母がジストで十年近く闘病し、グリベックからスーテントに切り替え、退院しようとした日に体調が悪くなり退院出来ず。黄疸、吐気など。どういう状態か教えて下さい
キースムーンさん。晴れて退院という時に具合が悪くなり、あわてておられるようですね。私の妻もグリベックからスーテント切り替えて服用4か月です。さて、詳細は主治医から説明があると思いますが、一般的なことを書き込みしてみます。まず、黄疸ですが、血液検査でビリルビンが上昇していれば間違いなく黄疸ですが、スーテントを服用していると皮膚が黄色く(クリーム色)になりますので黄疸と間違えられることがあります。仮に黄疸が起こっている場合は、肝臓が壊れる場合と胆汁の流れを何かが邪魔している場合があります。GISTは柔らかい腫瘍なので、癌のように胆汁の流れを遮るようなことは少ないのでやはりスーテントによる肝障害が疑われると思います。その場合は一時休薬して回復後に再開ということになると思います。お大事になさって下さい。
お返事を頂きまして本当にありがとうございます。また貴重なお話ありがとうございます。難しい病気のため、本当毎日が一喜一憂です。この掲示板を見て、またお返事を頂けて少し心強くなりました。ありがとうございます。
黄疸で白目も黄色くなり、血尿と血便と腰の痛み、弱々しい目をたまに開けてくれます。話すこともつらそう。治験が無いか警察病院や国立がんセンターに行き、レゴラフェニブも認可されていないですし、今は腸から出血しているため水も飲めないです。首に注射をして栄養を入れています。一日中目を開けれない日もあります。内出血を全身におこしています。片方の足の感覚が無く、今は当然ベットに横たわっているだけで、一人では姿勢を変えることも出来ないです。毛もひどく抜けます。何よりも強い母が先日から弱音を言います。母のため、今後のジスト患者のため、僕に出来る情報提供をしていきたいと思います。何か頂けるアドバイスがあればお願いします。皆さん力を合わせてジストをやっつけましょう。
キースムーンさんこんにちは、スーテントは最初の1クールが一番辛く副作用が出るそうです。休薬中、腫瘍が大きくならないか不安かと思いますが、今はお母様の回復が最優先ですので他のことは考えず静養なさってください。みんなで力を合わせてGISTなんてやっつけましょう。
ありがとうございます。明日医者から今の状況など話があるので、何か新しい状況があればこの掲示板にご報告します。ありがとうございます
腸の動きが非常に悪く胃液を鼻から吸い上げなければ胃酸が吸収されずに嘔吐してしまう。食べれない。痛みを和らげる薬を使用すると今以上に肝臓の機能が低下して黄疸が酷くなる。二箇所ある腫瘍の一つが自壊。もう一つは薬が飲めないこのタイミングで大きくなって行き、腰を圧迫しているらしく腰の痛みが酷い。もう一つの腫瘍が自壊するのが今日かも明日かも分からない状況。手の施しようがないとの事。本当に怖いです。水を今日から飲む事を試してます。飲んで吸収出来れば薬も飲める。絶対に負けない。
サイモンカークさん腸の動きが悪い時は暖めると良いそうです。ホカロンをフェイスタオルなどでくるんで、おなかの上に乗せると多少違うと思います。痛みには経口薬が使えなければ、パッチやモルヒネなどは使えないのでしょうか。痛みは我慢するのではなく緩和することが肝要です。絶対に負けない気持ちがあるのですから、治療の障害を一つずつ取り払って、確実に前に向かって進んでください。
アドバイスを頂きまして誠にありがとうございます。今身内のものが付き切りで看病していますので暖めること試してみます。また痛みの緩和は積極的に取り組みます。絶対に負けたくないので、出来ることをやっていきます。本当ありがとうございます。この掲示板でお会いできる方々に頂ける言葉は本当励みになります。
腫瘍に圧迫されることで腰の痛みが強すぎ、腸が働かず、スーテントも飲めない。好きだった海に連れて行ってあげることも出来ない。緩和治療に移行して行くことになりそうです。
こんにちは。お辛いですね。家族としては悔いを残したくないと言う気持ちもあるかと思いますが、大切なのはお母様の意思も尊重する事ではないかと思います。今何を望んでおられるのか、どうすることがお母様にとって一番良いことなのかを考える時かもしれません。
先週木曜日に母の具合が凄く悪くなり、私は田舎に夜中車を飛ばして向かいました。金曜日の朝七時頃に病室についた時にはフェンタニルという強い痛み止めを何度も打ち母はもうろうとしてました。この薬は幻覚がでます。翌日母の友達に連絡をして最後の別れをして貰いました。この日は母は調子が良く車椅子に乗り、十何人に囲まれて一ヶ月ぶりに外の風を感じれる病院の玄関先にでれました。私は金曜日の朝から火曜日の朝まで泊まり込みで母と過ごしました。母は痛みを酷く訴え、痛み止めを沢山使用しました。痛み止めの副作用で幻覚が酷く、特に夜は怖かったです。月曜日頃になると尿が出なくなりました。腎臓と肝臓の機能が著しく低下しているとのことでした。あまりに痛みを訴え、幻覚が酷いので鎮静剤を医者にお願いしました。鎮静剤を打ったら母は静かになりました。そして火曜日の朝8時半に11年の戦いにピリオドを打ちました。最終的には尿毒症によって亡くなったとのこと。死後司法解剖をしたのですが、大きい大きいお腹の中は腹水がかなりを占めていました。自壊した腫瘍などが混じりドロドロの腹水だったみたいですが、腫瘍じゃなかったのなら取りのぞけたのでは無いかと思いましたが。。母はグリベックを七年、スーテント三年、二回の手術と本当に戦い抜きました。最後まで生きることを決して諦めなかったです。私と家族はこれから母の死を受け入れる努力をします。フェンタニルの量を増やさずに他の痛み止めが無かったのか、腹水を取りのぞけなかったのか、尿を排出する方法は無かったのかと、今になって思うこともありますが。この掲示板に出会い本当に良かったです。ありがとうございます。皆様の回復を僕は心から祈っています。
お母さん頑張られましたね。同じ病気の患者として敬意を表したいと思います。安らかにお眠りください。
ありがとうございます。母は最後まで負けなかったです。私も息子ながら、本当に母は立派だったと感動しました。最後の先生からの話の中にレボラフェレムは来年末に発売されると聞きました。新薬は次々出て来ます。何とか皆でジストを倒しましょう。母は57歳でした。本当に悔しいし悲しいです。ありがとうございます。
息子がここの掲示板を使っているのを今知りました。体はあいにくダメでしたが、心は強く受け継がれたものと思いました。ジストもきっと克服できる日が遠くありません。この場で治療に全力で向かっていただいた先生、看護婦のみなさま方ありがとうございました。
約11年前に腫瘍が見つかりなにかわからずに切除しました。このあとすぐにまた腫瘍が大きくなり再びの切除、この時切除がうまくいくかどうかも分かりませんでした。その後不確かな情報ばかりのため東京の国立がんセンターでの診断と入院。この時偶然にもグリベックの治験にめぐりあえその後再び大きくなってきた肉腫を小さくすることができました。この薬のおかげで約7年間 もちろん副作用はありましたが普通の生活が送れました。耐性ができたためか再び腫瘍の拡大が始まり薬をスーテントに切り替えました。グリベックよりもこの薬のほうが副作用としての手や足の皮膚が赤くなり痛がっておりました。約2年間この薬と向き合い効果がなくなってきたため再びグリベックにもどしました。効果がありましたがすぐにきかなくなりました。腫瘍が大きくなり腸を圧迫、足の静脈にも邪魔をしそのためむくみが発生。足に力がはいっているかがわからなくうまく歩けず転んでしまいます。そのたびに腫瘍の破裂が心配です。 いくつかあった腫瘍の一部が自壊しました。腹膜炎が心配されましたが腸管内で留まっていたため大丈夫でした。ただ腸の内部などで炎症があるようで白血球の数値がいきなり落ちましたが回復何度かの輸血を繰り返し数値が安定するのを待つことがありました。肝臓にも負担となったためか黄疸がみられやがて尿管から出てくる尿もオレンジ色から赤みがましとうとう尿も出なくなりおそれていた尿毒症にと進んでいきました。本人にもこのあたりの経過は伝えておりました。亡くなる4日前には仲の良かった友達を呼び顔をあわせておりました。痛みを最大限とることを約束しておりましたし、このころには私たち家族だけで見送ってやることができました。本当に強くて家族にたくさんの思いを残してくれました。今でもまだ戦っているようにさえ感じます。これらの病もいつかはきっと克服できます。みんなにこの病気に勝つ日が訪れるように彼女は病理解剖も受け入れました。私たち家族にとってとても優しくとてもつよい母親でした。ゆっくりと休んでください。ジストには負けませんでしたよ。
最後まで負けなかった