[49] 映画「ドックヴィル」…言葉を失うような陰惨たる状況。 |
- やすみせりう - 2005年09月13日 (火) 00時27分
とある山中に取り残された小さな村ドッグヴィルには、排他的で小心な村人が貧乏だがつつましく暮らしていた。 そこに、ギャングに追われた訳ありの美女グレースがやって来る。 村のリーダー的存在であり、村をもっと活気よくさせたいと考える青年トムは、みんなで彼女を匿うという提案をするが、気の進まない村人たちはいい返事をしない。 そこで2週間、彼女がこの村でみんなの手助けをするから、その結果どうするのか決めようということになる。 献身的にみんなのために働く明るい笑顔のグレースに人々はやがて彼女を受け入れるのだが…
っという映画、「ドッグヴィル」をDVDで見た。 非常に衝撃的だと聞いていたので、どんな惨殺シーンが!猟奇シーンが!? と単純に考えていたのだが、とんでもなかった。 確かに壮絶な内容の映画だったが、ちっとも血がとんだりはしない。言葉を失う陰惨さだ。
この映画は3時間あって、美術関係が少し話題だったと思う。 映画だというのに、黒い床に白い線を引いただけの間取り図のような 家、教会、畑、役者は無いドアをノックし、開ける仕草をして、 効果音だけが鳴る。まるで舞台劇のような様子。 飼い犬は白いチョークで描かれている。
演出的には面白い映画だった。が、見終わった後、 「なんという映画じゃ…」 という感想しか出てこない…。いやーな、実に嫌な感じの映画である。 でも単純に考えたら、最後のシーンは私には、すっきりした、のである。 あの最後なくしては、私はちゃぶ台をひっくり返したに違いない。 だから「私は」後味がよかったかもしれない。あるいは。 7つの人形の仕返しは、むしろ、弾かれるくらい鮮明な残酷さに狼狽どころか、ナイスとさえ思った。
人間は生きていることが、傲慢なのかもしれない。 赦すのは神の域。赦さないのは人間の域。 では何者をも赦すという人間は、実は傲慢だ。 人間のルールと犬のルールは違う。 新しいルールをお互いが守れないなら どちらかが、しつけるしかない。 秩序はそうやって守るものなのだ。(か?)
ああ、本当に疲れた映画です。 いっぺん観て欲しいです。貴方はどう思うだろうか。 そんな意味でお勧め。 ちょっとセブンの最後を思い出したかな。
そうそう。出演俳優の一人が「この頭のおかしい監督の映画には二度と出ない」といっていたのが、印象的。 ちなみに美女グレースは二コール・キッドマンです。美しいですよ。 (だから余計残酷)
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