[111] 日常の呟き:義父、急に逝く…。 |
- やすみせりう - 2007年12月23日 (日) 13時11分
十二月九日に、夫の父が、急病のため亡くなりました。 六十四歳の早い死でした。
まさに、サイトのクリスマス更新を終えたあと、 夫の実家からのリアルすぎる義父急死の電話を受けて、びっくりし、 夫の会社に慌てて電話にすることからバタバタは始まり、通夜、葬儀、その他と目まぐるしく時は過ぎまして…。 フルタイムで働いていると、なかなか板ばさみで大変だったりするのですよ、これが。 私の勤務している会社は何かと融通のきく会社ではあるのですが、現在忙しくて、 通夜と葬儀の二日しか休めず。(配偶者の父の場合、普通2日だけなのかも知れないけど?) しかも社長が出張中だったので、よけいに都合がつかない状況。
しかし夫は、来年から転職だったことがあり、不幸中の幸いで、 残りの日にちを有給休暇で動くことができ、手続きの時間はあり本当に助かったのですが。 とにかく急なことで、何かと問題もあったものの、必要なことはひとつづつこなすことで、 落ち着いて来て、すこし中休み、やれやれやれ…というとこです。
さて、 義理の父とは、離れて暮らしていたので、関係がわりと薄かったせいもあり、 喪主の妻役を今回初めて務めて、長男と結婚するとはこういうことなのか…とも、知ることになりました。 こう言うと不謹慎なのかもしれませんけど、貴重な体験ではありました。 苦労は買っててもしろ、ですか。普段気遣いお留守の私が、1年分の気を遣ったかもしれません。(その程度かよ)
でも義父さんは、いつも何でも何しても『俺のことは気にせんといてくれ〜』タイプの、 人に迷惑をかけるのが嫌いな、マイペースな穏やかな人だったのと、 男二人・女三人の五人兄弟(オジ・オバさま多くて困ったよ〜)の中でも、 末っ子で、少し異端児だったようなので、何かと「ここまでしかできないけど、パパリンなら、 許してくれるよねー」と、夫婦で言いながら、できるだけの供養ということで許して?貰ってたり。 (例えば大きな声では言えませんが、四十九日までは毎朝、祭壇に5皿の精進膳?をあげるのですが、 なかなか朝にはできず、夜にさせて貰ったり…お坊さんには例え駄目出しをされても、 きっとパパリンに気持ちは通じてるはず…『ええて、ええて、そんなんせんでも〜』とか)←手前勝手
お寺の娘の娘でありながら、仏様や行事のことを、まったく分からなかった私でありましたので… ちょっともう少し知ってても良かったんじゃないのと思うことしきりですが、 (叔父が坊主なんだからさ…でもそのせいでお寺の内幕をを知ってしまうこともあったしさ) でも宗派が違うとしきたりも違うし、あまり役にはたたないな、と合理化してみたり。 実家の父母には心配ごともあって、わりと気にとめてる私でしたが、 もう少し、義父のとこにも、色々してあげれば良かったなと、こんなことになって思い、 亡くなってから遺骨に語りかけること多く、多分、こうなって身近に感じることが できるようになるのは、とても皮肉なものだ…とも思います。 でもきっと生前には、そこまできっと自分にはできなかったとも思います。 多分、そんなものなのでしょう。
しかし、急に死んでしまうとは、多分本人が一番思ってなかったのだろうなと思うと、 死後、どうして欲しいかを生前に考えることも必要かもと思うようになりました。 遺言もないと、親族の気持ちで決められてしまう、ということです。 まぁ義父は、多少10数年前に危ないかもという時があったらしく、遺言に近いことは 息子(夫)に話していたので、近い希望は叶えられたかなと思うのですが、 でも10年も経つと、人も考え変わるしね。 仏さんになってしまえば、どうされても腹の立たない問題ないことなんだろうけれど。 私の場合は、今のところは実家の小さい頃から親しんでいたお地蔵さんがいる、 あの近くで眠りたいんですが。でも夫には、関係のない土地だからなぁ。 夫婦、離れ離れに眠るのか?それも寂しくあり。わりとそれで、もめたりもするのかも? 恨み辛みが多いと、夫婦でも一緒の墓に入れてくれるな!とかいうのもあったりするよね(苦笑)
とにかく今、私が現世で祈るのは、義父が天国でボロボロであった体から抜け出せて、 暢気に好きなお酒を飲んで何も気を遣わず、幸せでいて下さいと祈るだけです。 または現世のことから開放されて、無であればいいなと。
ただし、お坊さんの説教によれば、死後も大変そうなのだけど。 (どうやら死んでから修行が始まるらしい?) でも、どの世界にもしきたりに左右されない人はいるのだ。 パパリン、マイペースでどうぞ、お気楽に。
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