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♪エリック・クラプトンの名のもと!ここに集まりましょ〜う♪

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よっ、大統領  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月19日 (水) 12時27分  No.5295
 
先日来話題になっている、オバマ大統領自選の夏向け40曲リスト。昼編と夜編に分かれている。

しかしまたディープな・・・
相当の音楽マニアと見た。

https://open.spotify.com/user/thewhitehouse/playlist/4RGLH5YuS6ldp7aCKaTWas?ref=wp

https://open.spotify.com/user/thewhitehouse/playlist/3fAriv8eMWELCwbWrhMKy2?ref=wp
ネイザンのビルボード・ライブ  投稿者:LIZ  投稿日:2015年08月09日 (日) 05時13分  No.5281
 
クラプトン・バンドのbassネイザン・イーストがもうじき来日。東京と大阪でビルボード・ライブがあります。
と、エリックのCD購入時に通知メールが届きました。
で、どないなモンかしら…と
大阪、8/14(金)
2nd-21:30開演。90分のステージだと日帰りは無理そう…

1stか2ndか、それがモンダイだ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月09日 (日) 09時29分  No.5283
吉備=岡山だと、2ndセット終了後に新幹線での帰宅は無理でしょうねえ。
湊町(難波の外れ)出発で岡山駅西口午前3時着でよければ、深夜バス(リョービエクスプレス 大阪→岡山 23:55発)という手がありますが。
1stセットに行くという選択肢はないんですか。
仕事を終えてからだと間に合わないか。

・・・  投稿者:内田裕也(本人)  投稿日:2015年08月10日 (月) 00時42分  No.5285
フジテレビNEXTの生放送を録画予約しました・・・

石巻か青的か  投稿者:LIZ  投稿日:2015年08月10日 (月) 19時55分  No.5286
>ブルー爺さん
2nd、そうなんです。都合上、選択の余地がなくて。チケットは入手済みなのであとは足。
ところで、在関西…でしょうか?一枚のみですが宜しければお譲りします。オープンにしている店舗等へ送らせていただきます。
>裕也さん
ステキな情報ありがとうございます。
ビルボード・ライブ東京、8/12,1stがライブ中継されるんですね!再放送も13日の午前と午後に有るようです。

ロックンロールかブルースか
いえいえ、ブルージーなロックンロールが聴きたいこの頃です。

蛇足&老婆心ながら  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月10日 (月) 23時24分  No.5287
チケットの件ですが、お盆は関西を不在してます。ここ見てる人でどなたか引き取り手はいらっしゃいませんかね。

ビルボードは通常、終演後サイン会があって、一緒に写真を撮らせてくれたりもします。列に並ばないといけないので、参加したら深夜バスを捕まえるのはちょっと難しいかもしれませんね。慣れてる人だと、「湊町バスターミナル(OCAT)」までは30分ほどで行けますが。

ビルボード(ハービスPLAZA地階)→(地下街を徒歩5分)→地下鉄四つ橋線西梅田駅→(地下鉄10分)→地下鉄四つ橋線難波駅→(徒歩5分)→湊町バスターミナル(OCAT)

貴女におせっかい  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月11日 (火) 03時00分  No.5288
あとから急に思いついた。どうせなら一泊して、8/15のサマーソニック大阪初日に足を運ばれてはいかがですか。
プリンス迷走後、「ブラック・ミュージックの救世主」とも謳われるディアンジェロが出演するのです。待望の初来日。

クラプトンとも共演歴あり!

http://youtu.be/5GPzVQ7Nb2g

http://youtu.be/u0IH_jE4vw8

http://youtu.be/DMb8BhCXNs4

サマソニHP

http://www.summersonic.com/2015/

マウンテン・ステージのトリで、出演予定時間は19:35〜20:55。岡山行きの新幹線には確実に間に合います。

ナイスフォロー  投稿者:LIZ  投稿日:2015年08月11日 (火) 20時00分  No.5289
丁寧なお返事に、二度ものナイス・フォローをありがとうございます。
深夜便、便利良さそうですね(^^)
ECの公演などで難波のBT2ヶ所を利用しましたが…毎度迷います(-_-;)田舎モノは地下に弱いです(苦;)。
サマーソニックはネイザンのチケットを検索した時もbillboardと同時に結果表示が有りました。ネイザンも大阪から中一日で東京幕張?16日に出演と。
大阪のサマソニも魅力的なんですが、如何せん家庭の事情。オマケにお盆真っ只中なわけで。大阪2daysもいつも弾丸日帰りトンボ帰りでした。
深夜便にトライしてみます(^o^)。

更にフォロー  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月11日 (火) 23時46分  No.5290
西梅田駅で地下鉄に乗る際、後ろの車両にしたほうが、難波駅で降りたときに湊町バスターミナル(OCAT)に近くなります。
深夜バス、岡山駅には夜中の3時着なので、身辺には重々お気を付けください。

サマソニは8月第2か第3週に行われるので、年によっては盆と被ったりします。今年なんかモロ被り。時期をズラせばいいのにとよく思うんですが、他フェスとの関係とかいろいろあるんでしょうねえ。

ディアンジェロは8/16のサマソニ東京2日目にも出演しますが、LIZさんお書きのとおり、この日にはネイザンも出るのでお得。フェスにありがちな出演時間の被りもなし。

ネイザン・イースト=18:10〜19:00
ディアンジェロ=20:40〜22:00

上の共演ビデオを見て興味を持ったECファンは幕張までどうぞ。
ついでながら、ディアンジェロ率いるザ・ヴァンガードでベースを弾いているのはピノ・パラディーノ。『ジャーニーマン』以降、少なからぬECのアルバム録音に参加し、2008年US/カナダ・ツアーのメンバーにも選ばれた。ジョン・メイヤー、そしてジョン・エントウィッスル死後のザ・フーのライヴでもベーシストを務める腕利きセッション・マン。

http://www.whereseric.com/the-vault/biographies-band-members-and-collaborators/palladino-pino

eazy come ...  投稿者:LIZ  投稿日:2015年08月14日 (金) 20時39分  No.5291
eazy go ...(少し違う?)
所用で間に合いそうにありません。
ネイザンのチケット、某所からの戴き物で、届いたのが先週末でした。ん…
ブルー爺さんには色々とご助言も受けていたのに。申し訳ないです。地元やら、大阪やらの知人にもあたっても、残念でした。
既に大阪へ参加された方、大阪ラストライブに参加される方、是非ともレポートをお願いします。
今日のお昼には『ミート&グリート』も開催でした。ネタは尽きないかと(^_^;)

というオチでした  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月15日 (土) 10時29分  No.5292
あちゃー・・・って、もう公演終わってるのか。
Can't find my way homeってことにもならなかったようで(笑)。

ディアンジェロだが、薬物中毒でクロスローズ・センターに入院歴あり。電話で自らエリックに助けを求めたそうな。

1995年にレコード会社のイベントで来日したことはあるが、一般向けの公演は今回が初めて。ここ30年ほどの黒人アーティストの来日で、プリンス初来日に匹敵するとは言わないまでも、それに次ぐぐらいの事件じゃなかろうか。

http://youtu.be/IRCLjK5OWjU
クラプトンどれだけ知ってる? クイズ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月09日 (日) 11時31分  No.5284
 
http://www.udiscovermusic.com/essentials/uquiz-so-you-think-you-know-eric-clapton

某氏のツイッターで紹介されていたクイズ(全10問)。なかなかのクセモノ。

私の正解数? ・・・8問でした(笑)。
スモールギグのスクリーン観賞  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月24日 (金) 12時51分  No.5262
 
いよいよ明日に迫ったチャリティ・イベントだが、ここまで来ながらいまだにメンバーの発表がない。ある意味スリリングではある(笑)。
会場のオペラハウスだが、調べたら座席数600!。ムムッ、350ポンド、日本円にして7万円払ってゴールドチケットに買い直すや否や、という誘惑に駆られた。人気若手シェフ、ジェレミー・オリヴァー提供の食事付きだし、2万人入るMSGの最高価格帯が500ドルだったことを思えば、お買い得と言えるのかもしれん。少なくともポールの武道館十万円よかなんぼかマシな買物だろう。

が、それだけ出して演奏時間1時間というのがなあ・・・。出費を抑えるためにロンドンじゃホステル泊りの人間には分不相応だわ、と思い直し、誘惑を頭から振り払った。
下々の者はスクリーン観賞、というのが公にされて以来、気分は盛り下がる一方だが、RAHからまだ日もない故日本からの参加者も少ないだろうし(自分の他に誰かいるのか?)、人柱になった気分でレポさせてもらうわ(笑)。

第一報  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月26日 (日) 08時14分  No.5263
Garsington Opera House, Stokenchurch

バンドメンバー
Andy Fairweather-Low
Chris Stainton
Dave Bronze(たぶん)
Henry Spinetti(たぶん)
Michelle John
Sharon White

演奏時間:1時間

UPしたセトリはエリックの足下(絨毯の上、マイクスタンドの真横)に置かれていたもの。これまでもセトリは手に入れたことがあるが、当人が使ったものをゲットできたのは初めてである。
・・・と書くと想像が付くかもしれないが、600人のひとりになれた。会場で話したイベントスタッフの方のご厚意に与り、半額に近い値段でオペラハウスに入場させてもらった。感謝の言葉もない。

レポはまた後ほど。

奇跡のなんちゃって「当日券」  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月26日 (日) 22時45分  No.5264
最寄り駅のハイ・ウィカムに到着したのは午後5時。駅前は人もまばら。会場行きのシャトルはいつ来るんですか、と駅員に尋ねたところ、往きの最終便はとっくに出ちゃったよ、とのこと。なんだとぉ〜、せっかく往復シャトル付きのチケットを買ったのに、片道分まるまる無駄にしたじゃないか。通常のバス等、公共交通機関では行きにくい、かなり辺鄙な土地と聞いて、仕方なくタクシーを拾う。20分ほどでワームズリー・クリケット・グラウンドに到着。22ポンド45ペンス也。ま、しゃーねーか。

高価そうなスーツに身を包んだ、一目でVIPと分かる長身の男性に、入場ゲートはどこですかと尋ねた。話の流れで、シルバー・チケット購入者はスクリーン観賞しかできないと先日の主催者メールで知ってガッカリした、と告げたところ、食事抜きで、多少安くオペラハウスに入場させてあげられるかもしれない、と告げられ、内心小躍りする。言われたとおり、その場で待つこと約20分、男性が戻ってきた。185ポンドで入場できるとのこと。ゴールド・チケットが350ポンドだから、ほぼ半値である。正直な気持ちを言うと、これでも自分には高いと感じたが、文句を言うのは贅沢というものだ。ここは手を打っとくべき、という心の声に従った。了承すると、プラチナとゴールド・チケット購入者が集う立食用テントハウスに連れて行かれ、受付の女性にカードで代金を支払う。入場用リストバンドは切らしていたのか手渡されなかったが、女性に付き添われてオペラハウスを囲っているゲートに向かい、彼女の口利きで屈強な門番数人に中に通してもらった。
件の男性は名刺を渡してくれたが、あとで確認したところ、広大なワームズリー一帯の土地所有者であると分かった。どうりで顔が利くわけだ。ありがとう、Tさん。

(写真はクリケット場に設置されたスクリーン。前座演奏中)

ECスモールギグ体験=プライスレス  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月26日 (日) 22時50分  No.5265
前座のストラップト・フォー・キャッシュの演奏中に入場。6〜70年代のロック・クラシックのカバー中心で、よくある親父バンドという印象。

20列ほどある席の、前から2/3ほどは一人頭千ポンドのプラチナ・チケット購入者分らしい。その多くが、主催者である有名クリケット・プレイヤー、サー・イアン・ボザム(愛称「ビーフィー」)の家族、親戚、友人や、ビーフィーズ・チャリティ・ファウンデーションの関係者ら、彼を個人的に知っている人たちで占められているようだ(今回のイベントはボザムの還暦祝いを兼ねてのチャリティ)。その後ろがゴールド・チケット購入者用に割り当てられている。席は指定されていないので、後ろから1/4ぐらいの中央付近に空いている席を見つけて座った。大きめの町の公民館並みのサイズ、これからここでクラプトンを観るという実感がわかない。客層はまあ予想どおり、いかにも裕福そうな、着飾った白人中年男女がほとんど。ついでながら、日本人は自分の他にはひとりも見当たらない。

20分ほどの器材セッティング後、7時13分を回った頃、EC一行登場。近年では珍しく、白の開襟シャツにダーク・グレイのスーツの出立ち。RAHで見たとき以上に調子よさそう。みなさん安心してください、エリックは元気です。壁面ガラス越しに外の景色が見え、日光が入ってくるので、通常のライヴと違い、日常感と地続きなところが、かえって新鮮である。
当日を迎えるまで皆目分からなかったメンバーは、去年のUS/UK/ヨーロッパ・ミニ・ツアーからポール・キャラックを引いた顔触れ。想定内の人選で、驚きはなかった。
MSG、RAHと同様、サンバーストのストラトを手に取って、Somebody's Knockingでスタート。以下同様の展開が続き、5曲目、久びさのLay Down Sally、6曲目、アンディが歌うGin Houseを挟んで、次のWonderful Tonightからまたお馴染みの選曲・曲順に戻る。Cocaineのあと、イアン・ボザムがステージに登場、"Brilliant! Awesome! You are the best!"とエリックを讃えた。エリックとは40年来の知己だそうな。続いてステージ上手から、テーブルに載せたバースデイ・ケーキがふたりの男の子に伴われて前に押し出される。ボザムのスピーチによると、財団の援助で難病から救われた子どもたちだとのこと。クリスのキーボード伴奏で"Happy birthday, dear Beefy"が歌われ、ケーキ・カット、それを最後にコンサート、そして今日のイベントはお開きになった。アンコールはなし。

正味1時間のショウ。最近のショウからアコギ/シットダウン・パートを抜いたような内容で、物足りない気持ちがなかったと言えばウソになるが、ミニセットとしてよくできていて、それなりの充実感はあった。演奏の出来について言えば、少人数を相手にリラックスしつつ楽しみながらプレイする様子が伝わってきたが、流したり、ダレたりするようなところはまったくなかった。「ソリッド」という言葉がピッタリ来る感じ。どちらかといえば内輪向け、限定的な空間故、大きな会場での目一杯入れ込んだプレイという感じにはならなかったものの、何曲かで「来る」瞬間はあった。「スペードの女王」を締め括るソロを2コーラス、数度の逆海老反りポーズと共に決めたのが本日の瞬間沸騰最高到達点。Cocaineで、いつものクリスのキーボード・ソロの前に、アンディがワウを踏んでECに劣らず長めのソロを取ったのも印象に残った。

はっきり言って、自分にとっては演奏云々よりも、よもや体験できるなんて思いもしなかったECのスモールギグを、今回こういう形で観ることができたのが何よりの糧。シルバー・チケットを無駄にしたことも併せて少々お高くついたが、それを含めても土地の名士のおかげで割安に観れたんだし、ここは前にSatoさんが提言されたとおり、カネのことは頭から切り離すのが吉なり。

映像  投稿者:mars  投稿日:2015年07月27日 (月) 11時38分  No.5266
早速YouTubeに映像がアップされましたよ。
前半30分ですが。
(後半もいずれアップされるような感じです)

https://youtu.be/X0iH2ZfUGik

The thrill is gone...  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月28日 (火) 03時23分  No.5267
見れば分かるが、場外スクリーンをビデオで撮ったものだね。Part 2もUPされた。

http://youtu.be/NTWGEG5NSTI

これであらためて見ると、ボザムがECを讃えて言ったのは"You are the man!"じゃなくて、"You are the best!"だね。上のレポ、その旨訂正しときます。

よく感じることだけど、後から音や映像でプレイバックすると、どこかアッサリした印象になる。現場で味わった興奮、センセーションには遠く及ばない。ライヴはその場にいた人にしか本当のところは分からない、というのも一理あるね。

「音楽は一度演奏されたら空中に消えてしまう。二度と取り戻すことはできない」エリック・ドルフィー

(写真は当日のプログラム)

映像拝見  投稿者:Eプランクトン  投稿日:2015年07月28日 (火) 08時12分  No.5268
見ました。殿 元気そうで良かったです。少しふっくらしたのでしょうか?これ位の方が、良いですよね。今の私の希望としては、演奏どうこうより 体調に気をつけて 我々の前に 再び!ただ それを願うだけです。  

貴重なレポ  投稿者:LIZ  投稿日:2015年07月28日 (火) 20時11分  No.5270
ブルー爺さん、貴重なレポをありがとうございます。
marsさん、早速の情報アップ、ありがとうございます。

セトリ画像にパンフ画像、いいなあ〜。っていうか、パンフの発行があったんですね。もしかしたらクラプトンオンラインで購入が出来る様になるかしら…

国内某オンラインでFOREVER〜のLPデラックスバンドル版を5月半ばに注文するも未だ届かず。この際、自力で手に入れるべき…

プログラム  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月29日 (水) 02時31分  No.5271
プログラム(5ポンド)はA4サイズ、52ページ、光沢紙を使った立派な造りですが、内容はイアン・ボザムと財団の業績についてのものがほとんどで、エリックに関しては上の見開き2ページと、ここにUPする白黒写真1ページ、計3ページで全部です。
サングラスを掛けているのがボザム、エリックとは釣り仲間でもあるようですね。

ハイ・ウィカムはロックな町(笑)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月30日 (木) 13時42分  No.5272
その昔、「シスコはロック・シティ(原題"We Built This City")」という曲がありましてな・・・

ジェファーソン・エアプレイン改めジェファーソン・スターシップ改めスターシップがMTV時代まっただ中、85年に放ったヒット。反体制反権力を謳ったかつての西海岸バンドの代表格もそこいらの産業ロック屋に成り下がったか、と硬派な(頭の硬い、とも言う)ロック・ファンを嘆かせたもんです。

サンフランシスコの千分の一の知名度もないハイ・ウィカム。ロックなんて関係なさそうな、この眠ったような田舎町の駅に降り立ち、一歩外に出て右向いたら目に入ったのがイギリスの風物詩、パブ。その名も"BOOTLEGGER"(笑)。コンサートからの帰り道、ロンドン行きの電車が来るまで間があったので立ち寄ってみた。土曜日の夜ということで、お客さんで一杯。地元の出らしきスラッシュ・メタル・バンドが耳をつんざく轟音でナマ演奏しておりました。

この町で行われたロックのライヴでたぶん一番有名なのが、1980/2/20、タウン・ホールでやったジョイ・ディヴィジョン。オーディエンス録音の音源がブートとして出回っていたが、数年前アルバム『スティル』がリマスターされた際、ブート音源を流用したボーナスCDが追加された。ブートがオフィシャルに昇格した例。

エリックについて言えば、ヤードバーズでもブルースブレイカーズでもクリームでも、タウン・ホールのステージに立っている。人口十万前後で推移している町なのに。こないだのこと、ベック時代のヤードバーズがここでやったときのポスター(65/10/19)をオークションでゲットしたよ、とECファンの友人が写真をメールで送ってくださった。どんな所なんだろう、とタウン・ホールを捜してみたが、かつて建っていたと思しき場所に辿り着いてみると、スワン・シアターという新しめの会場に改築されていた。

ワームズリーのクリケット場から、今度はちゃんと乗ることができた帰りのシャトルバスでハイ・ウィカムに入って、大きな平屋の白い建物を左手に通り過ぎた。看板には"CROSSROADS VETERINARY CENTRE"の文字。車内から一斉に歓声が上がった。獣医さんらしいが、ECファンの人が経営してるのかな、と思って、あとで調べてみたら、開業して50年になるそうだ。元祖「クロスローズ・センター」だね。

http://www.vetswycombe.co.uk

外国を訪れた際、その土地土地のロック・メモラビリアを訪ねて回るのは楽しいもんです。ヒマな奴だとお思いでしょうが(笑)。

俺たち妄想邦人  投稿者:LIZ  投稿日:2015年07月30日 (木) 16時10分  No.5273
> 車内から 一斉に歓声が上がった
エリックに関して、シャトルバスと言えば
金沢公演を妄想してしまった。あの時車窓から『クロスロード犬猫センター』って看板を見かけたら…と。奥ゆかしい日本人ゆえ、さすがに歓声はないだろうが、そこここから指差しクスクスとほくそ笑んだり、パシャパシャと今時の写メ撮りツイートしている光景を(笑)
プログラム情報ありがとうございます。3ページ5£、プレミア感を考慮すれば、forevermanのリトグラフよりコスパ度は格段に高いですね(^_^)v

ブルー爺さん頼みの俺たち妄想邦人、ロックなUK roadoutネタ、まだまだ期待しております。

タウン・ホール健在なり  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月31日 (金) 08時40分  No.5274
EC&SW、金沢公演に行かれたのですか。よかったですよね、あれ。来日公演には5回通いましたが、雰囲気のよさで一番印象に残っています。2008年以来、彼らがツアーして周ったなかで、最小サイズの会場だったかもしれませんね。

ハイ・ウィカムのタウン・ホールについてその後じっくり調べてみたら、まだ残っていると判明した(笑)。1992年に建てられたスワン・シアターの裏手に位置していて、サブホールの役割を果たしているみたい。老朽化した今ではあまり使われていないようだが・・・。自分は前を二度も通りすぎたのに気づかなかった。何やってんだか。

いしかわ総合スポーツセンター  投稿者:LIZ  投稿日:2015年08月03日 (月) 17時52分  No.5275
EC&SW2011,ジャパンツアーの公演数が少なくなる一方で自身の体調も年柄を考慮すれば僅かなチャンスは逃すまい、と、初日札幌から7公演逢ってます。金沢は特急と高速バスを駆使してほぼ日帰り24時間耐久レースで。良かったですよね。オーディエンスも少し大人な雰囲気で。かといって、気取りすぎず。エリックもいい感じに力を抜いてられたのかしら(^_^)

写真の劇場、レンガが好い加減に彩りステキですね。日本のタウンシアターと聴いて浮かべるのは、大阪市公会堂
でエリックとは縁がありませんが色っぽい劇場ですよね。

EC in High Wycombe  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月05日 (水) 00時30分  No.5278
LIZさんも追っかけのひとりなんですね
これまであまりお名前をお見かけしなかったように思うのですが、これを機にまた書き込んでくださいな。
私が頻繁に書き込んでいるのは、そりゃもちろん好きでやってるからですが、ひとつには、そうでもせんことには掲示板が寂れちゃうんじゃないか、という気遣いもあるんです。
管理人さんがもうちょい、たまにでもいいから顔を出してくれればいいんですけどねえ・・・言ってはいかんのか。

中之島公会堂でライヴ、ことに外タレは皆無に近いぐらい、めったにやらないんですが、私が唯一観たのが85年のドゥルッティ・コラム。70年代、フィルム・コンサート(死語)はちょいちょいやってました。『ギミー・シェルター』を観たのもあそこ。

ハイ・ウィカム、タウン・ホールへのEC出演歴
ヤードバーズ(64/4/6・5/21・6/9・9/15・11/3・65/2/9)
ブルースブレイカーズ(66/1/11・6/7)
クリーム(67/2/21=2回公演)
上記の他、ブルースブレイカーズは、66/4/1、ビーコンズフィールド・ユース・クラブ(地元の青少年が集う場所。イギリスのたいていの町や村に設けられている)にも出演している。こうして見ると結構多い。

これからも…  投稿者:LIZ  投稿日:2015年08月09日 (日) 01時54分  No.5280
2013年冬、日本武道館での激震から一年半。海外と縁遠い邦の民にはブルー爺さんの記事、カキコがどれ程ありがたい存在か。感謝・感激・雨・アラレ…
自己紹介?遅れました。
某プロバイダーのシステムに*izのHNでブ
ログを気の向くままつぶやいておりました。196*以上S3*未満の吉備人です。
ECおっかけ歴は全くもって小学生並みなのでブルー爺さんの補足的ネタやトレビア情報をへぇ〜ほお〜はぁ〜と、毎度楽しみに拝読させていただいてます。
これからも宜しくお願いします。

明日はどっちだ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月09日 (日) 08時59分  No.5282
こちらこそ、あらためてよろしくお願いします。
引退が実感を伴って受けとめられるなか、日本も海外もECファン界はアパシーに陥っている感があります。
これまでの定例どおり、来年の2月か11月辺りに来日があってくれればいいんですけどねえ。

(写真はチャリティ・ショウのあったオペラハウス外観)
・・・  投稿者:内田裕也(本人)  投稿日:2015年08月04日 (火) 07時43分  No.5276
 
・・・

クリソツじゃねーの  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年08月05日 (水) 00時33分  No.5279
ユーヤさんがジミーと兄弟だとは知らなんだw
Let It NOT Rain  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月17日 (日) 19時37分  No.5178
 
http://www.whereseric.com/eric-clapton-news/303-eric-clapton-headline-special-concert-beefys-big-60th-birthday-bash-july

とつぜん発表されたクリケット場でのチャリティ・イベント。7/25(土)、Wormsley(ワームズリー)にて。
1時45分から試合、5時半から前座(Strapped For Cash)、6時半から8時半までECバンド。
最寄り駅のHigh Wycombe(ハイ・ウィカム)はロンドンの北西約50キロ。会場はそこからタクシーで15分とのこと。終演予定時刻がえらく早い(イギリス、ヨーロッパならまだ日中、真っ昼間の明るさ)ので、ロンドンからの日帰りも充分できる。

料金は3段階。プラチナ=10人分一括で10,000ポンド/ゴールド=350ポンド/シルバー=45ポンド(食券付きでこの安さ! しかも予約手数料なし、チケット・プリント代1ポンドがプラスされるのみ。折畳みイスやシーツ持参が推奨されている)
以上どのカテゴリーにも"Coach: Incl. Admission"というのがあって、ひとりにつき8ポンド上乗せされている。説明が見当たらないが、自分は最寄り駅との往復送迎バスのことだろうと解釈する。

ヨーロッパの涼しい夏の野外で観るEC・・・いいねえ。
雨よ降るな(笑)。

以下参考
http://www.wormsleycricket.co.uk

一石二鳥  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月01日 (水) 23時50分  No.5252
7月に入ったところでフォロー。
その後上記URLをチェックしたら、説明が追加されていて、"Coach: Incl. Admission"というのは、やはりHigh Wycombeとの往復送迎バスのことだった。

本気汁溢れる今季プログラム掲載の引退宣言を知って、やっぱり無理してでもRAHに行っとくんだった、と今更ながら悔やんでいる人は少なくないんじゃなかろうか。
が、RAH連続公演が今後なくなるとしても、ECライヴを観れるチャンスが皆無になったわけじゃない。とくに日本に関して言えば、Planes, Trains And Ericでも、日本にはまた行くからね、と言ってくれてるとおり、体調が許すかぎり、この先エリックが公演してくれる可能性はまだ残されている。少なくとも、あと一回はやってくれるんじゃないかと自分は予想している。日本に行くったって、買い物と、トンカツ食べに行くつもりで言ったんだ、と言われれば、返すコトバもないが(笑)。

で、来日の報を待たずして、やんごとなき事情でキャンセルでもされないかぎり、確実にナマを観れるのが今回のチャリティ・ショウ。観たいのは山々だが、一回のショウを観るためにわざわざ渡英するのはなあ、ちとコスパ悪すぎ、と二の足踏んでいる人もいるだろう。背中を押せるかどうか分からないが、ひとつ情報を提供。

ECの翌日、7/26(日)、ロンドンO2アリーナでニール・ダイヤモンドの公演があるのだ。

欧米では1億2千万枚以上のレコード、CDをこれまでに売り上げているスーパースター。日本でも70年代初め、「クラックリン・ロージー」「スイート・キャロライン」(前にも書いたが、故ジョン・F・ケネディ大統領の愛娘で、現駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディについて歌っている)が大ヒットしたので、中年以上の洋楽ファンにはなじみ深い名前だろう。76年には来日する話もあったらしいが、立ち消えになり、その後日本では人気を維持できなかった。私の見方を言うと、ポピュラー音楽の分野で、ヴァン・モリスン、レナード・コーエン、バーブラ・ストライザンドと並んで、これまで来日したことがなく、今後も日本で観れる見込みがなさそうな四大アーティストのひとり。

ポールでさえ2回しかやらなかったO2で、追加含め3回やることからしても、あちらでの人気の高さが伺える。欧米でのステイタスは伝説的レベルと言っていい人物をECと併せて観れる得難いチャンス。しかも7/26はヨーロッパ/UKツアー千秋楽。力の入ったパフォーマンスが期待できそう。
(注:公演告知ポスターにはなぜか7/26の記載がないが、アーティストと会場双方のウェブサイトにはちゃんと挙がっている)

参考:
http://www.neildiamond.com

天から冷や水が降って来た  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月09日 (木) 19時46分  No.5259
先日来、ありがたくない情報が出回って、ファンのあいだで波紋を拡げている。
ライヴが行われるのは屋外ではなく、敷地内のオペラハウス(=パビリオン)。
クリケットの試合後、パビリオンに入場できるのは、プラチナとゴールド・チケットの購入者だけで、安いシルバー・チケットの購入者は会場外に設置されたスクリーンでライヴの模様を観ることになる。イベントHPにその旨断わる告知が出たのはつい最近のようで(6月末か7月初め)、Where's Eric!側もそれまで知らなかった気配がある。
ライヴを直見したいなら、最低でも350ポンドするゴールド・チケットを購入しなければならない。参加者の大半を占めるであろうシルバー・チケット購入者は、そういうものとして腹を括ってスクリーン観賞するしかなさそうである。

ワールドカップ開催国まで遠征しながら、スタジアムに入場できず、会場外スクリーンまたはスポーツバーで試合観戦するようなもんか。これって、ECを観たライヴ回数に数えていいものなんだろうか(笑)。

参考(オペラハウスはこれを指すと思われる。夏のあいだのみ仮設オープン):
http://www.garsingtonopera.org/your-visit/travel-information/

伝説ナマ見! バックにはダイヤモンド型巨大スクリーン(笑)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月10日 (金) 21時44分  No.5260
7/9、マンチェスター・アリーナでニール・ダイヤモンドを初見。
ロンドンO2より千人多いキャパ2万1千、英国最大のアリーナ(コンサート仕様の座席数は1万5800)。当日券は出ていたが、中に入ると、見渡すかぎり席は埋まっていて、パンパンの感じ。99%売れていると見た。ここには15回かそこら来ているが、これに匹敵するほど満杯になっていたのはマムフォード&サンズのときだけである。
お客さんは9割方中高年、平均年齢は60歳を超えているだろう。が、ショウが始まると、場内爆発的なノリ。ひっきりなしに歓声が続くなか、曲調に合わせて立ったり座ったり踊ったり、要所要所で大合唱が起こったり、若い人もそれなりにいるEC@RAHを数倍上まわる熱狂ぶり。ニールがなぜ欧米でレジェンドと見做されているか、どれほどのカリスマであるかを思い知らされた。
「クラックリン・ロージー」「スイート・キャロライン」これも日本でヒットした「自由の国アメリカ」の三連発に始まるアンコールで盛上りは頂点に。自分も周りに釣られて激しく拍手し続けたせいで掌がまっ赤、痛い痛い(笑)。
ファンでもない人に、これを観るために海外渡航しろとまでは言わないが、ついでに観れるものなら観といて絶対ソンはない。ECスクリーン鑑賞の欲求不満解消にはいいかも(笑)。

ショウ中盤のヤマ「ビューティフル・ノイズ」、76年発表のアルバム表題曲だが、この作品をプロデュースしたのがロビー・ロバートソン。その繋がりでか、同年11/26のザ・バンド解散コンサート<ラスト・ワルツ>にはニールも出演している。ECとの接点見っけ(笑)。

(写真はツアー・プログラム。これでしか聴けないライヴCDがオマケに付いて15ポンド。気の利いたアイディアだわ)

止めの一撃  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月16日 (木) 11時44分  No.5261
昨日、チケット購入者に当日のスケジュール、アップデート版がメールで送られてきたんだが、以前の告知では6:30pm−8:30pmとなってたECの出番が6:30pm−7:30pmになってるw

一方、WE!のフェイスブックには、スクリーンの件で納得できないファンが主催者にメールでクレームを出したところ、全額返金されたなんて書込みがあった。

開催日まで2週間を切って、いまだに出演メンバーが公表されていないのも気になるところ。
ひとつ確かなのはポール・キャラックの不参加。自身のツアーで英国を周ってて、7/25はノース・キルワース(英国中部レスター近郊)が日程に入ってる。
Bell Bottom Blues  投稿者:ファン  投稿日:2015年06月24日 (水) 06時34分  No.5247
 
Bell Bottom Bluesが正式にClapton, Whitlockの共作となったようですね。

Bell Bottom Blues   投稿者:ファン  投稿日:2015年06月24日 (水) 06時49分  No.5248
詳しい経緯をご存知の方いますか?

Let it Grow  投稿者:Grow  投稿日:2015年06月24日 (水) 17時27分  No.5249
自分はこちらが気になります。

間違い?  投稿者:ファン  投稿日:2015年06月25日 (木) 08時40分  No.5250
Keep on Growing の間違いですか?

・・・  投稿者:内田裕也(本人)  投稿日:2015年07月08日 (水) 20時33分  No.5256
・・・

・・・  投稿者:内田裕也(本人)  投稿日:2015年07月08日 (水) 20時39分  No.5257
よっちゃん?
EC、ホロコースト記録映画のサントラを手掛ける  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月08日 (水) 15時39分  No.5254
 
去年6月のUK/ヨーロッパ・ミニ・ツアー最終日が28日のポーランド、オシフィエンチム(=アウシュヴィッツ)だったが、そこでやったのも故なしではなかったのかもしれない。

http://amass.jp/59072/

http://www.whereseric.com/eric-clapton-news/303-clapton-composes-soundtrack-philippe-mora-film-three-days-auschwitz
JIMI:栄光への軌跡  投稿者:Yamakendrix  投稿日:2015年05月03日 (日) 12時01分  No.5133
 
観てきました。凄く良く作り込まれてて違和感感じませんでした。登場人物がみんなクリソツで(笑)
このシーンも実際にこういう場面が繰り広げられたのでしょう。再現とはいえ映像で見てめちゃくちゃ興奮しました。
https://youtu.be/e6MAONon64M

Linda "Ruby Tuesday" Keith  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年07月07日 (火) 19時18分  No.5253
先日やっとこさ観てきた。
ジミの遺族、遺産管理者であるExperience Hendrixから、ジミの曲の使用許可が下りなかったせいで、隔靴掻痒というか、なんとも中途半端な内容になっているのは否めない。あの曲この曲、有名曲が軒並み登場しないので、観ているうちに欲求不満が溜まってくるのだ。そんな制限の下で、製作者側が精一杯できることをやったというのは伝わってきて、駄作に終わるのはどうにか免れているが。

音楽以外の面でも、ジミのロンドン時代、恋人として起居を共にしたキャシー・エッチンガムは「ジミはあんなふうに私に暴力をふるったことはない。デタラメな内容」と酷評している。
キャシーは更に「私は"ワイルドなロック姉ちゃん"なんかじゃなかった。映画での描かれ方は、まるで私とリンダのキャラが実際とは入れ換わったかのよう」と、映画がリンダ寄りに作られていることにも不満があるようだ。

ジミ「エリック・クラプトンに会わせてくれるか」
チャス・チャンドラー「ジミの演奏を聴いたら、エリックのほうから会いに来るさ」
ジミが渡英を決意した有名なエピソードとしてよく語られる(映画にも出てくる)が、時期的・状況的な事を考え合わせると、あの時点でジミがクラプトンのレコード=実際の音を聴いていた可能性は低いんじゃないか、ということを、ずいぶん前に掲示板に書き込んだ。ありそうなのは、ジミと会って話したイギリス人客からクラプトンのことを聞いて興味を持ったという線。そして、その候補者としてまっ先に挙げられるのが、映画にも登場するイギリス人モデル、リンダ・キースだ。キース・リチャーズの最初のステディな彼女としても知られている。

映画に描かれた、「お嬢さんがニューヨークでヤク中みたいな奴らとつるんでいます。いいんですか。お父さん、何とかしてください」と、いかにも富裕層らしいリンダの父に泣きつくキースの青二才ぶり、ナイーヴでヤワな風情が、本人の後年のドラッグへのハンパないハマり方、身の持ち崩し方を知っているスクリーンのこちら側からすれば笑わせる。実際、それに近い出来事はあったらしい。ミック、キースが、ストーンズのウリだった不良的なイメージとは裏腹に、かなり育ちのしっかりした、良家の出身だったことは、今では共通認識になっているが、それがうまく描けているエピソードだ。

今もステージで演奏される名バラード「ルビー・チューズデイ」はリンダについての曲だ、とキースは明言している。多くのストーンズ・オリジナル曲に倣い、「ジャガー/リチャーズ」の作曲者クレジットが付与されているが、ミックによると、自分はまったく曲作りにタッチしていないとのことだ。

参考:
http://www.kathyetchingham.com

http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-2704979/Jimi-Hendrix-English-lover-fighting-honour-Kathy-Etchingham-loyal-40-years-on.html
少年老いても、楽鳴り止まず  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年03月30日 (月) 08時39分  No.5092
 
友人たちとギターを奏でる16歳のエリック。
サーリー州リッチモンド橋付近にて。1961年撮影。

素敵な写真ですね。  投稿者:Yamakendrix  投稿日:2015年03月30日 (月) 13時22分  No.5093
70歳の誕生日おめでとうございます。
また来日して欲しいけどそれが叶わぬ夢ならばせめてクロスロードギターフェスは続けて欲しいですね。

We are going wrong...  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年03月30日 (月) 22時57分  No.5094
68/3/29、NY、ハンター・カレッジ。
この時期レス・ポールを弾いているのはたいへん珍しい。同日は2回公演で、サイケSGをプレイしている写真もあるので、ふたつのショウでギターを使い分けたのかもしれない。
プリミティブなPAスピーカーといい、左に写り込んでいる制服警官といい、時代を物語っている。

翌30日はEC23歳の誕生日だったが、テキサス州ダラスで公演している。NYから約2200km、札幌〜那覇間と同等の距離をオフなしでの移動だった。ジンジャー・ベイカーの回想では、連日の公演にウンザリしたエリックがダラスに向かう飛行機の中で「もうこんなのはやめにしよう」と漏らしたそうで、クリーム解散の決意を固めたのがこのときだったと言われる。

1968年のレス・ポール  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月21日 (日) 11時25分  No.5241
別ショットをネットで見つけた。クレジットがないが、たぶん同じ撮影者によるものと思われる。

クリーム中後期(大ざっぱに言うと、67年後半〜68年前半。いわゆる彼らの絶頂期)でECがレス・ポールを弾いている写真は、自分はこの2枚しか見たことがない。
末期、68年10月からのフェアウェルUSツアーでは、少なくとも2公演でLP(タバコ・サンバースト)をメインに用いたのが現存する写真で確認できる。10/4、オークランドと10/6、デンバーがそれだが、4日オフを挟んだ10/11、ニューヘヴン以降はほぼすべてファイアバードで通している。オークランドとデンバーがそれぞれツアー初日、3日目に当たることを考えると、当初レス・ポールで行くのを検討したが、実際に何回か弾いてみた結果、やっぱりファイアバードのほうがいいや、となって戻したのかもしれない。

かなりピンボケだが、どなたかタイプの推定はできますか?

続1968年のレス・ポール  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月21日 (日) 12時09分  No.5242
ググったら他にも出てきたわw

続々1968年のレス・ポール  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月21日 (日) 12時11分  No.5243
もう1枚。
時事ネタ:ジェームス・ブラウン、キング牧師、クリーム  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月20日 (土) 03時20分  No.5240
 
ミック・ジャガー制作ということで話題の映画『ジェームス・ブラウン』を観てきた。よくできてる。ミックが内容にどの程度関与したかなんてのは分からないが、ミュージシャンの伝記映画として、去年公開されたクリント・イーストウッド監督、フォー・シーズンズを描いた秀作『ジャージー・ボーイズ』にどこか相通ずるテイスト(とくに、近すぎず遠すぎずという絶妙な対象への距離の取り方)を感じた。

中で印象的なエピソードとして描かれているのが、1968年4月4日に起きたマーティン・ルーサー・キング暗殺事件に絡む一件。直後からこれに抗議する黒人たちの暴動が全米各地で発生していたが、折しも翌5日、ボストン・ガーデンでJBのショウが予定されていた。一万人もの黒人ファンが一カ所に集結したら新たな暴動の火種になる、と懸念した市長が中止を勧告したが、JB一行はこれを強行、ステージからオーディエンスに節度ある行動を呼びかけ、これによって彼は世間から英雄視されたと言われる。映画では、ステージを取り巻いて、警察犬で聴衆を威嚇する警官隊の姿も映し出されている。

同じ夜、ボストンの別の会場、バックベイ・シアターに出演していたのが、他ならぬクリームだった。Cream: The World's First Supergroup (Dave Thompson著/Virgin Books刊/2005年)によると、暴動を怖れて外出を控えたり、ショウが中止になったと思い込んで、少なからぬ人びとが行くのを見合わせた結果、フロアーには空席が目立ったということだ。
マニアの方ならご存じのとおり、この日は音源が出回っている。オープニング、Sunshine Of Your Loveが17分もの演奏で、記録に残る同曲の最長ヴァージョン。残されているのはSunshineからToadまでのコンサート本篇6曲だけだが、前述の状況にもかかわらず、別著、Clapton: Edge Of Darness(Christpher Sandford著/Victor Gollancz刊/1994年)には「ボストン、バックベイ・シアターでは、熱狂的な聴衆に対して三回ものアンコールに応えた」と記述されている。本当だとしたら、アンコールはしても一回、まったくなしのことも多かったクリームにしては異例の事で、いったい何が彼らをその気にさせたのだろうか。戒厳令下のような最中、危険を冒してまで会場に出向いてくれたファンの熱心さに報いたのか。当夜漂っていたであろう緊迫感が彼らのアーティスティックな気性に推進力を与えたのか。
ひとつ事実として残っているのは、これがクリーム最後のボストン公演になったこと。同年秋のフェアウェルUSツアーでは、当初10/31、ボストン・ガーデンがスケジュールに含まれていたのに、その後定かでない理由で外され、代替として11/4、比較的近いロードアイランド州プロヴィデンス、RIオーディトリアムで2回のショウが追加され、これがアメリカ最終公演となった。その背景には、何やらミステリアスでドラマチックな経緯と事情があったような気がしてならない。

蛇足。この日Sunshineに続いて演奏されたのが、これまた長いSpoonful。三人がインタープレイに入って、演奏がスピードアップされていくところで、ジャックが激情に駆られるままに「イェーーーーーーーーーーーーァァァアアアッ!!!」と雄叫びを発する場面があり、何度聴いても身震いする。公式非公式を問わず、記録されている、私がもっとも好きなクリームのライヴ演奏の一瞬を捉えたドキュメント。

爺ネタでした(笑)。
ヤングギター 誌  投稿者:Toru  投稿日:2015年06月09日 (火) 21時16分  No.5239
 
明日発売となるヤングギター誌にECの特集が組まれています。
5月のバースデーライブのレポートは雑誌では最速ではないでしょうか?
早速予約しました!!

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http://youngguitar.jp/yg/yg-201507
The Rolling Stones - BROWN SUGAR (ALTERNATE VERSION FEAT. ERIC CLAPTON)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月04日 (木) 21時45分  No.5238
 
http://www.youtube.com/watch?v=GuVax7iMM6Y

マニア間ではむかしから有名なテイク。ECがスライド弾いてるの。ドミノズUSツアー終了後、故国に戻って、1970/12/18、ロンドン、オリンピック・スタジオでの収録。キース・リチャーズ27歳の誕生日だった。

ついに公式発売されることが決まったが、それに先立ってネットでも公開された。リンク先に行けば分かるが、誰かが勝手にアップロードしたのではなく、オフィシャル側が上げたもの。

注:写真は内容とは関係ありません(笑)。
突如, お尻フリフリ。  投稿者:K.Y  投稿日:2014年11月13日 (木) 22時38分  No.4953
 
ところが長いスレになった今もブル−爺氏の問いかけに対しては非常に嬉しい反面, このスレはいつ終わるのかと氏には全く罪はないものの, 頼まれたら応じなければならない状態に陥ってしまった気の弱い私にとっては, ひょっとして管理人様のご自宅に土足で上ってるような行為にも思え今や錯乱状態であります。恐縮です。。。

>初来日はご覧になりましたか。
勿論, 見に行きました。

1974年11月5日(火) 大阪厚生年金大ホ−ル。席は3階C席14番でした。
スレは異なりますがmars様が武道館でのセトリをカキコミされておられるも3曲目RITTLE RACHEALが大阪では確かBETTER MAKE IT THROUGH TODAYでしたよね。続く4曲目TELL THE TRUTHではアコギからエクスプロ−ラ−へとチェンジしましたね。

大阪は東京とは多少なり曲も異なりますが何と云ってもPRESENCE OF THE LORDが聴けたことは嬉しかったです。
現在も個人的には彼の最高傑作と思っておる次第です。しかし, よくもまぁ〜こんな名曲書けたな。どう転んでもスティ−ヴが書きそうな曲なんですがねぇ〜。

>何か付け加えるようなことがあれば
バケツは知りません。。。

大阪公演での彼ですが場内の照明が消えまもなく, ステ−ジに立つ彼にスポットライトが当たるや, 即座にハイ ! とご挨拶されると大歓声が上りましたよね。
彼はアコギかかえロックグラス片手に上機嫌, 完全に出来上がってましたね。
酔った勢いが成せるワザか, 突如観客に背を向け, お尻フリフリなど予期せぬもイイとこのパフォ−マンス ? を見せた途端, この人はこんなことヤル人なのかと私は唖然としましたよ。それ以後, 今までそんなこと一切ないとは思われますがブル−爺氏, そんへんはいかがでしょうか ?

この時期にエクスプロ−ラ−使用って他のギタリストはほとんど見かけませんでしたね。
mars様が仰るようにリック.デリンジャ−も使用してましたが, ちなみに彼のモデルはヘッドがV字型でギブソン社が58年にほんの数台製作したのみの試作品のようで今や相当な価値があるようですけどね。

さて大阪も3曲目まではアコギ中心でコンサ−トは進行していく中, 私の周辺には早くエレキに持ち替えろ ! と叫ぶ人もおられた一方, 突然, 何処からかしら神様〜〜〜 ! と絶叫した人もおられましたよ。。。

それはそうとBADGE後半だったか, 突然, 変調してマ−シ−レヴィ−がエヴァリ.ブラザ−ズのヒット曲でもあるALL I HAVE TO DO IS DREAMの一節を歌ったことが印象的でもありました。へぇ〜〜〜, この曲をココへ持って来るのかと意外でもありました。

服装ですが下はジ−ンズだったことは確かです。シャツは黒地の柄モノでしたかね。あれから40年経過したけど当時は演奏どうこうという以前にクラプトンを遂に見たという気持ちのほうが大きかったかな。

・・・そのハンドル名でいいんですか(笑)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月14日 (金) 00時32分  No.4954
一番最初の書込みを読んで、文章の特徴や内容から、アナタ様に違いあるまいと思っていました。ツェッペリン系掲示板によく書き込まれている方ですね。お気づきかもしれませんが、No.4941のタイトルは、それを意識してのダブル・ミーニングです(笑)。

そうですね。同じ話題、テーマで続けるにしても、ここは新スレで行くほうがいいかもしれませんね。元のはあまりにも長くなりすぎた。他スレにとっちゃ迷惑もいいとこ(笑)。

初来日についての書込み、またまたありがとうございます。Growさん同様、11/5、大阪初日をご覧になられたのですね。あの時点でPresenceを聴けたのは本当に羨ましい。私もあれがECの最高傑作だと思っています。両日とも通った人から、ライヴ自体の出来は2日目のほうがよかったと聞いたし、曲数も初来日公演で一番多いのですが、肝心なのを聴けなかったという思いはずっとわだかまっていましたね。

>4曲目TELL THE TRUTHではアコギからエクスプロ−ラ−へとチェンジしましたね。

アレレ・・・Growさんによれば、前半ブラッキー、後半エクスプローラということなんですが。フィルムのコマがその撮影順なので、まず間違いのないところではないかと。すべてを覚えているというのは、やっぱりムリ目?(笑)

>お尻フリフリ

ハハハ、やってくれますね。2日目はそれありませんでしたが、ステージに上がったときから出来上がっているのは一目瞭然、呂律の回らない舌で観客に受け答えしていました。ひときわ大きな声で「レイラやれ〜っ!」とリクエストが飛んだときは、楽屋にダッと逃げるふりをして、会場大爆笑に包まれました。

All I Have To Do Is Dreamは、74年のカムバック・ツアーでは、LaylaやBadgeのコーダ、締め括りとして、とくにショウの本編最後でよく演奏されました。初来日でも、11/1以外のすべての日でやっています。

更にお伺いしたいのですが・・・散々お相手してくださったあとなので、クドくならぬよう、具体的に、シンプルにお伺いします。
⑴ 初めに羽織っていたジャケットの色は覚えていますか。
⑵ アンコールで弾いたギターは何なのか覚えていますか。

以上、粘着多謝。

デイヴスのギターを削ったとか?  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月14日 (金) 01時24分  No.4955
無いですか(笑

話が逸れてすみません。  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月14日 (金) 01時26分  No.4956
写真のファイヤーバードはカールのベースでしょうか?

目に映るはずのものが見えてないということ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月14日 (金) 02時36分  No.4957
EC、確かにエクスプローラを物欲しげに見てますね(笑)。

2番目のは『音楽専科』1975年12月号に載ってた写真ですね。私もUPしようと思ってました。実は新しい発見があったのです。

まずファイアバードですが、前に書いたように、あれはEC用のサブです。クリーム後期のメイン・ギター(68/4〜11)で、ブラインド・フェイス時代にもしばしばプレイされました。1963年製のワンPU。でも、耳に入るかぎりでは、結局日本では一度もプレイされませんでした。

さて、No.4931で私は次のように書きました。
>ブラッキーであるにせよないにせよ、75年の来日で黒のストラトを目にしたという話は、手に取ってのプレイはおろか、サブに控えていたというのも聞いたことがありません。私自身も見た覚えなしです。

あるんですな、これが。この写真の中に。セルジオ・パストーラ・ロドリゲスのパーカッションの横に、スモール・ヘッドの黒のストラト、ラージ・ヘッドのサンバーストのストラトが立てかけてあります。黒はたぶんイヴォンヌ・エリマンがCan't Find My Way Homeの弾き語りでプレイしたもの。サンバーストが誰用かは分かりません(ラージ・ヘッドであるところから、ジョージ・テリーのスペアかも?)。
BIG WALRUSさんが目撃した黒のストラトも、もしかしたらこれだったんじゃないでしょうか。イヴォンヌの持ち物だとしたら、日本公演でメインに用いなかった理由も納得できます。あれがモノホンのブラッキーで、イヴォンヌに使わせてあげていたという想像もできますが、その可能性は低いんじゃないでしょうか。

本来ECのサブ用でないということで、今まで眼中になかったのです。これはまったくの盲点でした。コペルニクス的転回(笑)。

ほんとだ、、、  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月14日 (金) 13時51分  No.4960

おはようございます。

この写真のストラト2本はブラウニーとブラッキーではないのでしょうか?またこのファイアバードはクリームの頃の実機とおなじ個体ですかね?

またも違うスレにまた書いてしまったので削除パスワード覚えました(笑)

ブラウニーでは  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月14日 (金) 13時55分  No.4963


なかったですね、ラージヘッドでしたね失礼しました

これはスライド用のROLLING HOTELに出てくるギターと同じものかな?

1975?  投稿者:金城次郎  投稿日:2014年11月14日 (金) 15時30分  No.4964
1975の初日1曲目かしら?

私見  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月14日 (金) 16時15分  No.4965
私見ですが、この黒いストラトはブラッキーのような気がします。デラニーとのツアーでもゲストに自分のギターを弾かせたり、借りたりしているのが写真でも散見されますので、クラプトンのギターをイボンヌが使用しているのも不自然さは感じないなと思うのですがいかがですかね?

私見レス  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月14日 (金) 22時21分  No.4967
SANDY MARY様

>このファイアバードはクリームの頃の実機とおなじ個体ですかね?

一応、そう言われとります(笑)。細かい詮索はしないでくれ〜っ(笑)。
ECはもう1本似たようなファイアバードを所有していたことがあって、現在はどちらもコレクター(ひとりは日本人)の手に渡ったと聞いています。

>これはスライド用のROLLING HOTELに出てくるギターと同じものかな?

Tulsa Timeね。さっき観直したんですが、確かにラージ・ヘッドのストラトをプレイしてますね。非常に珍しいことなんじゃないでしょうか。上の写真と同じものかどうかは判りません。同定は無理(笑)。

>私見ですが、この黒いストラトはブラッキーのような気がします。

これまた私見ですが、そうでない可能性のほうが大きいんじゃないかと私は思っています。ブラッキーだとしたら、74年と同様、曲によってはそれを用いてのプレイが他にもっと観られたのではないかという気がするからです。推測の域を出るものではありませんが。
ハイテク光学機器とコンピュータ解析を用いて写真を分析すれば、キズやタバコの焼け焦げ等の特徴から、ブラッキーか否かを判別できるかもしれませんね(笑)。

金城次郎様

ダークな地に白いドットのシャツ、その上にザックリした白ジャケットの出立ちから、75/10/23(大阪2日目)か11/1(東京初日)のどちらかですが、後者だと思います。日本到着してから無精していたヒゲがかなり伸びているからです。

イヴォンヌのストラト  投稿者:BIG WALRUS  投稿日:2014年11月14日 (金) 22時39分  No.4968
ブル−爺氏の絶え間ない問いかけはこの先も果てしなく続くのではなかろうかと, やや不安を感じ始めたまでは良かったが私自身, 氏の根本からエグるような質問に少なからず動揺してたのか, 一瞬アタマが真っ白になり, 場の空気さえ読めず, 放心状態で新スレ立てるや, 挙句の果てにハンドルネ−ムどうこうってアナタ, アレッ〜〜〜〜〜 !

いつの間に変わってしまったんだろう ?
よせばいいのに慣れない掲示板で, つい調子に乗りカキコミしてるうち我を失った結果がこうだとは。。。
まっ, いいか。長い人生, 誰しも1度や2度はこんなこともあるだろう。でも私はあくまでも大きなセイウチです。(ココでは。。。)

氏の問いかけに今回は短刀直入に申し上げましょう。
(1) 私の座席位置からは茶色, もしくはカ−キ−色に見えました。
(2) ブラッキ−でしょう。

SANDAY MARY様が仰るように75年京都公演でイヴォンヌが弾いたストラトは恐らくECのギタ−と思われます。
指板のくすみ具合からしてアレはブラッキ−だったと。
記憶は定かではなく申し訳ないですが, どうも最初からギタ−.スタンドに立てられてたようにも思えてなりません。そんなことで自分のギタ−をイヴォンヌに貸したことは十分考えられます。

ただ厳密に言うと京都公演のステ−ジ写真があるわけでもなく決定的証拠に欠けることも確かです。
アンコ−ル時, 再度ステ−ジに登場した際にブラッキ−持ってた。 もしくは手ぶらで登場した後, クル−が彼にギタ−を渡した等, ハッキリ憶えてるならまた別ですが遥か40年前の記憶を辿り, ワンステ−ジ最初から最後まで憶えてるなど誰しも不可能な話ではありますがね。

さて74年大阪公演, Grow様ご提供の写真見ると確かにねぇ〜。
エクスプロ−ラ−はTELL THE TRUTHからではなかったのか。だとしたらどの曲から使用したのだろう。私はTELL THE TRUTHだと思ったが単なる思い込みだったかな。

  投稿者:通  投稿日:2014年11月15日 (土) 02時13分  No.4971
75年来日時のファイヤーバードは、テレキャスターと同じく、ツアー直前に購入されたギターで、クリーム〜ドミノズで使用されたものとは別物です。

ちなみに年式はどちらも64年製で、どちらも日本人が所有しています。

このたびはお疲れ様でした(笑)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月15日 (土) 03時34分  No.4974
BIG WALRUS様
別ハンドルネームと言えば、あちらの掲示板に、大昔私も変名で何度か書き込んだことがあります。ツェッペリンについても粘着しようと思えばナンボでもできるんですが、私がそれしたところで、あの和やかな掲示板の住人の皆さんからはウザがられるのが落ちだろうと。そんなわけで基本ROMに徹してます。

再三の質問にご回答いただき、ありがとうございます。
シンプルにしすぎて、初来日大阪初日についての質問である意図が伝わらないのではないかと心配したのですが、正しくご理解いただけたようでホッとしています。

>(1) 私の座席位置からは茶色, もしくはカ−キ−色に見えました。

No.4903と4906でアリスさんがUPしてくれた写真の別テイクで、モスグリーンのジャケットを見たような記憶があるんですが、BIG WALRUSさんの記憶にある色ともそんなに遠くない気がします。

>(2) ブラッキ−でしょう。

やっぱりそういうことだったんですかね。そういうことにしときましょう(笑)。

この日の使用ギターについて整理すると、次のようになります。
1〜3曲目=マーティン
4〜8曲目+アンコール=ブラッキー
9〜12曲目=エクスプローラ

75年京都のアンコールの件に戻りますが、ひとつ確かなことは、黒のストラトを見て、WALRUSさんが「あ、ブラッキーだ」とは思われなかったということです。まだこの時期、「ブラッキー」というニックネームそのものが日本人には知られていなかったからです。その辺、イギリスやアメリカでも状況は似たようなものでした。
UPしたのは、イギリスで出版されたペーパーバックで、ECについてのまとまったバイオとしては、たぶん初めてのものです(John Pidgeon著/Panther Books刊)。1976年の出版で、生い立ちから始まって、EC Was Hereまでの活動をカバーしていますが、ここに"Blackie"という呼称は1回も出てきません。

通様
貴重な情報どうもありがとうございます。ナイスなハンドル名ですね(笑)。ディープな知識の持ち主とお見受けいたします。
これまでの書込み、またこれから先の書込みについても、適宜フォローお願いできればありがたいです。

日本におけるブラッキーの認識史  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月15日 (土) 16時17分  No.4975
通さんの書込みで思ったのが、ブラッキー他の、自分所有のギターを持ってこれたのなら、サブ用にあらためてギターを購入する必要などなかったのではないかということ。そう考えると、あの黒ストラトがECのものである可能性は更に薄まったと思う。

「ブラッキー」の名が日本で目にされるようになったのは、音楽雑誌等のマスコミで言及されだしたのは、いつ頃のことだろうか。記憶と推測を混じえて言うと、どんなに早くても77年。実際にはそれより更に後だと思う。70年代にその呼び名を知る人はファンのなかでもごく限られていた、実質ほとんど知られていなかったと言っていいのではないだろうか。
その存在がファンに認識される大きなきっかけとなったのが、『ヤング・ギター』1980年2月号に来日レポと絡めて掲載された、斉藤節雄氏による記事「E.C.のストラトキャスター'57年の愛称はブラッキー」だった。

「そして、来日ツアー4度目にしてやっと主役はブラック・ストラト。この晴れ姿をどれだけのギター・キッズが待ち望んでいたことだろう」
「でも、あのブラック・ストラトはE.C.にとっても別格らしい。何たってしっかりニック・ネームが付けられているのだよ。その名は“ブラッキー”」

BIG WALRUSさん
斉藤氏の記事によると「フィンガーボードの汚れ具合は光線加減で色々違ってみえるので当てにならない」そうですよ(笑)。

またも私見  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月15日 (土) 17時57分  No.4976
ブルー爺さま

逆にアメリカツアーまで使用していたブラッキーを
日本ツアーに帯同させなかったのではないかという根拠はなにかおありなのでしょうか?
そしてそこまでのツアーにおいてイボンヌが黒いストラトをしようしていて、かつ同時にブラッキーを使用しているという状況があったというのならブルー爺さまの拘りもわかるのですが、
ここまでブラッキーではなかったとおもう根拠を教えていただけたらうれしいです。

黒のストラト⊇ブラッキー  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月15日 (土) 20時22分  No.4977
100%ブラッキーでないとまでは断言できません。そして、100%ブラッキーであるとも断言できません。どちらも、断定するに足る根拠が不十分だからです。
ただ、これまでの書込みで述べたような諸々の条件から、状況的に見て、ブラッキーであるよりはない可能性のほうが高い、とは思っています。
イヴォンヌはUSツアーでもCan't Find My Way Homeをやっています。そのときプレイしたギターが何なのか、自分の持ち物なのか、ECから借りたのか、ブラッキーなのかそうでないのか、そもそもストラトだったのか、情報はまったくありません。これは日本公演も同様ですが、そのときの彼女がギターを抱えて歌っている姿の写真も出回っていないようです。
ECはこの頃、税金問題で故国を離れてパティと一緒に西インド諸島バハマに住んでいました(当時の『NME』紙のインタビューによると「1年のうち60日間はイギリスに滞在できる」という状況)。前にも引用した『ミュージック・ライフ』インタビューでの白テレについての発言「あれは1週間前に買ったばかりなんだ。この所バハマの方にチョッと住んでいて、そこでリハーサルしようにもギターがなかったもんで、友達がニューヨークに行って買って来てくれたものなんだ」からして、ブラッキーも含め、ライヴで使えそうなギターが手元になかったんじゃないでしょうか。リハーサルの前はニューヨークでレコーディングしていたそうなので、主な楽器は何らかの理由でそちらに置いたままだったということも考えられます。

今のところ断定するに足る根拠に乏しい状況では、「75年京都公演のアンコールでECは黒のストラトをプレイした」と言うにとどめておいたほうが無難ではないでしょうか。ブラッキーだって黒のストラトには違いないのですから。

ブラッキー  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月15日 (土) 22時01分  No.4978
ブルー爺さま
丁寧なコメントありがとうございました。

自分は75年のテレキャスがどんな使用頻度だったかも知らないど素人ですので、正直ブラッキーだったかどうかに拘りなどはあまりないレベルではあるのですが、ブルー爺さまは事実が歪んで伝わっていくことに危惧されているということですよね。

僕もいろいろ調べてみますね。ありがとうございました。

謎のギブソン系サブ・ギター  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月16日 (日) 17時51分  No.4981
No.4897でこんなコメントをした。
>それにしても、大阪初日にブラッキーと並びサブで待機していたギブソンですが、他の日(少なくとも東京初日と大阪最終日)には見られません。いったい何に用いるつもりだったんでしょうね。気になります。

が、他の日にもあった。写真は77年来日公演プログラムから、見開きページの部分クローズアップで、初来日東京初日。ドラムスの横にサブ・ギターが2本立てかけてある。かなりピンボケだが、ボディやヘッドの形状から、1本はストラト(ブラッキー)、もう1本はギブソン系と判別できる。後者だが、色は赤、目を凝らして見ると、335らしきスタイルをしている。初来日で335が用いられた話は聞かないが、74年USツアーではスライド用に使われたというのを耳にした。が、それを証拠立てる写真は見たことがない。EC Was Here (CD版)その他に収録されている、Drifting Bluesからメドレーで続いているRambling On My Mindでのスライド・プレイがそれだと言う人もいるが・・・ホント?

このギブソン系ギター、他の写真では見切れていただけで、たぶん全日ドラム横に待機していたと思われる。

謎の75年来日ステージ写真  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月16日 (日) 17時52分  No.4982
これも77年来日公演プログラム見開きページの一部分。数枚の写真がコラージュされていて、顔のアップ(初来日東京初日)に半ば隠れているが、その後ろの立ち姿、ロングヘアーと白テレから、75年日本公演と確認できる。問題は着ている服で、東京・大阪・京都のどれでもない。残るは10/27北九州市と10/29静岡。ここからは推測になるが、公演主催が、前者はRKB毎日放送/北九州音愛、後者はウドー音楽事務所となっているところから、写真は静岡、駿府会館の可能性が高いと睨んでいる。どちらにせよ、これら2公演の写真で出回っているものはこれ1枚しかなく、たいへん希少と言える。地元紙に記事(公演評)が載っていたかもしれないが。

パーカッション傍に立てかけてある2本のストラトにもご注目!

なんと  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月16日 (日) 18時45分  No.4985

カッタウェイが無いように見えますが、にしてはボディが薄くも見える、、、

2本のストラト!。両方とも黒に見えますが、、、てことは片方がイボンヌのストラトてことですかね?で、てことはもう一本がブラッキー?(笑)

アナの空くほど見つめてみよう(笑)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月16日 (日) 19時33分  No.4986
ギブソンについて
元々ピントの甘い写真をiPadで撮ったので、いくら注意しても手ブレはふせぎようがなく、さらにボケ味が加わっています。元の写真では、色と形態が少しはマシに捉えられています。ガーッとアップしてみてくださいガーッと。目を凝らせば、だんだんカッタウェイが見えてくる見えてくる・・・(笑)。

ストラトについて
左側の1本、ここでは黒っぽく写ってますが、GrowさんUPによるNo.4956の写真ではサンバーストに見えます。ラージ・ヘッドだし(笑)。
いや、ここでも、手前のコップ置き用テーブルの脚の左側から、ほんの少しだけ茶色っぽいボディがはみ出しているのが見えませんか(笑)。

千秋楽  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月17日 (月) 00時53分  No.4988
あのサンバーストのデカヘッドはジョージが弾いていたような気がします。
74年にデカヘッドを弾いていたと思ったのは75年の勘違いだったようです。
No.4956の写真は最終日ですかね?
ここに最終日をごらんになった方はおられませんか?
詳細が分かる方がいたら助かります。

>>ほんの少しだけ茶色っぽいボディがはみ出しているのが見えませんか(笑)。

老眼気味の目ではよくわかりません(泣

アナと粘着大王(とくにイミなし)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月17日 (月) 02時22分  No.4989
No.4956は初日、10/22大阪フェスティバルホールです。
ついでながら、コートを脱ぎ捨てていること、イヴォンヌがマラカスを振っていることから、Sheriffの演奏中と推測します(7曲目)。

私もあのラージ・ヘッドのストラトはジョージ・テリーのスペアじゃないかと思います。初来日のときはストラトとレス・ポールを併用していましたが、75年は京都でのヤマハSGを除きストラトで通していたような印象があります。

75年最終日というとmarsさんと、あと確かHARAチャンがご覧になってますね。Growさんも「恋は悲しきもの」をあのとき早々とナマ体験されたのですか。関西ではやってくれませんでした。Presenceに続き、羨ましいなあ。

75年ストラト  投稿者:mars  投稿日:2014年11月17日 (月) 19時02分  No.4990
75年の最終日でクラプトンはずっとテレキャスで、ジョージ・テリーはストラトでしたが、果たしてラージヘッドだったかどうかまでの記憶は無いです。ジョージのSGは見た記憶が無いですが、もう40年近く前の事に加え、ジョージをじっくり見ていた訳では無いので定かじゃ無いです。
イヴォンヌも黒いストラトをCan't Find My Way Homeで弾いていましたが、ヘッドまでちゃんと見ていませんでしたからラージだったかスモールだったかは分かんないです。

とても印象的だったのはアンコールのFurther on up the Roadでクラプトンは1弦を切ってしまいましたが、その弦がブラブラしたまま最後のソロを、1弦が切れた事等全く感じさせないプレイで平然と弾ききった事ですね。
友人と興奮しまくりました。笑

私のヒミツ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月17日 (月) 23時30分  No.4991
だいたいラージだのスモールだの、当時の、しかも十代の人間がどこまで知っていたかとなると・・・ねえ。

「絶対に満足させる演奏をするからステージに上がってこないでほしい」とプロモーターを通じて事前に異例の場内アナウンスがなされたこともあって、75年は、少なくとも大阪は、客の悪ノリが目に余った前年とは打って変わって、落ち着いた雰囲気がフロアーを覆っていた。「乗る」というよりは「聴かせる」コンサートであったことは間違いない。それは概ねたいへん好ましいことではあったのだが、今度は逆に、やや盛り上がりに欠けるとも取れるような結果をも招いてしまった。
初日から一夜空けて、大阪2日目のショウの前、『ミュージック・ライフ』誌東郷かおる子によるECへのインタビューからー

ー大阪のロック・ファンは大体とてもエキサイトする方なんですが、昨日はアンコールまでシーンと聴いたのでめずらしいなァと思いましたよ。
「アメリカじゃ、最初から最後まで、みんな大声で騒ぎたてるんだけど、それが昨日の観客が余り静かだったんでチョッとショックだったよ。僕達が受けてないのか、観客が丁重に聴いていてくれるのか、よくわからなかったんだ」

批判的な声も聞かれた初来日と違い、おしなべて大好評に終わった75年再来日だが、現場にいた者として、これまで語られていない出来事をひとつ記しておきたい。大阪2日目、初日にはなかったドラムス/パーカッション・ソロ入りのTell The Truthで本篇が終わって、アンコールの催促中、おもむろに客電が点灯されたのだ。フロアーから「え〜っ?」と声が上がり、観客一同なおも手を叩き続けることしばし、場内ふたたび消灯、メンバーがステージに戻り、アンコールは無事行われた。
思い返してみるに、あのときECはアンコールに乗り気じゃなかったんじゃないだろうか。プロモーターの取りなしでもあって、半ば義務的にそれに応えた、と・・・

そんな舞台裏のドラマがあったかどうかは知らないが、ティーンエイジャーだった私は1階フロアー前方でヒーローの再登場に興奮していた。自分は所有していないが、さるブログによれば、この日の模様を収めたCDブートに、このとき観客のひとりが「去年と違って最高やぞ〜っ!」と叫ぶ声が捉えられているそうである。

それ、間違いなく39年前の私(笑)。

謎のファイアバード  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月03日 (水) 22時23分  No.5236
長〜い過去トピを今更上に持ってきたのには訳がある。

しばしば、珍しいECの写真を見つけて引っぱってきてくれるので重宝している某氏のツイッターがある。しばらく前、このスレで語られている話題の補足材料になるショットがそこに2枚上がっていたので、拝借させていただくことにした。

1枚目。ツイッターには1975年とだけしか書かれていないが、ECの服装から、1975/8/15、サンバーナディーノ、スウィング・オーディトリアムと私は判断する。WE!ウェブサイトのフォト・ページ、ロバーティのDAY BY DAYでも別ショットを見ることができる。が、バックに写り込んでいるスペアのファイアバードが確認できるのはこの写真だけである。
このファイアバード、10/22からの日本公演に持ち込んだのと同じものなのだろうか。時期からして、そうであっても不思議ではない。
ここで当トピ、No.4971の通さんの書込みに注意を向けてほしい。

>75年来日時のファイヤーバードは、テレキャスターと同じく、ツアー直前に購入されたギターで、クリーム〜ドミノズで使用されたものとは別物です。
>ちなみに年式はどちらも64年製で、どちらも日本人が所有しています。

当時の『ミュージック・ライフ』誌のインタビューによると、テレキャスターは来日の一週間前に入手したそうである。サンバーナディーノのファイアバードが日本に持ってきたものと同一だとしたら、テレキャスターと同時期、つまり日本公演直前に購入したとは、ちょっと言い難いのではないだろうか。もちろんこれらは別物で、前者はクリーム〜ドミノズ期に使用したもう一本のほうだという可能性だってあるが。

更に推し進めるならば、仮にこれらが同一のギターだとしたら、ブラッキーも一緒に手配して日本に持ってこれただろうし、京都公演のアンコールで弾いた黒のストラトがそれだった可能性も捨てきれなくなる、というわけだ。

証拠発掘ES-335スライドプレイ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月03日 (水) 22時26分  No.5237
2枚目。1975/6/23、ニューヨーク州ナイアガラ・フォールズ、コンヴェンション・センター。

当トピNo.4981、私の書込みより:
>初来日で335が用いられた話は聞かないが、74年USツアーではスライド用に使われたというのを耳にした。が、それを証拠立てる写真は見たことがない。EC Was Here (CD版)その他に収録されている、Drifting Bluesからメドレーで続いているRambling On My Mindでのスライド・プレイがそれだと言う人もいるが・・・ホント?

写真は75年ツアーだが、事実であることがこれで確認できたというわけ。
この日はSB音源が残されているが、私は未聴。セットリストを見ると、Motherless ChildrenとDriftin' Bluesが続けてプレイされているが、前者で用いたのは確実、後者も可能性がある。確認はそのスジの人に任せた(笑)。
エーン、悔しいよー。悲しいよー。恥ずかしいよー。  投稿者:リル  投稿日:2015年05月27日 (水) 04時17分  No.5209
 
この投稿をしようか迷いましたが、No.5194で、ブルー爺さんが、「今夜最大のハイライトは、Cocaineのソロの途中で、アリーナ右手の別々の場所から前に飛び出して、差し向かいでダイナミックにダンスを舞い踊った中年男女だろう。ことに男性は長身なので目立った。会場中の拍手喝采、口笛を浴びていた。2011年のRAHでもそんなことがあったとリルさんがレポートしてくださったのを覚えている。 」って書いてくださって、久々に私の名前を出してくださったので、投稿する決心をしました。
ブルー爺さん、よく覚えてらっしゃいますね。私でさえ、「そういえばそんなことがあったわ」と投稿読んで思い出したくらいです。いつもながら記憶力に脱帽です。

とここで本題です。でも、しばらくしたら、このスレは恥なので、削除するかもです。
私、5月15日にロンドンのRAHに行きました。でも、当日券買えなかったんです。結局、真ん前にいながら、エリック様を拝むことができませんでした。「この中にECがいるんだ」という思いを持ちながら、「武道館みたく音漏れしないかな」とかいう思いで少し外にいても聞こえずじまいでした。
それよりも何よりも、恥ずかしいことに、だふやに騙されてしまったのです。悔しいー。EC見れなかったー。みなさんの楽しそうな投稿読んで、自分の不甲斐なさに愕然とするばかりです。買わされたのが、画像にあるとおり、AL Stewartとかいう関係ない次の日のチケットだったのです。入場口で、「次の日のチケットだよ」って言われて、「えっ」ってなって、戻ったけど、だふやは逃げてしまった後でした。20代くらいの若い二人組の奴らでした。もう一人いたかな。許せない。でも自分がきちんと確認しないのも悪かったと思います。自分にもケチな気持ちがあったことは確かだなとは思います。被害額、35ポンドです。日本円で6千円くらいでしょうかね。それですんでよかったけれど、そんなことより、そいつらにお金を騙しとられても、どんな席でもいいから、追加購入でいいからECを見たかったーって気持ちが今は強いです。

その日、RAHに到着したのが夜7時過ぎになってしまっていたと思います。
ヨーロッパを回っていて、他のヨーロッパの国からロンドンの空港に午後到着して自分の宿泊ホテルに着いたのが、午後5時半くらいだったかと思います。風邪ひいて体調悪くて、鼻水は出るは咳も出るは、疲れきっていてだるいはで、「行きたいけど、券もない。咳したら他の人に迷惑だし。無理だー」とか思っていて、少しベッドに横になって、行く決心がついたのが午後6時過ぎ。遅いですよね。
もともとECのためにロンドンに行ったというよりは、同行者のために観光でロンドンに行って、日程が合ったから行きたいという気持ちで、やはり、私に情熱が足りなかったんだと思います。
RAHの当日券売場(Box Office)に行ったけど、売り切れで買えませんでした。前の日にもホテルでRAHのHPチェックしたのですが、売り切れのままで、チケットが出ていなくて、「あれ?」って思ったのですが、200回記念など特別だったからかもしれないとここの掲示板で気づきました。
2009年などは、開演1週間ぐらい前に、アリーナ前から8列目ぐらいが出ていたので、直前になると良い席が復活するかもとか甘い考えがあったのも確かです。
また、日本のように、開演ぎりぎりになると、だふやさんが良い席を値段が下げてくるかもとか考えてしまったのも自分が甘すぎると反省しています。
しばらくこの掲示板に来ていなくて、No.5117の、「チケットの日付け・値段・座席の位置・紙質(ニセモノでないかどうか・・・これは心配しだしたらキリがない)をしっかり確かめてから買うこと。」というブルー爺さんの投稿をきちんと読んでおくべきだと今日になって気づきました。
ロンドン宿泊がたった1日で、次の日の夜には違う国へ飛行機で行くことになっていたので、延泊してECを見るということはできませんでした。
ECを見られていたら、どんなに楽しかったろうと思います。でも、事前準備が足りず、自分が悪かったんですね。繰り返しになりますが、情熱も足りていなかったと思います。
今は、日本に再びECが来てくれることを願うばかりです。

しかし、私はヤフオクとかでも騙されたことないし、日本のだふやさんにも騙されたことないし、ある意味日本はすごいなと変なところを感心してしまったのでした。
あー。でもやりきれないー。

本当は怖い当日券の話  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月27日 (水) 08時53分  No.5210
ワシなんか二十年前、アパートの階段の踊り場に設置してある公衆電話を使って部屋に戻ってから十分ほどして、サイフを置き忘れたことに気づいて戻ってみたら、みごとに消えてたことがあったよ。十万円以上とカード類が入ってた。ふだんはそんな大金持ち歩かんのにな。テレカが使えない旧式の電話で、残り時間が少なくなるたびに小銭を追加しなけりゃならなくて、ポケットからサイフを出して電話台に置いてたのもまずかった。悪い偶然が重なっての結果、いわゆるマーフィーの法則というやつだね。

こんなボケやらかしてんだから、恥しさでは今回のリルさんの比じゃないでしょ。誰しも生きてたらどっかで嫌なこと情けないこと悔しいこと悲しいこと恥しいことに出くわすのは避けられんわな・・・。クラプトン曰く「人生は壊れもの」よ。

全然慰めになっとらんか(笑)。

これはこれで、チケット入手に伴う失敗談として、他の人への貴重な教訓になると思うので、削除せずにぜひこのまま残しておいてほしいね。この書込みを読んで、難を逃れられる人だっているかもしれない。

それはそうと、リルさんおひさ! こないだのポール来日のときもお声かけたんだよ。その節はどうしてたの?

ワシは今日明日と、ポールを観にバーミンガムとリヴァプールまで行ってくる。2年越し、3回連続で来日を見逃したリベンジを果たす時がついにやって来た! リルさんには今回も会えないみたいでザンネン! キャバーン・クラブでデートしたかったよ(笑)。

ワクワクドキドキ当日券の巻  投稿者:リル  投稿日:2015年05月28日 (木) 02時13分  No.5212
ブルー爺さん、慰めてくださり、ありがとうございます。
かなり落ち込んでいたので、胸にしみました。

>クラプトン曰く「人生は壊れもの」よ
さすがエリック様。かっこいい名言です。確かに生きていると辛いことなど、色々ありますよね。

ブルー爺さん、ポール公演のことで、私に名指しで投稿してくださっていたんですね。先程読んで投稿しました。
それにしてもブルー爺さん、すごいですね。バーミンガムにリヴァプールでポールですかー。本当にキャバーンクラブでお会いしたかったです。2011年の時にリヴァプールで見ましたが、やっぱりリヴァプールって特別なものがありますよね。今回もやっぱり当日券ですよね? 良席が出ると良いですね。くれぐれも私のような失敗をなさらないように(笑)

私も旅行の前に、ECのRAHの公演の日程と、ポールのHPで公演の日程チェックして、「これはすごい。場合によっては両方行けるんじゃない?!」って思ってましたが、実際にそれを実行してしまうなんて!
「三度目のハズレ」どころか、当たりになりそうですね。いいなー。また公演のレポお待ちしております。

前売り券は安心毛布の巻  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月28日 (木) 02時57分  No.5213
リルさん、4年前はマンチェスターとリヴァプールでワシとニアミスしたこと、覚えてる?(笑)。

宿に着いて、ちょっとだけ仮眠を取った。んじゃ、今から行ってくる。

当日券? いや、ポールは今日も明日も前売り券。2〜3週間前、ネットによい席が上がってたので、つい手が動いて押さえてしまった(笑)。許せ。

ポールのイギリス公演  投稿者:リル  投稿日:2015年05月29日 (金) 03時54分  No.5217
ブルー爺さん、4年前、覚えてます。ブルー爺さんは当日券でスタンドのそこそこの席をゲットして観戦したんですよね。
私はマンチェスターもリヴァプールもアリーナ席で観戦でした。
ブルー爺さんは、リヴァプールで観戦後、キャバーンクラブまで行ったんですよね?後でこの掲示板でブルー爺さんの観戦を知りました。
今回は当日券でなく、前売券で準備万端だったのですね。海外で肩透かしは悲しすぎるので、前売券はやっぱり安心ですね。

そうそう。リヴァプールの方が開演時間が早くて、マンチェスターと同じと思っていて、危うく遅刻しそうになって焦ったのも覚えています。チケットをよく見なきゃですね。

あの時は冬だったので、イギリスは特に寒かったですね。今回は良い季節でいいですね。


横道カキコ:アル・スチュワート  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月01日 (月) 10時56分  No.5226
実はリルさんがダフ屋にダマされてつかまされたと言って、アル・スチュワートのチケットをUPしたことに少々驚いている。5/1にマンチェスターでライヴを観たばかりだったので。行きがけの駄賃ってことで少々。
書込みからするとリルさんはこの人のことをご存じないようだが、ECと同じ年、1945年生まれ。1969年発表のアルバムLove Chronicles、表題作はジミー・ペイジが録音参加した18分の大曲で、"fuck"という四文字言葉を史上初めて用いた曲としてポピュラー音楽史にその名を留めている(BBCの放送禁止歌にも指定されたはず)。その後はメロウな方面にも幅を拡げ、代表曲、Year Of The Catは日本でもかなりヒットしたものだ。YouTubeで曲名検索すると簡単に拾える。聴けば、ああ、あの曲か、と思い当たられるんじゃないかと思う。甘い歌声が耳を惹きつける名曲。今回のイギリス・ツアー、この曲を表題作にしたアルバム(1976)の全曲演奏がウリ。

終演後、ロビーでサイン会があった。
「へぇ〜、大阪から来たの。日本には二回行ったよ。1979年と81年」
来日してたのは知ってる。自分は若かったし、ライヴに回せるお金も限りがあったので、行かなかった。ナマは今回が初めて。

リルさんが計らずも手にしたチケット、5/16RAHはロンドンだけのスペシャルな内容で、他所と違い9人編成のフルバンド演奏。22日にも同所で追加公演が出ている。延泊できれば、ECだけでなくこっちのほうだって観れたのにねえ・・・と言ったところで、ネコ年ならぬネコに小判か(失礼)。

続横道カキコ:ティム・レンウィック  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月01日 (月) 11時01分  No.5227
地方公演はロンドンと違い、バックなし、アルを含む三人での弾き語り。出だしはデイヴ・ナクマノフという西海岸のギター弾きが付き添ってのデュオだった(70年代後半から、アルはイギリスからLAに居所を移している)。
30分ほどして、アルの紹介と共に登場したのが、なんとティム・レンウィック! そう、1985年、Behind The Sunツアーに参加して、日本にもやって来たあの人。ECとはその前年、ロジャー・ウォーターズのツアーに一緒に参加して以来の付合い。ナツカシ〜。曲によってアコギ、エレキを使い分け、ストラトを用いてのプレイでは、ブルージーでかなり扇情的なソロを弾いてくれたりした。

アルにサインをもらってから、グッズ売り場をふと見やると、ティムが佇んでいるではないか。クラプトンの日本公演であなたを観た、と話しかけると、上機嫌で相手をしてくれた。日本には三度行った、エリックのときと、マイク・オールドフィールド(82/5/26、渋谷公会堂。今に至るも彼唯一の来日公演)、ピンク・フロイド(88年)。
ピンク・フロイドのときはステージセットに目を奪われて、あなたがいるなんて気がつきませんでした、と言うと、ハハハ、そりゃそうだろうな、と相槌をうつ。
ECとの来日でいちばんよく覚えているのは、1985年10月10日、旧フェスティバルホール、大阪最後のホール公演となったステージで、Cocaineの二番目のソロをティムが弾き終えて、"She don't lie, she don't lie, she don't lie, cocaine!"でフィニッシュするときに、ピョンとジャンプしたこと。アッハッハ、そんなことがあったっけ、とティム。
プログラムへのサイン、デジカメのツーショットで楽しく会話を終えた。デレク・トラックスなんかもそうだが、欧米人男性が年齢を重ねるとよくあるパターンで、かなり「クマ化」が進んでいたレンウィック氏であった(笑)。

ティム・レンウィック!  投稿者:derek  投稿日:2015年06月01日 (月) 14時52分  No.5228
久々にティム・レンウィックの名前を見てうれしくなりました。1974年にロンドンのマーキーでサザーランド・ブラザーズ&クウィヴァーを見た時、彼のカントリーっぽいギターが良くて、それ以来、好きなギタリストの一人なんです。「クマ化」していたとは・・・
それから約40年ぶりにロンドンを訪れ、5月21日、22日に初めてロイヤル・アルバート・ホールでクラプトンを見ることができました。地元ならではのリラックスした雰囲気がよかったです。(武道館の緊張感も悪くありませんが・・・) 実に見やすい会場で、アリーナの前方で見たのですが、スタンドでも十分楽しめますね。ヴァン・モリスンがやる時にはぜひ見に行きたいと思っています。

私は見た  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月01日 (月) 18時57分  No.5229
サザーランド・ブラザーズ&クウィヴァーとは、またマニアックな名前を・・・。しかも74年にマーキーで観たとな。スゴイ! EC初来日の年でんがな。

そんな大昔にイギリス行ってながら、それから40年以上置いての渡英というのも、まあ諸々の事情がおありだったんでしょうが、極端と言えば極端ですな。その間いろいろありました。パンクもおマンチェもブリットポップも、みんな過ぎ去ってしまいました。

5月21日、22日と書かれているのは、20日と21日、もしくは21日と23日のことなんでしょうね。ROMってるだけで、行かれた方はやっぱりほかにもいらっしゃるんでしょうな。皆はん、もっと書き込んでください。レポください。ひとりにしないで(笑)。

すみません、場所をまちがえました  投稿者:derek  投稿日:2015年06月01日 (月) 22時37分  No.5232
すみません、ECを見たのは20日、21日でした。ブルー爺もお書きの通り、20日のI Shot the Sheriffのソロには昇天しました。RAHはアリーナのドアを出るとそばにバーがあったりして至れり尽くせりですね。
1974年当時はブリティッシュ・ロック三昧だったもので、しばらくロンドンで暮らしていたのですが、それ以降はECの影響もあって黒人音楽が中心となり、ニューオリンズやシカゴ、ジャマイカなんかに行っていました。観光旅行先としてはイギリスはあまりおもしろくないので、ヨーロッパではイタリア、ポルトガル、ベルギーなどを訪れていた次第。
1974年にはレインボー・シアターでクィーン、マギー・ベル、ロキシー・ミュージックなんかを見ましたが、一番よかったのは、ルイシャム・オデオンだったかで見たフェイセスでした。あの頃のロッドは最高!ECとはすれ違いで、初めて見たのは75年の武道館。当時は東京でも2回しか公演がなかったんですねぇ。隔世の感があります。

倫敦コーリング  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月02日 (火) 12時22分  No.5233
20、21日というと、私が観たのと同じ日ですね。どちらもよかったです。とくに一日目は。

爺を名乗る私ですが、書込みから伺うに、先輩ロック・ファンの方とお見受けいたします。70年代にロンドンに滞在されてたなんて、羨ましいですね。私もアールズ・コートでツェッペリンを観たり、クラブでジョイ・ディヴィジョンを観たりしたかった。その後行かれたのも濃い場所ばかり。ポルトガル以外は私も訪問済みです。

イギリスは観る物が少ないとは必ずしも思わないんですが、他所と比べてメシはまずいですね(笑)。それでソンしてる部分があるとは思います。

ここに書き込まれる際には編集パスワードを入力しておくと、あとから編集や削除ができるので便利です。

digital divide  投稿者:derek  投稿日:2015年06月03日 (水) 13時19分  No.5235
ブルー爺様 ご親切にご教示いただき、ありがとうございました。コンピュータに弱く、そそっかしい私にはありがたいアドバイスです。
イギリスの食べ物がまずいのは覚悟していましたが、昔と比べて日本料理、タイ料理、イタリアンの店がぐーんと増えているのにはびっくりしました。パブ・ランチでもたれ気味の胃に、RAH参戦前の軽い腹ごしらえとしてアジア系の軽食は重宝しました。いつまでもリルさんの恥ずかしい話がトップにあるのも申し訳ないので、私のしょうもない話はこのへんで終わりにさせていただきます。
Just One Night, 24 Nights and 205 Nights!  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月02日 (火) 21時43分  No.5234
 
ECのこれまでの会場毎出演回数ランキング

1位 RAH=205回
2位 武道館=87回(サンタナへの客演含む)
3位 MSG=45回
4位 大阪城ホール=31回
5位 フィルモア(新旧合わせて。サンフランシスコ)=21回

キャリア初期にヤードバーズがハコバンみたいな感じでさかんに出演していたクロウダディやマーキーなんかのクラブ・ギグまで含めれば、また違う結果になるんだろうが、ここでは大ざっぱに言ってクリーム以降、ECが世界的なメジャー・アーティストになってからということで数字を出してみた。
今回のMSG=RAH共通プログラム掲載の出演データに倣い、他アーティストとの共演やゲスト出演、チャリティ・イベント等への参加も含めている。

大阪城ホールが地味に4位に着けているのが地元民としちゃ嬉しい。

参考:
http://www.whereseric.com/the-vault/concert-information/royal-albert-hall-london-england
ワシもようやくOut There  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月28日 (木) 08時41分  No.5214
 
すべてが新鮮、すべてが最高。
今はとにかくハッピーな気分。
明日が待ちきれない!

<ポール・マッカートニー@バーミンガム、バークレーカード・アリーナ>
ヴィジュアル&サウンド・コラージュ=19:45〜20:15(30分)
ライヴ=20:15〜23:00(2時間45分)
演奏曲数=40曲

O2アリーナとは別ものでしたか・・・  投稿者:GH  投稿日:2015年05月28日 (木) 14時22分  No.5215
そんなに良かったですか?
意外だ!

私はエリックとポールを同時にロンドンで観たのは25年振りでしたので、私も十分以上に新鮮に臨んだ24日のO2アリーナでしたが、その日のポールのサウンドは最低で、最後まで耐えられず、Band on the runで退席してホテルに帰ったので、どれだけやったかは不明でした。まあ、十数年前に東京ドームでポールを全く観ないうちに帰宅したのよりは、十分耐えたのですが。

そして、24日のO2アリーナは心配された空席はそれほど目立たなかったのですが、ただ観客の熱狂もエリックさんのRAHのようにはなかったのも事実でした。

Just Another Rock Show  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月29日 (金) 00時02分  No.5216
2002年といい今回といい、ポールはGHさんには鬼門なのかも(笑)。
バークレーカード・アリーナ(旧称ナショナル・インドア・アリーナ=NIA)、正面スタンド下段で観ていましたが、音的にはまったく問題ありませんでした。会場ではもっとも音のいい辺りだと思いますが、GHさんの経験されたのは、そういう座席位置以前の、出音そのものに原因があったような感じを受けますね。

以下私の感想。

そろそろ日本では飽きられ始めた印象もある今ツアーのレパートリーだが、初めて体験した私には、Eight Days A Weekに始まって、そのすべてが新鮮に受けとめられた。ついにAnother Dayをナマで聴けた嬉しさ。武道館の目玉だったAnother Girlをスンナリやってくれたときのお得感(バックにはサイケな幾何学模様の投影)。

ネットでよく言われる声の衰えだが、私にはほとんど気にならなかった。高音部は確かにかつてのように行かないのは聴いていて感じたが、そのことは誰よりも本人がいちばんよく分かっているだろう。そういうものとしてそれを受け入れた上でやっていこうというプロ意識、前向きさ、ひたむきさが、私には好ましく感じられた。そこには、腐っても鯛、劣化してもポール、みたいな半分揶揄混じりの「ディスり評価」を寄せつけないような潔さと清々しさがあった。

2時間15分の本編に30分のアンコールが付いての2時間45分。73歳を目前にして、飄々とした風情で40曲を歌い、演奏するポール。人生は壊れものかもしれないけれど、生きてりゃたまにはいいことだってあるさ。帰る前に一杯やりたくてたまらなくなり、会場外のパブに足を踏み入れると、そこは上気したファンでいっぱい。夕べのビールは殊の外うまかった。

youtube見て行きたくなった  投稿者:リル  投稿日:2015年05月29日 (金) 04時45分  No.5218
ブルー爺さん、"Out There Tour"初観戦おめでとうございます。

"Another Girl"、武道館の映像見て、けっこう声出てるし、体型も年のわりにスリムでかっこいいし、いいじゃんって思いました。
歌ってる姿、年齢を感じさせず、かっこよくて驚きました。
私、今回はポールが来てる時期に日程が合わずニアミス。ECとも変な風にニアミス。
ライブに縁がないようです。

GHさん、2002年の東京ドーム公演をご覧にならなっかたとはもったいない。確かに初日に行ったら、出てくるまで相当待たされたのを覚えています。開演前に、サーカスみたいな変な演出もありましたし。

それにしても25年前にイギリスでポール公演を見た方がいらしたとは驚きです。
成田で大麻で捕まったのは別にして、ポール初来日の頃ですよね。
ポール初来日の時は風邪ひいてて、今より声出てませんでしたね。

ポールファンより、濃いクラプトンファンの方々の中に、古くから海外公演を見ている方がけっこういらっしゃるのですね。

GHさんが25年前にご覧になったのって、DVDが発売されている24ナイツの頃ですか? あの頃のエリック様は超かっこよくて、RAHであのDVDのような公演が見られていたら、死んでもいいって思ってしまうくらいです。もっと早くECファンになっていれば。
若くてハンサムなエリック様を見られた古くからのファンの方々が羨ましいです。

リヴァプールに燃ゆ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月29日 (金) 08時13分  No.5219
ポールの里帰りギグ。会場内に充満するものすごい祝祭感、多幸感。
それに止めを刺したのが、アンコールでフロアーからフランス人カップルをステージに上げ、オーディエンスの見守る前で、男性から女性にプロポーズさせたこと! ペパー軍曹のブルーのコスチュームを装った男性、その場に跪いて、お客さんに気を使ってか、"Will you marry me?"と英語でプロポーズ(笑)。もちろん女性はOK。そりゃ断れんわな、このシチュエーションじゃ(笑)。ポールは"Can't Buy Me Love"をカップルに捧げて演奏、その間大型スクリーンには舞台袖で抱擁し、キスしあう二人の姿が・・・。チョーが付く大ハプニング。

マージー河に吹き渡る風も、この昂揚感を鎮められそうにない。いても立ってもいられない気持ち。今からちょっくらキャバーン・クラブでひとり打上げ会をやってくる。続きは明日にでも。

<ポール・マッカートニー@リヴァプール、エコー・アリーナ>
ヴィジュアル&サウンド・コラージュ=20:02〜20:32(30分)
ライヴ=20:32〜23:23(2時間51分)
演奏曲数=40曲

エリックとポールを日替わりで  投稿者:GH  投稿日:2015年05月29日 (金) 16時12分  No.5220
リバプールも当然なことながら、グレイト、グレイトイーブンニングだったようですね。
ステージにカップルを上げて、プロポーズさせるのは時々あるのかもしれませんね。

実は一昨年のBruce Springsteen & The E street bandのサンパウロで観たライブでも、"She's the one"という曲の途中でブラジル人カップルをやはりステージに上げてプロポーズさせていました(笑)。
何れにしても、リバプールでポールを観られるのは特別でしょう。
私も"Another Day",そして"And I love her"をライブで聴くのは02が今回初めてでした。

リル様

エリックをロンドンで初めて観たのは1990年1月の公演で、ジャーニーマンツアーの始まりで、Four Pieace Bandでのライブを4回観ました。DVDにされたのはこのツアーの最後の1991年2月です。
当時は当然何も情報がありませんでしたが、1989年10月に仕事でロンドンに行った時にRAHでVan Morrisonがやるのを知って、当日券を買いにRAHへ行ったら、すごい行列になっていて、一緒に列んだら、これが1990年1月と2月のジャーにマンツアーのチケットの発売日の列だったのです。それでもう買うしかないという感じでチケットを買うことが出来ました。本当に偶然でした。

それから、ポールもロンドンで90/01にエリックの日程とちょうどぶつかっているのを知り、 Wembley Arenaで2回見ました。飛んでもない奥の端っこの席でしたが、初めてビートルズのポールを観れたという感激で一番感激した日でした。エリックとポールを日替わりで観れた夢のような日々でした。

ポールの帰郷  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月30日 (土) 19時34分  No.5221
前回のリヴァプール、2011/12/20では、ふだんやらないPenny Lane、Mull Of Kintyre(スコットランドのキルトをまとったバグパイプ隊の伴奏付き)といった追加曲もあって、42曲3時間というボリューム、特別感満載だったのだが、今回のセットリストにはとくに変わったところはなかった。それでも、ポールがリヴァプールに帰ってきた! という会場を包むお祭り感には少しも変わりがない。

入場時には、「おかえりなさい、ポール」とプリントされたLPジャケット大の厚紙が手渡された。私の見たところ、それがいちばん多く掲げられたのはThe Long And Winding Roadが始まったとき。

会場施設のツイッターというと、どこでも事務的なお知らせが多いものだが、今回のエコー・アリーナのツイッター、ちょっと悪ノリぎみなほど当日の様子を逐一報告している(笑)。

https://mobile.twitter.com/echoarena

Jet!!!  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月30日 (土) 21時08分  No.5222
公演日、マージー河沿いの会場上空を編隊飛行するRed Arrows(航空自衛隊のブルーインパルスに当たるアクロバットチーム)。お祭り気分を盛り上げた。

別の日でした、ゴメンナサイ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月31日 (日) 23時33分  No.5223
上の写真、エコー・アリーナのツイッターから拝借したものだが、その後いろいろチェックを入れてみたら、飛行があったのは月曜日、つまり公演の三日前だったらしい。ポールのレポの最中にこんなの挟むなよ〜。ジェット機まで繰り出して里帰りを盛り上げたのか、さすが地元一のヒーローなんて思い込んじゃったじゃないか(笑)。

EC & ポール  投稿者:リル  投稿日:2015年06月01日 (月) 03時55分  No.5224
GHさん、偶然並んだら、ECの公演だったなんてすごいことです。しかし、海外出張って、ブルー爺さんもですが、私の憧れです。みなさん、かっこいい!私もロンドンへ「海外出張」してみたいです。
ジャニーマンツアーとかって、私も見てみたかったです。ビートルズは小学5年生からファンなので、遅くとも高校生くらいからECファンになってればと思います。日本でも武道館より小さな会場でやっていた頃からご覧になっていた方々が羨ましいです。


ブルー爺さん、リヴァプール公演をご満喫されたようでなによりです。
2011年の目玉は、"Penny Lane""Mull Of Kintyre"もそうですが、季節がら、「ワンダフルクリスマスタイム」をやってくれたことですよね。ブルー爺さんは確か別の年にO2アリーナかどこかで「ワンダフルクリスマス」は聞いたことはあったと思いますが、私はマンチェスターとリヴァプールで聞けたのは嬉しかったです。

「LPジャケット大の厚紙」ですか? 良さそうな感じはするものの、ちょっと前の人が上げると視界が遮られてしまいそうとか思ってしまいました。
ポール公演でボードを上げている人がいて、「見ずらい」って思った時があったのもので。
でも、お祭り感満載なのは、暖かい感じがしてよいですね。ポールも会場のスタッフたちも、本国だとリラックスしてピリピリ感がないのがいいなって思ったりしました。

カヤの外  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年06月01日 (月) 07時47分  No.5225
べつに「出張」してるわけじゃないんですけどね。瞬間移動しただけです(笑)。「かっこいい」というコトバはポールやエリックのために取っておいてあげてください。

Wonderful Christmasを聴けたもうひとつの機会は2009/12/22、ロンドンO2アリーナです。見逃したここ2回の来日でやって、以前も今回もイギリスで聴けなかった曲というと・・・Everybody Out Thereですね(笑)。

「厚紙」という言い方はちょっとまずかった。公演プログラムなんかに使われているような光沢紙、グラフィックペーパーですね。油断するとフニャッと曲がってしまう感じの。バーミンガム同様、リヴァプールも正面スタンド(上段なので更に距離があった)で観たので、前の人が掲げてもステージが観にくくなることは段差のせいでそんなにありませんでした。

(写真はメッセージ紙の裏側)
三度目のハズレ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年04月20日 (月) 21時58分  No.5106
 
ポール、関空に到着したそうで。まあ、だからと言って油断はできないわけだが(笑)。

自分はというと、日程が公になった時点で行けないのは確定していた。
一昨年は日本を留守。
去年はドタキャン。
で、今年がまたこれ。
三年連続でダメ出し喰らうと、こちらも腹が据わってくる。もうどうとでもなれ、みたいな(笑)。
おそらく自分は、もう日本ではポールのライヴが観れない定めなのじゃろう。That's the way God planned it!

行ける人は思いっきり楽しんできてくれ。
リルさん元気?

まさかの40分おしスタートw  投稿者:ミュージックライフ  投稿日:2015年04月21日 (火) 23時54分  No.5107
初日行ってきました!良かったです!三曲目が僕的に特にサプライズで嬉しかったです!

ブルー爺は武道館の10万円席を当日券で買えばよいのだ。  投稿者:バカボンパパ  投稿日:2015年04月23日 (木) 10時23分  No.5108
ブルー爺さんへ

ポール師匠の武道館の10万円席が当日券で出るらしいのだ。

是非購入して感想を述べてほしいのだ。




日本公演全部ハズレ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年04月23日 (木) 12時17分  No.5110
都合悪いのは大阪だけじゃないの。ぜ〜んぶ。

いろいろ言われてるみたいだけど、楽しんだモン勝ちよ。
観てない人間が言うのも何だが、出来云々よりも、間を置かずに同じようなのを観せられてシラケてるってことのほうが大きいんじゃないか。去年のゴタゴタがあっただけに尚更。「2013年の感動に比べて今年は」なんてコメントを目にしたが、単に飽きた、ってだけの気もする。

10万円なあ・・・
ロックの値段やないやろ、と憤るワシが古いのか。

だってねぇ〜  投稿者:トム  投稿日:2015年04月24日 (金) 00時59分  No.5111
一昨年はオーダーの仕方を知らず、ピア最速先行で申し込んだ東京ドームが2F天井席だったので、情報収集して"Beatles Club"に1年間入会して大阪の良席を確保したんや。が、運良く会員期限が切れる前に昨年の大阪チケット良席を確保できたにも関わらず公演中止。さて、同じような演目で改めて入会延長するか?

辞めときました。後悔はしていません。一昨年の大阪は素晴らしかったから。

演目を変えてのツアーだったら挑戦したんでしょうけどね。ちなみに、dimeは長いこと使ってなかったらID削除されてたみたいで、落とし方が分からなくなってしまい困っています^^;

だってねぇ〜  投稿者:ファン  投稿日:2015年04月28日 (火) 01時32分  No.5112
ポールの場合「レコードとおんなじ」以上の感動はないわけよ〜
大阪でランダムでアリーナ前列に通された人がいるってホントですか⁉︎

SLS板的にはどうなのよ?  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月01日 (金) 06時53分  No.5114
今回の来日? とくに武道館参加した人はどんなふうに感じた?
この掲示板でポールと言えばリルさんなんだが、トンと音沙汰がないね〜。前々から言ってたように、追っかけから足を洗ったんかしら。公演観てなくても、ひと言元気なお声を聞かせてくだされば嬉しい。

ワシのほうだが、ここに来てようやく、RAHに行けそうなメドがついた。それと入れ替わるような日程でポールが三年半ぶりにUKツアーを開始するので、ECと併せて観てくるつもり(ロンドンはパス、バーミンガムとリヴァプール狙い)。三回連続でハズレクジを引いた埋め合わせをするどー。

ポール武道館  投稿者:失われた時  投稿日:2015年05月01日 (金) 21時41分  No.5118
 東京ドームと武道館の両方とも行きましたが、やはり演奏者と客との一体感は、武道館のほうが圧倒的に上でした。
 開演前からの異様な熱気と盛り上がり。2003年のストーンズの時のような殺伐とした感じではなく、もっと温かみのある盛り上がり。
 ポールも武道館にはかなり思い入れがあるようで、「ブッドーカン」を連発。
「今夜、ここにいる人で、ビートルズの最初のショウを見た人は、手をあげて」というと、あちこちから手があがりました。ポールを49年ぶりに、武道館で見た人たちは、さぞ感慨深かったでしょう。
 ドームだと、どうしても遠くからライブを眺めているという感じが否めないのですが、武道館はそれに比べると大きなライブハウスで、お客さんは全員満足したと思います。
 私は、アリーナ中央の席でしたが、スタンド席だと、北東が大当たりでした。なにしろ、ポールがピアノを弾く姿を、斜め後ろから至近距離で見られたのですから。
 去年、病気で中止になったときは、ポールと武道館はよほど相性が悪いのかと思いましたが、今年無事に公演が行われて、その懸念も晴れました。
 これを機に、クラプトンなみに、2年に一度やってくれたら嬉しいです。

Roll Over Budokan  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月02日 (土) 09時59分  No.5120
失われた時さん、おひさ。

武道館はよかった、という人が多いのは知っている。問題は、それがカネに見合う内容であったかどうかということ。

あんだけ高額なお布施を要求されると、「それだけの価値はあった」とでも思わないことには、そうでもして自分を無理やり納得させないことにはやってられんのじゃないか。集団的自己催眠とでもいうか。

海外の同クラスの会場の4〜5倍ものチケット代を支払わなければならないというのは、どう考えてもおかしいし、狂ってる。日本と外国とでは、機材の輸送費等、条件が違うから単純な比較は無意味と擁護する向きもあるが、私には説得力に乏しいエクスキュースにしか聞こえないし、問題から目を逸らし、隠蔽する意図すら感じる。

「武道館」というブランドネーム抜きには成り立たない阿漕な商売、茶番劇だったのではないか。

ワシが観た武道館公演。  投稿者:バカボンパパ  投稿日:2015年05月02日 (土) 10時47分  No.5121
今回のポールマッカートニーの来日公演、東京ドームと武道館を観たのだ。

ワシの意見としては概ね「失われた時」さんと同じく、演奏側と客席との一体感の違いを感じたのだ。

ワシはお金に見合う感動、という捉え方は出来ないが、あえて言うのなら「こりゃ、高い買い物だ」とか。「この1曲でウン千円か…」といった、シラケた気持ちは全く公演中も公演終了後も芽生えなかったので、お金に見合う感動は十分にいただいたと思うのだ。

ブルー爺、いつもあなたの薀蓄・知識・情報収集力など、いつもすごいなぁと思っているのだが、今回の意見はちょっと???なのだ。

入場料をお布施と言ったり、この素晴らしいショーを茶番劇と言ったり…。
いつものブルー爺らしい、センスを感じないのだ。
もう少し言い方を考えたほうが良いのだ。

あと、失われた時さんの感想に加えて、ワシが感じたことを書くのだ。
@この日の武道館の音はとても良かった。音が塊になってステージから飛んでくる感じで、久しぶりにロックの音を体感したのだ。特にギターを始め、各楽器の音がとてもクリアに聞こえ、このバンドはこんなに良い演奏をしていたのか、と感心したのだ。
Aステージの大きさの関係上なのか、ステージの背中にはスクリーンがなかった。しかし、このおかげで観客も演奏に集中でき、これが「演奏者と客との一体感」につながったと思うのだ。
Bポール自身の声もそうだが、演奏が良かった。イエスタデイのアコースティックギターの音はとても良かった。
C1曲目が始まった時の観客の「ドッカ〜ン」と爆発した空気感は物凄かったのだ。
Dここでコレを言っちゃ怒られるかもしれないが…、去年のエリックのショーよりも何倍も良かったのだ。

あとはキリがないので、ブルー爺、イギリスで観る機会があればぜひ観てほしいのだ。

本当に良かった、今回の公演は。

ライブハウス武道館  投稿者:Toru  投稿日:2015年05月02日 (土) 14時43分  No.5122
高額なチケットに気が引けて武道館に行く気が起きなかった一人ですが、
ネットにあがっている映像を見たり、
失われた時さんやバカボンパパさんの感想を読んだりしていると、
これは行くべきだったと今さらながら思い始めています。

今回は東京ドームに2回行きましたが、
前回2013年のときも盛り上がるもののどこかで少し冷めてしまう時もありました。
それは音がクリアじゃなくてポールの声も演奏も少しうるさく聞こえていたせいだと思います。
だからそれで印象がマイナスされていたかなぁ、って気がしてきました。

次もポールの武道館公演があるとしたら、
武道館は2階席の最後列でも見やすいので、
年齢制限に引っかからない一番安い席で参加しようと思います。


  投稿者:kenken  投稿日:2015年05月02日 (土) 21時43分  No.5124
個人的には2013年の来日が初ポールだったので、約2時間半、すべての曲が始めて生で聴く曲ばかりだったので文句無しに楽しめました。本当に楽しかった。

今回は京セラと武道館に行ってきましたが、案の上、京セラは2013の焼き直し、ECで言えば99年と2001年の酷似したツアーの様で新鮮さはありませんでした。まぁここまでは想定の範囲。

そこを踏まえての武道館公演ですが、セトリの短縮したものの、差し替え曲も数曲ありましたが、特別目新しいレア曲は少なく(僕にとっては始めて聴く曲ばかりでしたが)、10万円という高額なチケット代を払ったコアな人に対して本当に心から満足させられてたかは疑問です。やはり10万払った人の本音は少し物物足りなさを感じたのではないでしょうか?僕はB席4万円の席だったのである程度満足、まぁ10万も出さなくて良かったかなと思います。

ECで例えるならこんな感じでしょうか?
2014年に来日したのは記憶に新しいですが、同じメンバーで今年の冬に再来日したとします。武道館チケット11,000円。セトリは2014年とほとんど代わり映え無しできっちり2時間のステージ。
そこに最終日に追加公演でZEPP東京あたりが企画されたとします。チケット代50,000円。公演時間は30分短縮され1時間半のステージ、セトリの差し替えは数曲あったものの、どれも過去に何処かで聞き覚えのあるいつもの引き出しから引っ張り出してきたマンネリ曲でサプライズ曲無し。僕はこれではガッカリしてしまうと思います。

今回のポールの武道館は正にそんな感覚だったんではないでしょうか?

ただ、まだOut There ツアー未経験なら、海外で見るチャンスがあるなら一見の価値はあると思います。

Too Much Monkey Business  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月02日 (土) 23時05分  No.5126
日本だろうとイギリスだろうと、どこで観てもポールのライヴが最高なんてのは、言われるまでもなく分かっている。今回の問題はまた別のところにある。

物には適正価格というものがある、という話だ。

武道館ではなく、代々木オリンピックプール、横浜アリーナ、さいたまスーパーアリーナ等、別のアリーナ会場で今回の公演が行われたとしたら、最高額10万円というチケット代にファンは納得しただろうか。

観れるものなら私も武道館は観たかったよ。2万円の参加席でなら(笑)。

チケット代  投稿者:失われた時  投稿日:2015年05月03日 (日) 04時47分  No.5128
 武道館の価格設定が、適正だったからこそ、満員御礼の大成功に終わったのでしょう。
「狂っている」「常軌を逸した値段だ」と思う人が多ければ、チケットは売れず、空席だらけになり、興行は失敗したでしょう。
 そもそも、値段に不満があるのなら、行かなければ良いだけの話。
 それに、ポールの武道館公演価格は、一年前の経験からわかっていたから、本当に行きたい人は、一年の間、それなりに準備をした筈でしょう。




チケット代  投稿者:Toru  投稿日:2015年05月03日 (日) 08時16分  No.5131
10万が適正かどうか、というより10万も出して自分で座席を選べない方が問題だと思います。
まぁ今回は引換券を持ち、チケットが入った封筒を選べたようなので、自分で運を引き寄せることもできたかもしれませんが・・・・・・

武道館ならアリーナの後ろの方になるより1階席の前の方を選びたい、1階席の天井が頭の上にあるような席よりかは2階席の前を選びたい、など色々な思いがあるものです。座席は希望よりも悪くなろうとも自分で選びたいというのがホンネ。

なので、10万という価格設定をするのであれば座席エリアをもう少し細かく分けて欲しい。10万払ってどこになるか分からないというのは、あまりにも殿様商売だと思う。

ということで座席を選べないのならば、武道館なら見晴らしと音響的な事を考えて2階席になるだろう40000円の席が安心できるなぁ、というのが個人的な感想です。

体感席  投稿者:Yamakendrix  投稿日:2015年05月03日 (日) 11時35分  No.5132
この春から大学生になった私にとって武道館は当然のこと東京ドームもB席以外は手の届かない有様でした。(私はチケット代に関しては15,000円超えてきたら躊躇します。)
B席はそうそうに完売し、武道館C席も落選とポールは生で観れることは無かったかと落胆していました。
しかし何気なくネットで情報を追っていると25日に5,500円の当日券が出た!?何でもステージが見えなくて演奏を楽しむだけだからその名も体感席…
でもこの値段で伝説による演奏が聴けるのに行かない理由はありません。
運良く27日は講義が5限しかなく、正午前から2時間並んで噂のチケットを手に入れました。
座席は外野席でした。ポールのステージセットは面白いことにステージの側面にもスクリーンが設置してあってそれを見てれば充分楽しめるのです。運良くステージ前方に出てきたポールの姿も見えました。ステージ真横なので『Live And Let Die』の特効の熱や火薬の匂いも“体感”できました(笑)。
私は自分の祖母がビートルズどんぴしゃな世代なので武道館に特別な思い入れもありません。むしろたった1回でも生で演奏聴けたことだけで今後一生自慢できると思います。
なのでプロモーターさんにはこんなマセガキもいるんだってことをわかってほしいです。武道館C席は完売でしたし。ギャランティの問題もあるからチケット代下げろとは言えないですけど、こういう当日券出しちゃうくらいならもっと色々考えられたでしょって思います。

高すぎますけど  投稿者:Sato  投稿日:2015年05月03日 (日) 17時58分  No.5134
こんにちは。

チケット代は確かに高すぎです。10万円席以外、席がどこかも分からなかったし。でもロックコンサートの値段て、すでにクラシックなんかより全然高いですね。年明けのニール・ヤングのカーネギーホールなんて400ドル。EC70歳は500ドル(下の席もありますけど)。VIP席とか何をか言わんや、ロックはすでに金持ちの道楽です。国内組だって、サザンや達郎のチケット代は、国内の一流オーケストラのチケット代より高いです。

自分の場合、どんなジャンルのコンサートでも、見ながら、あるいは終わってから、それが「チケット代に見合う」内容だったかなんて考えることは基本的にないです。今回もジャーンとcan't buy me loveが始まってしまえば幾ら払ったかなんて考えてるヒマはなかったです。財布が許さなければそもそも行けませんけど。

なにより、今回の武道館公演の内容が現実にどうだったかは、褒めるのであれ貶すのであれ、現場に行って体験した人だけが語れることです。音源やテレビを見ればその限度では体験し、語れますけど。

内容とは別に価格や運営を云々するのは良いし必要なことだと思いますけど、あくまで音楽自体とは別物。音楽体験としては、コンサート現場で体験できた内容がすべてで、それは値段でどうこう変わるものではないのですよ、自分は。だから今回のチケット代が仮に「適正な」1万5000円、極端な話10円だったとしても、見た感想は変わらないと思います。今回行った多くの人がそうなのではないですか。

「値段が内容に見合うか」なんて発想自体が非音楽的で、絶望的に退屈です。もっと言えば興味のない外野の野次馬が言うことです。極論すれば趣味にいくら払うかなんて個人の勝手です。少なくとも飛行機代かけて海外まで音楽聞きに行くような人が言う台詞じゃないでしょう。オマエガイウナ、と。

だからコンサートを体験したい、体験について語りたいたい人は、まず現場に行きましょう。そうしたいから10万円じゃきかないお金払ってRAHやMSGとかも行くんでしょ?音楽にこだわるなんて行為自体が元々幾分かは狂気を孕んだ営みで、だから普通の人はやらない。ポール武道館10万円が集団催眠なら、海外まで追っかけるなんて孤独な単独催眠ではないですか。

私は今回行って良かったし、行かなければものすごく後悔しただろうなと思います。幾ら払ったかとか主催者の運営がダメだなんてことは時が経てば薄れ、忘れますけど、コンサートの感激は一生消えないでしょうね。




Baby, You're A Rich Man  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月03日 (日) 20時01分  No.5135
武道館がとりあえず満杯になったのは、行った人すべてがチケット代を適正価格と思ったからだーそんなふうに解釈していいものなんでしょうか。価格設定には到底納得できないが、武道館という名前の誘惑には勝てなかったーそういう人だって、会場には大勢いたと思います。

ロックは金持ちの道楽になってしまった、というのは、現実を見れば、確かにそう言わざるを得ない部分もあると思います。だからと言って、それですべてがなし崩し的に動いて行くのをこのままズルズルと許容してもいいのか、という気持ちが私の中には強くある。興行側がどんな暴挙に出ても、これでは先方の思うツボ、言いなりになってしまうばかりではないのか、と。

ショウの良し悪しはチケット代とは関係ないというのもそのとおりです。その意味では「カネに見合う内容であったかどうか」というのは、適切ではなかったかもしれませんね。ここは私の表現の仕方に問題がありました。が、ショウがどんなに、桁外れによかろうと、私ならあの値段には納得できません。Satoさんはそうした考えを「退屈」と言われますが、現実のなかで生活し、限りある手持ちの資金のなかからライヴのチケット代や旅費を捻出している人間にしてみれば、その部分は切り離して考えることはできません。海外遠征しているお前が言うなって? 私だって、できるものなら、制限なしに使えるお金と暇があるのなら、RAHだけでなくMSGにも行きたいし、RAHだって2回じゃなくて7回全部観たいし、ポールもバーミンガムとリヴァプールだけじゃなく、ロンドンだって、その後のヨーロッパだって一緒にくっついて周りたい(笑)。そういうことです。

Satoさんにしても、音楽にこだわるのは狂気、趣味に使うお金は生活費とは別、とウソ偽りなく言い切れるのであれば、ソウルでポール観たかったんじゃないですか。あそこのEC公演の盛上りを体験した人なら。私は観たかった(笑)。

https://youtu.be/ja1PozfK-gU

リッチじゃないです。  投稿者:Sato  投稿日:2015年05月03日 (日) 22時02分  No.5137

お返事どうも、ブルー爺さん


>武道館がとりあえず満杯になったのは、行った人すべてがチケット代を適正価格と思ったからだーそんなふうに解釈していいものなんでしょうか。

自分はそんな風に考えてるわけではないし、そんなことは書いていません。あそこにいた人は、この値段でもいいと思った人、高すぎると思った人、どちらとも言えない人、ロンドンに見に行くより安いと思った人、その他諸々無数のバリエーションがあったでしょう。ブルー爺さんだってけして安かったわけではないRAHにクリーム見に行ったでしょう。あれだって十分高すぎ+飛行機、宿代でバカ高なのになぜ行ったのかな?

高いと思うなら行くべきでない、主催者がつけあがってなし崩しになる、といお気持ちもわかりますが、そういうのは最終的にはマーケットが決めるだけなのでは。冷たい言い方でしょうけど。ドーム公演の値段だって興味のない人には高すぎるでしょう(あれだって自分には高いです)。武道館だって売れ残ったから、少なからぬ枚数の当日券を出さざるを得なくなったわけだし。

金の話をし出すと音楽からどんどん遠ざかるし、つまらないです。
私が言いたかったのは、音楽の内容なんて、付けられた貨幣的な価値や主催者の腹立たしい振る舞いで決まるわけでないんだから、とりあえずそれと切り離して内容を語ろうよ、ということです。俺は切り離して語れないんだ、というならそれはそれで仕方ないです。

>Satoさんにしても、音楽にこだわるのは狂気、趣味に使うお金は生活費とは別、とウソ偽りなく言い切れるのであれば、ソウルでポール観たかったんじゃないですか。

いえ、観たくないです(笑)。ソウル公演しかなければ行ったかもしれませんけど。
そもそも「趣味に使うお金は生活費とは別」とは思いません。ただ前者は合理的な損得勘定では割り切れないものがある、というのが自分の言いたいことです。

まあ、多くの人がそうだと思いますけど、ドーム公演と武道館公演の印象はかなり違いました。それぞれの良さはあったし、ドーム公演には武道館にはないものもありましたけど。

ただ、単純に音がちゃんと聞こえて、演奏者が肉眼でちゃんと見えるということが、音楽を集中して聴くためにどんなに大切かということは、武道館で見て思い知らされました。それは武道館幻想というより、単純に大きすぎない会場の利点ということです。八角形ですり鉢状の客席の独特の雰囲気とかも。それはポール公演でなくても感じますから。

もちろん武道館が長年背負って来たコンサート会場としての重みだって単純に幻想、催眠で済むお話ではないでしょう。ここで半世紀間演奏してきた人たちのリスト、駅を降りてだんだん屋根が見えて来て外濠を渡って歴史のある田安門をくぐりまた建物が見えて来る時の気持ち、建物の外観のユニークさ、二階席ですらそんな遠くない一体感とか、武道館だけが持つ魅力、重みです。文化としての建築物ってそういうものでは?RAHがO2アリーナとは違うように、武道館を横アリやさいたまスーパーアリーナと比べちゃダメですよ。イヤ、そういうのは幻想だ、ただのアリーナで他と変わらないぜ、というならそれでいいです。

毎回武道館で観れるクラプトンはありがたいです。長くなったのでこの辺でやめます。

(二重投稿になってしまったのでダブりはできれば消してください)

It's All Too Much  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月04日 (月) 02時24分  No.5138
適正価格云々は、Satoさんに向けてではなく、上のほうの失われた時さんのコメント(No.5128)へのレスです。アンカー付けなかったので、紛らわしかったですね。お二人にはごめんなさい。

RAHまでクリーム観に行ったのは、そりゃもちろんクリームを観たかったからです(笑)。あの時点ではアメリカ公演の話はまったく出ておらず、ましてや来日するかどうかなんて未知数もいいところ、これを逃せばチャンスは永遠に巡ってこないかもしれないという切羽詰まった気持ちでした。観たかったのはクリームであって、RAHではありません。ウェンブリー・アリーナでもアールズ・コートでもO2でも、なんだったらMSGでも武道館でも別によかった。
ちなみにチケット代ですが、125ポンド/75ポンド/50ポンドの3種類(当時のレート:1ポンド=約200円で、日本円に直してそれぞれ約25,000円/15,000円/10,000円)。自分が買ったのは、5/2初日が125ポンド(アリーナ)、5/6最終日が50ポンド(天井桟敷で立見 笑)でした。

>金の話をし出すと音楽からどんどん遠ざかるし、つまらないです
>音楽の内容なんて、付けられた貨幣的な価値や主催者の腹立たしい振る舞いで決まるわけでないんだから、とりあえずそれと切り離して内容を語ろうよ

私も普段はそういう姿勢です。まあ、ECの今度の来日でチケットがまた値上りした、とかブータレることはありますが、小言の範囲を超えるものではない。が、ポール武道館公演のチケット代は、話のネタにブツクサ言っておしまい、では済ませられない暴挙と感じます。そのむかし、トム・ジョーンズやホロヴィッツの来日が放題なチケット代で世間の話題となり、いまだにそれが話に上るように、今回の武道館公演は最高10万円という価格設定抜きには語れないのではないでしょうか。程度の問題、物には限度があるだろう、と言いたいのです。

Satoさんがソウル行きに関心がないのは少々意外でした。2011年のECソウル公演を体験され、オーディエンスの熱い盛上りぶりにいたく感銘を受けられたご様子で、その後も何度かご自身のブログで、次回またソウル公演があるならぜひ行きたい、とご執心だったのを覚えているので。ECなら観たいがポールは別に、とか、そういう理由でもあるんでしょうか。

最後になりますが、ブログの最新エントリー(久びさの書込み!)拝見しました。武道館公演のあり方の是非についてはSatoさんと意見を異にすることになりましたが、いつもながらの音楽への愛情溢れる見解、そしてそこで吐露されている想いには最大限の敬意を表します。

今更ですが・・・。  投稿者:リル  投稿日:2015年05月28日 (木) 01時56分  No.5211
今頃投稿、すいません。私の場合、残念ながら予定が合わず、ポール公演見られませんでした。

私、色々な方の意見もわかるのですが、今回はブルー爺さんとほぼ同意見です。
私自身、2013年のポール日本公演を全公演見るというオッカケをして、完全燃焼してしまったのかもしれません。福岡の相撲観戦までもオッカケをして、目の前をポールが通ったり、東京のホテルまで行って、それも目の前を通過していったのを見れたりで、なんか、もういいやという気分になってしまいました。
(できればサイン欲しかったですが、それは無理というのもですね。)
なんか近すぎたせいもあったのか、自分の中で神格化したポールが身近っぽく人間になったような感じもあったのかはわかりませんが、前ほどポールを愛せなくなってしまっているような気がします。ビートルズの曲は大好きですが、ポール自身にちょっと覚めてしまっている自分がいたりします。
あと、仕方ないですが、ポールのファンのエコひいきもあったりで、日本人唯一、海外でステージにあげてもらって、体にサインをもらった女性ファンのヨーコさんという方には、2013年の時に、出待ちの時に大勢のファンが待っていながら、福岡のホテルでその方だけポールはハイタッチみたいのをしたらしく、そういうのがイヤだなーって思ってしまいました。まあ、私の妬みですね(笑)

まあ、そういうのは置いといて、はっきり言わせていただきますが、今回の武道館はボッタクリでしょ(笑)
けど、日本人のポール世代の人はけっこうお金持ちが多いからいいんじゃないですかね。払える人は払って行けばとは思いました。でも、そのお金払えるんならば、海外で見るかな。
私自身も2013年の時に、VIP席で8万円とか払ったりしましたが、席がわからないところにはお金払えないです。最前列とかわかれば、10万円でも惜しくないですが、さすがにプロモーターの横暴さに抵抗を感じるので、それに乗るのも悔しいというのもあります。
私自身、ECでも武道館に何回も行ってもいますし、特に武道館に特別な感情がないので、武道館という名目だけで10万円は払えないです。もちろん、ビートルズ全員だったら、20万円払っても惜しくないです。
また、2002年にRAHでやった"Concert for George"だったら、20万円払ってでも見たかったかなとも思います。
私が今回、席わからないでポールに出せた武道館の最高価格は、3万円がいいところかなーって思ってしまいます。
ただ、私自身が1回もポール公演を生で見たことなくて、武道館1回しかやらないとかだったら、やっぱり10万円出しちゃっただろうなって思います。
今回は、2013年の焼回しだし、何回もポール公演を見てるし、セットリストも予想できたし、武道館という会場がありがたくなかったので、行く気はしませんでした。
しかし、なんにせよ武道館、ちゃんと満席になって、大盛況だったそうなので、それはそれでよかったとは思います。ガラガラで埋まらなかったら、やっぱりポールが可哀そうだなって思います。プロモーターの戦略にはまるのは悔しいですが、ガラガラの会場はちと想像したくないかなーって思ったりします。あんな高い席を満席にできるポールはさすがだし、日本のポールファンの情熱にも脱帽ってところもありますね。ポールもさぞ感動したでしょう。
もともとポールって、ジョンとかより商業的なところが多かったので、こういう値段設定の武道館公演みたいのも、ポールっぽいと言えばポールっぽいのかもしれませんね。
ポールの年齢層や所得などからはじき出した価格で満席になったんならば、ファン対キョードー東京の戦いでは、今回は、キョードー東京の勝ちみたいですね(笑)
Adieu l'ami(さらば友よ)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月23日 (土) 19時33分  No.5197
 
「誓って言う、これで最後、人生七十年、本当は三十歳を越えてやっていけるなんて思ってもみなかった・・・」

今回のMSG=RAH共通プログラムの序文だが、去年の日本公演プログラムに寄せた文章以上に、本気でリタイアの決意を表明している。

表紙をめくると、そこで手が止まってしまう。

イェー・・・  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月25日 (月) 18時55分  No.5204
2013年US/UK/ヨーロッパ・ツアー・プログラムの序文。引退を伺わせるような記述はどこにも見当たらない。翌年の日本公演プログラムの序文、そして今季のそれを併せて読むと、心境が変化してゆく様が読みとれる。

  投稿者:Sato   投稿日:2015年05月25日 (月) 23時08分  No.5205

孤高の1人特派員お疲れ様です。

前回の日本公演のパンフ、
少し前のuncut誌のインタビューよりさらに
家族と過ごすことへの思いが強く出てて、
ああ、スローハンドの心の中はここまで来てたんだな、と。

額面通りには信じたくないですが、
今まで楽しませてくれてありがとうございました。
いて当たり前だった人がいなくなるのは寂しいけど。

時々気が変わってもいいんだよ〜笑


イェーッ!  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月26日 (火) 10時20分  No.5208
孤高って、単にファン界からハブられてるだけのような気もしますが(笑)。

"I swear this is it, no more"って、それ言っちゃったら、もう引っ込みがつかない場所に自分を追い込んでしまいましたよね。気が変わっても、これまでみたいなノラリクラリとした言い訳は通用しないでしょう。まさにBackless。

こうしてすべては過ぎ去っていくんですね。
当日券  投稿者:クラプ丼  投稿日:2015年05月01日 (金) 17時17分  No.5116
 
今度初めてアルバートホールに行きます。
1日分のチケットだけ取ったんですが、できれば他の日も見たく、正規の値段で当日券て出るものでしょうか?
もしそういう可能性があるなら売り場などどの辺か教えてください。

当日券確保のコツ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月01日 (金) 20時51分  No.5117
経験的に言って、事前にsold outになった公演も含め、大概の場合、当日券は出る。ちなみにやはり事前売切れだった前回2013年のECは、自分は一応公演日直前に2日分チケット確保していたが、当日会場ボックスオフィスで念のため確認してみたところ、両日とも当日券は出ていた。どちらも、夜7時台の時点で、サークル席という最上階。ステージから多少距離はあるが、充分楽しめる。RAH自体、そんなに大きくないしね。体感的に武道館の2/3ぐらいの大きさ(キャパは半分)。

RAH当日券売場(Box Office)は、Door12(実際に会場に行ってみれば、すぐに分かる)。日本と違って朝9時から夜9時まで開いている。ロンドンに着いたら、とりあえず会場に行ってみて、自分が観る日のチケットが売られているか確認するのをお薦めする。あればその場で押さえる。これで終わり。

そのとき(たとえば公演日前日)出ていなければ、公演当日にもう一度トライする。一応朝のうちに売場を確かめて、やはり売られていなければ、自分のスケジュールや体調とも相談して、夕方の当日券発売に向けて並ぶ(発売開始は6時〜6時半ぐらい)。3〜4時ぐらいから並べば充分。観光もしたいだろうし、朝からテンパって並ぶ必要はないと自分は思う。やったところで、その場につっ立っているのは自分ひとり、売場の人の「これまたご熱心なことで。ごくろうさん」という視線を浴びながら数時間過ごすことになる(笑)。

夕方になると行列ができるが、列に並んでいると、種々様々な理由でチケットを余らせた人(ダフ屋ではなく、普通の人)が、よかったら買ってくれないかと声をかけてくることがよくある。そのときに備えて、現金を多めに用意しておくとよい。あちらの人はカードで購入する人が大半なので、現金を持ち合わせておらず、せっかくの良席なのに、声をかけられても断る人が実に多い。コツは一にも二にも焦らないことで、チケットの日付け・値段・座席の位置・紙質(ニセモノでないかどうか・・・これは心配しだしたらキリがない)をしっかり確かめてから買うこと。座席位置確認用に、ネットから座席表をプリントアウトして携えておくとよい(当日券売場のカウンターにも貼り付けてある)。言うまでもないが、現金の持ち歩きには充分注意すること。

ワシもまだチケット持ってないから心配スンナ(笑)。

お礼  投稿者:クラプ丼  投稿日:2015年05月11日 (月) 00時38分  No.5161
ブルー爺さん、ありがとうございます。
参考にします。

本日の良席放出中  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月21日 (木) 01時24分  No.5190
会場近くのホテルにチェックインするなりRAHウェブサイトをチェックしたら、良席がワラワラ出ていたので、1枚押さえた。もちろん当日券売り場でも買えるだろう。
ということで、今日は当日券には並ばない。ちょっと休んでから出かけるつもり。

以上、現地報告でした。皆様の今後の参考に。

本日も良席放出中  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月21日 (木) 20時18分  No.5193
午後12時過ぎゲット完了。
今日も並ばなくて済んだ(笑)。

当日券激写  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月25日 (月) 11時25分  No.5203
予約完了時刻
20日=16:46
21日=12:01
(RAHウェブサイトに浮上したのはいずれもその少し前)

座席位置
20日=Stalls K2列57番(正面スタンドど真ん中2列目)
21日=Stalls G8列12番(ステージ向かって左、スタンドではもっとも演者に近いブロック)

これまでの当日券人生で、今回ほど手応えを感じた機会もまたとない。
キミも男なら(女でも)、先行予約だ優先予約だと、チケット販売会社に踊らされたあげく、神席糞席勝ち組負け組と結果にあたふたするよりも、ドンと構えて当日券にトライしようではないか。空手でニューヨークへ、ロンドンへ飛ぼうではないか。
え? トライしたはいいが、立見券しかなかった、それすらなくて入場できなかった、そんなことになったらどうしてくれるんだ、って?

前売り券は安心毛布、ってか(笑)。

(ところでクラプ丼さん、結果はどうでした?)

報告  投稿者:クラプ丼  投稿日:2015年05月26日 (火) 00時47分  No.5206
報告します。
5/18と5/21にRAH当日券売場(Box Office)に行きまして、
18日=Loggia(ボックス席?)の1列目(ほぼステージ正面)
20日は事前に持っていた
21日=Stalls J8列43番(ステージ向かって左)
でした。
2日共当日券としてはかなり良い席でした!
ありがとうございました。

感激! 偉大なる当日券  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月26日 (火) 10時09分  No.5207
いやナニ、ストーンズもツアーに出たことだし(笑)。

クラプ丼さん、良席ゲットおめでとうございます。当日券主義者(笑)として、我が事のように嬉しいです。
次回はぜひ前売り券なしでの渡英に挑戦してください。あ、もうRAHではやらないのか。カナシー。

本人の言葉を信じるならば、これが最後になる可能性もあるRAHでECをご覧になれて、本当によかったですね。できたらレポもよろしくお願いします。
ありがとうございます♪  投稿者:管理人s.layla.s  投稿日:2015年05月22日 (金) 10時35分  No.5195
 
みなさまのRAHのでのエリックさんのリポート、万感の思いで読ませて頂いてます。

プログラムのエリックさのん表情に、しみじみ。。
いい線いってますー

人の幸せはいろんな形、エリックさんへの想い、それが生きるエネルギー源です。。


今日も素敵な1日を!

悲しきワンマン  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月23日 (土) 08時40分  No.5196
みなさまったって、現地からレポしてるのはひとりなわけだが(笑)。

Final evening !  投稿者:GH  投稿日:2015年05月24日 (日) 08時29分  No.5198
元気そのもののエリックさん、RAHの空気の中で、エリックさんのギターソロと歌で満たされて幸せだった。
最後はDriftin'に替えて、Rock me babyを持って来るというサプライズもあった。
Crossroadsも強烈だった。言うことはない。

やっぱり羨ましいー  投稿者:管理人s.layla.s  投稿日:2015年05月24日 (日) 23時16分  No.5200
ジョンチョル氏が、連日にエリックさんを観るためRAHに通った事が日本のワイドショーのニュースになったおかげで、RAHの正面全景や、内部のドアや壁や通路等が映し出され、とても懐かしい気持ちになりました。
エリックさん、元気そのもの!とのこと。
素敵です!!
良かった…。


  投稿者:GH  投稿日:2015年05月25日 (月) 08時01分  No.5201
北朝鮮のボディガードを含む4名ですが、20日は私の隣りに4名で並んで座っていたので(Arena Row6 seat 12-15)に座っていた)、怖くて目を合わせないようにしていました。
ですから、私とほぼ同時にチケットを買ったことになります。
ただ金氏は曲に合わせて大声で一緒に歌うくらい本当にエリックさんの音楽が好きな様子ですから、複雑ですね。

RAH総評  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月25日 (月) 09時06分  No.5202
Rock Me Babyか・・・やればできるじゃない!
セトリ的には「2回で充分」なのかもしれないが、でもやっぱり「2回観といてよかった」と思わせてくれた今回のライヴでした。
金正哲  投稿者:Yamakendrix  投稿日:2015年05月24日 (日) 19時01分  No.5199
 
昼間何気なくワイドショー点けててエリック・クラプトンさんと聞こえてきたので何事かと思ったらこういう事でした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150522-00000064-wow-int
RAH5日目6日目と来られてたようです。
権力者の兄ですからいろんなところで注目されているんですね。
ジョンチョル氏は2006年のベルリン3回と11年にはシンガポールでもクラプトン観てるようで、北朝鮮でクラプトンのコンサートを開こうと言い出したのも自然な事だったんでしょう。この申し出はクラプトンサイドが断ったとのことなのでバーレーンの王子のような関係にまでは成れなかったのでしょう。
こちらも200回目  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月13日 (水) 09時15分  No.5167
 
14日から始まるRAH公演だが、その2日目、15日をもって、1964年12月7日、ヤードバーズの一員として初舞台を踏んで以来、ECが同会場のステージに立つのは200回を迎える。
まあ、それで何かスペシャルな出しものがあるとも思えないが・・・

http://life.royalalberthall.com/2014/10/21/eric-claptons-most-memorable-royal-albert-hall-moments/

初日終了  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月15日 (金) 20時19分  No.5173
変わらんね、何も。ゲストが減っただけで。
セトリにはもはや期待せんが、Let It Rainをアンコールに廻したら、ちったあマシになるんじゃないかと思う。

ちったあね(笑)。

第200夜  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月16日 (土) 23時35分  No.5177
B・B・キングにショウが捧げられた。スペシャルと言っていいのかどうか・・・
後半の曲順に入換えがあったが、セトリ自体は同じ。

5/17(RAH3日目)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月20日 (水) 01時51分  No.5184
Sheriffに替えてTell The Truth。あとは5/15と同じ。

5/18(RAH4日目)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月20日 (水) 01時52分  No.5185
某所へのGodHandさんの書込みによると、Little Queen Of Spadesでキャラックのオルガン・ソロのあと、突如、"B.B.King! B.B.King! B.B.King! I love B.B.King!"と連呼し、オーディエンスの気持ちを激しく揺さぶったとのこと。逝去直後、当人に捧げられた15日のショウではなく、日を置いて唐突にこういう挙動に出たところに、形だけではない自然な、本物の感情の迸りを感じる。こういう人間臭さもまた、我々がエリック・クラプトンというアーティストに惹かれる理由のひとつなのではなかろうか。

ただいま南下中  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月20日 (水) 22時54分  No.5189
ヴァージンエア、じゃない、トレインで。

18日はメチャメチャよかったそうだね。今日はアカンかもな(観る前からナゲヤリ)。
セトリはTruthからSheriffに戻って、Before You Accuse Me落ち。だからどうなんだ、ってか(笑)。

では、当日券売り場で会いましょう。
・・・って、誰に言ってんだか(笑)。

5/20(RAH5日目)最速報  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月21日 (木) 07時33分  No.5191
あああああ。よかった!!!

ワシには充分すぎるほどよかった。異論は認める(笑)。  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月21日 (木) 10時00分  No.5192
3曲目で早くもTell The Truth登場。え? Pretendingはなし?
が、これがよかったのよね。テンポを落としてネットリと演奏。鈍行列車みたいな、言ってみればちょっと『レイラ』収録のオリジナル・スタジオ版にも通じるような、えらくブルージーなヴァージョン。

Sheriffのソロを弾きながら、ゼンマイじかけの人形みたいにカクカク体を揺するECにフロアー騒然。こりゃ今日も充分スゴイよ!!!
Crossroads終盤でしつこく繰り出す粘っこいフレーズ。
LQOSでピアノ・ソロのバックに回って、合間合間に入れる雰囲気満点のリック。

ECの調子のよさは観ている側にも伝わったようで、終盤に向かって客席からのレスポンスも増す一方、Cocaineで本編終了したときにはアリーナと、一階に当たるストール部分はほぼ総立ち。概しておとなしいRAHのお客さんとは思えないような盛上りで幕切れを迎えた。

激しさと性急さ、そして流すときは流すという感じで、適度に余裕がミックスされた、満足度の高いライヴだった。

GodHandさんはこれまでのショウと比べてそれほどの印象は受けておられないようだ。いつも感じることだが、この辺が一回しか観ない人と回数を観る人とで、受ける印象の違いとなって現れるのかもしれない。

5/21(RAH6日目)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月22日 (金) 07時26分  No.5194
開演前に会場でGodHandさんと初めて落ち合う。上階のバーでソフトドリンクを飲みながら1時間ほど談笑。きびしいお言葉も頂いたが、これも私を思いやってくださってのことと受けとめた。今後ともよろしくです。

Tell The Truthが落ち、Pretendingが戻った。
Sheriffではよいソロを弾いてくれたものの、全体として、昨夜のショウには及ばなかったというのが自分の印象。GodHandさんが前夜を指して言った「普通」という言葉は、どちらかと言えば今日のほうに当てはまる気がする。アベレージ、中の上という感じ。
今夜最大のハイライトは、Cocaineのソロの途中で、アリーナ右手の別々の場所から前に飛び出して、差し向かいでダイナミックにダンスを舞い踊った中年男女だろう。ことに男性は長身なので目立った。会場中の拍手喝采、口笛を浴びていた。2011年のRAHでもそんなことがあったとリルさんがレポートしてくださったのを覚えている。
Another One (2)  投稿者:RAH May 17  投稿日:2015年05月19日 (火) 23時32分  No.5183
 
何かのトラブルか、途中で交換したようです。
(現地からでありませんが)

https://www.youtube.com/watch?v=r4wsZKyv_44

  投稿者:Eプランクトン  投稿日:2015年05月20日 (水) 09時37分  No.5186
ギターの交換。弦が切れたようですね!

5月17日の物語  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月20日 (水) 11時44分  No.5187
遡ること9年前、2006年5月17日、RAH。途中で黒のスペアに持ち替えて3曲やった。それがフェンダー・カスタムショップによるブラッキー・レプリカ試作品であったと後日知ったときの驚きと言ったら・・・
その3曲とはLost And Found、Sheriff、Let It Rain。Anydayと日替りだったRainのイントロを聴いたときは心底ガックリ来たもんだ。数日後、その日替り位置で「恋は悲しきもの」をやったと聞くに及んで、なんてワシは運が悪いんだろう、と嘆いた。その後ヨーロッパ、アメリカとツアーが進むに連れて、Anydayも「コイカナ」もほとんどプレイされなくなり、やるのはRainか、あらたに登場したFurther On Up The Roadのどっちか、みたいな日が続き、日本公演もこれで行くのかと気分はブルー。ところが・・・
大阪3日目でまずAnydayが復活。その後も2日に1回はやるみたいなペースが続き、日本公演終盤では「コイカナ」まで登場。いっときは耳タコ曲のお仲間入りをするかに思われたRainは、ついに日本で演奏されることはなかった。
人生何がどう転ぶか分からない。この年、自分が観たRAHはこの日だけだったが、ブラッキー・レプリカが試奏された唯一の日に居合わせたこと、RAH前半だけで早々とセット落ちしたLost And Foundが聴けたことも併せて、今ではいちばんいい日に当たったと思っている(笑)。

2回弦切ってますね  投稿者:ファン  投稿日:2015年05月20日 (水) 13時02分  No.5188
15日のHigh Time We Wentでも弦切ってご満悦です。
EC's 70th birthday concert celebration  投稿者:MSG  投稿日:2015年05月02日 (土) 18時18分  No.5123
 
今回はサンバーストのストラトですか!

  投稿者:WAT  投稿日:2015年05月02日 (土) 22時53分  No.5125
そうですね!今回のハイライトでしょうか?↓
https://www.youtube.com/watch?v=h8DNLVMHrt8

ドイル、メイヤー、デレク・・MSGのみの参加ですかね・・!?

フタを開けたら  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月02日 (土) 23時26分  No.5127
相変わらずの糞セト・・・あわわ、前回来日以降のフォーマットをなぞったかたちだね。

1曲プチレア曲がないこともない。ね、marsさん(笑)。

5/3MSG2日目  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月04日 (月) 20時24分  No.5139
は? 1曲減った? 2日目でもう?

「二つで充分ですよ」(映画『ブレードランナー』より)
「二回で充分ですよ」(某RAH参加予定者の呟き)

プチレア曲  投稿者:mars  投稿日:2015年05月06日 (水) 13時36分  No.5142
しかもデレク弾きまくり...
思わずドミノスのタンパ公演ロージェネ音源を急遽リマスタリングしてDuaneとEricの絡みを聴けるようにしました。笑

https://soundcloud.com/mars_mnt/let-it-rain-tampa

雨に願いを  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月07日 (木) 00時58分  No.5146
marsさん

次回日本公演で「雨が降れば」いいですね (^_^)

デレクたちは来ないかもしれないけれど、RAH後半日程で、同時期にロンドン公演するノップラーやポールが客演してくれたらなあ・・・wishful thinkingでした(笑)。

Bobby Whitlock  投稿者:ファン  投稿日:2015年05月07日 (木) 23時44分  No.5150
奥さん?のCoCo Carmelとの9月からのアメリカツアーが予定されているBobby Whitlockとの来日をwhishful thinkingしてます。

雨に願えば  投稿者:mars  投稿日:2015年05月08日 (金) 11時21分  No.5152
ブルー爺さん、

> 次回日本公演で「雨が降れば」いいですね (^_^)

そうですね、でもきっと降らないな、少なくとも自分の参戦日には・・・
何か、そんな運命なんだよ自分は、きっとね。笑

毎日降るかも(笑)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月08日 (金) 11時38分  No.5153
Cocaineに代わり、この先ずっとラストナンバーに昇格とか(^o^)b

ボビー・ウィットロック  投稿者:ファン  投稿日:2015年05月08日 (金) 15時16分  No.5155
ちなみにボビー夫妻は来年の春頃来日するかもしれません。

Another one !  投稿者:RAH May 17  投稿日:2015年05月19日 (火) 20時37分  No.5181
RAHでは、別のサンバーストのストラトが登場!

Another voice!  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月19日 (火) 22時13分  No.5182
現地組の声がもっと聞きたいよ〜ん。
悲しき爺サン  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月18日 (月) 11時48分  No.5180
 
イギリスに瞬間移動。数時間前までシェフィールドにいた。

瞬間移動はどうでもいいが、<神>がRAHに降臨したもうた夜だというのに、何が悲しゅうてシェフィールドくんだりにいたかというと、マーク・ノップラーを観たから。当日券で正面スタンドのいい席がゲットできた。

いい音楽にいい演奏。奏でられる多くの曲に漂うアイリッシュ風味に、今更ながらやられてしまった。EC@RAH後半日程に参加される方には、O2アリーナ(5/22)でもRAH(5/25・26)でも、観れるものならぜひ観ておくよう強くお勧めする。観てよかったと思うはず、と太鼓判を押しておこう。

会場行きのトラム(路面電車)を待っている際、40代らしき地元の中年女性、ケントから来たという20代の兄ちゃんと立ち話。
ダイア・ストレイツは最初の3枚がその後に出たのよりもよい、最高作は『コミュニケ』ということで女性と意見が一致。
兄ちゃんは初日のダブリン、そしてUKツアーを全部周るそう。マニアだね。21日のクラプトンも行くとか。ノップラーが出るとしたらこの日だよね、と考えることはお互い一緒。
1983年にキャパ1400のホールでダイア・ストレイツの日本公演を観た、と言うと、ふたりにえらく羨ましがられた。英米人から、何年にどこそこでクリームを観たなんて話をされて羨望を掻き立てられることがあるが、自分もそういう立場になったということなんだろう。歳食ったのう・・・
またしても訃報  投稿者:Toru  投稿日:2015年05月15日 (金) 15時07分  No.5171
 
春に入院のニュースが流れたB.B.キングですが、
残念ながら帰らぬ人になってしまいました。

高齢だから自然なことかもしれませんが、
まだまだ元気でブルースを聴かせて欲しかったです。
とても残念・・・・・・・

http://news.yahoo.com/king-blues-blues-legend-b-b-king-dead-054620960.html

http://www.chron.com/entertainment/music/article/Blues-great-B-B-King-dies-6236827.php

今日からRAH  投稿者:ファン  投稿日:2015年05月15日 (金) 18時10分  No.5172
どうするのでしょうかね。
NYCでクラプトンの元気がなかったという声が聞かれましたが、気にかかっていたのでしょうか。
B.Bがクラプトンやジミー・ヴォーンを“Young Man”て呼ぶのが大好きでした。

The thrill is gone...  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月15日 (金) 20時25分  No.5174
毎日が憂鬱。

Facebookに  投稿者:Toru  投稿日:2015年05月15日 (金) 20時28分  No.5175
B.B.キングの訃報にECがコメントをしている動画があがっています。

撮り方にもよるのでしょうが、
なんだか憔悴しきった表情のようで気になります・・・・・・

https://www.facebook.com/ericclapton?fref=nf

翻訳  投稿者:HIX  投稿日:2015年05月16日 (土) 22時34分  No.5176
「こんにちはエリック・クラプトンです。今は悲しみを表明すると同時に友達のB・B・キングにありがとうと言いたいです。長い年月にわたってぼくにプレイヤーとしてインスピレーションと励ましをもたらしてくれたことや楽しく分かち合った友情について感謝していますし、それ以外に特にもう言うべきこともないと思います。というのも、この音楽(ブルース)はもうほとんど過去のものとなりつつあって、それはB・Bのような純粋な形で弾ける人たちがもうわずかしか残されていないからです。B・Bはこういう音楽をこよなく愛するぼくたちのような人間の間ではとても大きな存在だったし、B・Bに対しては心の底から感謝しています。もしあなたがあんまりB・Bについて知らないというのなら、ぼくとしてはまずは『ライヴ・アット・ザ・リーガル』というアルバムを探してきて聴くことをお勧めします。ぼくがまだ若くてギターを弾き始めた頃、すべての始まりとなったのがこのアルバムでした。この一時を一緒に分かち合ってくれたみなさんに感謝します。ありがとう。さようなら」
ポール武道館  投稿者:失われた時  投稿日:2015年05月05日 (火) 06時48分  No.5140
 
スレッドが下がりすぎたので、上にあげます。
 私が、武道館の価格設定が適切と書いたのは、本当に見たいファンが、チケットを購入できたからです。
 アリーナや1階席を、中途半端な値段、(例えば、3万とか2万)で売り出せば、転売屋が買い占めて、泣く泣く諦める人も出たでしょう。10万円だからこそ、すぐに完売しないで、本当に欲しい人の手に隅々まで渡ったのでしょう。 
 それに、ライブ観戦は、金の問題だけではありません。ポールと同様に、ファンも高齢化しています。いつまでも、健康でいられるという保証がないのですから、元気なうちに見ておくのに越したことはありません。
 第一、あの世までお金は持っていけません。死の間際に、「あのとき、10万円をケチらずに、見に行っておけばよかった」などと、後悔しても、取り返しがつきません。見ないで後悔するより、見て後悔(たとえすることがあっても)したほうが、100倍もましです。
 それにしても、ポールのコンサートの演奏内容で盛り上がると思って書き込んだのに、カネの話に終始したのは、意外でした。
 > ブルー爺さんへ
 あなたは、武道館ライブを茶番だと断定していましたが、それは10万円のチケット=興行主による不当な利益の確保、という図式が、アプリオリに出来上がったからではありませんか?
 しかし、ライブに参加して判断したのならともかく、行きもしないで茶番と断定されても、説得力がありません。
 もし、ブルー爺さんがあのライブを体験して、それでもなお、茶番というのなら、人間としての感受性が、薄れている証拠でしょう。
 

I Don't Want To Spoil The Party  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月05日 (火) 19時36分  No.5141
失われた時さん、再度のレス、どうもありがとうございます。

>私が、武道館の価格設定が適切と書いたのは、本当に見たいファンが、チケットを購入できたからです。
>アリーナや1階席を、中途半端な値段、(例えば、3万とか2万)で売り出せば、転売屋が買い占めて、泣く泣く諦める人も出たでしょう。10万円だからこそ、すぐに完売しないで、本当に欲しい人の手に隅々まで渡ったのでしょう。 

チケット代をリーズナブルに設定すると転売屋が買い占めるから、値段を上げれば本当に欲しい人だけに行き渡るようになるー私にはこの理屈が分からないのですね。チケットはできるだけ多くの人にとって買いやすい価格に設定するのが本来のかたちであって、まずは転売屋をブロックするようなやり方をチケットを販売する側が講ずるべきです(実際、イギリスではレディオヘッド等がアーティスト自らそのような方法を考案して実行に移しています)。転売屋が手を出しにくいようにチケット代を吊り上げるなんて、本末転倒もいいところです。
「本当に見たいファン」の中には、10万円はとても出せないから4万円のB席、2万円の参加席または立見を買ったという人もいるはずです。

>それに、ライブ観戦は、金の問題だけではありません。ポールと同様に、ファンも高齢化しています。いつまでも、健康でいられるという保証がないのですから、元気なうちに見ておくのに越したことはありません。
>第一、あの世までお金は持っていけません。死の間際に、「あのとき、10万円をケチらずに、見に行っておけばよかった」などと、後悔しても、取り返しがつきません。見ないで後悔するより、見て後悔(たとえすることがあっても)したほうが、100倍もましです。

アーティストもファンもいつまで生きていられるか分からないから、後悔しないように見れるうちに見ておけ、というのと、チケット代が適正かどうかというのは、別の次元の話ではないでしょうか。話のポイントがずれていると思います。

>それにしても、ポールのコンサートの演奏内容で盛り上がると思って書き込んだのに、カネの話に終始したのは、意外でした。

まあ、それだけ今回の価格設定が異様だったということでしょうね。ショウがすばらしかったことで、それをウヤムヤ、帳消しにするのはあってはならないし、今後のためにもよくないと思います。それは公演に参加しなかった音楽愛好家にとっても、これから先のコンサート・チケット代への影響というかたちで降りかかってくるかもしれないからです。

>ブルー爺さんへ
>あなたは、武道館ライブを茶番だと断定していましたが、それは10万円のチケット=興行主による不当な利益の確保、という図式が、アプリオリに出来上がったからではありませんか?

世界各国のポールの公演地で、こんな価格設定がされたのは、私の聞き及ぶ範囲では、武道館だけです。それは人件費や輸送費用云々といった「国・地域による条件の違い」では到底説明しきれるものではありません。

>しかし、ライブに参加して判断したのならともかく、行きもしないで茶番と断定されても、説得力がありません。

前スレでSatoさんとのやりとりの中でも確認したとおり、私が問題にしたのはライヴの出来そのものではなく、ポール武道館公演というイベント全体のあり方、とくにその高額な価格設定についてです。が、「茶番」というのは、高いお金を払ってショウに参加された方にしてみれば、ムッとする物言いだったかもしれませんね。ここは私の軽率さをお詫びします。どうもごめんなさい。

>もし、ブルー爺さんがあのライブを体験して、それでもなお、茶番というのなら、人間としての感受性が、薄れている証拠でしょう。

その場にいなかったので、ライヴの良し悪しについては語れません。が、少なくとも、コンサートのチケット代が10万円もするのは異常だ、という感受性は持ち合わせています。

完全に弁解だねー。  投稿者:NXP  投稿日:2015年05月06日 (水) 15時11分  No.5143
ブルー爺さん、あなたは完全に言い訳ですねー。
そこまで言うなら今後はポールのコンサートに行かない、キョードー東京主催のコンサートには行かないでください。
あと、行ってもいないのに批評もしないでねー。

気分を害するのです、あなたの一連のコメントを読んだ感想ですー。

ポール武道館  投稿者:バカボンパパ  投稿日:2015年05月06日 (水) 16時25分  No.5144
参考までにご覧くださいなのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=8uCBJdG2DhY&feature=youtu.be

Don't Bother Me  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月07日 (木) 00時48分  No.5145
NXPさんへ
そういう極端な言い方をされても、真面目に取り合う気にはなれませんね。

バカボンパパへ
いい感じにダイジェストされてますね。雰囲気が結構伝わってきます。
やっぱり、ポールのライヴは、いつ、どこで、どんなかたちで観てもいいですね。この人にしかない華が感じられます。
それはそれ、これはこれってことで(笑)。

ん?  投稿者:通りすがり  投稿日:2015年05月07日 (木) 10時32分  No.5147
通りすがりにすみません。昔はここはよく覗いていたのですが久々に拝見していて「ん?」と思ったもので一言投稿させてください。
金額が適正か否かの議論と「ほんとうに見たいファンがチケットを購入できた」かどうかには全く関連性はないのではないでしょうか。
極論すれば「どれ?よく知らないが話題になっているのでポールマッカートニーとやらを見てみるか」の年収5000万円の会社社長と、年収300万で妻子を養っている熱烈なポールのファンが泣く泣く今回の武道館を諦めた状況が各々あったとして(そこまで極端ではないにしても似たような状況は多々あったはず)、ほんとうに見たいファンがチケットを買えたとは到底言えないと思います。
音楽の適正価格と考えると定量的に価値を評価するのが難しいものですから議論の決着は難しいと思いますが、金をとって何かを売る以上、経済活動なわけで単なる商売として考えると需給バランスとして、完売したのですから正解の価格設定だったということは言えると思います。もしかすると経済活動としては安すぎたという可能性もあるぐらいなのではないでしょうか。
「現代におけるロック」もしくは「ポールマッカートニーと彼を取り巻くビジネス」は、大昔ロックやビートルズがそうであったように若者や貧困層の代弁者ではなく、裕福層をターゲットとした産業に変質したということは言えるのでしょうね。産業のあり方としてはポールの年齢なども考えるとこれから彼を支えるファンを育てる必要性よりも、いま金を払えるかどうかにターゲットを絞っているということだと思います。

Don't Pass Me By  投稿者:ブルー爺  投稿日:2015年05月08日 (金) 01時33分  No.5151
通りすがりさん、コメントありがとうございます。

しかし、あまりといえばあまりにも冷徹(冷酷?)な観察ではありますね。本当に見たいファン(という言い方の当否はさておき)がチケットを買えようが買えまいが、どんなに高額であろうと売り切ったもんの勝ち・・・前スレでSatoさんが述べられていた「最終的にはマーケットが決めるだけ」という流れが最終的に行きつく先がここなんでしょうね。

ところで本題とは関係ありませんが、そのハンドル名、野次馬が捨てハンで調子こいてるみたいに取られて、読まれる前から偏見や反感持たれたりするのでソンです。たまの書込みであっても、「ホワイトアルバムさん」でも「ビートルズフォーセールさん」でも、何でもいいから適当な固定ハンドル名を名乗られるのをお勧めします。老婆心ながら、でした。

ビジネスは利益か理念か...  投稿者:passerby  投稿日:2015年05月08日 (金) 14時45分  No.5154
ブルー爺さんレスありがとうございます。
おっしゃる通り肯定でも否定でもなく観察として書かせて頂きました(若干皮肉を込めたつもりではありますが)。
個人的にはロックは世代を越えて伝承されてほしいと思いますし今の若い世代にみてもらって彼らの世代のロックの中に流れるビートルズの世代のロックのエッセンスを感じてもらえたら素敵だなと思いますし、ビジネスにも利益追求のみならず何らかの理念は欲しいものだとは考えています。ただ、ロックを商業的にここまで大きな産業に育てたというのも、ビートルズ、ストーンズ達のひとつの大きな功績ではありますよね。
ところでハンドルネーム変えてみました...あ、ケンカ売ってる訳ではありません。シャレですシャレ(笑)調子こいてスミマセン(汗)次回から参考にさせていただきますm(__)m
初来日から今日で丸40年  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年10月27日 (月) 19時26分  No.4875
 
1974年10月27日(日)、午後7時到着予定のJAL424便にて、ロンドンから羽田空港に着き、ロビーに姿を現したクラプトン。実際の到着時刻は7時34分だった。
写真はたまたま現場にいたファンが撮影したもので、『ミュージック・ライフ』誌同年12月号に掲載されたもの。当時の音楽雑誌は、ステージでの演奏を捉えたものでなければ、読者が撮ったプライベート時のミュージシャンの写真をしばしば載せたりしていた。今と違い、その辺かなり鷹揚だった。

いよいよ本日よりJapan Tour開始  投稿者:Flowers & Snakes   投稿日:2014年10月31日 (金) 12時45分  No.4880
ブルー爺様
1974年10月31日いよいよ日本初公演ですね。
ワクワクユキユキですね。
ブルー爺様は行かれますか?
では、武道館で!!!!!

ここだけ1974年  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年10月31日 (金) 21時34分  No.4881
ボクは大阪最終日に行きます。楽しみだにゃ〜。

なんとオープニングは『Smile』でした。  投稿者:Flowers and Snakes  投稿日:2014年11月01日 (土) 19時21分  No.4884
ブルー爺様

記念すべき初日の武道館のオープニングはなんとアコースティクで、チャップリンのカバー曲『Smile』でした。

大阪はLet It Growで幕開け  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月01日 (土) 20時05分  No.4886
Smileはやらずじまい。
最終日は、ECがマーティンを肩に掛け、曲に入る前の試し弾きで、チャラン、チャランという情けない音しか出ず、ステージ袖からローディーが飛びだしてきて、あわててシールドをプラグインするという椿事があったのだよ。

武道館2日目  投稿者:Flower and Snakes  投稿日:2014年11月01日 (土) 23時06分  No.4887
ブルー爺様
今日(11/2)武道館2日目、なんと『Smile』カットです。
オープニングは『 Let It Grow 』。
白スーツで登場でした。

ここでトリビア  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月02日 (日) 01時13分  No.4888
アルバム『スローハンド』見開きジャケット内側のコラージュ写真のうち、白スーツ姿でエクスプローラ弾いてるの、あれたぶん武道館2日目。

現場にいた人の話だと、この日エクスプローラを用いたのは、エレキにチェンジしての1曲目、Little Rachelのみ。その後はブラッキーに持ち替えて、アンコールまでそれで行った。

Flowersさん、ご自分の記憶と照らして、その辺何か付け加えることあります?

本日、東京最終公演  投稿者:Flowers and Snakes  投稿日:2014年11月02日 (日) 20時59分  No.4890
ブルー爺様
本日東京最終公演。
なんとCreamの解散コンサートの時のオレンジのジャケットで登場。
オープニングは『Smile』。
期待と不安と感動の3日間が終りました。
あとは大阪公演。
ブルー爺さんにお任せ致します。

ダブル? シングル?  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月02日 (日) 22時58分  No.4891
クリーム解散コンサートで着てたオレンジのジャケットって、襟が折り重なったダブルだったんだけど、武道館3日目もそうだっけ? なんとなくシングルのような気がするんだが・・・誰か写真持ってない?

たしかダブルでした。  投稿者:Flowers and Sbakes  投稿日:2014年11月03日 (月) 13時36分  No.4892
ブルー爺様

たしかダブルのジャケットでした。

Japan Tourもあと2回。

ブルー爺様
大阪公演のレポよろしくお願い致します。

1974/11/5、初来日大阪初日  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月04日 (火) 01時16分  No.4893
『音楽専科』誌1974年12月号の来日特集記事に、次のような記述がある。

「ジーンズの上下、その下にはダーク・ブルーのオープン・シャツで大阪のステージをキメていたクラプトンは、アンコール曲に『ブルース・パワー』をプレゼントしてファンにお別れした」

どちらの日かは明記されていないが、初来日大阪でBlues Powerはプレイされていない。アンコールは、初日が当時未発表だったSingin' The Blues、2日目(日本公演最終日)がMainline FloridaとLet It Rainだった。

大阪初日をご覧になった方で(確かGrowさんがそうだったのでは)、この日のECのファッションについて何か覚えておられるのなら、コメントをいただければありがたい。

逢坂の七人  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月04日 (火) 20時27分  No.4894
大阪初日
当日は昼過ぎから厚生年金会館の裏口?
辺りで張っていたのですが、
タクシー(ハイヤー?)に乗って来られて
女性同伴で入って行きました。
たぶん、、、パティ・ボイドさんだったかも?です。

武道館で着ていた黄色いドレスシャツではなく
紺か赤っぽいYシャツだったような気がします。
下は70年代独特のデニムのベルボトムですね。
もしかして2日目と同じ衣装だったかもしれません。

Tell The Truthからエクスプローラーで弾いていて、
ジョージ・テリーはサンバーストのレスポールでした。
クラプトンが黒いストラトにチェンジしたあたりで
テリーもローズネックの白いストラトにチェンジしたと思います。
しかし、クラプトンの黒いストラトはブラッキーだったのでしょうか?
ボディには艶がありヘッドはラージだったような気が、、、(笑
あのブラッキー独特の乾いた音ではなかった気がします。
当時15歳だった僕の記憶は今では薄く、
凄く曖昧で申し訳ないです。

僕の周りには74年はがっかりさんが多いのですが、
PresenceからBadgeまでのSetは素晴らしかったです。
MVRやOGでははっきり聴き取りにくいのですが、
ワウペダルで弾くBadgeのソロは鳥肌物でした。

>>2日目(日本公演最終日)がMainline FloridaとLet It Rainだった。
Mainline Floridaかぁ、、、
ホント、羨ましいかぎりでございます。
ジョージ・テリー バージョンも見てみたかったです。

出た〜ッ!!!  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月04日 (火) 22時55分  No.4895
Growさん、コメントをいただいたことに加え、貴重な写真までUPしてくださって、本当にどうもありがとうございます。

女性同伴で会場入りしたとのことですが、初来日にパティは同行していません。誰だったんでしょうね。クルー、スタッフなのか、それとも・・・? 単純に、イヴォンヌかマーシーだったということはありませんかね。

ファッションですが、登場したときは上にジャケットを羽織っていたかどうか、だとしたら何色だったかが知りたいです。

エクスプローラから黒いストラトにチェンジした、というのは本篇の途中でですか? 今の今まで、ストラトはアンコールのみで弾いたとばかり思っていました。私のおぼろげな記憶では、大阪2日目はそうでした。

もちろん、黒いストラトを用いたからといって、それがあの「元祖ブラッキー」だという保証はありません。まあ、十中八九そうだろう、という推定で言ってるわけです。ちなみに、No.4768にUPした11/2武道館の写真に写っている黒いストラトですが、虫メガネ越しに目を凝らしたところでは(笑)、ストラップの柄は、同年USツアーの写真で確認できるブラッキーのストラップのそれと同一でした。

しかしGrowさん、当時高校生で、ラージ・ヘッドとスモール・ヘッドなんて知識がありました? テレとストラトとレスポの区別が付けば上等、みたいな時代でしたが(笑)。

ほかに写真をお持ちであれば、UPしていただければ嬉しいです。

あれから40年ですね。  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月05日 (水) 11時37分  No.4896
8月の災害で家を引っ越したので写真、ネガが何処に行ったか分からなくなりました。
20枚ぐらい有ったと思います。
また暇な時に探してみます。

>>当時高校生で、ラージ・ヘッドとスモール・ヘッドなんて知識がありました?

確かに当日は知識は薄かったですが、リッチー・ブラックモアやジミヘンと同じような
ヘッドだな?と思っておりました。
でも勘違いかもしれません。
ただ、ボディに傷が無かったようなのでブラッキーではかったんではないでしょうか?
他の公演はしりませんが。

>>エクスプローラから黒いストラトにチェンジした、というのは本篇の途中でですか?
Let it Rainが終わった後だったかなぁ? ギターを交換している時に「Layla! Layla!」
と騒ぎ出して、イントロを弾いたとたんに総立ちになってステージ前に
観客がドーっと押し寄せて危険な状態になり、照明が付いたまま演奏が始まりました。
この辺も記憶が薄いので曖昧ですが、エクスプローラーとストラトは半々でぐらいで弾いていたと思います。

>>登場したときは上にジャケットを羽織っていたかどうか、だとしたら何色だったかが知りたいです。

スママセン、ジャケットを着て登場したのかはっきり覚えてません。
写真が見つかれば思いだすかもしれません。

Liveが終わった後に、後ろに振り返ったら、
ミキサーの横に、見るからに民生型ではない大きいオープンリールデッキが通路側に置いてあったので、オフシャルのライヴレコーディングしていたのかな?とワクワクしてリリースを待っておりましたが、
あとから考えると通路側にはみ出ていたので怪しいですよね?(笑
たぶん、あれは逢坂の七人ではないかと。

40年目にして謎解決  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月06日 (木) 03時25分  No.4897
Growさん、災害に遭われたのですか。それで引越しまでされたとは、本当に大変でしたね。ついこのあいだも御嶽山噴火で多くの方が犠牲になりましたが、日本は本当に自然災害の多い国だと感じます。

今回も写真をUPしてくださり、どうもありがとうございます。おかげで、新たな発見がありました。

エクスプローラを抱えた今回の1枚。注意して見ると、ドラム・セットの横に、2本のサブ・ギターが立てかけてあるのが分かります。1本はストラト、そしてもう1本は、レス・ポールか335だと思いますが、ボディとヘッドの形状からギブソンであろうと推定されます。
前回UPしてくださったストラトを弾く写真では、ギブソンのみが立てかけてあって、エクスプローラはギター交換の際ローディーに手渡されてステージ袖に退場したのであろうと想像できます。
『ミュージック・ライフ』『音楽専科』1974年12月号には、どちらも、東京初日のサブ・ギターが写っている写真が掲載されていますが、スモール・ヘッドの黒いストラト1本だけです。

そして、今回私がUPした写真。75年再来日公演プログラムに見開きで掲載されていたものです。ECの服装から大阪公演のものに間違いあるまいとずっと思っていたのですが、Growさんの写真のおかげで、これが私の観た2日目、11/6のものであると結論できました。決め手はマーシーの衣装です。Growさんの写真では半袖ですが、こちらは長袖です(私の記憶でもそう)。あの日からきっかり40年目にして謎が解けました。
ここでもスモール・ヘッドの黒いストラトが立てかけてあります。元の大きな写真で見ると、ヘッドの中央部分にタバコの焼け焦げがあるのが確認でき、これはブラッキーの特徴とも一致します。いろいろ条件を付き合わせると、初来日でECが弾いた黒のストラトはやはりブラッキーだったと考えるのが自然じゃないでしょうか。
ブラッキーは前年レインボー・シアターでステージ・デビューしたばかりで、この頃は箔なんて全然付いていませんでした。だいたい「ブラッキー」なんてニックネームがあること自体、当時の日本では知られていなかったのです。Growさんの目に新しめに映ったのも不思議はなかったのでは。
それにしても、大阪初日にブラッキーと並びサブで待機していたギブソンですが、他の日(少なくとも東京初日と大阪最終日)には見られません。いったい何に用いるつもりだったんでしょうね。気になります。

11/5のブート(SB録音のほう)を久びさに聴いてみました。たしかにLet It RainとLaylaのあいだにかなり長い間があり、エクスプローラからストラトへのチェンジはここで行われたのであろうと思います。Growさんおっしゃるとおり、Presence〜Sheriff〜Badgeと、本篇ラスト3曲ほとんど曲間なしに畳みかけるような演奏で、迫力がありますね。ただ、Badgeでワウを踏んでいるようには全然聴こえませんが。

Mainline Floridaが聴けて羨ましいとおっしゃいますが、最終日でPresenceを聴けなかった私も思いは同じでした(笑)。

Rolling Hotel  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月06日 (木) 13時12分  No.4899
>>Growさん、災害に遭われたのですか。それで引越しまでされたとは、本当に大変でしたね。
ご丁寧なお言葉、痛み入ります。

>>今回も写真をUPしてくださり、どうもありがとうございます。おかげで、新たな発見がありました。
こちらこそ40年前の記憶を曖昧ながら蘇らせて頂きましてありがとうございます。
20年ぐらい前でしたらハッキリ覚えてたと思いますが、
今の自分の記憶の曖昧さには恥ずかしい限りでございます。

ラージヘッドはRolling Hotelの動画と重なってしまったようです。
正しいご指摘をしていただきましてありがとうございました。
今思えばブラッキーとエクスプローラーで演奏するのを観れたのは感無量です。

11/6、大阪2日目(初来日公演最終日)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月06日 (木) 18時15分  No.4902
公演数カ月後にリリースされた2枚組アナログ・ブート、TOUR74のカバーから(中身は11/5+11/6のKey To The Highway。AUD録音)。
この日のECの出立ちは、ダーク・ブルーのシャツとジーンズ(遠目にはどちらもジーンズに見えた)の上に白ジャケット。UPした写真は白黒だが、明るく写ったジャケットからすると11/6の可能性が高い。

Growさんは、初日に何を羽織っていたかは覚えておられないそうですが、ここで消去法で質問させてください。少なくとも、白(もしくは明るい色)のジャケットを着ていたという記憶はありませんか。

  投稿者:アリス  投稿日:2014年11月06日 (木) 18時36分  No.4903
1974/11/05?

かもですね  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月06日 (木) 19時21分  No.4904
最初に出た11/5のCDブートですね。白黒ながら、やや暗めの色合いのジャケットを羽織って、首にスカーフを巻いてるやつ。現物は手元にありませんが、確かもう1枚の写真では、ジャケットを脱ぎ捨ててエクスプローラを抱えていること、のちに出た音質向上盤The Magnificent Seven(大阪の七人)のリーフレットに、これらの写真を含むフィルムロールのベタ焼きが使われていることを考え合わせると、100%確かではありませんが、この日である可能性は高いです。

  投稿者:アリス  投稿日:2014年11月06日 (木) 19時33分  No.4906
1974/11/05??

今日は2日目ですね。  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月07日 (金) 00時18分  No.4907
ネガから直接落としたのが見つかったので確認してみましたら、
103−0001から順番で行きますと、
エクスプローラーとブラッキーの順番が逆のようです。

>>公演数カ月後にリリースされた2枚組アナログ・ブート、TOUR74のカバーから(中身は11/5+11/6のKey To The Highway。AUD録音)。

OGのやつですね?エクスプローラーを弾いていた頃はシャツ1枚だったので
ご指摘通り、2日目ではないでしょうか?

残念ながらアコギを弾いていた頃は撮ってないので断言できませんが、
ジャケットを羽織っていた気がします。

ええええええ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月07日 (金) 02時48分  No.4909
・・・お礼を申し上げるより先にビックリしてしまいました(笑)。
ストラトが先でエクスプローラが後ですか。となると、サブ・ギターについても別の解釈が必要になってきますね。考えられるのは、ローディーが舞台袖からエクスプローラを運んできてエリックに手渡し、受け取ったブラッキーをドラム横のスタンドに立てかけたと。そういう具合でしょうか。
アンコールについては、参加者の方からブラッキーを弾いていたという話を聞いたことがありますが、果たしてどうなんでしょうね。

エクスプローラのお披露目については、GodHandさんからおもしろい話を伺いました。東京初日、アコギ・セットを終えたところで、布が被せられたギターをローディーがスタンドごとステージまで運んできて、除幕式よろしくサッと布を取ると、そこには見慣れぬギターの姿・・・なんともドラマチックというか、これは特別なギターなんだぞ、というのを意識しての演出だったのでしょう。大阪2日目では、ローディーが両腕で横抱きに抱えてECに静々と歩み寄り、恭しく手渡したところでワッと喝采が起きました。

(写真は上記OGブートTOUR74のカバー裏側から)

Let it Grow  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月07日 (金) 14時31分  No.4910
オープニングの写真が出てきました(笑
これは隣に座っていた友達が撮ったのかも知れません。

>>サブ・ギターについても別の解釈が必要になってきますね。

もう何が何だか分からなくなりました。
自分の曖昧な記憶が情けないです。

記憶力より粘着力(笑)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月07日 (金) 20時44分  No.4911
Growさん、再三のご協力感謝します。

この写真からはジャケットの色合いまでは分かりませんね(笑)。
マーシーがハープを吹いていることから、Can't Find My Way Homeの演奏中に間違いありません。

お願い続きで心苦しいのですが、以前UPしてくださった初来日大阪公演のポスター、もし手の届くところにあれば、もう一度UPしてくださいませんか。

謎のバケツ  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月08日 (土) 03時06分  No.4916
初来日を巡る話題の締め括りに、トリビアをひとつ提供する。たぶん、おそらく、これまで語られていなかったこと。

今回UPしたのは、『音楽専科』1974年12月号掲載の東京初日である。
マウスか指先で写真をクリックして拡大していただきたい。バスドラ斜め前に大きめのバケツが置いてあるのに気づかれたろうか。このバケツ、No.4897にUPした大阪最終日の写真にも写っている。Growさん撮影の大阪初日の写真にも、白っぽくシルエットが浮かんでいるのが確認できる。いったい何故の理由でそこに置かれていたのであろうか。

かすかに覚えているところでは、ECはしばしば客席に背を向けて、ペッ、ペッ、とツバ、痰を、バケツの中に飛ばしていたようなのだ(・・・)。

汚い話で申し訳ない。おそらく、薬物中毒を脱して間もない時期の体調や、ヘビースモーカーであったこと等が、その原因であったろうと思われる。

このときのECは、常時浴びるように酒を飲み、ときに両脇から抱えられるような状態でステージに上がっていた。それを思うと、演奏中に戻すようなことがなかったのは幸いだった。あのバケツは、もしかしたらそんな望ましからざる事態にも備えてのものだったのかもしれない。

万一、観客の面前でそういう醜態を晒すような出来事が起こっていたとしたら・・・

おそらく、「観客罵倒事件」に並ぶ失態として語り継がれることになっていただろう。

会場録音  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月08日 (土) 12時35分  No.4919
>>ペッ、ペッ、とツバ、痰を、バケツの中に飛ばしていたようなのだ

さすがにそれには覚えがありませんが、
クラプトン本人がカセットデンスケ?
みたいな物で録音していたらしく、
Let it Rainの演奏が終わったあたり?で
クラプトンがテープを引っ繰り返した行動を見ていた観客がウケおりました。

白テレ  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月09日 (日) 20時47分  No.4921
こんばんは。
ところで話は少しずれますが,75年の写真によく出てくる白のテレキャスはどの日の公演で弾いてるのでしょうか?当時観てた人是非ご教授を

白テレ  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月09日 (日) 20時48分  No.4922
こんばんは。
ところで話は少しずれますが,75年の写真によく出てくる白のテレキャスはどの日の公演で弾いてるのでしょうか?当時観てた人是非ご教授をお願いします。

白のテレキャス  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月09日 (日) 23時10分  No.4926
75年日本公演のメイン・ギターです。今のところ確認できるかぎり、京都でヤマハSGを用いた2曲以外、全公演全曲これでプレイしました。『ミュージック・ライフ』誌1975年12月号のインタビューでこのギターについて答えていて、友達がニューヨークで買って来てくれたもので、新しかったので140ドルだったとのこと。当時のレート(1ドル=308円)で43,120円。安っ!

1974〜2014の20回の来日公演で、ECがまったくストラトを弾かなかったのはこのときだけということになります。

なんと  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月10日 (月) 15時28分  No.4928
そうだったんですね、ブルー爺さまありがとうございました。
弘法筆を選ばずですねまさに。

75年京都公演  投稿者:BIG WALRUS  投稿日:2014年11月10日 (月) 21時16分  No.4929
チョイとお邪魔します。
いつもブル−爺氏の博識ぶりには驚嘆するばかりです。
さて白の新品テレキャスタ−ですが私は75年京都公演を見に行ったのですが, その時のチケット半券を現在ももっておりまして席は1階32列44番でした。

確か前から3番目, 中央やや右よりでしたが彼がステ−ジに現れた時には, うっすらと顔は赤く, オイオイ, また飲んでるな ! と即座に解りましたよ。

演奏はなかなか良かったですね。SINGIN` THE BLUESでのソロも冴えてました。
前座は久保田真琴と夕焼け楽団でしたね。彼等の演奏も気分はレイドバックというか, 素晴らしく何と突然, WILLIE AND THE HAND JIVEを演奏するや, 結構お客さんに受けてましたよ。

当然ながら演奏が耳に入ったであろうクラプトンはお前ら, 嫌がらせか ! 何を勝手にヤッテんだ ! そりゃオレがヤル曲じゃないか ! と思ったかどうかは知りませんがムッ! としたに違いありません。
さて新品のテレキャスタ−にも驚きましたがアンコ−ル時, 曲はFURTHER ON UP THE ROADではブラッキ−でしたよ。

げに深きは昭和の暗闇  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月10日 (月) 23時48分  No.4931
BIG WALRUSさんが座られた席は前から2番目の右寄りですね。京都会館第一ホールは最前列が33列、最後列が1列という番号の振り方で、数字が若いので前のほうの席だと思って会場に行ったらずいぶん後ろだった、なんて笑い話を聞いたりします。

久保田真琴と夕焼け楽団、前日の大阪2日目でもWillie And The Hand Jiveはやりましたよ。初日はやりませんでしたが、ECがその後の自分の出番では取り上げなかったので、それならやってもいいかという判断が働いたんじゃないでしょうか。
この日、京阪三条駅でバス待ちをしていたら、隣り合わせた人が夕焼け楽団のキーボードの人で、会場最寄りバス停で降りるまで話をしたのも懐かしい思い出です。

>さて新品のテレキャスタ−にも驚きましたがアンコ−ル時, 曲はFURTHER ON UP THE ROADではブラッキ−でしたよ。

ウッソー! それ本当ですか? 記憶違いじゃなくて?
ブラッキーであるにせよないにせよ、75年の来日で黒のストラトを目にしたという話は、手に取ってのプレイはおろか、サブに控えていたというのも聞いたことがありません。私自身も見た覚えなしです。
このときドラムス傍にサブ用として立てかけてあったのは、クリーム後期からブラインド・フェイス時代にかけてよくプレイしていたファイアバードでした(これも結局出番なしだった模様)。
そもそも前述『ミュージック・ライフ』誌のインタビューでは、あの新品のテレキャスについて「このところバハマの方にチョッと住んでいて、そこでリハーサルしようにもギターがなかったもんで、友達がニューヨークに行って買って来てくれた」と説明しているぐらいで、いつも愛用しているギターが手の届くところになかった故の代役と受け取れるのですが。日本にブラッキーを持ってきていたのなら、どうしてそれをメインに用いなかったのでしょう・・・?

新品のテレキャスターを使い続けたのはね  投稿者:greene  投稿日:2014年11月11日 (火) 12時01分  No.4932
弾いてみたらギブソンとフェンダーの中間のような音がして気に入ったからと言ってました。

白テレの謎  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月11日 (火) 22時24分  No.4935
「そのギターは、音が太くてね。チョッとギブソンみたいな音がするんだ。とても気に入ったよ」ー上記『ミュージック・ライフ』インタビューより。
リハーサル用だったつもりが、弾いているうちに馴染んできて、本番でも使ってみるか、みたいな経緯があったのかもしれませんね。
ECがテレキャスをメインに使ったツアーは後にも先にもこのときだけなので、日本のファンは貴重なものが観れたとも言えます。

75年京都のアンコールで黒のストラトを目撃した方が他にいらっしゃれば、ぜひ証言を! 私はテレキャスとヤマハSGしか覚えていません。

ブラッキ−登場, 京都だけかも。  投稿者:BIG WALRUS  投稿日:2014年11月11日 (火) 22時27分  No.4936
>ウッソ−! それは本当ですか ? 記憶違いじゃなくて ?
とんでもございません, 事実です。

テレキャスとストラトの違いも解らないような人ならともかくとしてギタ−嗜む人間にとり, それも至近距離で見間違えるなどあり得ませんもの。いやはや, コチラが驚きましたよ。ブル−爺氏でさえご存知なかったとは。。。

当日はTELL THE TRUTHで一旦引き上げ, アンコ−ルになったと記憶しております。
FURTHER ON UP THE ROADでは遂にブラッキ−で弾いてくれました。

ブル−爺氏が驚かれたということは要するに今の今までメディアには一切語られてなかったということにもなりますね。
ブラッキ−持って来てたならどうしてメインに使用しなかったということに付いては私は何も解りません。単なる気まぐれか, それともテレキャスの音が気に入ってたのか。いずれにせよ持参してたということは間違いなく実際, アンコ−ルのみでしたけど弾いてましたからね。

さて東京, 大阪は別として他の地方公演って少なからずハプニングもあり, 例えば72年,再来日ツア−最終日LED ZEPPELIN京都公演では演奏中にロバ−ト.プラントが酒飲んでステ−ジに寝そべったり, WHOLE LOTTA LOVE演奏中に突如, ド派手なメイクの女性がステ−ジに現れロバ−トと踊った等, 情報が氾濫して昨今ではありますがほとんど語られてませんね。結局は当日コンサ−トへ行った人達だけが証人なんですよね。

そんなことでアンコ−ル時にブラッキ−を使用してたという私の発言は新たな新事実ってか, 初出となるんでしょうかね。。。

新事実浮上  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月11日 (火) 23時16分  No.4939
他の方の証言を待つまでもなく、そこまでおっしゃるのなら、75年京都のアンコールでブラッキー(少なくとも黒のストラト)を用いたのは事実と認定していいでしょうね。日本のECファン界には結構な衝撃と言っていいんじゃないでしょうか。と、現場にいた人間が申しとります(笑)。

案外、そういう証言って表に出てこないものなんですよ。初来日で弾いたエレキギター=エクスプローラ・オンリーというのを、大方のファンが何十年も信じ込んでいるように。目にした物事を、人は案外覚えていないということもあります。

ちなみに、京都の前の大阪2公演では、アンコールも含めてすべて白テレでプレイしていました。覚えているかぎりでは(笑)。

KY多謝  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月12日 (水) 18時37分  No.4941
いや〜、EC来日にまつわる埋れた事実がまたひとつ発掘された。
興奮しつつ床に就いたまではよかったが、目覚めたら粘着虫がまたぞろモゾモゾしだした(笑)。

BIG WALRUS様
京都公演は、1975・77・79・81、計4回行われました。会場はすべて京都会館第1ホール。その全部に通いましたが、アンコールは例外なくFurther On Up The Roadでした。
で、75年はとりあえず置いといて、あとの3回はどれも元祖ブラッキー(単なる「黒のストラト」ではなく)でプレイされました。つまり、京都に関しては、毎回同じ会場で、同じ曲を、同じギターで、アンコールでプレイする姿が観られたわけです。

ここで、失礼とは重々承知の上で、BIG WALRUSさんにお尋ねさせていただきます。ご記憶にある「ブラッキーでFurther On Up The Roadをプレイする、アンコールでのクラプトン」は、75年の出来事に間違いないのでしょうか。

こういうことをお伺いするのは、活字媒体とネットとを問わず、いろいろな人がECの来日を回想する文章を読んでいて、わりとしばしば、ある年の出来事を別の年の出来事と混同している記述にぶつかるからです。来日回数が多い故のことでもあるでしょう。

WALRUSさんがご覧になったのが75年だけであれば、訊き返すまでもないのですが(笑)。

(写真は歴代の京都公演チケット半券。当日券に並んだ75年以外は、河原町三条交差点すぐ近くにあった京都音響で発売初日に買ったと記憶している)

間違いありません。  投稿者:BIG WALRUS  投稿日:2014年11月13日 (木) 00時13分  No.4942
いやいや, ブル−爺氏ほど博識ある方が単なる音楽好きの私にお尋ねとは恐れ入りました。
私で良ければ出来る限りお答えさせていただきます。
そう, アナタが仰る通りEC京都公演は75年, 77年, 79年, 81年, 計4回のみで私もすべて見ております。
ちなみに私の席ですが75は先にも述べました通りで77年は2階7列84番, 79年1階24列60番, 81年1階5列26番でした。

特に77年, 氏の席など抜群ではありませんか。一方79年は私とさほど変わりませんね。
しかしながら75年のコンサ−トではどういう訳か, 今回話題となっておる肝心な場面を何故か氏はお見逃しではありませんか。。。

コレは実に惜しいというか, ひょっとして寝ておられたのか(ないですよね)それとも単に氏の記憶から消えてるのか, 私には全く知る由もありませんが, コレは一体どういうことなのか。

>75年の出来事に間違いないのでしょうか。
クドイようですが, もう1度繰り返します。その通りです。

アンコ−時, ステ−ジに被り付いて見ました。
約3メ−トル先にブラッキ−弾くクラプトンがいました。しかし痩せてたなぁ〜。服装は黒地で派手柄のシャツに高価なウエスタン.ブ−ツ, そしてジ−ンズはLeeでした。コレぐらいでよろしいでしょうか, ブル−爺様。。。

それにしても現在, これだけ情報が氾濫してるのにも関わらず, アテにならないってことが少なからずありますね。あの時はどうこうと例えば何十年も前に来日した大物外タレコンサ−トでの出来事など最たるモノのひとつでもありますよ。それがECやZEP, ビ−トルズかな。

特にビ−トルズなどレココレはビ−トルズ来日録って09年リマスタ−盤発売から連載されてもう5年にもなるけど今も尚, お宝証言が出るわ出るわで, それまで一切語られなかったのは一体何だったのかなと思ってしまいますよ。
さてECもあと何年現役で元気な姿を見せてくれるか解りませんが今回, 75年京都でブラッキ−弾いたことが事実としてキチンと記録していたたければ幸いかと存じます。ご清聴ありがとうございました。






覚えていないこともある(笑)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月13日 (木) 01時49分  No.4944
覚えていない理由のひとつとして考えられるのは、それがアンコールでの出来事だったから、というのがあるでしょうね。
このとき私は寝ていたわけではなく(笑)、1階席の後方で、周りの人と一緒になって立ち上がっていました。終盤故の興奮状態で、ギターを持ち替えたのにも気づかなかったんだろうな、と思います。

実は初来日の際にも、これと同じ経験をしています。最終日のステージで、エクスプローラのみをプレイしていたとずっと思っていたところが、それから15年も経って、ある人から、初来日の大阪では、アンコールは2日ともブラッキーを弾いていたと言われ、驚くと同時に、(ああ、そういえば・・・)と、おぼろげながらその場の情景が頭に浮かんだ次第です。75年京都に関しては、そういう記憶の蘇りさえ全然ありませんが(笑)。

いずれにしても、貴重な証言をいただき、たいへん感謝しております。75年日本公演でブラッキーをプレイするECというのは、あの白テレを抱えた姿が頭にこびりついているオールドタイマー一同にとっては、部分的にであれイメージの修正を迫られるほどの新鮮なものです。目撃者がこんなこと言ってていいのだろうか(笑)。

この際だから続けてお尋ねしますが、BIG WALRUSさんは、初来日はご覧になりましたか。もしご覧になっていたのなら、衣装やギターやバケツ(笑)その他諸々について、何か付け加えるようなことがあれば、ご証言いただければありがたいのですが。

(写真は京都公演チケット半券の裏側。「玉姫殿」に「夜の窓」・・・昭和だねえ)

まだ39周年ですよ!!! ブルー爺様  投稿者:Flowers and Snakes  投稿日:2014年11月13日 (木) 02時52分  No.4946
あれっ!!!!!

もう1975年にいっちゃんたんですか?

ブルー爺様まだ1975年は40周年にはなっていませんよ?

あれっ!!!! まだ39周年ですよね?  投稿者:Flowers and Snakes  投稿日:2014年11月13日 (木) 02時58分  No.4947
ブリー爺様

もう1975年にいっちゃったんですか?

まだ1975年は40周年にはなりませんが?

ブルー爺様!!!!!

早いですよ!!!!

75年テレキャスの音  投稿者:mars  投稿日:2014年11月13日 (木) 10時47分  No.4949
自録の11/02、最終公演から。
アンコール前のWhy does Love got to be so Sad

https://soundcloud.com/mars_mnt/why-does-love-got-to-be-so-sad

75年大阪初日  投稿者:mars  投稿日:2014年11月13日 (木) 11時02分  No.4950
アンコールのLet it Rain

https://soundcloud.com/mars_mnt/let-it-rain

Never Ending Thread  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月13日 (木) 19時34分  No.4951
しかし長いスレになってしまった。
前にもそんなことがあって、そろそろこの辺で終わりにするべ、と宣言したところが、管理人でもないのに勝手に終わらすな、と叩かれた。なので、このまま行っちゃいます。

Flowersさんもそろそろ、書きこむ際には編集・削除用パスワードを入力したほうがよろしいかと(笑)。

marsさん、この辺は前にも別ソースで聴いたことがあります。ECは「ギブソンみたいな音」と言ってますが、やっぱりそこはテレ相応のペナペナしたトーンに聴こえますね(笑)。
「恋は悲しきもの」はPresenceと並んで、初めの頃の来日で披露しながら、その後一向にやる気配なく、観た日にちや公演地の違いでナマ体験し損ねた私は、もう一生聴けないのか、と半ば諦めていたところが、前者は2006年、後者は2010年になって、ようやく聴ける機会に恵まれ、積年の思いを晴らすことができました。marsさんにもそのうちLet It Rainナマ聴きのチャンスが巡ってくるかも・・・てか、80年代にはECへの興味なくしてたでしょ。でなきゃ、聴けてたはず。

75年大阪初日、アンコールでのRainは、客席から色とりどりの紙テープが投げ入れられるなかで演奏されました。マーシーが前のほうのお客さんと楽しそうにテープの引っ張り合いっこをしていたのを覚えています。これまた昭和ならではの風景。

SoundCloudに上がってるの 、会場はCastle HallじゃなくてFestival Hallですよ(笑)。

長いスレに続けてごめんねw  投稿者:mars  投稿日:2014年11月14日 (金) 11時35分  No.4958
ブルー爺さん:
> SoundCloudに上がってるの 、会場はCastle HallじゃなくてFestival Hallですよ(笑)。

m(_ _)m 直しておきます。

Why doesとLittle Wingは結構ラッキーに聴いています。
前者はアップした75年、2006/05/25 RAH、12/09武道館最終日ですか。
衝撃はRAHで、最後の部分でDerekと絡んでソロを弾いている時にEricがJoy to the Worldの最初の部分(Duane Allmanのsignature lick)を弾いた時は泣いたっす。
後者は74、75に加えて、涙の2006/12/06に鳥肌もんを聴いてぶっ飛んでますしw

Let it Rainはもう生では聴けないと思ってますよ。これは自業自得です。
でも、これは自分の中のDominosの幻影を追いかける行為の中でのものと思っています。
そう言う意味では、AnydayとI am Yoursを生で聴けたのは嬉しい思い出。

ほんとだ、、、  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月14日 (金) 13時48分  No.4959
おはようございます。

この写真のストラト2本はブラウニーとブラッキーではないのでしょうか?またこのファイアバードはクリームの頃の実機とおなじ個体ですかね?
ブラッキー秘話(その1)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月19日 (水) 21時09分  No.4992
 
Never Ending Thread2スレ目も、レスも途絶えて一段落(笑)、そろそろ潮時かと思われます。が、行きがかり上、持ちネタを全部出しちゃいます。ということで新スレでもう少しお付き合いください。

斉藤節雄氏の記事のおかげで日本のECファンにブラッキーの存在が広く認識されるようになった。が、ブラッキーが初来日から使われていたことを氏が知っていたのか知らなかったのか、文章からは判然としないが、4度目の来日で初めてブラッキーが日本でプレイされたかのように取れそうな記述が見られる。

話をややこしくしているのが77年の東京公演。このときの来日では、大阪両日・京都・東京両日の計5回に通った(私の武道館デビューでもあった)。
大阪と京都で、ECはブラッキーをプレイした。が、日本公演を締め括る東京2公演では、サンバーストのストラトをプレイしていた。斉藤氏の記事にはこうあるー「3度目はとりあえずオールド・ストラトだったが、また新しく見付けたサンバーストだったりしてネ」
実際には、ボディ塗装のグラデーション・パターンからいって、かの「ブラウニー」(入手は67年)のように見える(ブラッキー同様、そういう呼び名のあることが日本で知られるようになったのはずっと後年)。とにかく、東京2回とも、サンバーストを用いたことは確かである。

ブラッキー秘話(その2)  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月19日 (水) 21時11分  No.4993
が、事はそう単純ではない。79年来日公演プログラムには、77年東京初日、10/6の写真が多数掲載されていて、その多くにサンバーストが写っているが、中に数枚、ブラッキーを構えた姿が捉えられているのだ。いったいどういうことなのか。

この日、それまでの日程と同じように(岡山・名古屋・札幌でもたぶんそうだったのだろう)、ECはブラッキーを抱えてThe Coreでショウをスタートさせたのだが、1番か2番を歌い終えたところで、器材の不調があったのか、サンバーストに持ち替えて、そのまま最後まで行ったのだ(当時友人を介して入手したテープにも、問題の箇所でギターの音が断続的になる様子が捉えられていた)。わずか数分でブラッキーは出番を終えたことになる。翌日の日本公演最終日にも結局用いられなかった。

多くの人はこの出来事を記憶していないようである。雑誌等のルポは東京公演の模様が中心になる故、「77年来日で用いたストラトはサンバースト(のみ)」という誤情報が長年流布することになった。

(写真はいずれも79年来日公演プログラムから、77/10/6東京。上=サンバースト/下=ブラッキー)

77年は記憶なし  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月19日 (水) 23時12分  No.4994
BIG WALRUSさん、(No.4968)
Marsさん、(No.4990)
ブルー爺さん、(No.4991)
見事な記憶力と回想録ありがとうございました。
75年の以降になると色んなアーチィストのLiveを見ていたので
記憶が遠のいております。
77年になると殆ど覚えておりません。
確かに岡山は黒いストラトだったと思いますが、、、なんだか記憶が危いです。

最終日はサンバーストだったかどうかも全く記憶がありません(泣

3トーンサンバースト?のストラトは60年代中期以降のものでしょうか?


1977-10-06  投稿者:mars  投稿日:2014年11月20日 (木) 00時26分  No.4996
この日は参戦しましたが、The Coreの途中でギターを交換したかどうかは記憶に無いです。
音はありますので、週末にでも確認してみます。
ギターの記憶は確かにストラト、しかもサンバーストの印象が強いです。
が、色々あって途中で居眠りこいた人ですので、まぁ、あてにはなりませんw

> 雑誌等のルポは東京公演の模様が中心になる故、「77年来日で用いたストラトはサンバースト(のみ)」という誤情報が長年流布することになった。

あぁ、そうなんですか。
でも、whereseric.comの
http://www.whereseric.com/eric-clapton-photos/1970s
で見られる77年の写真(photo 73/75/76)はブラッキーと思しきストラトしか写っていないので、海外の人は逆にbrownieが使われたとは思わんでしょうね。

灯台下暗し  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月20日 (木) 03時01分  No.4997
Growさん
5回も観ながら、私も77年は75年に比べて印象が薄いですね。演奏はよかったけれど、選曲的な魅力という点ではかなり下回っていました。5月のデイヴ・メイスン、10月のロリー・ギャラガーが強力なライヴをやってくれたのもありますね。

最終日がサンバーストだったかどうかについては、あんなこと書いといて、実は自分自身よく覚えてないんですよ(笑)。斉藤節雄氏がああ記していること、この日にブラッキーを観たという人に出会った、証言を聞いたことがないので、たぶんそうなんだろうと思っています。はっきり記憶にあるのは服装で、大阪2日目と同じ、カーキ色のプルオーバー(ドミノズのIn Concertジャケット写真で着ているのがそれ)とジーンズでした。大阪では最初のうちベレー帽を被っていて、絵描きさんみたいな出立ちに見えました。

3トーンサンバーストのストラトについては分からんなあ。詳しい人カモーン(他力本願)。

marsさん
WE!のPHOTO GALLERY: THE 1970S、私も久しぶりに覗いてみました。そして・・・息を飲んでしまいました。いったい今まで何を見ていたんだろうというほど、新しい発見があったからです。

まず77年日本から(数字は写真に付された番号)。
73=9/29京都・74=10/1大阪・75=9/26大阪・76=10/1大阪
そして75年日本。
63=10/22大阪・64=10/24京都
以上、撮影はおなじみFukuiさん。確かにこれだけ見るなら、77年日本ではブラッキーを弾いていたという印象になりますね。『ミュージック・ライフ』には大阪初日のレポが写真入りで載っていたにもかかわらず、その後77年来日というと、東京初日の写真が使われることが多かったのと、前記斉藤氏のような発言もあって、地方公演でブラッキーを弾いていたという事実がマスコミ、ファン双方の意識から隅に追いやられていったみたいなところがあります。

さて、ここからが凄い。75/8/15、サン・バーナディーノ、スウィング・オーディトリアムの写真が大量UPされています。47・56・58と、黒ストラトを抱えたイヴォンヌ! ECのブラッキーとはストラップのプリント柄が違う。つまり、イヴォンヌのはブラッキーではないということ。ファイナルアンサー!
(あとから追記:58の写真からはサンバーストにも見えるなあ。照明でこんなふうにはならない?)

そして17・18、エクスプローラを弾くEC。74/7/13、ラーゴ、キャピタル・センターとありますが、これは明らかなクレジットミス。17にマーシーが写っているからです。USツアー1stレグ(6/28〜8/4)の時点では彼女は未加入で、2ndレグ(9/28〜10/6)から参加したと言われています。10/4-5と同会場に再度出演しているところから、写真はそのいずれかの日ではないでしょうか。元々2ndレグは9公演というのもあって写真が極端に少なく(そもそも見たことあったっけ?)、ヒゲのないECといいエクスプローラといい、私は初めて見る(というか気づいた)ものです。今の今までエクスプローラのデビューは初来日初日、武道館と思っていただけに、ここから受けたインパクトはデカい。ガ〜ン。何度も写真に目を凝らしてしまいました・・・

ブラウニー秘話  投稿者:おず  投稿日:2014年11月20日 (木) 10時43分  No.4998
ブルー爺様が『ブラウニー』という呼称をいつ知ったのかは存じ上げませんが、私はこの記事で初めて知ったと記憶しています。
YG誌斉藤節雄氏81年の来日レポートですが、「Claptonのサンバースト(ブラウニーなのかハードテイルなのかは言及せず)のストラトにはグレコのピックアップが搭載されたことがある」という驚愕の事実が書いてあります。
私の不勉強でしょうが この記事以外ではこの件を目にしたことがありません。
この後 どうなったのか非常に気になってましたが ブルー爺様でしたらお分かりになるでしょうか。

横綱ブラッキー、大関ブラウニー  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月20日 (木) 14時20分  No.4999
その『ヤング・ギター』誌、1982年2月号と思われますが、発売当時に立読みしたものの買いませんでした。今となっては入手しなかったのが悔やまれます。来日レポに「ほとんどの公演に通った人によれば、大阪がベストだったとか」という趣旨の一文があったように記憶していますが、違いますか。

この記事で「ブラウニー」の呼称が言及されているとしたら、斉藤氏は前回79年来日後、80年前後に聞き及んだんでしょうね。思ったより早いなという印象です。私なんかヘタしたら、99年のクリスティーズ・オークション時にニックネームをはっきり意識に登らせたぐらいですから(笑)。それ以前から目と耳には入ってたとは思いますが。

お尋ねの、サンバーストにグレコのピックアップが搭載されたことがあるとの件、まったく見当も付きません。ざっと斜め読みしただけの自分の記憶からも抜け落ちています。そもそもどのサンバーストなんですかね。その書き方では、いったん搭載はしたが、のちに外したとも受け取れますね。詳しい人カモーン。

青いストラトとサンバーストのレス・ポールの写真が載ってますが、私が行った大阪と京都では見た覚えがありません。少なくとも後者は絶対使われていません。どんなことが書いてありますか。

(写真は81年大阪公演チケット半券。「エリック・クラプトン・バンド」という、大阪ではこのときにしか使われなかった呼称=イベント名に注意。東京では、この年と、もう1回別の年に使われたのを見た覚えがある)

ブラウニー秘話(その2)  投稿者:おず  投稿日:2014年11月20日 (木) 15時12分  No.5001
ブルー爺様 ご覧の皆様大変失礼しました(^_^;)
実は先程の画像(そしてこの画像)
スクラップしてあったものでYG の表紙がなく、この1ページ目の最初のクダリを読んで「5度目の来日」「ジャストワンナイトとなった前回の来日」と書いてあったので「81年の来日レポート」と書いてしまいました。全くの不覚、最後までちゃんと読めばそれらは斉藤氏の勘違いで このレポートは85年だということがわかったのに。。。
謹んで訂正させていただきますorz

ブラウニーその3  投稿者:おず  投稿日:2014年11月20日 (木) 15時25分  No.5004
そんなわけで、ブルーのストラトに関しては合点が行かれたと思います。

先ほどの ピックアップに関しての抜粋
『、来日時にそれらのギターをリペ
アーしたことのあるクラフツマンの話ではP.
U本体は意外とオリジナルばかりというワケ
ではなく、S・ダンカンも付いていて、PUの
交換に関しても製品指定はなかったとか。そ
の時は“グレコ"PUを付けてあげたそうだ。』

かなりの解像度の画像を貼ってますので ipadからでもピンチしていただければお読みになれると思いますがいかがでしょうか?

イボンヌのストラト  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月20日 (木) 18時15分  No.5005
ブルー爺さま

こんばんは。
あの写真のストラトは3枚ありますがどれも58で明らかですがブラウニーですよね。
それこそストラップが同じです。

ますますそれらのギターがエリックの借り物だという説に逆に落ち着きそうですが笑。

レスポールの話題でごめんなさい  投稿者:まつやままちはる  投稿日:2014年11月20日 (木) 21時44分  No.5006
当時の日本公演では使ったことがないというチェリーサンバーストのレスポールは1960年製だそうです。
たしか2006年11月11日の大阪公演で使われたのは、このレスポールではなかったでしょうか。

「帰り道は遠かった」  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月20日 (木) 22時44分  No.5007
〜来た時よりも遠かった♪

チコとビーグルス、69年頭の大ヒット(発売は68/12)。スティーヴ・ウィンウッドはこれにヒントを得て、Can't Find My Way Homeを書いたと言われる(ナイナイ)。

おず様
オチはそこですか(笑)。

あの青いストラトに見えるの、実はフェンダー製じゃなくて、Roger Griffinというイギリス人によるハンドメイド。色はメタリック・ブルー(以上、99年クリスティーズ・オークション・カタログの解説より。Lotナンバー90)。85年来日のオープニングで、スライドでTulsa TimeとMotherless Childrenを弾いていた。

今回UPしてくれたのは、ちゃんと文章が読めます。どうもありがとう。

SANDY MARY様
ストラップが同じって、そりゃそうでしょ。イヴォンヌの写真に写ってるのは3枚とも同一のストラトだもの。私が言ってる意味は、同じショウの他の写真で見られるECのブラッキーとはストラップのプリント柄が違うということ。
エ? イヴォンヌが弾いてるのはサンバーストじゃないかって? 58を見ると、確かにその可能性は否定できない(しつこいようだが、照明の当たり具合でそう見えるということはない? 逆のケースだが、77年東京初日のサンバーストが黒っぽく写っている、一見ブラッキーに見える白黒写真が何枚かある)。
話を進めるために、とりあえずこれがサンバーストであると仮定しよう。ここで写真46を見ていただきたい。他の大半の写真と違い、ここではECがサンバーストを弾いている姿が捉えられている(ブラウニーかどうかまでは定かでない)。そしてストラップのプリント柄はイヴォンヌのサンバーストのそれとは異なる。
イヴォンヌのストラトが黒だろうがサンバーストだろうが、他の写真でECが弾くストラトとは別物であることだけは、最低限確認できる。

ストラト  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月20日 (木) 22時58分  No.5008
こんばんは。
ブルー爺さま

なるほど第三の的なストラトがあるのはわかりました。
僕がいいたいのは100%サンバーストです。
照明の当たり具合でも確実にこうは見えません
と、これに関しては断言させてもらいます。

3本のストラト  投稿者:SANDY MARY  投稿日:2014年11月21日 (金) 01時08分  No.5009
引き続きです。
自宅に帰ってきたのでちゃんとレスをさせていただくと
この15/8/1975の写真に出てくるのは4本のストラトです。

クラプトンの使用してるブラッキー(または別の黒ストラト「ほぼブラッキーかと思いますが」)

イボンヌの使用しているサンバースト(おそらくブラウニー)

クラプトンの使用してるラージヘッドのサンバーストストラト(おそらくスライドで使用している事から弦高を高く設定してる、ROLLING HOTELで使用してるものと同じものとおもわれます)

ジョージテリーの使用してるストラト

でしょう。
ブルー爺さまのおっしゃってる白黒でサンバーストが黒に見えるのはそれは白黒だからですよ。

僕の私見としては70年代のエリックは近年と違い、本数をツアーに同行させていないと思います。よって一曲程歌うイボンヌにギターを化すくらいの事はゆうに考えられると思いますし、
75年京都のアンコールがブラッキーだったのはイボンヌにブラウニーを使用させていたからではないのでしょうか?

そう考えたほうが辻褄が合うかなとは思います。

とはいえ僕よりは皆様有識者ですので、あくまで私見を述べさせていただく、という感じです。当時観た方などの見解楽しみにしています。

断定とまでは行かず  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月21日 (金) 02時37分  No.5010
SANDY MARYさんがおっしゃるような可能性も皆無とは言えません。とくにサン・バーナディーノについては、それが事実であったとしても、私はさして驚きません。
一方、京都については、ギター入手に関するエピソードやそのときのECの周辺状況、来日公演での黒ストラトの使用頻度の低さ(現在確認できるのは京都でのアンコールのみ)から、ストラトがECの所有物であった可能性は、ゼロではないものの、サン・バーナディーノよりは低いと思っています。

今回の写真で驚いたのは、イヴォンヌのストラトがサンバーストであったこと。大阪・京都で観た私の記憶では黒で、東京公演をご覧になった方も同様に回想されているのをネットで読んだことがあります。それもあって、No.4956の写真に写っている黒のストラトは、やはりイヴォンヌがプレイしたもの、そしてたぶん、京都のアンコールでECが弾いたものだと私は考えています。

細かいことですが、サン・バーナディーノの組写真の中で、ジョージ・テリーが何を弾いているのかハッキリ分かるのはありませんね(大方ストラトだろうとは思いますが)。59でストラトを弾いているのは、この日客演したジェリー・マギー(ヴェンチャーズ)で、Further On Up The RoadとStormy Mondayで演奏参加したとのこと。

レスポール  投稿者:Grow  投稿日:2014年11月21日 (金) 23時39分  No.5011
>>2006年11月11日の大阪公演で使われたのは、このレスポールではなかったでしょうか。
初日に弾いてたのは日本のファンの方のレスポールではないでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=BGwhhrxxb5s
でもちょっとぎこちないですね?

このレスポールはどうでしょう?
https://www.youtube.com/watch?v=eU1ks8mL9OM

そうでしたか  投稿者:まつやままちはる  投稿日:2014年11月22日 (土) 06時07分  No.5012
てっきりあのレスポールだと思い込んでました。
あの時会場のどこからか「レスポール!」とかけ声が飛んだのを思い出しました。

またもや, ややこしくなってきた。  投稿者:BIG WALRUS  投稿日:2014年11月25日 (火) 21時38分  No.5013
まあ〜それにしても, どうしたこうしたとブル−爺氏のブラッキ−使用に対するあくなき追求には素直に敬服したい。
やはり氏は徹底的に白黒ハッキリさせたいのか, そうなると願わくばECご本人に聴いて下さいとなるが, コレはサスガの氏でも不可能に近いですな。

しかし運良く聴けたところで記憶などあるハズもなく, 逆にソレがどうしたのかね君と尋ねられたらアナタ, どうします。。。
以前もカキコミさせていただきましたが京都公演で使用したという決定的な証拠が今のところなく写真の1枚さえありませんもの。

どうしてもというなら, まず不可能に近いけど当時ツア−に同行したクル−だった人を捕まえ話を聴くか, あるいは呼び屋さんでツア−に関わった人に尋ねない限り永遠に謎のままで終わってしまうのではないかと小生, 密かに感じております。。。

>京都のアンコ−ルでECが弾いたもの
席も席だったからアンコ−ル時はカブリ付状態で見ましたよ。

黒のストラトでスモ−ルヘッドには間違いありません。
尚且つ収容数2.000人程度の会場でソコソコ弾き込まれた形跡があるネック状態など斉藤なんとかってな人は本当にお解りだったのかってか, コレは最前列で見た人でしか解りませんものね。そんなことで自分は彼が弾いた黒のストラトは後でブラッキ−と呼ばれたギタ−だったと思っております。

75年, ECはパティと共に京都観光してますよね。歴史ある伝統や文化に触れ感激したであろう彼はイッチョ, 古都のファンにブラッキ−で弾いてやろうかとサ−ヴィスしてくれたのかな。まっ, 京都のファンにはそんな夢もあっても良いのでは。。。

夢のない話ですみませんが  投稿者:ブルー爺  投稿日:2014年11月26日 (水) 09時47分  No.5014
私としては、むしろ逆に、客観的証拠が出揃っていない段階で、白黒付けるのは危険だということが言いたかったのです。
BIG WALRUSさんは「夢」という言葉を使われましたが、ファンの、こうであってほしいという思い、wishful thinking (願望的思考)が、しばしば事実を歪めて伝え、それが広まる結果に陥ってしまうことがあるのを知っているからです。

ひとつ例を出すと、ホワイト・アルバムへのクラプトンの参加曲は、While My Guitarのほかにもまだあるという話で、Yer Bluesや、収録漏れ曲Not Guiltyのリード・ギター、またBirthdayのオブリはクラプトンだという、今から思えば珍妙な説が真剣に取り沙汰されていた件。マーク・ルーイスンの『ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ』が出版されて以来、ファンの願望に後押しされた、妄想に近い、こうした思い込みはほぼ一掃されました。

75年京都のアンコールでクラプトンが弾いた黒のストラトはブラッキーだったのかもしれません。が、今の時点で得られる諸々の情報を総合すると、絶対そうだと断定するには、決め手に欠け過ぎている印象があると私には感じられるのです。

感謝します。  投稿者:BIG WALRUS  投稿日:2014年12月04日 (木) 20時57分  No.5024
氏の仰る通りかもしれませんね。
反論 ? あるハズないでしょ。逆に私は氏に感謝したいな。よくぞココまで調べてくれましたと。。。

氏のカキコミから察するに私と氏はさほど年も変わらないようだけど若干, 私のほうが年上でしょうか。ビ−トルズのホワイトでの話 ? ハイハイ, よく存じてますよ。
でもね, ECに関わらず過去のカキコミを拝見してるとココまで豊富な知識を蓄積するには, それこそ何十年もの年月が掛かり容易ではないことはよく解りますよ。本当にありがとう, 感謝します。


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