




|
||
| 返信 | ||
|
その記憶は現実ではいないのですが、自分に双子の姉妹がいて、その姉か妹かはわかりませんがその子の記憶を丸っきり忘れていて突然思い出す、緑で黄色い花柄のワンピースを二人で着ていました。 恐怖で起きたのかわかりませんが夢が覚めたのか現実にもどって過呼吸になりました。 それも実は夢だったのかまた寝てしまったのか、次の夢は自分がアイドルで自分が出たドラマの解説や対談を同じグループの子とネット配信で配信撮影してました、 途中でトイレに行きたくなり、トイレに行ったらゲロや汚物で汚いしきりのないトイレでなんとか頑張って使用し、また配信撮影に戻る夢でした。 とにかく過呼吸や双子の記憶が今までにない感覚と恐怖不安で過呼吸になったのも気になりました。 |
||
| [29]2015年04月22日 (水) 14時02分 | ||
|
||
女・26歳・1回目です よろしくお願いいたします。 | ||
| [30]2015年04月22日 (水) 14時04分 | ||
|
||
ゆうな様「双子と配信撮影」 はじめまして。 あなたは、夢に登場した家族や友人、あるいはその双子を思い浮かべたときに、どのような連想が働きますでしょうか?また、その人のことを知らない人に、その性格を説明するとしたら、どのように説明しますでしょうか? このような個人的な心の層から生じていると思われる夢を解釈するためには、連想を広げる作業や心理学的な性格類型、そして精神遍歴などのあなたの個人的な心の情報を必要とします。 ここにはそのような情報はありませんので、この掲示板での解釈があなたの場合にも当てはまるかは分かりませんが、この夢は「世間に見せている表向きの態度(ペルソナ)と、そのときに生じる心の問題」というテーマを持っているように見受けられます。 それは「対人関係や環境に適応するために見せている表向きの顔」という言い方もできます。 ですがそれは、本心とは反対の心の領域から働く心理であり、この夢では、そのときに生じる内的な問題を示している、と考えることができそうです。 この夢は、町という公共の場で、朝食という一日をスタートさせるために必要なエネルギーを得ようとする場面からはじまります。 一般的に、わたし達は誰でも、公共の場ではペルソナの心理が生じることがあります。 そして「朝食を食べて、今日も一日がはじまるぞ!」というときに、なんの予兆もなしに心の問題が生じ、過呼吸に陥ります。 夢の中の、現実にはいない双子というイメージは、おそらくシャドウコンプレックス(無意識下で影を潜めている未分化で理解不可能な何らかの性格の側面)と関係しており、その双子の存在が怖い理由は、それが誰でどんなパーソナリティであるのかも分からず理解不可能であるにも関わらず自分と同じような遺伝子を持っており、自分とそっくりで直接的に自我意識に関係しているからであり、この夢のこの場面は、なんの前触れもなくシャドウコンプレックスに触れてしまったという描写が表現されていると考えられます。 そしてその恐ろしい何らかの内容は「緑で黄色い花柄のワンピースを二人で着ていました」とのことなので、女性的な性格の要素(主に感情の豊かさや他人との関係性、恵み深さ、優しさ、柔らかさ、身体性、包容力、受身の姿勢、自然性、無意識性など)と関係しています。 そしてその次の配信撮影の夢も「ペルソナの心理を働かせているときに生じる心の問題」という、双子の夢と同じようなテーマを持っています。 と言うのは、基本的にアイドルは多くの人に好かれるために、本心よりも表向きの対応を上手に行う必要がある職業と言えます。 そしてネット配信で配信撮影という華やかにして表向きのキレイな対応を行っているときに、トイレという心の問題の排泄場所に向かいます。 ですがそこは汚いので、キレイに用を足す(心の問題を水に流す)ことに困難を感じます。 この2つの夢は、一見まったく違う内容にの夢に見えますが、心の深い層では、似たようなテーマを感じさせますね。 もっと詳しく解釈するためには、冒頭に挙げたあなたの個人的な心の情報を必要とします。 あまり具体性のない解釈となってしまいましたが、ニュアンスだけでも参考にして頂ければ幸いです。 いかが思われますでしょうか? | ||
| [31]2015年04月22日 (水) 22時38分 | ||
|
||
その子を思い出した時、その子の事は性格や内面はわからず、姿しか思い出さなかったのですが、その瞬間今までの記憶が甦り、全て嘘だった、本当じゃない、本当は双子の姉妹の記憶があったんだ、周囲がみんな嘘をついている、何かかくそうとしている、と恐怖と不安が溢れてきました。 心情としては、実は今、体調を崩し、休職中で最近一気に回復しそろそろ復帰できそうだ!と今まで逃げてきた事や色々な事に立ち向かえそうな、(立ち向かわなきゃな)前向きな気持ちに切り替わってきた時にこの夢をみたので不安で相談しました。 家の問題も抱えていて、将来や過去や自分を見つめ治していた時だったのでこんな不思議な夢を見たんですね | ||
| [32]2015年04月22日 (水) 22時54分 |

|
||
| 返信 | ||
|
昨日見た夢がきになり、解釈をお伺いしたいです。 キッチン横のテーブルで亡くなった祖母や父と 沢山の人で楽しくてれびをみていました。 買ってきたケーキをたべようと言ったのですが、 切ってみると一つ足りなかったので、 私はいいかなぁと思ったところ 祖母がいなくなったのにきづき、二階に探しにいき、 夢がさめました。 祖母が亡くなって10年たちます。たまに祖母のゆめはみるのですが、 きになったので、お伺いできるとありがたいです。 この夢ははじめてみました。 よろしくお願いします ・・・・・・・・・・ 年齢を入れていなくて申し訳ないです。 38歳 女性 一回目です。 2015年03月18日 (水) 07時54分 |
||
| [25]2015年03月18日 (水) 07時51分 | ||
|
||
ようよう様「亡くなった祖母を探す」 はじめまして。 あなたは普段、祖母や父を思い浮かべたときに、どのような連想が働きますでしょうか? また、祖母や父のことを知らない人に、その性格や人柄を説明するとしたら、どんな人と説明なさるでしょうか? 夢は、その夢を見たご本人が連想されるすべてと関係があります。 そして、情報量が少ないのでこの夢の場合にも当てはまるかは分かりませんが、一般的に夢の中の祖母は、その夢を見たご自身の内側にある母性的な心の働きが表現されている場合が多く、それはキッチン(機能としての家庭の中枢部であり、無意識的な心の問題などに火という意識の熱を通し、受け入れにくい要素を煮詰めて受け入れやすく意識化していくプロセスと関係する)の横にたくさんの人と楽しくテレビを見ています。 また、二階は一階よりも、より精神性の高い場所であり、現実的な領域(一階)から、精神的な領域に母性的な心の働きを探しにいくところでこの夢は終わります。 間違えていたら申し訳ありませんが、もしも日常の生活の中で、あなたは親戚などの子どもや子犬や観葉植物に至る何かを目の前にしたときに、世話をしてあげたいというような母性的な働きを見失ってしまっているとするのなら、それがこの夢に当たるのかも知れまず、それを精神性の高い領域まで探しに行かなければなりません。 あるいは、もしそうでなければ、祖母で象徴しているような「母性的な保護は私には必要なくなった」という心理的環境を会得してきたので、夢の中で祖母が消えてしまったのかも知れません。 いかが思いますでしょうか? もっと詳しく解釈するためには、やはり夢に登場した心像の連想を広げる作業やご本人の心理学的性格類型、私生活での心境などを考慮する必要があります。 | ||
| [27]2015年03月18日 (水) 20時37分 | ||
|
||
朝起きて不思議はゆめで、慌てて書き込んだため、 文章がまとまらず、申し訳ございませんでした。 読んだ瞬間思い当たることがたくさんあり、 びっくりしてしまいました。 子どもたちに対し、母性を持ち続けたい気持ちと いつまでもいまの自分でいいのかと 葛藤しているところでした。 無意識で自分の母性をさがしているという部分は まさに当てはまる部分でした。 先生に頂いた回答をみて、見失っていた場所をもう一度確認してみようと 考えています。本当にありがとうございました。 | ||
| [28]2015年03月18日 (水) 21時10分 |

|
||
| 返信 | ||
|
はじめましてm(__)mあいなと申します。 昨日、みた夢がとても怖くて外へ出るのがとてもとても怖いです。 その夢とは、仔猫を殺してしまう夢です。 最初、私がいつも寝ているベッドで私と一つ下の弟と仔猫が2匹いました。 茶色と白の仔猫が寝そべっていたため、撫でてあげると、とても気持ち良さそうでした。眠たそうな顔もしてました。 撫でていると、撫ですぎたのか、仔猫の機嫌を損ねて、怒ってしまい、爪を立て、私を引っ掻こうと襲ってきました。 私は布団で自分の身を守ろうとしたのですが、仔猫は襲ってきます。 (いつの間にか黒い仔猫にかわっていました。) 痛い思いをしたくないため、仔猫に向けて、バシッと片手を降り下ろすとベッドから落ちました。 黒い仔猫を引き上げてみると、死んでいました。 そして、私は証拠を隠滅させるため、なぜか黒い仔猫を冷凍しました。そのあと、何かをまたしていたのですが、思い出せません。 そして、そのあと、私の今住んでる家ではなく、父と弟と義理の母が住んでいる家に場面は移り、(私は祖母と祖父と暮らしています。)黒い仔猫を冷凍しなおすため、水みたいなのにつけていました。その直後にポニーテールをしている私の髪をフサフサフサァ〜っとなり、私は呪いかと思い『わぁぁぁぁあ!!!!』っと声をあげ、弟に助けを求めて、そのあとに、黒い仔猫をその父と弟と義理の母が住んでいる家の冷凍庫にしまいました。(しまう前に黒い仔猫の黄色い目が開いており、とても印象的でした。) 途中まで(冷凍する前)は、他のサイトをみたりして、わかったことはあったんですが、冷凍の意味がわからず、とても気になって仕方がないです。 ちなみに寝る前に彼氏とLINEをし、私は別れようか考えんたりしていました。彼氏は笑うと猫が寝たときみたいな目になるため、そのときに白い猫を思い浮かべました。泣きながら寝ました。 猫はとても大好きです。こんな私が猫を殺してしまうなど、とても残念でなりません。 夢診断の方をお願い致しますm(__)m とてもとても気になります。 |
||
| [21]2015年02月27日 (金) 01時57分 | ||
|
||
あいな様「仔猫を殺してしまう」 はじめまして。 あなたは普段の生活の中で、どの程度、仔猫のように自由気ままに本能的な性格の傾向が生かされていますでしょうか? 情報量が少ないので、この夢の場合にも当てはまるかは分かりませんが、夢の中の動物はご本人の本能的な性格の側面をあらわす場合が多くあり、その中でも猫は神秘性や自由気ままさ、見えない危険を感じとるような直感や洗礼されて性的な感覚、あるいは女性的な本能の豊かさなどをあらわす場合があります。 今回の夢では、そんな無意識下の要素を撫でていて最初は良い関係性を持っていますが、それはやがて、コントロールの利かない厄介な野蛮さへと変貌します。 それは、その仔猫で象徴している本能的な何らかの否定的な活性化をあらわし、手に負えなくなってしまった結果、あなた(夢の中の自我)は自分を守ろうと勢い余ってその仔猫を殺してしまいます。 そのとき黒くなっていたのは、それは無意識の否定面(ダークゾーン)に身を落としていたことを匂わせています。 つまりこの夢は、自分自身の内面にある仔猫のような本能的な要素と良い関係を持つことの難しさ、のような意味合いを汲み取ることができそうですね。 そして証拠隠滅のため、その死体を冷蔵します。 髪がフサフサフサァ〜っとなったのは、髪という知的な側面と仔猫という本能的な側面の相対的な関係性がよく表現されているように思われます。これは、本能を力ずくで押さえ込むことで知的な側面が影響を受ける、ということを意味しているように感じられますね。 ですが、なぜ証拠を隠滅するために冷凍庫が選ばれたのでしょうか? 基本的に冷蔵庫や冷凍庫は、保存するための家電製品ですので、夢の中のその心像は女性性の一つの傾向である保守性と関係があります。 ここに女性特有の表と裏の心理を見受けることができます。つまり、証拠を隠滅したいという気持ちの裏には、(それはもともと仲良しであった可愛い仔猫、女性的な本能の豊かさなので)腐らないように大切に保存をしていたい、という気持ちが隠されているのではないか思われます。 多くの女性にとって、仔猫で象徴している本能的な性格の側面とは、家族や恋人などの対人関係の良好さや愛情面とも関係しているように思われます。 いかが思いますでしょうか? 詳しく解釈するためには、やはり仔猫や弟などの連想を広げる作業やご本人の心理学的性格類型、この時期の心境などを考慮する必要があります。 | ||
| [22]2015年02月27日 (金) 22時38分 |

|
||
| 返信 | ||
|
お久しぶりです。先生の夢診断に後押しされ、無事資格を取得できました。ありがとうございます。 今回とても印象的な夢を見ました。私は市の体育館を利用しようとしています。なぜか体育館の入り口にはふすまがあり、そのふすまは正月に神棚に飾るような、白い切り紙で覆われています(模様は竹など自然のものが多く、きれいでした)。ふすまを開けると、また次のふすまが現れます。同じようなふすまを、次々7〜8枚開けました。 そこはほの暗い部屋で、灯明の明かりが印象的な部屋でした。長机が置かれ、将棋盤が5〜7枚載っています。どれも対局中の状態のままです。たった今まで対局が行われていたような、緊張感や人の気配に満ちています。誰もいないのが不思議なほどです。そして不思議なことに、将棋は9マス×9マスですが、それらの将棋盤は12マス×12マスあります。部屋を見渡すと、たくさんの位牌、若くして亡くなったプロ棋士の遺影などが飾られていることに気づきますが怖くはありません。ただ、この部屋はなんだ?と部屋の雰囲気に圧倒されています。 さらにその奥には、もう少し小さな部屋があり、そこは自然光のような光があるやや明るい部屋で、将棋盤が2枚置かれていますがやはり誰もいません。この部屋の将棋盤のマス目は9マス×9マスで普通の将棋盤です。奥の部屋の雰囲気に少しほっとしたのを覚えています。私はこの2つの部屋の不思議さについて、自分の生徒たちや将棋教室の先生に説明しているところで目が覚めました。 私自身は、将棋は全く強くないのですが、受け持ちの生徒が将棋が好きなので、1年ほど前から将棋を始めました(私にとっては生徒との非常に大切なコミュ二ケーションツールでした)。1年経っても全く上達せず、情けなく感じながらも続けています。もうすぐ生徒たちも卒業するので、(全く向いてないのに)私は将棋を続けるのか?と考えているときにこの夢を見ました。 よろしくお願い致します。 |
||
| [12]2015年02月09日 (月) 22時19分 | ||
|
||
みみか様「将棋の部屋」 また投稿を頂き嬉しく思います。 ふすまや将棋は、とても古い時代からよく知られているものであり、将棋はご本人の身近にありよく使うものでもあるとのことですので、この夢は普遍的な心の深い無意識の層と、個人的な心の浅い(意識に近い)層の、その両方と大きく関係がありそうですね。 そして「体育館」と「将棋」の2つに共通する連想イメージは、動かす、よく機能する、対峙する、競い合う、などではないかと思われます。 つまりこの夢は、心の中で未知なる何かと向き合い、何かと戦おうとしているときの描写について表現されていると思われますが、それが具体的にはなんなのか、この夢からはその手がかりさえ見つけることは難しいように思います。 また、広く一般的に、このようなある程度ストーリー性のある夢の結末は、無意識が思考を働かせた結果の答えや、解決策などを意味する場合が多くあります。 この夢では、心の状況を説明することが解決策のようですので、もしかすると、 「普段の日常生活において生じた悩みや意見などは、気軽に言ったほうがいいよ」 とこの夢は語っているのかも知れませんね。 また、もう少し心理学的な解釈をさせて頂きますと、夢や昔話など無意識から直接、生じたお話に出てくる「4」や「4の倍数」は、心の全体性を(あるいは全体を調節するような働き)を持っていると考えられており、もし、ふすまという日本の古来からある心の深い層の扉を8枚開けた先に、ほの暗い部屋があったのであれば、その部屋は、日頃の生活で何らかの方向に偏っている心のバランスを整える働きをもった部屋、と考えることもできますし、「12マス×12マスの将棋盤」という心像も、分析心理学でいうセルフの心像かも知れません。 セルフとは心の全体性であり、中心でもあり、何らかの偏りを調節するような働きを持っています。 また面白いことに、人間の無意識から直接的に生じてきたものを研究すると、4,8,12という数字がよく登場することが分かります。 おそらく、時計が12で一区切りとなる理由も、季節を春夏秋冬の4つに分けている理由も、白雪姫を助ける小人が7人(姫を含めて8人)いる理由も、この全体性(セルフ)のイメージと関係していると思われます。 そしてその部屋には、「若くして亡くなったプロ棋士の遺影」があります。 これは、あなた自身が幼い頃には可能性としては持っていたけど、大人になった現在ではもう亡くなってしまったプロ棋士のような何らかの性格の側面を象徴しており、それはおそらく、賢くて戦いに向いている何らかの性格と思われます。 その部屋は、7,8枚のふすまの向こうにあり、ほの暗いですので、未知なる心の深い無意識的な心の側面であり、緊張感はありますが、何かを解決するために必要な何かを匂わせています。 もう一つの小さな部屋は、将棋盤も通常の数となっており明るいので、日常や意識の側面に近く、比較的、浅い意識野に近い心の側面を象徴しています。 そしてこの夢は、「無意識の深い心の領域から、心の浅い意識野に何かを持ち帰ってきた」という描写を持っています。 また、基本的に夢の中のセルフのイメージは、心が様々な要素を統合してバランスをはかり、次の意識の段階へと成長しようとしていることを意味するので、もしもこの夢にもそれと同じことが言えるのだとすると、とても肯定的な夢と言えます。 詳しく解釈するには、やはりご本人の心理学的性格類型や連想を広げる作業、私生活での心境などの情報を必要とします。 | ||
| [13]2015年02月10日 (火) 15時33分 | ||
|
||
夢に出てくるものの数についてあまり意識したことがありませんでしたが、今回は同じものが複数出てくる珍しい夢でした。数字にも意味があるのですね。 先生のご意見を伺って、出てくるものや展開の一つ一つについて、考えてみているところです(自分では自分のことはよく見えないものですが…)。 「無意識の深い心の領域から、心の浅い意識野に何かを持ち帰ってきた」という部分を読んで、なんだかストンとした気持ちになりました。言葉で説明できないのですが、なんだか今回は大きな夢を見た気がしたので…ありがとうございました。 | ||
| [15]2015年02月12日 (木) 00時00分 |

|
||
| 返信 | ||
|
怒っているのですが夢の中なので思うように声が出せません。 どうして声がちゃんと出せないんだろうと不思議に思いながらも、 その男性に反論をして電話を切った次の瞬間に玄関のドアを叩く音がして、ドキッとしました。 私は、えっ!何このタイミング。 もしかして今電話を切った男性?と、ちょっと怖い気持ちでいます。 鍵を開けて出ようとした母に、「鍵は閉めたままにして」と伝え、 鍵をかけた状態で「はーい」と私は大きな声で返事をした瞬間、 寝ていた私自身が本当に「はーい」と大きな声を出したようで、 自分の声で目が覚めて「夢か…」と思った瞬間にまた眠ってしまったようです。 眠ってすぐに夢の続きを見たのですが、 鍵をかけたままドアを開けてみると、白いポロシャツを着た見知らぬ男性がドアの前に立っていて、夢から覚めた時に、今まであまり見た事のないような不思議な夢だったな…。 なんだったんだろうと目が覚めても気になっています。 ちょっと不思議な夢だったので、是非夢診断をお願い致します。 35歳/女性/1回目 |
||
| [8]2015年02月08日 (日) 23時32分 | ||
|
||
サラ様「ドアの前に見知らぬ男性」 はじめまして。 具体的な思い出でも漠然とした印象でも結構ですが、あなたは香港や旅行を思い浮かべたときに、どのような連想が働きますでしょうか? あるいは、夢に出てきた見知らぬ男性がどんな人だったのか? また、母親を知らない人に、その性格を説明するとしたら、どんな母と説明しますでしょうか? このような個人的な色合いの多い夢を解釈するためには、そのような夢に登場した心像の連想を広げる作業がとても重要となってきます。 この掲示板には、そのようなあなたの個人的な心の側面の情報はありませんので、ここでの解釈がこの夢にも当てはまるかは分かりませんが、基本的に、夢の中の電話は、ご本人が内省しているときに無意識と直接コンタクトをとっているような、直感的な心の働きが表現されている場合が多く、あなたは「それって昔の旅行の事じゃないですか?」と少し怒っています。 怒っている理由は、夢の中では旅行に行きたかったのに、それはもう行ってきた旅行だよ!ということで腹を立てているのかも知れません。 このことは、意識の領域が一気に広がるチャンスだったのに、もう既知の意識領域だった、ということを意味していそうですね。その内容は香港で連想される何かと関係があります。 また、電話のその男性と、ドアを叩いた見知らぬ男性は同一人物と思われ、その男性はあなたの無意識下の何らかの男性的な心の働き(主に知的な判断力や自立性、決断力、発言力、論理性、忍耐力、合理性、創造性、客観性、意識性などの何か)を象徴しています。 それはおそらく、あなたの普段の日常生活ではほとんど生かされていないので、無意識下に未分化のまま影を潜めているような何らかの男性的な性格の要素です。 それは分析心理学ではアニムスの心像と呼ばれていて、複雑な感情や観念の複合体(コンプレックス)と色濃く結びついています。 そんな見知らぬ男性とあいだを取り持つのは、母親という母性的な心の働きで、彼はあまりにも訳の分からない未知なる男性像なので、家の中(既によく分化していて発達している意識の領域)に入り込まないように、鍵を閉めたままにしてと言い、はーいと返事をします。 これは戸惑いながらも、意識に侵入してこようとしてきている男性像と向き合う覚悟ができた、ということを意味しますが、そのコンプレックスに危険を感じているので、一度、「それは夢だから大丈夫だ」と言い聞かすかのように目を覚まし、再び眠りに落ちます。 そうすることで、ようやく、その見たこともない無意識下の男性的な性格の要素と向き合うことができたようです。 男性的な性格の要素(アニムスの心像)とは、女性が男性のようにテキパキと仕事をしたり、人生を邁進するためにはどうしても必要となりますが、女性が自分らしい個人の女性となるためにも、とても大切な要素と言えます。 今回の夢では、そんな心の働きが意識に侵入しようとしてきている、という描写について語られています。 いかが思いますでしょうか? もっと詳しく解釈するためには、やはり、冒頭に挙げた連想を広げる作業やあなたの心理学的類型、私生活での心境などの情報を必要とします。 | ||
| [11]2015年02月09日 (月) 13時40分 | ||
|
||
香港は昔一度行った事がありますが、正直これといった感想は持ちませんでした(笑) また、元々アジアにはあまり興味がなく、この時はただただ友人と買い物を楽しむだけに選んだ国だったのですが、また行きたいとは思いません(笑) そんなこともあって、何故今になって昔の香港旅行の話が出てくるのかさっぱり解りません。 ドアの前に立っていた男性は、体格のいい男性で白いポロシャツを着ていました。 野球の大谷選手に似た男性でしたが、 野球には全く興味がなく、勿論大谷選手にもあまり…。 ただ、そろそろ結婚したいと思っています。 相手はいませんが。 残念ながら好きな人もいません。 最近はとにかく不思議な夢ばかり見るので、どうしたんだろう? と思う事が多いのですが、昨年秋頃からちょっとした意識改革のような事を 始めていて、物事の見方・受け止め方を変えていくという作業をしています。 これは7〜8年前にも一度チャレンジしていて、その時は色々な葛藤や疑問が 出てしまい挫折してしまったのですが、今回はかなり真剣に行っています。 そんな事もあって、今回のような夢を見たのかもしれません。 顕在意識と潜在意識の間で色んな事が起きているのかもしれませんね。 とても参考になりました。 またよろしくお願い致します。 | ||
| [14]2015年02月11日 (水) 22時30分 |

|
||
| 返信 | ||
|
私は家族でどこかの家に住んでいます。(本当の実家ではなく、もう少し和風のむかしながらの家です。) 私は母親と車に乗っていて、ふと母親が父親のくるまを発見したようで、不思議なことを言いだしました。 「今、お父さんの車に、金色の車の霊がかぶさってた」と。これいがいにも何か言ってましたが詳しくは忘れました。 その車には愛犬も乗っていました。 なぜか場面が変わって、私は友人と歩いていて、いつも並んでいるカレー屋さんの前を通りかかった時、友人がテイクアウトでそのカレーを購入しました。私は迷いましたが、なぜかカレーとは別にお寿司も売っていたのでそちらにしようと思いましたが、売り切れで買えませんでした。だったらカレーにしようと一番サイズが小さくて安い物を頼んだらそちらも売り切れで、多少ごねながらその次に安いカレーを買って帰りました。 ここからがよく見る夢の内容です。 うちに帰ると、(このあたりが詳しくは忘れてしまいましたが)嫌な予感がして、さっきの母親の霊を見たという発言を思い出し、なぜか「うちの犬が危ない!!」と思いました。すると、うちの犬は小型犬なのですが、壁が少し開いて紐のような物がでて きて、うちの犬に巻き付いた瞬間、開いた壁の隙間に吸い込まれました。私は慌てて壁をドンドンしたり、返せー!!と叫んだりするのですが、壁は開けようと思えば開けれるので、開くと中には小さいカーテンになっていて、それより先はなぜか開けてはいけないし、手も入れてはいけないと思ってしまい、踏み込めませんでした。一旦外に出ると、どうやらお隣が怪しい宗教団体のようで、黄土色の逆二等辺三角のような形の目だけくり抜かれた覆面とマント?をした人物がうちの犬を抱えていました。(以前見たときは複数いましたが、昨日は1人でした)私は、理不尽な行動にすごく腹が立っていて文句を言っていましたが、なぜか彼らの土地に踏み込むのが怖く、文句を言っていました。その覆面の人がうちの犬を連れて中に戻ろうとしたので、すごく焦って、いつもなら入らない土地に踏み込んでしまいました。すると覆面の人は覆面を脱ぎ(ここからは初めてです)こちらに振り返りました。40代くらいの金髪のボブの女性で、少し気だるそうでした。私は、(顔を見てしまった…。どうしよう。。)と命の危険を感じたところで目が覚めました。 少し怖かったので、先生のご意見を聞けたら幸いです。よろしくお願いいたします。 |
||
| [6]2015年02月08日 (日) 10時02分 | ||
|
||
れな様「お父さんの車と愛犬」 お久しぶりです。 保存用にUPさせて頂いているページを見ると約半年ぶりくらいでしょうか。 広く一般的に、夢の中の実家や昔の家は、幼い頃に置き忘れてきたような何らかの心の要素や、今持っている性格の起源となっているよう深い心の側面を象徴する場合が多くあります。 そしてこの夢の中の「和風の昔ながらの家」は、おそらく、あなた個人の性格の、というよりも、さらに深い普遍的な心の層である、広く一般的に見たときの日本人の基本的な性格傾向の起源となっているような心の領域を象徴的に表現されていると考えられます。 れな様は普段から内的世界に興味をお持ちのためか、この夢は冒頭は心の深い層からはじまり、次の場面では母親と自動車に乗っています。 この夢の場合にも当てはまるかは分かりませんが、夢の中の自動車は男性的な心の働き(主に知的な判断力や自立性、決断力、発言力、論理性、忍耐力、合理性、創造性、客観性、意識性など)によって人生の道を進んでいる、というイメージを持つ場合が多いのですが、そこには女性である自分と母親しか乗っていないのだとすると、女性的な観点からがんばって男性的な心の働きを機能させている状態にある、ということを示しています。 そんなときに、男性的な人生の道を進めているお父さんの自動車を見つけ、そこには「金色の車の霊がかぶさってた」と言います。 霊なのでそれは実態の知れないあやふやな何かではありますが、金色は黄金であり、一般的に夢の中の黄金は未来永劫絶対普遍の、と言うイメージを伴います。 例えば、ツタンカーメンが黄金のマスクである理由は、厳格な王の存在は未来永劫であり、絶対に変化したり色あせたりしてはいけないので、金という素材が選ばれたと思われます。そして実際に、紀元前1324年以上も昔のそのマスクは、現在でもその黄金のマスクは色あせることなく輝きを保っています。 なのでこの普遍的なイメージがこの夢の場合にも当てはまると仮定して解釈すると、この場面は、男性らしい人生の走り方をしているお父さん自動車に、黄金の車の霊という未来永劫、色あせることなく永遠に続くであろう絶対的な男性性が憑いている、というイメージを心の中で垣間みた、という意味合いがあるのかも知れません。 ですがそこに、一つの矛盾が存在します。 というのは、その自動車には愛犬の小型犬も乗っており、その犬は基本的に、人間らしい人生を歩むことは不可能な本能的な性格の側面を象徴しています。 つまり「金色の車の霊をかぶったお父さんの自動車」と「愛犬の小型犬」という2つの心像は相対的な関係にあり、どう見てもお互いに相容れない関係にあります。 そして、色々とごねながらも何とかして心的エネルギーを摂取するための、安いカレーを買うと、その問題と対峙することになります。 ここまで解釈すれば、あとは全て言わなくても何となく意味がお分かりになるかも知れませんね。 つまり、40代くらいの金髪のボブの女性は意識と無意識を仕切る何かを象徴しており、あなたの現実の生活において、人生を男性的にテキパキと進めていくためには、小型犬で象徴している大切な本能はジャマに作用してしまうので、その大切な要素に危険を感じるのです。 顔を見てしまったことで命の危険を感じるのは、無意識下の劣等機能という恐ろしい影の側面に触れてしまったためと思われます。そこは非常に色濃い何らかのコンプレックスと結びついており、主体性を脅かす危険な心の領域と言えます。 この夢は、そのような心の中の肯定面と否定面の両方が描かれているようですね。 いかが思われますでしょうか? やはりこの夢を詳しく解釈するには、夢に登場した心像を思い浮かべたときの連想を広げる作業や、私生活での心境、心理学的類型などの情報を必要とします。 | ||
| [7]2015年02月08日 (日) 22時23分 | ||
|
||
貴重なお時間ありがとうございました! [9]2015年02月09日 (月) 08時18分 | ||
| [10]2015年02月09日 (月) 12時36分 |

|
||
| 返信 | ||
|
|
||
| [4]2015年02月07日 (土) 07時11分 | ||
|
||
ぽん様「娘と昔風の日本女性」 はじめまして、鈴木めいやです。 この夢は、アニマの心像の否定面が表現されている典型的な夢と思われます。 アニマの心像とは、男性の無意識下の未分化な女性的な性格の傾向(主に、感情の豊かさ、他人との関係性、恵み深さ、優しさ、柔らかさ、身体性、包容力、受身の姿勢、自然性、無意識性など)が人格化された心像で、今回の夢では、その否定面は「昔風の日本女性」という心像としてあらわされています。 たとえば、古代ヨーロッパのチュートン族の神話に出てくる、ローレライという女の姿をした水の精は、歌によって男を死に誘い込もうとします。 スラブ神話では、溺死した女の霊が登場し、通りかかる男に魔法をかけて溺死に追い込みます。 他にも世界中に、アニマの否定面がモチーフとなっていると解釈されている話しはたくさんあります。 今回、投稿頂きました「娘と昔風の日本女性」の夢も、それらと同じ、全人類の共通の普遍的な心の働きがモチーフとなっていると思われます。 そしてこの夢は、温泉という、わたし達が生きていく上で必要な生命力(命の湧き水)に入り、生命力を養ったあとに、「賞味期限切れの総菜」→「山に向かう細い道」→「洋館のような大きな建物」と、どんどん心の奥底(非日常的な無意識の深い領域)へ進んでいくという文脈を持っています。 また、娘という心像は、おそらくアニマの肯定面を象徴的にらわしており、分析心理学では、アニマは意識と無意識の仲介者としてよく知られていますので、今回の夢でも、娘さんの案内によって無意識の深みに足を踏み入れます。 そして「その女性は男に裏切られてこの世に未練を残した、男が現実に戻ろうとすると追いかけて最後には男は狂い死にする」と言います。 まるで、神話や昔話に迷い込んだかのような元型的な印象の色濃い夢ですね。 もし間違えていたら申し訳ありませんが、このような夢が生じたということは、もしかすると人生やあるいは精神的な過渡期にさしかかっている年齢だと言うことかも知れませんね。 この夢を詳しく解釈するためには、やはり「娘さん」や「温泉」などの、夢に登場した心像を思い浮かべたときの連想を広げる作業や、ご本人の私生活での心境や心理学的類型などの情報を必要とします。 | ||
| [5]2015年02月07日 (土) 13時11分 | ||
|
||
いつもは夢などみない(みても直ぐに忘れている)自分ですが、あまりに強烈で鮮明に覚えていた夢だったもので、偶然に見つけためいやさんのサイトで質問させて頂きました。 回答頂いた内容を理解する為にサイト内で色々と勉強し何とか理解することが出来ました。 「人生やあるいは精神的な過渡期にさしかかっている年齢だと言うことかも知れませんね。」とのことですが、確かに思い当たる節はあります。 自分の最終キャリアをどうするか、子供たちの独立、夫婦でのセカンドライフ、等々このタイミングで考えるべき事が多く出てきたところです。 この夢がさらに自分の幅を広げるきっかけとなったと前向きにとらえました。 めいやさんありがとうございました。 | ||
| [20]2015年02月13日 (金) 00時49分 |