきたりや、不祥事を起こした当人やその組織の代表がカメラの前で”世間”に対し頭を下げる習慣、オリンピックでメダルを取れなかったことをカメラを通し視聴者に謝るアスリート、過労死するまで働くサラリーマン、世間様、他人様、滅私奉公、沈黙は金、長いものには巻かれろ、等の表現、は日本的です。 私は、アメリカ流のコミュニケーション方のすべてが善だとは思いませんが、日本ののKY、空気を読む、という言葉は大嫌いです。 日本では歴史的に非常に長い期間、沈黙は金で、空気を読んで世間様、他人様に滅私奉公すれば無難で得るものが大きかったのですが、現代社会ではその風潮が実体のない亡霊のように残り、現状にフィットしていませんし機能しなくなって、多くの人(特に子供や若い世代)が生き難さに違和感を感じ始めているちょうど過渡期だと思います。 このようなことを言うと必ず、皆が空気を読まずに自己主張すると社会に混乱が起こる、と言うひとがいますが、”空気を読む”のと、”他人を思いやる””チームワークを大事にする”のは違いますし、”自己主張”と”自分勝手な言動を取る”のはまったく異質だと思います。 これから確実に、空気を読んでいれば安泰という全体主義の時代は終わりに向かい、個人主義(個人がすき勝手やるという意味ではもちろんなく)になっていくわけですから、私は、空気を読めと言われたら、もともとそんなことをするのは疲れて嫌いだし、そんなことをしても誰のためにもならないし、そんなことまで属していたい集団はないので、フェアな主張はきちんとします。
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2009年04月02日 (木) 03時47分
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