[175] 呟き「弟のこと」 |
- やすみせりう - 2016年12月04日 (日) 14時56分
たいへんプライベートな、私事の話ですが、記録しておきたくて書いてます。 去年、2015年12月8日、弟が胸の痛みを訴えて、救急搬送されまして。 びっくりしました。そのあとも、何度か救急車のお世話になったのですが。 結果、血管の病気で、重労働な現仕事ができない体になりました。 通常生活は大丈夫ですが、基本、体に無理できない状態になったのでした。
けして、仲の良い姉弟ではありません。 別に今は仲が悪くもないですが、その昔は、口もききませんでした。 一回目の転機が来るまでは、 弟のことは、ずっと無関心に近い形でありました。
何かと昔は、問題を起こしたりして、アホな弟と思ってましたが、 急に大きな病気になった、この二回目の転機には、 やっぱりアホでも、どんなでも、ただ生きていて欲しいと、思いました。 ちょうどそのころ、同じ病気で事故をして亡くなったニュースや、 知人のお兄さんが、弟と同じ病気で、救急搬送され、そのまま亡くなったことを知りました。 弟とは、緊急か、そうじゃなかったかの差です。これからは、病状次第ではわからない。
もうほんと、学生の時なんかは、あのバカ、■ねばいいのに!! と思ってましたけど。もうまったく理解不能でね。 (今も理解不能ですが。彼にしても、くだらない姉、と思ってる可能性が高いけど ) でも、ほどよい年月が経つと、一回目の転機の時、ちょっと考えも変わって、 それでも、たったひとりの弟だもんな、と思うようになりました。 迷惑はかけられるのは困るけど、見捨てることはできないのかもな、と。 が、そのあと、やっぱり、理解できない行動だらけで、敬遠してましたが、 弟にしても、世の中で血をわけたひとは数人いても、姉はただひとり。 おねーちゃんは、良くも悪くも、血縁的には、私ひとりです。
昔は、家族って、ちょっと**時期がありました。 母のことも、うるさくて嫌いだったけど、今は全然、いないと困るし、 離れて暮らしてからは、元気で長生きして欲しいし、 できるだけ孝行できたらとも思ってます。(当社比。思うだけともいう)
弟に、ずっと姉らしいことはいっこもしてきませんでした。 だって話が特に合わないし。世界も違うし。 彼はアウトドア派で、私はインドア派だし。 お互い、勝手に好きに生きてるし。
きっと、この先も、姉らしいことは何もできないでしょう。 長い間、仲のいい姉弟、という関係ではなかったので、 仲の良いキョウダイってモデルが、よくわからない。 仲の良い兄弟、羨ましいなーって思いましたが、 基本的に、孤独要素で出来ている私には、今更そんなの、無理です。 だいたい、なんにも弟のことを、知らないし。
でも、今までより、気にかけることはできます。 ぎこちなく、私なりに関わっていくことも、なんかしたいです。 弟が、今さらどう思うかは、わかりませんけど、 一応、今は大人の対応してくれてますけどね。(笑)
弟は、私には理解できない思考の持ち主で、価値観がぜんぜん違います。 だけど、彼なりの思う理念や信条や想いがあって、生きているのだと思います。 でも友人も多いので、きっとそれは理解者がいることなんだと思います。
ふたつだけ、過去に弟の心の奥を、垣間見たことがあります。 ひとつめは、まだ小学生くらいの頃だったかと思うのですが、弟はよく家出をしました。 母は、出て行け!っていうひとだったし、よく怒られて閉め出されたこともありました。 (私もねー) でも、絶対、近所にいる。(笑) 出て行っても、家からは離れきれない弟。
ある日、また家出した弟を近所に探しに行ったら、 夕方、空き地で膝をかかえて、座っていました。
帰ろうって云っても、無言で、ただただ座って俯いて丸まって、 膝を抱えてるだけの弟がいました。泣いていたどうかは、忘れました。 でも、弟の孤独を、感じました。
私はじっと待っていたのか、諦めて帰ったのかが記憶にありません。 薄情だから、帰ったのかもしれないと思うけど。 その頃から、私には、何か気の効いた言葉をかけてあげる、 というようなことが、できませんでした。 痛みを抱えてることはわかるけど、どうしていいか、わからない。
あの姿が、今でも私の中で印象に残っています。 草の生えた空き地で、膝をかかえて丸まって座ってる弟。 言いたいことをきっと言えず、誰にもわかって貰えず、殻に閉じこもる。 それを、ただ見ている傍観者の私。 ああ弟に、私の声は届かないんだと思いました。 ぜんぜん私は、姉っぽくないしなと。
ふたつめは、ある弟が問題を起こして、帰ってきたときだったか、 机のなかに隠してあった、昔の彼女に当てたような手紙を見てしまったとき。 相手に出せなかったのか、ただの日記だったのか。 見てはいけないものでしたが、つい、見てしまった。 その時も、なんともいえない、弟の孤独の深さを知ったように思います。 この話は、誰にも言ってないんだけど、自サイトだから書きました。 弟にチクらないでね。(いや、接点がないよね)
だから、弟のことは理解はできなくてもいいんじゃないかなと思います。 表では、この先も、きっと悪口も、文句も、いうと思うけど、 内心、そういう生き方だから、しょうがない、いいよと思う。
そんなことで、いろいろ彼がやりたかったらしいことが、 病気のせいでチャラになって、他を挑戦しては、ダメになり、 あれもこれも、ダメだったけど、なんとか、最終的には形になったようで。 母に訊いたら、弟のいつか叶えたい夢だったそうです。 知らなかった。彼のことは、何も知らないんだけどね。
姉は、小さく応援をしています。 何も、協力できないんだけど。 (お金も出せないよ! いつもまとまったお金、ないからね! )
彼は、私からみると、突発的。結果と持続が難しいと思うけど、 傍目からは、あと先考えて行動してないように見えるけど、まぁ、 自分では納得のいくことで、一応採算も考えて、やってるのだと思ってます。 結果がどうでも。 うまくできなきゃ、やめるだけさ、くらいな感じなんで。 とにかく後悔しない人生を、送って欲しいと思います。
最期はアレやっといて良かった、何もできなくなっても、 楽しかった思い出があるなと思って、私も生きていたい。
楽しかった思い出があれば、寂しくなったときに、やっていける気がする。 孤独と友達になる練習を、いっぱいしてきたし。 孤独っていっても、さみしくない。 友達がいないことが孤独じゃなくて、いても孤独だと感じることを、 どう楽しめるか、やり過ごせるかって大事。思い出の五感を、いっぱい貯めないと。 もう何も思い出さなくなったら、知らないけど。
そんなわけで、弟が、実家の地元で2016年冬からショットバーを始めました。 幸い友人らは多いようで、体のこともあって、まだ店内も看板も整ってないしで、 現在は、仮オープン状態。週末だけするとか、友達から行くって連絡あれば開けるとか、 体調の調子で、当分ときどき開いてるような店、なのかもしれないけど。
いや、もしかしたら、酒好きの姉が待ってました!というように、 ビール飲ませろと言ってきて**ので、そう言ってるだけかもしれない。 今まで、何も関わってこなかったくせに、何だよ、と思ってそう。(笑) でも、私の夢は、馴染みの店で飲んで、金を払わずに店を出ることなんだよ、弟よ!! (もちろん、前金を入れますよ〜!) でも本当は、自分が店のオーナーになって、誰かに任せた店で、 飲み食いして、代金払わないってのが、夢だったんだけども。 今だったら、ライブの店を持ってさ。ぜんぜん、実行できる財政がないんだけど。 宝くじ頼みなんだけど。 だんだん、友人のやってる店で飲む、っていうのも、夢の範囲になりました。(笑)
来年には、その店に友人を連れて行けたらいいなと思います。 お店は、いまのとこ、乾きものと、酒しか出ないけどねー。
しかして、彼の今までの性格行動を想像すると、 もう来年はやってなかったりする可能性……もありです。(笑) やってるうちに、通わねばね。なんか私って、そんなんばっかりだけど。
弟が救急搬送されてから、もうすぐ一年になります。 ヤツのやることは、ほんと、突飛で、危うくて、早いなと思います。 私には、できないことだらけ。 母の心配度も、ハンパないのですが、なだめて愚痴を聴くのは、私のできること。
友人が、「弟さん、行動力があるんだね! 」 って云いました。
・・・・・・・・・そうね。(笑)
もうすでに、ひとりじゃしんどいから、人を雇って、店の方、やってもらいたいな、 とか言ってますけどね。顛末、いかに?
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