| すいませんが… |
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自分のブログに書いていた、志ん朝の落語の話、トラックバックしちまいました。恐れ入ります。 単純に志ん朝、好きです。僕ぁ「子別れ」聞きながら電車の中で涙した、「ヘンなおじさん」です^_^;;;。亡くなる数年前に、浅草の新春寄席で聞くチャンス合ったのに、聞かずじまい。生で聞いておきたかった噺家さんでした。
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| No.3624 2010年11月05日 (金) 00時36分 |
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トラックバックありがとうございます!
さかたさん、”古今亭志ん朝”がお好きなのですね〜!!
でしたら、あの本、きっと面白いのではないかと思います。
私の場合、ただ聞きかじっただけで、あれこれ語れるものではないのですが、”落語”って、楽器もなく、メロディーもなく、ただ”噺をするだけ”。
・・・怖いくらいにその人自身が現れますよね。
志ん朝さんは、さかたさんも書かれているように、一分の隙なく組み立てられ、よどみなく流れて行く、まさしく王道。
名人そのものだと感じます。
私は多分、落語を聴くとき理屈なしに笑いたい・・・のかな。
”志ん生”の、人生そのものが、ツボです(笑)
*私もトラックバックしますのでよろしくお願いします♪
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| No.3625 2010年11月06日 (土) 10時00分 |
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| 「語り」のメロディ |
| さかた(Cafe d'O-Ton) [ Home ] [ Mail ] |
トラックバック、ありがとうございます。
>落語”って >メロディーもなく
ここ読んでて思い出した言葉があります。再度の書き込み、恐縮です。いちど自分のブログにも引用したんだけど(その記事のURLもこのスレッドのリンク〈Home〉に入れておきます)。立川談春『赤めだか』って本で読んだ、立川談志師匠(志ん朝のライバルですよね)の言葉です。
「あのな坊や。お前は狸を演じようとして芝居をしている。それは間違っていない。正しい考え方なんだ。だか君はメロディで語ることができていない、不完全なんだ。それで動き、仕草で演じようとすると、わかりやすく云えば芝居しようとすると、俺が見ると見るに堪えないものができあがってしまう。型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。(中略)結論を言えば型を作るには稽古しかないんだ。狸という根多程度でメロディが崩れるということは稽古不足だ。語りと仕草が不自然でなく一致するように稽古しろ」
シンドウさんのピアノ弾く時の背筋の伸びた姿勢にも「型」、僕は感じてます。クラシックを一度身体に通しておくってのは、素晴らしいことだと思います。
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| No.3626 2010年11月06日 (土) 22時01分 |
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| シンドウ [ Home ] [ Mail ] |
>『赤めだか』
この本も面白そうですね!!是非、読んでみようと思います。
>立川談志師匠 >志ん朝のライバル
ああ〜・・そうなのですね〜!それで納得。
談志さんは、志ん生さんに随分憧れていたのだそうですね(そういう噺家は他にもたくさんいたと思いますが)。あの”談志スタイル”もそこから生まれてきたものなんだとか。
志ん朝さんとしては、それをあまり認めたくない・・紹介した本の中では、そんなニュアンスで書かれていました。
>型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば >型破りになれる
ピカソやゴッホの素描たるや凄まじい修練だった、という話は良く耳にしますが、”型”を身につけるために、血の滲む努力があってこそ、初めて、破った先に新たな命が生まれる・・。
普通に日常生活を送っていたら、ほとんどの場合、そこまでできない・・・というのもまた現実ですよね。
>背筋の伸びた姿勢にも「型」
ありがとうございます♪
私がピアノを弾くときの姿勢は、時々指摘されます。
無駄にまっすぐなのか、”まじめなんですね〜・・”と言われることも(笑)。
自分では全く意識していないので、よくわからないのですが、実は腹筋がすごいのかっ・・・?!
脱いだら案外、カニ腹8分割・・・かもよ(^m^;)
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| No.3627 2010年11月08日 (月) 16時04分 |
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