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おる窓であなたが感動したセリフをどうぞ、伝えて下さい。

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[1] 暗い第三部の救いのセリフでした
すま - 2003年10月27日 (月) 14時52分

「愛したのか、この金髪のエウリディケを。愛したから、二人で逃げろと。そんなにも深い心で」

[2]
北沢泉 - 2003年10月27日 (月) 23時32分

ああ、そうですね〜なんか無理矢理に、アレクにレオニードが愛していたと気がつかせるシーンですが。
その後のユスーポフ候の行動に繋がらないですよねぇ。
すまさん、でも、私もこのセリフ好きです。
やっとユリウスがお話の軸として存在価値が許されたセリフと思います。
アレクはあの手紙が謀略と分かって絶命してますが、その主がユスーポフ侯爵と判ったのでしょうか?それならば、「愛していたのにお前はユリウスをこんな目にあわせるのか?」ときっと呟いたと思いますね。
有難うございます。
書き込みがあって嬉しいです。

[3]
北沢泉 - 2003年10月27日 (月) 23時48分

でも、どうせなら、二人が激しくユリウスを奪い合うような設定も見たかったですね。
あれほどの財力権力ある男が、7年間恋心に気がつかないとか、
皇帝の隠し財産の相続人を保護してるのに、ヴェーラから「たまには御自分で相手をしたら?」みたいな事を言われるようなほったらかしかたってそれはないでしょう。^^;
そこにはなんのロマンもない。
それがロストフスキーに殺害を躊躇させるような『深い思い』って読者に納得させられるようなエッセンスを感じません。

もうこのあたり、登場人物の動き、セリフは支離滅裂です。
^^;

[7] 続きです。
北沢泉 - 2003年10月29日 (水) 23時36分

もう噴出した疑惑で少しヒートアップしています。

私はユスーポフ侯爵があそこまで二人の運命に加担するようになったか、というのを考えたかったんですがまとまない。
<<窓>>で出会った人物ではないんですよね。
少なくとも、オルフェウスの窓では端役のはず。
やはり、作者の心情変化で愛に生きる乙女の人生よりは国事に己のかけるユスーポフ侯爵の方に、気持が傾いたか、と思うのです。人物のカキコみの深さから言っても、やはり、ユスーポフ侯爵が一番作者の心の中で存在が大きかったかな、と思います。
模写するにしても、第三部のユリウスとアレクの粗雑な書き込みはそのまま、三部物語りの人物のウェイトを現していると思えます。アレク絶命の大切なシーンでさえ、ユリウスの顔はひどいですもの。

[8]
北沢泉 - 2003年10月29日 (水) 23時48分

私は多分・・・

いかにユリウスが惨めな境遇になるかという舞台設定の凄さに震撼としたんだと思います。
あのユスーポフ侯爵の「許してくれユリウス・・・」のセリフ。
愛してくれたと自覚していた人物からさえ、不幸のどん底に落ちる謀略にかけられる_

_______
すまさん、私はね、たとえば、ユリウスが他の皇帝派軍人の罠に落ちて、とかケレンスキーに捕まって、それこそ、アレクの囮にされている処を救い出そうとするが間に合わずとか、他には、ユスーポフ候がユリウスをドイツに送りだす為に、犠牲となって銃弾に倒れるとか、そんなシーンでも良かったんですよ。
私のような素人でさえ、読む人間に救いを与えるような設定を思い付くんですね。
_____
ですが、そうはならなかった_
何故か?
_____
やはりそれは_ユリウスに価値がないという設定だったからでしょう。
ユリウスを思い、ユリウスの為にミハイロフ家から救出した_
だから利用されても仕方ない_
歴史の歯車には独りの少女の愛など踏みにじられてしまう_
そんなニヒリズムを読者に与えようとなさったのでは_
と思うのです。
_______

そう、とっくに惨殺されてたのだから、少しくらい利用されても仕方ないのよ_
男なんて建て前と面子で女は頼りにしてはいけないのよ。
ユリウスより軍人の面子の方が大事だから、さっさとユリウスを残して自決するのよ_

そんな囁きが聞こえてきそう_

だから、あの三部が_コンビニ本になるのが辛いんですよ_
<ああもう、支離滅裂>( ̄ヘ ̄;)

[10]
すま - 2003年10月30日 (木) 21時55分

 第三部では作者の重点がユスーポフ候にあるっていうのは、私もそう思います。作者の思い入れを、この人物に関しては確かに感じます。それに比べるとユリウスとアレクセイはもうおざなりの付けたしみたい・・・(しょんぼり)。
 個人の愛や感情が政治や歴史の流れに押しつぶされていくというのは、ストーリーとしては歴史物ならまあ普通かなーと思うんですけど、問題はその描き方。たとえばベルばらでも全く別の視点から描けば悲惨な話になると思います。今までチヤホヤもてはやされていた宮廷では裏切り者・馬鹿者と嘲笑され、本人は戦死、家族も肩身の狭い思いをしてどこかへ逃げるしかない、というような。体制はバスティーユで一気に変わったわけじゃなく、まだしばらく王政はいちおう存続するんですから。オスカルの死は揺るがぬ愛と信念の立場から描かれているから感動的で、悲劇でも救いがあります。でもユリウスは・・・(しょんぼり)。

[11]
北沢泉 - 2003年10月30日 (木) 23時48分

うわ・・・凄い。私が当初考えてた以上のスレッドになりそうです。書き込み者によって、大樹にも枯れ木にもなるスレッド・・・まじまじ、そう実感しました。

すまさんの<しょんぼり>可愛いですね。可愛くて知性があるって貴重ですよ。うん。

>たとえばベルばらでも全く別の視点から描けば悲惨な話になると思います。
うん、『エロイカ』でアランは落ちぶれた生活してましたし、最後はあっと驚く犬死にでしたねぇ。
あれは私的には蛇足というか、アランもおっさんくさくて、鋭利な色気がなくて、がっくりしました。
オスカル様はもう最後の方で血を吐かれてましたから、命がなかった、というのは判るんですが、生き残ってエロイカに登場してたら、あんな風な下世話なキャラになってたのか、と思うと寒々しますねぇ。
・・・・
おる窓三部はベルバラをしのぐ、名作でありえた。
ユリウスも革命と宿命に翻弄されながら、愛を信じて生き抜く人間讃歌の物語りのヒロインになっていてもよかった。
それが出来たかも知れないはずだった・・・

ベルバラとおる窓を繋いで考え、おる窓三部で構築されたニヒリズムの視点でベルバラを考える_

これは私の今までの視野に入っていませんでした。
サイドを書くだけじゃ、癒しになりえない。
私に夢と希望を与えてくれた、ベルバラをもって、分析考察するという、概念は欠けてました。
これ、びっくりです。

余談ですが_オスカル様が生き残ってたら、今度は生活の算段も考えなくてはならず、オスカル様は美貌と博学博識の才があるから、なんとかなっても、アンドレは・・・さぞかし、惨めな境遇になっていたでしょうね。オスカル様に、養ってもらうしかない。ああー見たく無いや。そんなの。(T-T*)

また書き込みますね。落ち着かせながら書いています。

[12]
すま - 2003年10月31日 (金) 10時04分

 可愛くて知性がある。そんなこと生まれて初めて言われました・・・・(温)。
 ところできたざわさま、ベルばら外伝(黒衣の伯爵夫人じゃないですよ、ずっと後になって描かれたルルーが主人公のやつ)は読まれました? 私は気絶しましたよ・・・・(涙)
 話が逸れましたが、オル窓第三部以降の池田先生の作品ははっきり作風が変わっています。もう愛と理想を美しく歌いあげる感じじゃないし、理想やポリシーを語る場面はあるんですけどなんか説教くさい。池田作品にもともとある独特の「くささ」は、ベルばらあたりまでだと私は割りと好きなんですが、それがオル窓第三部以降になると、艶を失ってただ説教くさく年寄りくさくなっていくんです。アランにしても、仰るとおり色気が無いんですね。オル窓第三部第四部も、何が悲しいって、艶が、色気が無いんです。特に肝心のユリウスとアレクセイが。第一部ではあんなにあったのに・・・。
 で、話がまた大きく戻りますが、この「愛したのか、・・・」というセリフは、私にはなんとなく第一部の輝きを残したものに思えるんです。第三部ではホント数少ない。

[13]
北沢泉 - 2003年11月01日 (土) 21時39分

いんや〜ここのスレッド読んでいる方はもう、すまさんに一目も二目も置いて読んでおられると思いますよ〜。
ねえ?みなさん?

そして、きちんと分析されてなおかつ自己の視点での主張があり、それは、自己本意ではなく、読み手に穏やかに訴える、ウィットもあり、よびかけもあり、怒りもあり_
優しさもありで・・・<しよんぼり>はそななかの謙遜と照れがあって可愛いですよ。うん。

>オスカルの死は揺るがぬ愛と信念の立場から描かれているから>感動的で、悲劇でも救いがあります。でもユリウスは・・・>>(しょんぼり)。

ほんまにね〜ロシア行きの決意をあそこまで貶めなくても・・・
作者自身がユリウスのロシア渡航を否定した第三部。
一部のユリちゃんの決意に感動し、崇拝した私らはどうなるねん。<悲>
作者が<愛>への投身行為を否定するにしろ、男性への幻滅と不信を形にするにしろ、なんで、それが男性への愚かな描き方として出ずに、ユリウスを閉じ込め、活躍を封じ、周囲の不幸は全部ユリウスがための厄病神あつかい。
彼女の流産さえ、彼女の行動の迂闊さ_
悪者をこさえてくれない_
なにも勧善懲悪としてレオニードやロストフスキーを描いてくれ!と単純なものでなくて_そこに読者の救いを入れて欲しかった_オルフェウスの窓はユリウスがヒロインであり、ユリウスがアレクを追っていったからこそ、の幕開いた第三部だったからです。
ユリウスを愚かな狂言廻しにしてどーする。



[14]
北沢泉 - 2003年11月01日 (土) 22時44分

ううむ。作者の視点が何故ユリウスを貶めるような形で出たかというのが謎なんですがね。<男性キャラではなく、ユリウスへ集中したかという事です>

____________________________

>この「愛したのか、・・・」というセリフは、私にはなんとな>く第一部の輝きを残したものに思えるんです。第三部ではホン>ト数少ない。


なるほど、艶と色気が失われていたユリウスとアレク。
不思議にレオニードにはあったような気がしますね。
やはり作者の愛情からだったんでしょうか・・・<謎>

そうですね、すまさんのおっしゃるように、第1部信望者リアルとしてみる三部ではこのセリフが、一部の輝きを残したものであった、と・・・

少女漫画としての<魅せる言葉>が時々蘇って・・・
エンターテイメントとしての自覚を思い出した作者の見せ場だったのでしょうか・・・

これもしかしたらすまさんが不快に思われそうだから削除するかも・・・


[15]
すま - 2003年11月02日 (日) 01時05分

きたざわさま
 いえいえ不快どころか、あーやっぱりそういう見方になるよねーと思います。作者の「少女漫画家」としてのツボは、意識的か無意識かは分かりませんが、第三部でもちらほらっとは出ているんですよね。頼むからもっと出してぇー!・・という心の叫びはかなえられず、どんどん少なくなっていきますが・・・・。
 第三部ではユリウスが「狂言回し」(!!!)・・・はー、これほんとに仰るとおりですね。だから記憶喪失にしたほうが都合がよかったのかしら。リアル読者としてのあのジタバタ・イライラ感は、なんか実質的にユリウスが”主役を降ろされた”ことによるものだったような気がします。そう悟ると悔しいけれどある意味すっきり。
 この前きたざわさまが指摘されていた通り、ほんとこの頃作者はもうユリウスが嫌いだったというか、少なくとも作者自身が共感し大切に扱うヒロインではなくなっていたんですね。ベルバラで言うならせいぜいロザリーレベルでしょうか、いやーもっと扱いが悪いですね・・・。前にBBSのほうに書きましたけど、池田先生のレディスコミック作品のなかには、女の愚かさ・惨めさをやたら剥き出しにしたようなヒロインが出てきますが、あれに近い気がします。少女漫画読者としては、もぉ〜〜たまりまへんでした。

[16]
北沢泉 - 2003年11月02日 (日) 01時31分

有難うすまさん。

______
前にBBSのほうに書きましたけど、池田先生のレディスコミック作品のなかには、女の愚かさ・惨めさをやたら剥き出しにしたようなヒロインが出てきますが、あれに近い気がします。少女漫画読者としては、もぉ〜〜たまりまへんでした。
_______

ここですね。ここ。ここなんです。

私がユリウスファンサイトの総論というか、基調にしたい言葉ですよ!!

長々と私がメールを出し、サイドを書き、イラスト描き、お茶会を開いて、答えを求めていたのは_

ここを総論として、談話室に収納させてほしいんです。

_____
なんか実質的にユリウスが”主役を降ろされた”ことによるものだったような気がします。そう悟ると悔しいけれどある意味すっきり。

____
ふ・・・・

そうなのね・・・そういう事よね。
<壁にもたれかかるポーズ>

前にね、すまさん、他ジャンルのお茶会に出た時、私のサイド読んだ方が『ユリウスは主人公ではなかった、あなたは原作の規範からはずれてる』と説教されて血の気がひくほど悔しかったの覚えています。
この苦しみ、悔しさはリアル読者でないと判らないでしょう。

また日記も転記しますね。読んでね。


[18]
北沢泉 - 2003年11月04日 (火) 08時52分

ユリウスが主役から降ろされたのなら都合よく<窓の伝説>を最後にユリウスにかぶせるな、押し付けるな!

といいたかったのね・・・私は・・・<しょんぼり×100>

ユリウス最大の悲劇は、作者から愛されなくなっていたヒロインであった事。

そういう事なのね。

後のレデコミの走りのペーソスをユリウスに仕込んで、リアル読者を苦しめた功罪は大きいと思います。
なんで作者のプライベートの心情変化の痛みを読者がかぶらないといけないんですか!

エンターテイメントであるべきなんです。
娯楽。

少女漫画は。

[19]
すま - 2003年11月04日 (火) 11時50分

きたざわさま
 中央公論社から出てる「愛蔵版」の池田理代子さんの「まえがき」を今読み返したのですが、なかなか重いです。
 オル窓連載の7年間は、池田理代子さんが27歳から33歳までのときで(たぶん)、「人生における殊に愛のドラマの起伏」があったようです。そして「少しずつ、愛や人生に対する考え方に変化が生じ」、作者自身がこの作品を読み返しても、「随所にそういった生々しい変化の痕跡をうかがうことができる」と書いておられます。どういうとこかなぁ・・・と考えながら、コンビニで第三部を買いなおすことになりそうです。実は私もきたざわさまと同じで、第三部以降は一度捨ててます。愛蔵版も1・2巻だけ。
 「まえがき」の最後は、この作品は自分が書いた最後の”少女漫画”であると結んでおられました。うーん、第三部以降はおよそ”少女漫画”じゃないと思いますけどね・・・。 

[20]
すま - 2003年11月04日 (火) 21時23分

さっきコンビニで買ってきた第三部を読み始めました。もう、出番の少なさからして、ユリウスは主役を外れている感じです。あー、こんなに露骨でしたっけ。昔よりハッキリ感じます。もう恋愛じゃなくてロシア革命のタタカイがメインなんですね。これなら連載も、第一部とは違うお話と思って読めばよかったなーとしみじみ。そのときはそんなこと分かりませんが・・・。
それからきたざわさま、私はサイドストーリーは好きなほうで、どういう内容のものでも別に抵抗はありません(きたざわさまのサイドは、私は好きです)。たまたま自分の好みじゃないものでも、ああこの人は原作のこういうとこが好きでこういう風に取り出して書いてみたかったんだなーというのが分かって面白いです。原作に惹かれるものがなかったら誰もサイドなんか書かないだろうと思います。そしてサイドストーリーというのは多かれ少なかれ原作からはみ出した空想(妄想?!♪)が形になったものだと思うので、き、きはん・・・???(←たぶん私、議題を理解していないと思いますが・・・)


[21] 有難う・・・すまさん、あの時あなたと話せていたら・・・
北沢泉 - 2003年11月04日 (火) 22時12分

と、思うですよ・・・
次々とリアルを離脱する仲間、ユリウスを嘲笑され、レオ様は『あんな変な人、いる訳無いじゃん、偏執狂?』と一笑され、でも掲載誌には美辞麗句が乗り、でも、おる窓はあきらかに、巻末に退き、一部のユリウスの再会を熱く待ちわびていた私にはまるで悪夢としか言い様のない、展開・・・

あの時の苦しい思い、現実にうなされたユリちゃんの流産シーン。読者の期待する展開を先読みして、いかにそうならないようにするか、創作してたのではないか、という疑惑・・・
べるばらリアルで育った私に作者を否定すると言う事は、まるで・・・キリシタンの宗旨変更を強制させられるような苦しみ_
呪いたいくらいの悲憤_

途中でリアル離脱するには私も、すまさんもあまりに、あまりに、おる窓を愛してしまっていたのでしょう_
それは、私が男性や人間または芸術品を愛するとかまた違う次元の、でも麗しく、怖れ多く、崇高な、かけがえのない世界だったんですよね。
私は確かに、第1部のロシア渡航を決意し、アネロッテを確信を持って殺害したユリウスを_愛したのでした。
誰よりも誰よりも、熱く強く_
私の初恋はユリウス_
2次元の世界に飛び込んで、幸せにしてやりたかった_



>さっきコンビニで買ってきた第三部を読み始めました。もう、出番の少なさからして、ユリウスは主役を外れている感じです。あー、こんなに露骨でしたっけ。昔よりハッキリ感じます。もう恋愛じゃなくてロシア革命のタタカイがメインなんですね。
_____

うん、判ります。あの時は、今月はこうでも、これは、たんなるユリウスの恋愛模様への前振りで、次号がユリウスが中心になるんだな、とかロシア革命のお話なので、こういう歴史的な描写や説明も必要よねとか、自分に解説しながら読んでたんですよ。
判ります。今読むと露骨_というのは。
ユリウスファンには辛い三部の発売ですよね_



これなら連載も、第一部とは違うお話と思って読めばよかったなーとしみじみ。そのときはそんなこと分かりませんが・・・。

そう、ここが一気読みと言うか、まとめ読みした人とは違う所です。なんかすまさん、悟りの心境になってこられましたか?

>それからきたざわさま、私はサイドストーリーは好きなほうで、どういう内容のものでも別に抵抗はありません(きたざわさまのサイドは、私は好きです)。たまたま自分の好みじゃないものでも、ああこの人は原作のこういうとこが好きでこういう風に取り出して書いてみたかったんだなーというのが分かって面白いです。原作に惹かれるものがなかったら誰もサイドなんか書かないだろうと思います。そしてサイドストーリーというのは多かれ少なかれ原作からはみ出した空想(妄想?!♪)が形になったものだと思うので、き、きはん・・・???(←たぶん私、議題を理解していないと思いますが・・・)

そうですね、親兄弟に言われるならともかくも、同じくおたくな妄想を楽しむファン活動してる人に言われたので傷付きましたねーそんな事言われたら、誰もサイドなんか書けないじゃないですか。
私の作品はかなり異端的で受け付けられない人も沢山いるみたいですが、何も、ネット上の活動をアナログで説教しなくても、と思いますね。
あの時のMさんの私を蔑んだ目忘れられません。
私はそれからサイドを書けなくなりました。
その人は、がらかめサイトにいて未だに良い人そうにカキコしたりイラスト描いたりしています。
ネット上の付き合いは虚構だと思い知らされた事件でした。

だったら、それはそれでいい、虚構でも、美辞麗句でもいい、なるべく言いたい事、描きたい事を描き、悔いないように毎日を頑張る事にしました。
私なりの解脱方法ですね。
あ・余談でした。ごめんなさい。



[22] いけない、本筋。
北沢泉 - 2003年11月04日 (火) 22時23分

きたざわさま
 中央公論社から出てる「愛蔵版」の池田理代子さんの「まえがき」を今読み返したのですが、なかなか重いです。
 オル窓連載の7年間は、池田理代子さんが27歳から33歳までのときで(たぶん)、「人生における殊に愛のドラマの起伏」があったようです。そして「少しずつ、愛や人生に対する考え方に変化が生じ」

私がこれを読んだ時、どう思ったか、と申しますと、『自己の感情や恋愛観の変化を読者に押し付けてすまなかった、とはお思いにならなかったのか?という事ですね。

サイト立ち上げた時、その<事件現場>に一緒に居た人が、その上記の作者の事について書き込みがあり、私はまたいたく傷付きました。
曰く、「創作者が書きたい物が変わってしまった苦しみを読者は理解してあげないと云々_」「良くできたお話で云々」
私は直ぐに削除しました。

、作者自身がこの作品を読み返しても、「随所にそういった生々しい変化の痕跡をうかがうことができる」と書いておられます。
そういう感慨でしか、あの作品を捉えてくださってはいない_という事にさらに傷付きます_

どういうとこかなぁ・・・と考えながら、コンビニで第三部を買いなおすことになりそうです。実は私もきたざわさまと同じで、第三部以降は一度捨ててます。愛蔵版も1・2巻だけ。
 「まえがき」の最後は、この作品は自分が書いた最後の”少女漫画”であると結んでおられました。うーん、第三部以降はおよそ”少女漫画”じゃないと思いますけどね・・・。 


ええ、これはサイト立ち上げる前によく投稿先なんかにカキコしてましたねー。

途中から、少女漫画でなくなっていった。
なら、そうなら、トップページでそういう事を明記しておいてくれ・・・とか今_力なく、そう思います_


[23]
すま - 2003年11月05日 (水) 19時18分

次々とリアルを離脱する仲間、ユリウスを嘲笑され、
ー> これ、私も覚えがあります。友達に「なぁんでこんな気持ち悪いの読んどんのぉ〜?」って言われた。思いっきりぐさっときた言葉でしたけど、反論できませんでしたよ。

でも掲載誌には美辞麗句が乗り、でも、おる窓はあきらかに、巻末に退き、
ー> あの”落ちぶれ感”を、きたざわさまも味わわれたんですね。私はあの頃とりあえず宣伝の美辞麗句にでもすがりたい思いでした。なにもそんな思いまでして読むことなかったんですけどね、ほんまに(苦笑)。
   思えば最初はマーガレット連載でしたよね? それがセブンティーンに移ったところで、「ん??」と思うべきでした。
   さらに、当時のセブンティーンってたしか「ばあじん♪おんど」とか載ってたんですよ(ちょっと時期がズレてるかもしれませんが)。それとオル窓第三部が並んだら、ギャップがありすぎでしょう。巻末に追いやられたのは無理も無いです。それに、これはファンとしてはとても切ないことでしたが、人気が無かったのは、大人向け過ぎるからというだけの理由じゃないですね。第四部なんて、もう作品が完全に輝きを失っていました。

[25]
北沢泉 - 2003年11月05日 (水) 22時59分

すまさん、有難うございます。
そうですね、私が読んで居た頃は、確か『あるまいとせんめんき』なんか覚えています。
普通の男女の普通の同棲物語り。
ヒロインが等身大だというところでは、おる窓は別の意味で、ユリウスは自分に重ねたく無いキャラでした。
____

少女漫画のヒロインに自分の人生には起こり得ない愛憎のドラマを楽しみたい_

等身大のヒロインの気持にフィットして別な人生も味わいたい_
<ばあじんろーどや、あるまいとせんめんき、はこのパターン>
確か、『エル・アルコン_鷹_』も同時掲載だったと記憶しています。
そして、かの名作コクトーの『恐るべき子供達』を萩尾望都さんが漫画家_話題沸騰でした。

この2作品は上のパターン・・・
おる窓はどれにもあてはまらず、最低限の知能のある人間、自立した人間ならば、絶対しないような行動_言動をする_

一部リアルファンには酷い変質です・・・

_________

それに、これはファンとしてはとても切ないことでしたが、人気が無かったのは、大人向け過ぎるからというだけの理由じゃないですね。第四部なんて、もう作品が完全に輝きを失っていました。
____

うん・・・<<難解>>ではなく、<<破綻>>してるからで、
欲ある読者以外には、異様な雰囲気を持つ作品だったでしょうね。ネットを始めた時に、あまりに原作肯定、男性キャラ肯定の書き込みやサイトが多くてびっくりしました。

すまさんは御存じないでしょうが、一時期ユリウスパッシングが横行し、ユリウスに関して惨たらしい侮蔑の言葉がサイト界に羅列した事がありました。
曰く、ユリウスさえロシアに来なければ、アレクは死なずにすんだ。ユリウスがロシアに行けばどれだけ迷惑するか、思い考えなかったのは人格が未成熟だから、妾の子供なのにアレクに縋るなんて_アレクには勿体無い_等々、思い出しても気持が暗くなるような残酷な言葉が書き込まれていました。

私はあ・シェーラが生き返ってネットでもやってるかな?なんて思いました。

逆にユリウスを選んだアレクへの侮辱_そう思いましたね。

そして逆にユリウスは懐深くない薄情な男達の犠牲者_そう思います。

ロシア皇帝の隠し財産の相続人が革命家の恋人を追って、帝政ロシア華やかなりし頃に渡航する_

この見事なプロットが活かしきれず、男達の国運を左右する歴史ドラマ<これもきちんとえがかれていない、革命に至る情勢がアレク側から描かれていないために、アレクがただのおぼっちやまの革命家気取りみたいで、いらいらしました。>
として変更されたためにユリウスは中釣り_

設定の不備を全て押し付けられたために、アレクファンやレオ様ファンから愚かなヒロインとして罵られる_

そんな事って・・・そんな事って・・・

と、思い、こうして、一銭にもならない事に、心血を注いでいる訳です・・・すまさん有難うございます。

固定ハンドルの発言になると突然無口になり、無記名の掲示板サイトでは言いたい放題のおる窓ネット界ですが、きちんとした論愉で己を語ってくれる方に出会えて嬉しいです。


[26]
すま - 2003年11月06日 (木) 01時46分

きたざわさま
 コンビニ漫画で第三部を読んでいる最中で、分かっちゃいてもやっぱりドンヨリしてしまい、そのたびにこちらにお邪魔させていただいてます。こちらこそお世話になります。
 オル窓は、ほんとに異様な作品ですね。第一部と第三部がこうまで違う。絵柄も違うし登場人物の性格も違うし、なによりも作品のトーンががらっと変わっています。なんだかんだいって私はこの作品しつこく好きですけど、でも手放しで褒めることはできないです。第三部以降、第一部の話がうまく生かされてなくて消化不良だと思います。
 アレクセイには、私もすごーーく不満でした。とにかく第一部のクラウスが好きだったので、わーんちがーう!!と何度も思いました。ユリウスを突き放すにしても、なんかその理由に説得力が無いんです。ユリウスの身を危険にさらしたくないから、であれば分かります。だけど彼はそうは言わないし、またそういう人はあんな突き放し方はしないでしょう。彼女を安全なところまで連れて行ってから突き放すと思います。だから違うんですよね。革命で精一杯だから。「恋のための時間は無い」。でももう恋はしてますよね。それに、アレクセイはまだ若くてお勉強中みたいだったし、そこまで筋金入りの闘士としてのポリシーと任務があるように見えませんでした。まあだからこそ徹底してストイックにならねば!!という悲壮な決意なのかもしれませんが、なんかそういう切実な状況と苦悩が伝わってこないんです。しかも、ガリーナが命がけでユリウスをかばったことで、突然一転して「苦しみだけでなく喜びも飲み干そう」って・・・・。「大いなる愛によって生かされていると思い知った」とかいう文句が私には全然ピンと来なくて、やっと二人が結ばれた場面で、私、あんまり感動できませんでした。
 ユリウスのほうも、記憶喪失しちゃってるし、もう全然第一部の輝きは無し。
 もう私が心待ちにしてたユリウスとクラウスじゃなかったんですよ(わーん)。 

[28]
北沢泉 - 2003年11月17日 (月) 18時47分

>第三部以降、第一部の話がうまく生かされてなくて消化不良だと思います。

同感です。
ユリウスとアレクセイが出て来るわけですから、こちらは、一部の流れで三部を読み込もうとすると、なにか作品から弾かれたような、空しい感じを味わったのを覚えています。

一部終了から、長く待たされた分、リアル読者は、なにかオルフェウスの窓の物語りの崩壊を少しずつ見せられたようで、
掲示板の方でおっしゃっていた、徒労感、疲労感って凄く判ります。私は現実の人間と区別が付かない程に、ユリウスを熱愛しておりましたから、愛してる人キャラを踏みにじられた苦悩みたいな物を味わいました。
どこかに、一部で味わった輝く世界が待ってるのではないか、という欲望<う〜んHな欲望に近い感じがします>をとことん踏みにじられた疲労感、虚脱感、無常感など・・・


本物の一国の国の創成と崩壊を漫画で疑似体験したような・・・
疲れ。
___

>「恋のための時間は無い」。でももう恋はしてますよね。
うん・・・

革命家から恋を取っちゃいかんでしょ。
ここも説得力ないなぁ。そんなの世界で通用しないでしょ。
むしろ革命に必要なのは、新しい思想を共にする家族・子供でしょう?

このあたり、フランス・スペイン・イタリアにセリフ持って行ってら、大笑いされるか、『ガキ!』って石投げられると思うけれどなあ。
つまり、責任持てない、っていう事なんでしょうか?とも考えました。一杯一杯で。
>れに、アレクセイはまだ若くてお勉強中みたいだったし、そこまで筋金入りの闘士としてのポリシーと任務があるように見えませんでした。

で、奥さん栄養失調で倒れたら、実家に預けるかぁ?
アンドレがオスカル連れて逃げた後、やっぱり食べさせてあげられないからって、ジャルパパに無心するようなとんでもない事ですよね。あ〜なんか恥ずかしい結婚生活!と白けたのおもいだしました。すまさんのカキコで。


>「苦しみだけでなく喜びも飲み干そう」って・・・・。「大いなる愛によって生かされていると思い知った」とかいう文句が私には全然ピンと来なくて、やっと二人が結ばれた場面で、私、あんまり感動できませんでした。

うん・・・これも同感。
私どうしてもあのすずらんの夜って、さむざむしくて、一番嫌いですね。もう何も見るところがない
15巻。『もうお前をはなさない』離してるし・・・

しかし、あれほどの美女をあんなに勿体ぶって・・・
悲惨なしうちを受けたガリーナを黙って受け入れたズボフスキーの方が暖かみのある、大きな人物として描かれてますよね。

ユリウスが記憶喪失の上に汚れない身体だったというシュチエーションもなんだかウソくさすぎて、もろ萎えでした。

ユリウスがガリーナのような状況で、というなら判りますが。
なんか押し掛け女房を無理に娶ってやったみたいで、所帯くさいんですよね。豪華さや感動がない。

ユリウスに価値もない。ないないづくし。

違う!一部のおる窓じゃない〜って。とほほ、泣きたくなりますよね。
むりやり豪華にすずらん撒かれてても・・・
もはや『ばかたれめ・・・』の少女漫画の幻影を探そうと、必だった、私とすまさんの悲しい後ろ姿を、ふと思い浮かべる夜半かな、一句できちゃう。<笑い泣き>

[29] あの頃話したかったですほんと
すま - 2003年11月18日 (火) 13時44分

革命家から恋を取っちゃいかんでしょ。
ここも説得力ないなぁ。そんなの世界で通用しないでしょ。
ー> そう思います。ドイツで自分はロシアへ帰るから置き去りにしたのはまだ理解できますけど、ロシアでのアレクセイの「俺の人生に恋のための時間は無い」「祖国に身を捧げる」からというかたくなさは、説得力がありませんでした。
 ユリウスのため、なら分かるけど。アレクセイはシベリアで「突き放してきてよかった、してやれたことはそんなことくらい」と回想してる。あそこではああ言ってるけど、基本は違うんですよね。やっぱり「祖国に身を捧げるから恋はできない」というみょお〜〜に偏狭な理屈なんです。ヘン。

悲惨なしうちを受けたガリーナを黙って受け入れたズボフスキーの方が暖かみのある、大きな人物として描かれてますよね。
ー> おっちゃん魅力的。

ユリウスがガリーナのような状況で、というなら判りますが。
ー> そのほうが説得力があったと思います。今まであんなにかたくなだったアレクセイが急に態度を変えるだけの理由になります。

なんか押し掛け女房を無理に娶ってやったみたい
ー> そう!!私もそういう印象を受けました。記憶を無くしている女を、でもやっぱり昔の恋人だっていうので受け入れたような。それに、ユリウスのほうも「ぼくを、あなたは愛するというの?」とか言ってるし、なんかまだそんなに愛が盛り上がる状況とは思えない。ヘン。

[30] ほんとにねぇ・・・でも今でも満足。
北沢泉 - 2003年11月19日 (水) 22時57分

ユリウスという存在がとことん、価値がなくてロマンもない。
だいたい、アレクのユリウスに対してのセリフも酷くて、ユリウスに対して一番酷い事言ってるのアレクなんですよね。
だし、なんでユリウスがあそこまでぼろぼろにアレク熱愛かも説得する材料もない。
なんか、もう、物珍しく、醒めた気持で読んでました。
どこまで変になるんだろう?って。
ユリウスはレオニードに気持が傾いていたはずなのに・・・?

だから、ユスーポフ候から奪い取ったとか、気持が、レオ様に傾いていたのを振り向かせるかとか、ユリウスがユスーポフ候の愛人だったから、アレクが拒んでいたとか、なんかそんな感じの背後が薄過ぎるんですよね。
>いうみょお〜〜に偏狭な理屈なんです。ヘン。

うん、15巻のアレクってば、妙に偏狭ですね。過ぎるくらいに。_埋もれた記憶の中で_ってあれ酷い言葉ですよね。
侯爵家に育ったおぼっちゃまとは思えない、貧相なもと、青春時代を過ごした相手への言葉。

なんかもう、少女漫画の理想の男性キャラから離れ過ぎ、また現実の男性でもこんな冷たい奴はいないと思うような、態度とってて、一体何をユリウスとアレクで表現したかったのか、理解に苦しみます。まあ、ユスーポフ候の物語りに集中していたら、この二人の恋愛は子供過ぎで作者自身が二人の恋愛の成就に興味を失い、でも進行上の盛り上げとして、すずらんの夜になった、という事かな〜なんて・・・推察しております。

[31]
すま - 2003年11月23日 (日) 19時08分

そういえば第三部のユリウスって、誰かに褒められることが少ないですね。「ユスーポフ候が連れてらっしゃる男装の美しい女性」って言われる場面くらいしかない。第一部ではあんなにもてはやされてたのに。

なんか、もう、物珍しく、醒めた気持で読んでました。
どこまで変になるんだろう?って。
ユリウスはレオニードに気持が傾いていたはずなのに・・・?
&& 同感です。ユリウスが記憶を無くしてて、アレクセイに向かって「やっぱり君は僕を知っているのか?」っていうとこからいきなり「いくたび出会っても君を愛する」になるのも、え?え?え?と思いましたし、その後の発展もついていけませんでした。また少しずつ惹かれていく(要するにやり直し)っていうのならそれはそれで分かるけど、そういう過程もなくて、でもアレクセイが帰ってこない場面で「彼に会わせて!」って泣いてる。え?もうそういう感情が育ったの?という印象でした。

だから、ユスーポフ候から奪い取ったとか、気持が、レオ様に傾いていたのを振り向かせるかとか、ユリウスがユスーポフ候の愛人だったから、アレクが拒んでいたとか、なんかそんな感じの背後が薄過ぎるんですよね。
&& そう!!このあたりの描き方は薄すぎ。あれではすずらんの夜にいたる説得力がありませんでした。なりゆきみたい。

_埋もれた記憶の中で_ってあれ酷い言葉ですよね。
&& アレクセイのほうも、そこから急に すずらん になるのがすごくヘンな気がしました。

まあ、ユスーポフ候の物語りに集中していたら、この二人の恋愛は子供過ぎで作者自身が二人の恋愛の成就に興味を失い、でも進行上の盛り上げとして、すずらんの夜になった、という事かな〜なんて・・・推察しております。
&& シビアなご見解。でも賛成です。ほんと「オル窓」のストーリー展開としてはあの二人を描かなきゃいけないからすずらんの夜を持ってきたような印象です。第一部はアレクセイもユリウスもまだ10代で、彼はユリウスの初恋の人ですから、そういう恋を貫いて結ばれる二人っていう設定が、第三部を描いていた頃の作者には、現実感が無くなったのかもしれません。だからああいう不思議な描き方になったのかも。自分の意思でというより運命(なりゆき)で結ばれるような・・・。窓の魔力???

[32]
北沢泉 - 2003年11月28日 (金) 08時33分

>そういえば第三部のユリウスって、誰かに褒められることが少ないですね。「ユスーポフ候が連れてらっしゃる男装の美しい女性」って言われる場面くらいしかない。第一部ではあんなにもてはやされてたのに。

ええ、こちらも、日記等で嘆いたものです。(;´Д`)y─┛~~
『無理やりな男装の麗人』って感じで。
記憶のない彼女が何故、男装なのか。もう、思いっきり変ですよね。ある程度の自分を守る鎧みたいな男の振りをする格好良さみたいなのって、この場合無理がありすぎるんですよ。
美麗なドレス姿も、ユス家で見たかったですね。
この時にドレス姿で登場すると、後の後爆事件にならないから<ドレス姿のユリちゃんをユスーポフ候と間違えて爆弾投げたりはちょっと変ですからね。>なのかなぁと。
もうこの変の無理矢理なユリウスのキラキラは当時の読者の『ユリウスはど〜なった?ユリウスが出ない』という抗議メールか、
この後のユリちゃんを思うユスーポフ候の切ない姿の盛り上げ役としての『美しいユリウス』が必要になったかな、と。
もう無理矢理に納得させています。^^;

お返事が遅れてすみませんでした。
返信は早くに拝読していました。
あまりにも私と考えている事に似通った内容でしたので、却って返信の言葉を捜せなかったんです。

なんか、こう、『すずらんの夜』が神聖視されてるのって如何に、アレクファンが多いかの証明ですよね。
ユリウスファンなら、『・・・・・』と引くような流れですもん。

[33]
すま - 2003年11月28日 (金) 12時36分

 無理やりな男装。確かにそう思います。今まで男装だったからっていうのもあるんでしょうが、別にユスーポフ家がずっとユリウスに男の服を提供し続ける理由は無いですよね。「記憶喪失」になったのなら、ここで人形のように華麗なドレスを着せられているほうが納得できます。ラスプーチンの陰謀も「あれは少年ではなく少女だ」と言って打ち負かしたんだし、女性の格好させるのが普通だと思います。

 そうなんですか。すずらんの夜は、神聖視されてるんですか。アレクセイのファンに? そういうことは全然知らないのですが、うーん私はクラウスが大好きでしたが、あの場面のアレクセイはいやだったなあ。イメージが壊れました。「大いなる愛の前に何をためらう」とか「苦しみだけでなく喜びをも共に飲み干す」とか背景のセリフはおおげさなのですが、私にとっては説得力が無かったんです。観念的すぎ。今まであんなに長いことあんなに頑なにユリウスを拒絶していた人が、そんな曖昧な観念でころっと態度を変えるかなあ・・・??? もっと切実な愛のほとばしりであってほしかった。

[34]
北沢泉 - 2003年11月29日 (土) 00時32分

>今まであんなに長いことあんなに頑なにユリウスを拒絶していた人が、そんな曖昧な観念でころっと態度を変えるかなあ・・・??? もっと切実な愛のほとばしりであってほしかった。

う〜む、逐一ごもっとも。ふむふむ。
なんか修行僧が世俗の愛に目覚めたみたいに感動されてもねぇ。
アレクただの一市民ですもんね〜。普通の男の子なのに。
オスカル様がアンドレへの愛を自己確認した愛の告白とは違うンですよ。マテリアルが。価値が。変。同じようなウェイトかけられても・・・そんなに有り難がって、構えないと、貰えないような女の子なのかいな。は〜(;´Д`)y─┛~~
こちらはもう、不条理の一言。うん、不条理漫画ですな。
これは。漫画からこちらの思い入れに対して不条理の認識を体験
させる貴重な漫画だな〜。(;´Д`)y─┛~~

掲示版の書き込みのやり取りにあったように、ユリウスのお陰で命拾いなのにねぇ。何様なんだか。なんだか。^^;

[35]
すま - 2003年11月29日 (土) 15時03分

なんか修行僧が世俗の愛に目覚めたみたいに感動されてもねぇ。
&& 言い得て妙です♪!!

   ここ、前にきたざわさまがちらっと書いておられましたが、ユリウスがガリーナのような状況で、というほうがよかったなー。
   とにかく、ユリウスには記憶が無いということを前提にして(←そもそもこれもイヤなんですけど)、二人の間に愛が育っていく過程が薄すぎるんです。だから「すずらん」はすずらんが綺麗なだけで、感動できなかった(涙)。アレクセイのこれまでのあれほどの頑なさはなんだったの??? ユリウスはあんなにレオニードを慕ってて「はなさないで」って言ったよね??? それが急になんで???? と疑問符だらけ。やっぱり窓の魔法なんでしょうか・・・・ 

[36]
北沢泉 - 2003年11月30日 (日) 00時09分

そう、ここまでくると、難解とかというレベルで解明するような事柄じゃなくなってくるんですね〜。

1話事に作者の心情が違う。という風に解釈した方がいいかもしれませんね。だいたい自分を撃って捕縛した男と7年も暮らしてた訳でしょう?不滅の恋人が。あの程度の嫉妬じゃすまないでしょう。あの時の何かされたか、という疑惑ですがやはりユスーポフ候の大人の魅力をがっしり認識してて敗北感もあったような感じがしました。

好きだからの焼きもちなら、なんであんなに冷たい態度?
元の親友でもあるんですよ。
ユリウスを愛する事がそんなに革命への重石になるなんて発想そのものが変。そんな事言ったら同志に冷たくされて追い出されるとおもうけれどなぁ。そこまで意地を張った革命ロマンなのに、
唐突にユリウスを受け入れて、誰がみても怪しいと思う策略に引っ掛かって簡単に罠にかかる。
彼が居なくなる事の革命軍の損害やユリウスを危ない目に遭わせない為にも熟慮が必要なはずでしょう。
ここだけ“熱い男”になってくれるんですよ。
とほほ。
窓の魔力はね〜そのまま、読者にもかかっちゃって、こうしてすまさんと共感しあってるんですね。

魔力の元はどこに!?

[37] いかん、また自分の感情で書いてしまった。
北沢泉 - 2003年11月30日 (日) 20時00分

そう、すまさんの語りの論点からズレてますがな。


二人の間に愛が育っていく過程が薄すぎるんです。

うん、整理して考えました。

◆ユリちゃんの記憶喪失なのに、何故か出会った途端激愛。
わりと、ユリウスが記憶喪失になった時点でわたくしが考えました悲劇って、<<アレクを見ても認識できないユリウス>>
そして<<自分を見ても覚えが無いユリウスに苦しむアレク>>
というのがありました。
みなさんもそうでしょう?
ですから、あの時点でユリウスが思いさせちゃうのが、その出会いを期待してた読者への裏切り行為にならいのか?
なんて少しショックでした。

だから「すずらん」アレクセイのこれまでのあれほどの頑なさはなんだったの??? ユリウスはあんなにレオニードを慕ってて「はなさないで」って言ったよね??? それが急になんで???? と疑問符だらけ。やっぱり窓の魔法なんでしょうか・・・・ 

◆アレクの感情・行為の激変化
『かつて俺を愛してたという事実だけを〜』
なにもそんなブンガクテキなセリフでユリウスを論評しなくっても・・・(;;)
あ〜た、昔の友達でもあるんですよね。
いくら7年間シベリヤに居たからって、冷酷すぎ。
そんなちょっと酷評という言葉がぴったりのアレクの感情がなんでガリーナが死んだらころっと変わるかな。

『ああ!レオ様が皇帝命令でもなんでも、取り返しに来てくれないかな』とじりじりしました。
あの酷いアレクのセリフを心に硫酸かけられるような気持で読んでた私はもうすずらんの夜にげんなりしました。

まあ、この変は立ち読みでしたがね。
遠い気持で読んでました。
『これはオルフェウスの窓じゃない、<ユリウス>という名前が出て来る別の漫画』と。

でも、つい来月を待ってしまう。
身体が、身体が心を裏切るのよ〜って。

スマン。すまさん。こんなレスで。

[38] 恋と革命
すま - 2003年12月01日 (月) 21時35分

ユリウスを愛する事がそんなに革命への重石になるなんて発想そのものが変。
&& コンビニ本も完結しましたが、最後の池田先生インタビューをお読みになりました? 「恋と革命」の話題にも触れられています。革命は「彼らにしてみれば”恋愛”にかまけていられないほどの大事業」であり、祖国への愛とか人民への愛とか、恋愛ではない愛もあって、そっちのほうが大事だと思っている人もいるということも、この作品で描こうとした、と仰ってます。
  短いインタビューなので、池田先生の言いたいことがあんまり深く伝えられていないようですが、だけどこの論点はインタビュアーも気になってる点なんだなーと感じました。まあでもこれじゃ分かりません、もっと深く語ってほしかった。
  それから、池田先生は、自分の中で恋愛の位置は低い、その頃から低くなった、とも。ただ恋愛を本物の愛に高めていくことは可能で、ユリウスとクラウスの場合はまさにそうだったと思う、と言っておられました。←ここは、ユリウスの「僕は安息を求めていたんだ、この世にありもしない至福のパラダイス」が強く印象に残っている私としては最も違和感を感じました。えー、そんな話だったかなあ?と。
  要するに、私にとっては、ああそうだったのかとスッキリ納得できるところはほとんど無いインタビュー記事だったのですが、今作者はこういう風にこの作品を語るんだなーという感慨はありました。 

[39]
すま - 2003年12月01日 (月) 21時53分

ユリウスを愛する事がそんなに革命への重石になるなんて発想そのものが変。
&& 同感。ここはやはりヘンですよ。やるべきことが多すぎて恋人といちゃついてる時間は無い、というのは分かりますが、恋というのはしようと思ってするもんじゃないし、恋はやめだ!と決めてやめられるもんでもないと思うので、アレクセイの冷静さには違和感を感じました。一応ときどき悩む場面はあるのですが、なんかとってつけたみたいで、恋する男の態度としてはあんまり・・・。

『ああ!レオ様が皇帝命令でもなんでも、取り返しに来てくれないかな』
&& 私もそう思いました!! 第一部の続きとしてはユリウスの価値が低すぎ。

またコンビニ本の話になりますが、「セブンティーン」の扉絵が紹介されてました。ああこのへんはもう作品が雑誌のいちばん後ろのほうに載ってて、かなしい気持ちで読んでいたなあ、と改めて思い出しました。きたざわさまも書いておられましたが、宣伝文句だけ空しく派手なんですよね。最終話の扉絵も出てましたよ。「さよならユリウス!!すばらしきヒロインよ・・・!!」って、なんか今読んでも、皮肉か?と思ってしまいます。

[40] 愛こそは全ての憎しみに勝る。
北沢泉 - 2003年12月02日 (火) 00時40分

>革命は「彼らにしてみれば”恋愛”にかまけていられないほど>の大事業」であり、祖国への愛とか人民への愛とか、恋愛では>ない愛もあって、そっちのほうが大事だと思っている人もいる>ということも、この作品で描こうとした、と仰ってます。


ならなぜ、ユリウスをロシアに行かせたんでしょうか?
ならば愛を求めて渡航したユリウスは愚か者の狂言廻しだったんでしょうか?

ユリウスの運命は中ぶらりん。

愛こそは全ての憎しみに勝る。

この言葉に感動した読者はどうなる。
そして愛人の復讐の為に殺されるユリウスとは何なのだ。
やはり第三部の進行を守ったのはユリウスだったんでしょう。

>革命は「彼らにしてみれば”恋愛”にかまけていられないほど>の大事業」であり、祖国への愛とか人民への愛とか、恋愛では>ない愛もあって、そっちのほうが大事だと思っている人もいる>ということも、この作品で描こうとした、と仰ってます。

この答えがユリウスの流産と人格崩壊ではあんまり夢が無い。
そんなものは少女が求める世界にはないですよ。
祖国の愛とか人民の愛よりも、個人の愛の方が劣る、または大事ならば、それが尊いのだという主題ならば、ならば・・・

オルフェウスの窓を一つの流れとして連載を待っていた読者は、
教祖の使徒のようにそれを受け止めなければいけないのか。

ユリウスの悲劇とは少女漫画で産まれたのに、祖国愛や人民愛の方が尊いと描く啓蒙社会漫画で生きてしまった事なのではないのでしょうか。
それでは賢く描かれるはずも無い。
窓の悲劇をそこに持ち込む強引さ。

読者は信徒なのか。


[42] みてきました。
北沢泉 - 2003年12月02日 (火) 19時15分

上の書き込みはね〜感情的で申し訳ない。
コンビニに行って見て来ました。
感想は・・・作者への愛=ユリウスの存在≧第1部からのお話の変貌。
かもしれない、という事ですね。
ロシア革命のお話の中の男達の祖国愛、人民愛を描くという事と、ユリウスの窓の悲劇のヒロインが歴史の中で翻弄され、コマとして扱われて行くという非情なお話とは、相対として、『オルフェウスの窓』という物語りの中で成立させるには、読者には、難解すぎるし、お話の前振りが破綻しすぎです。
もし、そのような恋愛でない、愛を描きたかったのならば、オルフェウスの窓の窓とは別のお話でやって頂きたかった。
すまさんの序説として嬉しい、革命が大道具になったら今までの読者は辛いです。
最初、アナスタシアを連れて逃げる所までは、たぶん、<愛>が重要なウエイトを占められていたのでしょう。
ここで流れが変わる事をしらずに、先を期待した読者は失望を味わう事になる訳です。
その時にふっていた<愛故の悲劇>の設定が宙ぶらりん。
ここにリアル読者と非リアル読者との間の作品への感情移入の<<壁>>を感じる処です。


[47]
すま - 2003年12月15日 (月) 22時55分

きたざわさま
 作者への愛が、第一部からの変貌に対する失望と同じかそれ以上って、すごくリアルに理解できます。私もベルばら以降、とにかく池田先生の描かれたものなら全部手を出していました。ベルばらは私が人生の中であれこれ考えるのに(妄想含め)いちばん多くの時間を費やしてお付き合いしてきた作品で、オスカルほど憧れ愛した人は実人生のなかにもいないんじゃないかと思うほどです。
 しかしオル窓はつくづくベルばらとは作者のスタンスが大きく異なる作品ですね。きたざわさまがどこかで書いておられましたが、アンドレも今読むとかなり独善的なところもあります。だけどあの純粋で(独善的でも)激しい恋(思い込みでも)の迫力は否定できません。アンドレはあの激しい一途な恋で幸せな人生を生きたと思います。どれほど独善的であろうと、ある意味羨ましい人です。彼に愛されるオスカルも羨ましいというか、読者にこれぞっていう陶酔を与えてくれました。
 いっぽう、ユリウスも恋に生きる人なんですが、ぜんぜん違うんですね、アンドレのような充実感・燃焼をもって人生を生き、終わるのとは、ぜんぜんちがう(涙)。オスカルのように激しく愛されるヒロインでないのなら、激しく愛するヒロインとしてアンドレのような充実感があってもよかったと思うのですが・・。ユリウスは恋を追って生きたけれど、記憶喪失するからアレクセイと結ばれるのは最初の恋の思いとつながらないし、新しく愛を育んだにしても、あまりに自分の意思と違うところで翻弄されて悲惨な運命をたどる。それが辛すぎてまた記憶・精神に封印。廃人同様に数年を過ごして、ユリウスがすべてを思いだすのって、ヤーコプに殺される直前の一瞬だけ。アンドレのように自分のただ一つの恋によって人生を充実したものにできたというのとは違いすぎます。ヤーコプに殺されて川に消えて終わり、もう誰かの追憶に出てくる場面すら無い。
 ほんと読者は信徒ではないので、あれに付き合うのは相当辛いもんがありました。

[48]
北沢泉 - 2003年12月16日 (火) 09時13分

すまさん、お久し振り!
私の感情的なカキコに驚いてびっくりしちゃったか〜と
心配しておりました。

不思議に今北沢にメールやら何やらお話して下さってるのは関西系の方が多いですよ。
今度関西オフします?^^<何ここで営業してっかな>
今度皆さんとチャットでもしませんか?

また夜書き込みますね。
アンドレとの恋愛人生とユリウスの差異。
分りやすいです。有難う。
悲恋の成就があったアンドレは幸せもんじゃ。
その臨終すら、愛する人への讃歌を口ずさみながら。
最後の最後で納得した人生でしたね。ほんまに。

[49]
すま - 2003年12月17日 (水) 10時00分

きたざわさま
 そうなんです、アンドレは悲恋でも幸せ。たとえオスカルと結ばれなかったとしても幸せだったと思います。全然むなしくない。けっきょく幸福も不幸も人の心のなかにしか無いし。
 その点ユリウスはずっと不幸な人ですね。だからこそ自分が選んだ恋で幸せになってほしかったのに。生活や人生は不幸でも、恋の陶酔・自己満足くらいはユリウスに与えてほしかった。つまり、別のトコに書きましたが、ヴィルクリヒ先生とレナーテのような恋の陶酔感、世間の人々にどうそしられようと自分はこれで幸せだという圧倒的自己満足。彼らは別に強引に幸せになろうとしたわけじゃないんですが、恋に落ちてしまった時点で、どれほど苦しんだとしてもやっぱり幸せなんですね。最後まで、あの視に方がどんなに人様にご迷惑か分かってても、愛し続けた人と一緒に死ねる幸福を感じずにいられない。ユリウスもせめてああいう死に方をして欲しかったんです。幻想でもいいから。尾恥ずかしながら私の妄想の第4部、イザークと結婚して穏やかに暮らしていたユリウスが、窓にクラウスの面影を見て馬車の前に飛び出して死ぬ、っていうのは、そういう幸せを味わってほしかったから。誠実な夫を傷つけることになっても、それは本人にとっては避けられない、自分の意思を超えた、恋の為せるわざ。ロシアであんな不幸な目にあっても、やっぱりユリウスのクラウスへの恋は幸せだったと。そういう話であってほしかった。
 なのに、記憶喪失、人格崩壊、挙句の果てに「クラウスではなく、安息を求めてきた、この世にありもしないパラダイス」、そしていよいよ廃人状態。こんな不幸な主人公って少女漫画随一じゃないかと思います。死ぬ直前になって記憶を取り戻すけれど、「あの天地が裂けるばかりの愛はどこへ」:さっき思い出したばっかなのに、悟りすぎ。
 あーなんだかアンドレが見たくなってきました。私は前編と押してアンドレが好きなわけじゃないんですが(特に今読むとさすがにそれは独善的「すぎ」!という点も多い)、彼が死ぬ場面では大好きです。オスカルをかばって死ぬというまさに本望な死に方のうえ、盲目的に激しかった恋が静かな悟りの境地に至るような言葉。なつかしきかの人に、終わりなきわが想いをはこべ。泣けました。

  

[50]
すま - 2003年12月17日 (水) 10時05分

さっきのカキコ、変換がかなりヘンになってて読みにくくてすみません。
チャットはよくなさってるんですか? そのうち参加させていただきたいです。

[51] これを朝書き込みしようとして・・・
北沢泉 - 2003年12月17日 (水) 18時02分

激しく愛するヒロインとしてアンドレのような充実感があってもよかったと思うのですが・・。ユリウスは恋を追って生きたけれど、記憶喪失するからアレクセイと結ばれるのは最初の恋の思いとつながらないし、新しく愛を育んだにしても、あまりに自分の意思と違うところで翻弄されて悲惨な運命をたどる。
_______________________
そうですね、ユリウスはどう斜めに読んでも愛故の悲劇のヒロインじゃないですね、<窓>とアーレンスマイヤ家の呪いを一人で体現しゃった残酷ホラー漫画のヒロインですよ。

他の掲示板で『恋愛史上主義が少女漫画』というレス読んでぐぁぁぁん!とするほど打ちのめされました。
そ、それをおる窓三部に言えたら・・・モジモジ。

ベルバラを対比しておる窓三部を読み込むと面白いですねぇ・・・

アンドレの愛には報われない期間が長かったけれど、そこには確固たる<愛する人への思い>っていう認識に支えられて、行動や言語は明瞭でした。<暴発もしますが、あれでオスカル様、すこーんとフェルゼンからの失恋の痛手を乗り切っちゃってて、なんか私としては頼もしく感じました>ですが、ユリウス、すまさんもおっしゃる通り、通常の恋愛上の至福からはほど遠い所にありましたね、記憶喪失の上に相手はおぼつかい革命思想でいっぱいいっぱい。の上でのなんか義務上の結婚みたいに。
せめてアレクが、愛の迸り見せてくれたら、なんか違うんですが、もう、<個人の愛>よりは<祖国愛・人民愛>を描きたかったという作者の心情ではそんな事は無理。
個人の愛よりも祖国愛や人民愛が大事とするなら、それは<個>として生きる人間性の否定ではありませんか、と問い正したい師走の朝・・・

[52] 有難うございます。私もおんなじよ。
北沢泉 - 2003年12月17日 (水) 18時32分

なのに、記憶喪失、人格崩壊、挙句の果てに「クラウスではなく、安息を求めてきた、この世にありもしないパラダイス」、そしていよいよ廃人状態。こんな不幸な主人公って少女漫画随一じゃないかと思います。死ぬ直前になって記憶を取り戻すけれど、「あの天地が裂けるばかりの愛はどこへ」:さっき思い出したばっかなのに、悟りすぎ。
_______


そうですねユリママの心中って、決定的に至福を表現してるな、と思うのは、瞬間のお互いの思いの<通達>点が同時だったって事。まさに、死によって結ばれる時こそ、相愛とお互いが認識できたんですね。またそのスレにも書き込みますが・・・
ユリウスとアレクには、そのお互いの相愛という温度が紙面から伝わって来ないです。
記憶喪失のユリウスに対しての最初の態度とか。
もとの<不滅の恋人>と言葉を投げた人ですよ。
まして唯一の平和だった時代に学び舎を共にした学友でもあるんです。シベリアで感情も氷結したか、と震撼しましたよ。
この恋人の冷たさがさらに三部でのユリウスの青春<青春とよべるような春だったのか・・・泣>をさらに暗くしてるんです。
いかにその後、アレクがプロポーズしょうとも、この時のユリウスの一方通行の痛々しさは少女漫画の域からかけ離れた質感です。アンドレの時のように報われなくても、愛せる人がいる陶酔とか喜びもない。存在すら否定されるような言葉を投げ付けられる訳ですから。
結婚後も記憶もない。おぼつかない人生。
ただひたすらアレクの帰宅を待つ。そこに、吹雪きの恐怖の苦しみが・・・っていい加減にしてくれ!という感じですよ。
悲劇でもロマンや愛しあう喜びのエスプリ入れてくれないとただの拷問漫画でしょ。
ロシア渡航の決意する神々しさ。あのユリウスにまったく裏返しのセリフ言わせるとはひどい。読者は・・・神<作品を読み続ける事>を捨てるか否かと選択しながらよみ続けて行くという希有な作品。一部の裏返し。三部。
読まなかった事には出来ない作品キャラの魅力・・・

________________

 あーなんだかアンドレが見たくなってきました。私は前編と押してアンドレが好きなわけじゃないんですが(特に今読むとさすがにそれは独善的「すぎ」!という点も多い)、彼が死ぬ場面では大好きです。オスカルをかばって死ぬというまさに本望な死に方のうえ、盲目的に激しかった恋が静かな悟りの境地に至るような言葉。なつかしきかの人に、終わりなきわが想いをはこべ。泣けました。
____
そうですね、ほんと20台前半でよくこんな華麗な詩を作品に彫り込んだ物です。満足しきって・・・愛しつくして、もうすでに自分の目も見えなくなる、足でまといではなく、見守れる世界に・・・
______

>あの天地が裂けるばかりの愛はどこへ」:さっき思い出したばっかなのに、悟りすぎ。
_______

本当にね。あまりこの辺はページを開けないので、よく判りませんが、こんな事で自己完結されたら、読者はそれこそ、理解力も破綻しちゃう。

記憶喪失なのに、自分がロシアの駅に降り立っている処は回想できて、>安息を求めてきた、この世にありもしないパラダイス
というすばらしく明晰な自己確認のセリフは言える。
最後の言葉も然り。

もうこなってくると、如何に一部のユリウスとその周辺の設定を使って三部で反対の世界を描くかに情熱を傾けられたか、という事に興味が湧きます。

___

>あの天地が裂けるばかりの愛はどこへ」
読者へのおもいっきり、突き放しのこのユリウスの臨終の言葉。

名セリフとして語られてるの見ると、鳥肌立ちます。

一気読みの人はここで全部納得するんでしょうね。



[53]
すま - 2003年12月19日 (金) 15時50分

ユリウスとアレクには、そのお互いの相愛という温度が紙面から伝わって来ないです。
&& やはりそう思われますか。私も。第一部ではユリウスとクラウスがまだどんなに幼いにしても、共感できる、読者も酔える「恋」が描かれていたと思うのですが、第三部になるとそれが消える。第三部で描かれている恋は、レオニードのユリウスに対する想い、アデール、ヴェーラ、アナスタシア、その姉さん、ユーリィ、シューラ、彼らの恋には、どんなエゴイスティックな無茶苦茶なものであっても、ああこれは恋だなと伝わってくるものがあるのですが、なんか主人公のユリウスとアレクセイの恋愛感情は無理やりとってつけたみたい。それって、ほんとに恋なの?というか。だからユリウスが流産したときに言う「本当はクラウスではなく安息を求めていた」というセリフ、あれは実際、第三部を読んできてあそこでああ言われると説得力だけはあるんですよ。ああそうだろうなって。いやですけど。そういう話にせんといてほしかった。

記憶喪失なのに、自分がロシアの駅に降り立っている処は回想できて、>安息を求めてきた、この世にありもしないパラダイス
というすばらしく明晰な自己確認のセリフは言える。最後の言葉も然り。
&& そうですね、こんなとこだけ明晰すぎる。
   実際、第一部のユリウスの旅立ちには、彼女の不幸な状況・ギリギリの精神状態からくるネガティブな一面もあったと思うのですが、同時にやっと自分の人生を自分で選んだ、つまり「恋を追う」積極的な側面もあったと思います。それが、この流産の段階では、ネガティブな面だけだったということに結論づけられているようで悲しい。第三部のこの辺を描いてた作者にとってはそれが結論だったのかなあ。

 天地が裂けるばかりの・・・は名セリフとして語られているんですか。まあそれは分かる気がします。もっとも私が感じていることとは意味が違うかもしれないですが。私の印象では、あの真っ暗な第4部は、せめて最後くらい、「天地が裂けるばかりの愛」だったのだと彼らの「愛」を持ち上げてもらわないとやってられません。持ち上げてるといっても実は「どこへ行ってしまうのだ」という悲しい文脈のなかでなんですけどね。それでも無いよりマシか・・・くらいの感じです。だけどさらに冷静に考えると、第三部でそんな「天地が裂けるばかりの愛」は描かれてたかなあ・・・とまたしょんぼりしてしまう。
 ユリウスの死の場面での「かずかずの想いはどこへ行ってしまうのだ」というセリフは、充実した人生の最後に言うのならちょっと客観的視点が入ってバランス取れますが、あ・の・長い廃人期間を過ごした後で言われると、そんなまだ思い出したばっかりの時点で急にすべての過去を総括するような明晰な言葉が出てくるのも不自然だし、もうたいがいゲンナリして諦めてそれでも読み続けてきたところへヒロインはついに救い無く絞め殺されて最後にそんな総括で終わり、あー、どないせーっちゅうねん。

[54]
北沢 - 2003年12月25日 (木) 07時25分

ここも、一纏めにしましょうか?
談話室と話題が連動してお話が流れていますね。(笑)。
このスレはかなり訪問して下さる方へのサーヴィス的なコンテンツのつもりだったですが、やはり熱い討論スレに。(笑)
いや、満足です。なんこう〜いいですね。
お互い妥協なく、胸襟開いて共感と自説の吐露と時に反論。

ここまで真摯に語りあえて、ユリウスサイト管理人として、冥利に尽きます。

________________________

>記憶喪失なのに、自分がロシアの駅に降り立っている処は回想できて、>安息を求めてきた、この世にありもしないパラダイス
というすばらしく明晰な自己確認のセリフは言える。最後の言葉も然り。
&& そうですね、こんなとこだけ明晰すぎる。
   実際、第一部のユリウスの旅立ちには、彼女の不幸な状況・ギリギリの精神状態からくるネガティブな一面もあったと思うのですが、同時にやっと自分の人生を自分で選んだ、つまり「恋を追う」積極的な側面もあったと思います。それが、この流産の段階では、ネガティブな面だけだったということに結論づけられているようで悲しい。第三部のこの辺を描いてた作者にとってはそれが結論だったのかなあ。
_____________
そうですね、一部の後半のユリウスがアレクを追うと心に秘めた強さとか、渡航の手回しとか、何か押し付けられていた環境からの自立を示唆してるみたいで、格好よかった。
己を律してますよね。
ただのふわふわした恋いに現実逃避してるだけではない、明確な自分の為の人生を地固めしていく強さが美しく描かれていました。
その際立つユリウスの後半の美しさとかが、否定されちゃうんだよなぁ・・・
あの<安息・・・>とかセリフはそれを、そのユリウスが唯一示した能動的・積極的部分が。
そう、最期の最期でなんかもうあくまでユリウスはネガ・キャラで纏めてしまいたかった、というか、言葉が悪いですが、締めくくりにユリウスに泥かぶせちゃったような・・・

ユリウスの本当の悲劇は作者の心情変化で、その存在価値の偏差値をどんどん下げられて行った、という事に結論づけられてしまいますね。こうなると。

[55]
すま - 2004年01月02日 (金) 01時37分

ここも、一纏めにしましょうか?
談話室と話題が連動してお話が流れていますね。(笑)。
&& おまかせします。

 談話室をずっと楽しく読ませていただいて、カキコしようと思っていました。作者はユリウスというヒロインで何を描きたかったのかなーというのは前々からずっと考えていることなので、つらつら書きます。さっきBBSのほうに長々と書いてしまいました。とりあえずユリウスの犯した罪について。
 ユリウスの渡航についてはまた後ほど。レオファンの方の視点は興味深かったです。それに、魅力ある背徳キャラという見方もなるほどと思いました。だけど、それにしてもやっぱり、第4部はおっしゃるとおり「泥かぶせられて終わり」の観が強すぎます。背徳キャラなら背徳キャラでもっと華麗な終わり方がありますよね。純粋キャラにせよ背徳キャラにせよ、あの片付け方は無いやろー・・・。
 でも、それも含めて、ユリウスはなぜああいう運命をたどるように描かれたのか、池田先生はユリウスをどういう人間として描こうとされたのか、ということを改めて考えてみたいです。やっぱり第一部と第三・四部で人格の整合性が無いよ(←記憶喪失のせい)、という結論になっちゃうかもしれませんが。
 なんかあっちこっち行って申し訳ありません。



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