[787] 序【雨の中で】 3 |
- RXGHRAM改 - 2009年01月31日 (土) 19時31分
――強い風の中だった。“誰か”がフィを、抱えて、歩いている。 正確な顔や体付きは、強風に煽られて横殴りに襲い来る雨のおかげで解らない。ただ――鋭角的なシルエット。人型である事だけはわかる。 逆三角形の胴体に、自分が抱えられている事も。とても力強い体つきで、厳つい。男だろうか? 体格からして、そうに違いなかった。 その両腕はまた、力強い――しっかりとフィを抱きしめてはいるものの、腕の形を感じさせない。細長いのだ。鎌のような腕である。 シルエットだけは見える。シルエットだけなら解る。 そこから察するに(鎌の様な腕もふまえて)そのポケモンはストライクだろう。本来なら力強く、戦闘力の高いタイプのポケモンだ――しかし、記憶の中のその身体に力はない。 ぐったりとした身体は今にも倒れそうで、強風にゆらり、と身体が揺らぐ。だがフィだけはしっかりそのストライクは支えており、一歩一歩をゆっくりと踏み出していく。 そこは、どうやら街のようだったが――人影は見えない。 雷の音がした。ほとんど嵐といってもいい。強風。雨。その中でやっと、フィは身体を濡らしているものが、雨だけではない事に気付く。 血だ――もちろん、ストライクの。どこに傷があるかは解らない。だが大量の血が、フィの身体を包み込むように流れている。 致命傷――どんな生物でも、一定以上の血液を失えば、死に至る。ストライクの出血は、その致命傷に達していると判断できるだろう。恐らく、動脈でも切り裂かれたのか。 ――いや。 何でだろう、とフィは思った――雨の中、彼は今、過去の記憶を思い出している。 だがこの冷たい雨の中で、思い出している映像は、まるで本物だ。今まさに目の前で起きている様に思える。今まさに、フィは血で濡れている様な感覚を覚える。 いや――そもそも何で、致命傷だとか、そういう事が解るのだろう。自分でもおかしい、と思う。 普段は全然、そういう事が解らないのに。 余りにも出血量が多すぎたから、何となく、そう解ったんだろう――深く考えない事にして、フィは思い出される映像の中に今一度、身を落とす。 ストライクは雨の中、一度ぶるっ、と身を震わせた。 血の流れが一瞬、激しくなる――フィの身体に、強い勢いで血が掛けられた。ストライクの口からこぼれたものだ――つまり、吐血しているのである。息絶えるのも近い様に見える。 ストライクは小刻みに身を震わせながらも、目線をフィに向けてきた。 ごほごほと咳き込む度に、フィの顔に、身体に、血の飛沫が掛かる。 ぶるっと一度、大きく身体を震わせると、ストライクは咳き込むのを無理矢理抑えた。辛そうに身もだえする。 目が、見えた――固い意志の光を帯びたその瞳は、そのまま道ばたに、フィを落とす様に降ろすと、翻り、踵を返し、離れていく――何で、追いかけなかったのか。 それは解らなかったが、直ぐ後、直ぐ向こうの角でストライクが道を曲がっていってしまうと、その辺りで、ストライクは倒れたらしかった。 恐らく、死んだのだろう――そう思って、フィはぶるっ、と、雨の中で身体を震わせた。記憶の映像が途絶え、目前の現実が視界を支配する。雨がざあざあと強く降っていた。 だが、雨のせいではない。 冷たいからではない。 風邪を引いたからでもない。 自分に畏怖した――幼年期にして、初めてこの時、自分が何の気なしに人が「ああ、死んだんだ」と、さりげなく思った事に恐怖した。 まるで「明日の天気は晴れだと思う」とでも言うかの様に、とても、とても――気軽な気持ちで、ああ、死んだんだな、と判断したからだ。 今でも、そうなのだろうか? この記憶が何時の物か解らない。でも、その頃はそう思った。少なからず、今はその現場に出逢った事もないから、実感した事はなかった。 しかし記憶の中とはいえ、今この瞬間、目の前で人が死んだのを確かにフィは”感じた”。そして、思ったのだ。 「ああ、死んだんだ」と――今は? 今人が死んだら、自分はそれを「ああ、死んだんだ」程度に、思うのだろうか? その程度で済ませてしまうのか? ――少年とも言えぬ様なフィは、自らの思考に気がつかない。 僅か数歳、生まれてから五年とたっていないのに、彼はそんな、行きすぎた思考を巡らせている。それをフィは、自覚していない。 ともかく、それは畏怖である。身体が震え始めた――雨じゃない。雨のせいじゃない。雨。アメ。あめ――そうだ、続きを見なくちゃいけない。 もとより、それが目的だったのである。あのバクフーンは、一体、どんな顔をして、どんな表情で、自分を胸に抱きしめたのか。 それを思い出したかったんだ――「雨の日は余り好きじゃない」理由を、出すために。 だからフィは、身を震わせながら、記憶の底に身を落とす――雨の中、震えもおさまらない。だがフィは、しっかり見た。丁度その光景は、今のフィの状況と同じだった。 震えているイーブイ。自分に向かって、人が近付いてくる――「え」と、思わずフィは口にした。 記憶の映像が、それで途切れる。目前に人影が――フィとほとんど同じシルエット。イーブイの姿に似たポケモンが、目前に姿を見せたからである。 それがブースターだと解るまで、時間はそこまで必要なかった。イーブイの進化系統の一つ。炎タイプの力強い、攻撃力に長けたポケモンである。 遠くにいた時は雨で解らなかったが、近くに寄ってきて、そのブースターの男が、声を掛けてきたからだった。 「うわ、フィ、大分ぬれてるじゃないか」 その声は、印象的な声だった――優しく、気丈な声。とても強い何かを感じさせる、男性の、低い声である。それは聞き慣れた、ブースターこと、B・ガムの声であった。 ――あれ、と、フィは何か、声を聞いた途端に、思う。 つい先ほどまで見ていた記憶が、またフラッシュバックする――その記憶の底で、一つの、おかしな情景が広がっていたからだ。 あり得ない事。 今目の前にガムが居るのだから、それはおかしい事だったが――知らないボーマンダともみ合いながら、落下していき、息絶えるガムの姿である。 一体、それは何か? 考えるまもなく、その思考はフィの頭から叩き出された。 そんなものだ。フィの頭脳はそれを「大した事のない、単なる空想だ」と判断したのである。 確かに、あり得ない話なのだ。目の前にガムが居るのだから――あり得ない、話なのだ。この場所では。 フィは思わず、顔をしかめていた。あり得ないし、あって欲しくない。そう思ったからフィは、記憶を、映像を、頭から叩き出したのだが、だとしても、気味の悪い映像だったからである。顔つきも悪くなる。 それに(もちろん記憶は差し引いて)気付いたのか、ガムは心配げな表情で「大丈夫?」と優しく聞いてくる。 フィはそれに首を縦に振りながら「うん」と答えたのだが、いかんせん、気力のようなものが足りなかったらしい。 しかめ面で、ガムは「駄目じゃないか」と諭してくる。 「こんな雨の日に、一人で外に出ちゃ。あのレインコートは?」 「フィ……うん。ごめんなさい」とだけ、フィは答えておく。 答えになっていなかったが、ガムは溜息を吐いた。何かに納得したらしい――自身はブースターなので、水を極端に嫌う。 そのためガムは今もレインコートを着ていた。だが彼は、「今更だけど」と即座にそれを脱いで、フィに被せてくる。 水が一切、とは言わないがほとんどシャットアウトされるので、フィは少し、残念な気分になった。 まだ、何故雨の日が嫌いなのか、という答えは見つからない――いや、正確には「あのバクフーンがどんな顔をしていたか」に変わっていたが、どちらにしろ同じ事だ――。 もう少しだけ、雨の中に居たかった。 だがそれを、ガムは快く思っていないらしい。それもそうだろう。一時的、とは聞いていたが、ガムはフィの身を保護する役目――フィの父親から、フィを預かっているのである。 もう何年も一緒に居るが、父親として威厳と優しさを備えた人だ。子供を風邪にひかせる事を、好んだりしない。それを望まない。だからその好意を、フィは裏切らなかった。 ――あくまで、フィは、である。 ガムの表情が、レインコートをフィに被せたその次の瞬間、強ばった。硬直して、固まる。凍り付いた、といってもいい。 表情は驚愕。それこそあり得ない、と言うような顔をしていた。 フィは振り返ろうとした。背後に誰か立っているらしい。気配を感じる。しかし、フィが振り返るまえに、一瞬、冷たい感触を感じて、フィは身を強ばらせた――雨だ。 誰かがレインコートを取り上げたらしい。証拠に、レインコートはガムに渡された。雨がフィを打つ。 だが、また雨はフィの身体に直ぐ、掛からなくなる。どうやら、誰かが傘を差していてくれているらしかったが――振り返るより早く、声が耳に響いてきた。凛とした、女性の声である。 「お久しぶりです、ガムさん――しかし、レインコートを脱ぐのは義父としての愛を感じますが、ブースターがそんな事をするのは、お奨めしません。いえ、炎タイプと言うべきですか風邪、じゃ済まなくなりますよ」 「貴方は……だって――秋葉さん?」 聞き覚えのある名前である。誰だったか、と聞かれれば思い出せないが――フィが振り返ると、そこには頭に緑のバンダナを巻き、鼻にちょこんと丸めがねを乗せた、コートを着込んだライチュウが一匹、傘を持って立っていた。 やけに大きな傘である。フィを含めても、まだ一匹は中に入れそうだった。 その傘の中にありながら、フィはその顔を凝視した。それに気付いたのか、ガムが秋葉、と呼んだライチュウは、鋭く、やや冷ややかと感じさせる様なその視線を、フィに向けてきた。 「……おねーちゃん、だれ?」 フィは迷わずそう聞いた。その姿には見覚えもあるし、聞き覚えもある名前だったが、思い出せないのだから仕方ない。 すると秋葉は、少し考えてから、独り合点した様に頷いた。 「なるほど、あの時はまだ小さかったから、覚えてないかもしれませんね――どうも、あきはばら博士です」 「……い、いや」と、名前を聞いた瞬間に、ガムの顔がパッ、と華やいだ。 「秋葉さん、生きてたんですか!?」 などと、大声で騒ぎ立てる。するとややその喧騒に呆れた感じで、秋葉は肩をすくめた――生きてたんですか!? というその言葉にフィが反応したのは、大分遅れてからだったが、意味もわからないので、成り行きを見つめておく事にする。何せ、大人の話はいつも難しい。 「まあ、そういう事に――いえ、どちらかというと、死んでいたかもしれません」 難しい言葉――フィにはそう思えた――を並べ立てる秋葉。自らの言葉に自嘲気味に、彼女は肩をすくめた。 「死んでいたの方が正しいでしょうね――そう、死んでいたんです。死んでいましたとも。暗くて寒くて狭い棺桶の中で、ずっと横たわって、色々考えていました。ですが、ぼーっ、と、棺桶の中で思考を巡らせるのにも飽きまして。今一度、こうして舞い戻ってきた訳です」 そう言うと、彼女は間を置かず、続けた。 「――そんな事より、家に御邪魔して良いでしょうか。ここだと寒いのと、何より、話がありますので」 そう聞いた秋葉に対して、フィが見たガムの答えはイエス。 ガムは首を縦にふると、レインコートを着直した――フィはそれにも、違和感を覚えた。 だがその違和感が何だったのか――そう思う前に、ガムに連れられて、フィは家に帰らなくてはならなくなってしまった。 いつの間にか、違和感と共に――思い出したはずの記憶も、消えていた。
以下、連載..........
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