[687] 本編第1話 |
- アッシマーMkU量産型 - 2008年09月16日 (火) 23時30分
剣を手に入れた若者がいた。 それで、食べ物となるポケモンをむやみやたらに捕らえた。余ったものは捨ててしまった。 次の年、何も捕れなくなった。ポケモンは姿を見せなくなった。 若者は長い旅の後、ポケモンを見つけ出し、たずねた。
「どうして姿を隠すのか?」
ポケモンは、静かに答えた。
「お前が剣を振るい、仲間を傷付けるなら、私達は爪と牙で、お前の仲間を傷付けよう。 許せよ、私の仲間達を守るために大事な事だ」
若者は叫んだ。
「お前達ポケモンが生きている事、剣を持ってから忘れていた。 もう、こんな野蛮な事はしない。剣もいらない。だから、許して欲しい」
若者は、剣を地面に叩きつけて、折ってみせた。 ポケモンはそれを見ると、どこかに消えていった―――
果てしなく広がる闇。その闇に、ポケモンが身を隠している。図鑑番号262番、グラエナ――群れで狩りを行うポケモンである。 しかし、彼らは野生のポケモンでは無い。こんな事を行う事すら、彼らにとっては久々の事だった。 そのグラエナは歯がみしていた。野生の世界では食物連鎖の頂点に立っている彼等だが、敵は鬼神のごとき強さで地を駆け回り、仲間を血祭りに上げていった。 こんな無茶苦茶な事があってたまるか、と毒づきたくもなるが、目の前に突き付けられているのは紛れも無い現実だった。 遠くに一筋の閃光が走る。花火のような音を出すそれは、沢山の仲間の命を一撃の元に奪っていった。眉間や左胸に小さな穴を開けて…… 彼は背の高い草むらに、音を立てないようにして身を隠した。 今ので何人目だ。仲間は後どれだけいる。次に狙われるのはどいつだ? そう考えると、恐怖で体中が凍りつきそうになる。 だが、彼は前にも後ろにも進めなかった。下手に動けば気付かれる。何より、敵がどこにいるのかさえ、この闇夜ではよくわからない。 彼は覚悟を決めた。相手だってポケモンだ。倒せない事はない。1人でも多く道連れにできればそれでいい。それが故郷で待っている主人のためになるならば……
花火の音が響いた。見つかった! 音は3発。彼は考えるよりも早く駆け出していた。閃光が彼の右をすり抜けていく。敵は1人だけだ。だが、接近できなければ勝ち目はない。敵に向かって、彼は猛然と地を駆ける。間合いを詰めて、相手ののど笛に牙を立てる。それで終わりだ。 「――――――――――――!!」 叫び声を上げ、相手の首に迫るグラエナ。あともう少し……
彼の目の前に、いきなり緑色の光がフラッシュする。何だ、と思った時にはもう遅かった。 彼の腹部に激痛が走る。その痛みは、彼の腹を通り抜けて、背中にまで達していた。 相手はそのまま、グラエナを突き飛ばした。グラエナの視界に映ったのは、相手の頬から伸びる緑色の光の剣。完全に不意を突かれた。こちらの完敗である。 ぐったりと地に崩れ落ちるグラエナ。もう体に力を入れることもできなかった。
「……This is Clover1. I disposed of one enemy. Is there still any enemy there?(こちらクローバー1、敵を1人始末した。そちらに敵はいるか?)」 グラエナは愕然とした。相手はポケモンなのにもかかわらず、ニンゲンのコトバを話している。それも、聞いた事もないコトバ……それだけではない。鎧に身を包んだ言葉を話す相手のポケモンは、なんと自分と同じグラエナだったのだ。 「……Roger that. I face to Point C after this, please wait there……This is Clover1. Mission complete. RTB.(諒解。ポイントCに向かうから、そこで待っていてくれ……こちらクローバー1、任務完了です。基地へ帰還します)」 グラエナは心の中で、鎧を纏ったグラエナを嘲笑した。奴はなんなんだ。ニンゲンになりたいとでも思っているのだろうか……あんな馬鹿げた鎧を纏って、ポケモン達を殺して回って……
そこまで考えた所で、グラエナは意識を失った。そして、彼が目覚める事は二度と無かった。
Pocket Monster The ImaginaryV DOOMSDAY ――滅びへの序曲―― Battle01 フェイトフル・エンカウンター
――2017年 1月23日 7時27分 219番道路――
冷たい潮風が、海岸の歩道を歩く少年の体を包む。潮の香りが、彼の心を和ませた。 風光明媚な砂浜も、真冬である今は訪れる人も居ない。
「戦争、か……」
風変わりな形の白い帽子を被った少年は、一人つぶやく。 去年の夏には、たくさんのビーチパラソルや海の家が立ち並び、水着を着た人々で賑わっていたこの砂浜に、今は無数の鉄骨が衝き立てられ、土嚢が積まれ、その影に機関銃や大砲がぞろぞろと並んでいる。 そしてそこには、迷彩服の兵隊達が一日中忙しく動き回っている。
美しい砂浜が変わり始めたのは、去年の冬の始まりからだった。 『反乱軍がナギサシティに上陸した』というニュースをテレビで見たとき、持っていたコップを落として割ってしまった事ははっきりと覚えている。 その日から学校は休みになり、勤労動員という形でコトブキの兵器工場に働き詰めになっていた。しかし、彼がいくら銃の部品を仕上げていっても、戦局は一行に良くはならなかった。次第に反乱軍に覆われていくシンオウの地図をニュースで見ながら、一抹の不安と恐怖を覚えながらも、彼はこのバス停から工場へ通い続けている。
「あ……ユウキじゃない!」 と、後ろから少女の声がした。 「……ヒカリ……」 振り返ってみると、見慣れた黒い長髪を持つ少女が、雪がうっすらと積もった道を走ってくる。彼のクラスメイトのフクヤマ・ヒカリである。 「さ〜て、今日も仕事がんばらなくちゃね! 私たちががんばれば、ノゾミだってきっと楽になるだろうし……」 「おいおい、僕達が作ってるのは陸軍向けの銃だよ? ノゾミが行ったのは空軍じゃなかったっけ?」 ノゾミというのは、彼女――ヒカリの無二の親友である。 彼女もまたユウキのクラスメイトで、ヒカリとの仲のよさはクラスでもよく知られていた。ボーイッシュな事もあってか、恐らく面白半分にレズビアン疑惑まで囁かれていたほどである。 しかし、反乱軍が勢力を伸ばしてきた去年の秋、彼女は突然学校を自主退学した。軍に志願して、反乱軍と戦うと言ったのだ。 担任からその事を聞かされたとき、クラスの全員が驚いたこと、そして、ヒカリの顔が蒼白になった事を今でも覚えている。
「……まぁ確かにそうだけど、陸軍の人達ががんばってくれれば、空軍のノゾミだってきっと楽出来るんじゃないかな……」 「どうだろうね? 僕達が作っている小銃なんかじゃ、反乱軍の装甲歩兵の装甲はびくともしないんだぜ? そんなので、どうやってがんばれって言うんだよ……」 皮肉を込めてユウキは言う。大っぴらに言える事ではないが、ユウキは連邦軍の現状に常に無力感を感じていた。 5年前、人類を救うために初めて世に姿を現した新兵器、PRAG――ポケモン強化兵装群は、この時代において連邦軍最大の脅威となっていた。 ポケモン専用の翼の生えたパワードスーツ――とも言えるその兵器は、ライフルはおろか軽機関銃の弾丸も弾き返す装甲と、ヘリコプター並みとも言われる飛行能力を持っている。まさに戦場の革命とも言える兵器だった。この新兵器を反乱軍が手にしたがために、連邦軍は各地で敗走を続ける事となったのだ。 それなのに、何の力にもならないとわかっているはずのライフルをこうやって学生を動員してまで作らせて、何の意味があるのだろう?とユウキはいつも思っていた。もっと他にやるべき事があるだろうに……と思わずにはいられなかった。 「……何よ! じゃあユウキは連邦軍なんて反乱軍に負けちゃえばいいとか思ってるの!?」 怒ったような声で言うヒカリ。 「そんな訳ないじゃないか! ただ、本当に勝ちたいって思ってるんなら、お偉いさんにはもっと賢明な判断をしてもらいたい、ってだけの話だよ」 ユウキは再び砂浜に目をやる。冷たい潮風を身に受けながら、ユウキは変わり果てた砂浜をただぼんやりと眺めていた。
――同日 7時29分 220番水道上空――
棺桶のようにも感じる狭いコクピットの中で、少年は操縦桿を握る。 眼下の攻撃部隊に気を配りつつ、レシーバーに飛び込む管制官の声に耳を傾ける。 「スワローテイルより各機。目標地点に到達した。仕事はわかっているだろうな? 給料のただ取りはするなよ」 「シャーク1、了解!」 「ソードフィッシュ1、ラジャー!」 勇ましい声がレシーバーに飛び込む。攻撃部隊の声だ。 これだけ心強い仲間がいるのはありがたい事だ。声を聞いているだけでも、戦場へ向かう恐怖を紛らわせてくれる。 もっとも、生まれた時から戦場にいるような身の上である少年にとっては、戦場へ向かう恐怖など無いに等しいのだが。
「アドニス1、聞こえるか? まさか、あんたと一緒に飛べるなんて夢にも思ってなかったよ。 ……うちの娘が君の大ファンでね。可愛い生き物には目がないんだよなぁ、アイツ……」 ふと、笑いながら語りかけてくる声が、レシーバーに飛び込んできた。 少しは空気を読んでくれ……と、少年は少しのいらだちを覚えた。 「娘さんの話なら後にしてください……これからすぐに作戦開始ですよ?」 「いや、すまない……とにかく、あんたがいるなら安心だ。俺の後ろは任せたよ」 「了解……」 やっと満足したか……そう思って、乱れた集中力を立て直そうとする。だが、また通信が耳に飛び込んできた。ウイングマンの声だ。 「隊長、少しはリラックスしたらどう? いっつも任務の前はツンツンしてるんだから……」 「そうしなきゃ作戦に集中できないでしょ……君も余計な事で無線を入れないでくれよ、アイスバーグ」 「……了解。まったくこの時だけは堅物なんだから……」 ますます気が散っていく少年。無線を切ってやろうかと思ったが、そうも行かないので、この場は仕方ないとあきらめる事にした。
「こちらスワローテイル。作成開始時刻だ。全機、武運を祈る!」 「よっしゃ!」 「さぁて、パーティの始まりだぜ!」 待ってましたとばかりに、機首を北に向け加速していく戦闘機達。 「私たちも行くわよ! アネモネ!」 ウイングマンもやっと真剣になってくれたようだ。 「わかってる! こちらアドニス1、行きます!」 少年は操縦桿を傾ける。 前進翼を翻し、彼の愛機――Su−47ベルクトは機首を北に向ける。 その先にあるのは……
――同日 7時30分 219番道路――
「あ……バス来たよ」 ヒカリが言う。右手を見てみると、いつものようにバスがゆっくりとこちらへ向かって来るのが見えた。 ユウキはため息をついた。今日もこのバスに乗って工場へ出向き、何の役にも立たないライフルの部品を一日中組み立てるのかと思うと、こんな状況を変える事のできない自分にさえ無力感を抱いてしまった。 政府を無力と思う自分も、結局無力なんだな。と、そう思った時だった。
耳をつんざく轟音が鳴り響いたかと思うと、強烈な爆風が彼らに襲いかかった。 何が起きたのか、と思い、ユウキは砂浜を見る。そこには信じられない光景が広がっていた。 吹き飛ばされた鉄骨や大砲の残骸が、砂浜に散らばっている。 「……何なの、今の……」 腰が抜けてしまったのか、ヒカリは震えながらその場に座り込んでしまった。 「……決まってるじゃないか。反乱軍の空爆だよ! 座り込んでる場合じゃない、早く逃げないと!!」 ユウキはヒカリの手を握り、無理矢理立ち上がらせた。 「でも、飛行機なんてどこにも……」 「それが奴等の常套手段なんだよ! そんな事より早く!」 ヒカリの手を力一杯に握って、ユウキは走り出していた。 その横を、パニック状態になった乗客を乗せたバスが、バス停などどこ吹く風で一目散に逃げていくのが見えた。
* * *
「いるのは分かってんだよ! どこだ!」 短SAM、FIM−92スティンガーを担いだ歩兵が、辺りをおろおろと動き回る。 何も見えない空から爆弾が振ってくる。地を這う歩兵達にとって、その恐怖がどれほどの物だったかは想像に難くない。 歩兵にこれ程の恐怖を与えていたのもまた、反乱軍の新兵器だったのだ。
「き、来たぞーッ!!」 一人の兵士が、沖のほうを見て叫んだ。 沖合に次々と上がる水柱。それとともに、幾つもの影が水中から躍り出た。 「撃てーッ!」 怒号と共に、辛うじて爆撃を免れた大砲が、一斉に火を噴いた。 だが、その影は怯むこともなく、こちらに向かってくる。まるで海の上を走っているかのように……だ。 海上の影から、緑色の閃光が放たれる。その閃光はいともたやすく大砲を撃ち抜いた。 爆発。砂浜に悲鳴と怒号が響き渡る。 「クソッ、ビームなんてセコい手使いやがって!」 「可能な限り水際で阻止しろ! 砲兵は直接照準でやつらを狙い撃て!!」 しかし、人間より一回り大きいくらいの標的に大砲を当てるなど、まるで目隠しをして針の穴に糸を通すような物で、まず当たる物ではない。所詮は気休めにすぎないのだ。 砲火をかいくぐり、海上の影は一斉に砂浜までたどり着いた。 水しぶきをあげつつ上陸する影、それは、重厚な装甲を身に纏った水タイプのポケモン達、そして、B級SF映画に出てくる異星人のようなのっぺりとした姿の人型ロボットのような兵器だった。 「畜生ッ!!」 歩兵が手にするM16A4ライフルが、あちらこちらで銃声を上げる。 しかし、その鎧は非情にも、5.56mmライフル弾を難なく弾き返した。 ポケモン達が右手に装備した銃から、『人型ロボット』の左手から、次々とビームが放たれ、歩兵達は何も出来ずに蹂躙されていく。 「駄目だ……ここの装備じゃこれ以上保たん! 撤退だ! ポケモンで時間を稼げ! 市街地で部隊を立て直すぞ!」 無線機に向かって、思い切り叫ぶ指揮官。 兵たちは、その指示を聞くまでもなく逃げ惑っていた。 普通なら、これは紛れもない敵前逃亡行為であり、犯した者には厳罰が待っている。 しかし、この状況――PRAGという戦場に変革をもたらした兵器を相手にした際は違う。この悪魔のような兵器を相手にした場合、通常の歩兵は手も足も出ないのだ。故に、PRAGと遭遇した場合には、例外として敵前逃亡が認められるようになったのだ。 蜘蛛の子を散らしたように逃げていく歩兵達。PRAG部隊はそれを追うことは無かった。 代わりに彼らの前に立ちはだかったのは、歩兵達が忘れ物のように残していった幾つものモンスターボールから現れたポケモン達だった。 このポケモン達は『軍用ポケモン』と呼ばれる、連邦軍において戦闘に用いられるポケモンである。 高い戦闘能力を持つポケモンを、人間が戦争の兵器として使用しだしたのは自然な流れといえるだろう。太古の昔からこの世界の人々は、戦争をする度に無数のポケモン達を戦争へ駆り出していた。史上最大規模のものでは、累計で100万を超えるポケモンが命を落とした戦争も存在する。 それは現代戦においても変わっていない。ポケモンバトルでポケモンが死亡する事がほとんどない事からも判るように、ポケモンは他の生物では考えられないほど強靭な肉体を持っているからだ。
鎧を纏ったポケモンに真っ先に踊りかかったのは、図鑑番号462番、ジバコイル。そのジバコイルは彼らの動きを鈍らせようとでんじはを放った。 しかし、そのでんじはが相手に届く事は無かった。 鎧を纏ったポケモン達は横一列に並ぶ。すると、彼らの周りを薄緑の光を放つ結界が覆い、でんじはをいとも簡単に防いでしまった。 その結界に驚く軍用ポケモン達。しかし、それでも彼らは退くことなく、集中砲火を鎧を纏ったポケモン達に浴びせ始めた。 ハイドロポンプ、ソーラービーム、だいもんじ……といった、ポケモンの技の中でも屈指の威力を誇る技が、次々と鎧を纏ったポケモンを襲う。砂塵がもうもうと舞い上がる中、軍用ポケモン達は緊張した面持ちで砂塵の向こうを捉えようとしていた。
砂塵の中から飛んで来たのは、緑色のビームだった。 そのビームが、先程のジバコイルを直撃した。ジバコイルの体に大穴が開いている。そしてそのままジバコイルは墜落した。誰がどう見ても即死だ。 そしてそのビームは、他の軍用ポケモン達にも容赦なく襲い掛かった。必死に応戦するも、リフレクターともひかりのかべともつかぬ薄緑の結界は、その全てを弾き返してしまう。こちらの攻撃は全く通用せず、向こうはこちらを一撃で殺せる武器を持っている。軍用ポケモン達の中には、戦慄して動く事も出来なくなるものさえいた。無論、彼らには死しか待ってはいない。
残りわずかなポケモン達は、絶望的な状況の中でも勇猛果敢に戦っていたが、その抵抗も虚しく蹂躙されていく運命にあった。 最後まで抵抗を続けていたのは、図鑑番号009番、カメックスの集団だった。 密集隊形を取り、自慢の放水砲で敵をかろうじて足止めしていたが、その密集隊形もまた、鎧を持つポケモン達が放つビームに撃ち抜かれ、倒れていく。そして遂には、最後の1人だけが残ってしまう。 先程の『人型ロボット』が、カメックスの前に躍り出る。カメックスは放水で応戦しようとした。 だが、ずんぐりとした外見とは裏腹に『人型ロボット』はそれを軽やかにかわした。あっという間に、カメックスへ肉薄する『人型ロボット』。右腕の鋭い爪から、歯医者のドリルのような甲高い音が鳴り始めた。カメックスは逃げようとするが、鈍重なその巨体が、軽快な『人型ロボット』を振り切ることなど不可能だった。
『人型ロボット』はその右腕をカメックス目掛けて突き出す。 その爪は、カメックスの腹部を覆う硬い甲羅をたやすく貫いた。おびただしい量の血が流れ、カメックスは崩れ落ちた。
こうして、この戦いは鎧を纏ったポケモンの圧勝に終わった。 指揮官の言っていたように、彼らは時間稼ぎの手段としかなり得なかったのである……
* * *
「はぁ、はぁ……もうダメ……ちょっと休ませて……」 15分以上も走らされて、ヒカリは既にへたばっているようだった。だが、今は悠長に休んでいる場合ではない。 「市街地に入るまで頑張るんだ! そうじゃなきゃまた戦闘に巻き込まれる事になるよ!」 悲鳴をあげるヒカリを、ユウキは必死に励ました。陸上部で長距離走をやっていた彼にとって、これだけの距離を走るのは造作も無い事だが、ヒカリにとっては重労働である事は分かっているつもりだった。だが、彼女の命には代えられない。
頭上に轟音が鳴り響く。その轟音は凄まじい強風を残して通り過ぎた。 「きゃあっ!!」 耳を塞いで座り込んでしまうヒカリ、ユウキも思わず耳を塞ぐ。 見上げると、その轟音の主は左に旋回していく。ゴツゴツとしたシルエットを持つ大型の戦闘機だった。 「F−4…D型か…」 ミリタリー好きな父親のもとで育ったユウキは、戦闘機に関する知識も多少は持ち合わせている。 F−4は、初飛行から半世紀以上も経つ旧式機である。ましてや機関砲を持たないD型など、軍備の充実したシンオウ防衛線には配備されてはいないはずだ。 しかも、そのF−4が機首を向けた方角が問題だった。 「ユウキ…」 ボンヤリとした声でヒカリが言う。 「…これは、市街地に行ったら行ったで大変な事になりそうだ。覚悟を決めておいたほうがいいよ、ヒカリ」 「え、何、もう一回…」 轟音がまだ響いていたためか、ヒカリは言葉を聞き取れ無かったらしい。その方が、彼女にとっては良かったのかもしれない、とユウキは思った。 「時間が無い…急ぐよ!」 ヒカリの問いにはあえて答えずに、ユウキはヒカリの手を引いて再び走り出した。
――同日 7時32分 202番道路――
ディスプレイに囲まれた狭い空間の中で、世界連邦空軍のパイロット、ウエムラ・メイ少佐はレーダー画面の表示とにらめっこをしていた。 彼女達は、マサゴタウン南にある217番道路の砂浜に上陸した反乱軍を迎え撃つため、今し方マサゴ空軍基地を飛び立ったばかりだった。 マサゴ空軍基地は、シンオウ一の大都市――そして、シンオウ方面軍の最後の砦であるコトブキシティとマサゴタウンを結ぶ202番道路に面している。 そのため、マサゴタウンなど離陸して上昇している間に到着してしまう。 「こちらウイスキー1、ウインド隊、五月蠅いハエどもは任せたぜ!」 仲間からの通信が入る。F−16Cを駆るウイスキー隊は、砂浜に上陸したPRAG部隊を叩くために、爆装して飛び上がっていた。 メイらウインド隊の任務は、爆撃を行なっている反乱軍機を駆逐することだった。 彼女らが駆るのは、最新鋭のステルス戦闘機、F−22Aだ。 目視出来る距離でさえレーダーには映らないという高いステルス性を持つこの機体は、敵に気付かれる事なく遠距離から敵を葬るという、空の暗殺者とも言える戦法を得意とする。 『猛禽――ラプター』の名を持つこの機体は、その名に恥じぬ無敵の王者として、空に君臨する事を約束されていた。
レーダーの光点に動きが出た。 何機かの敵機がウイスキー隊を追いかけている。どうやら気付かれたらしい。 しかし、市街地を爆撃していたのはみな旧式のF−4DやMig(ミグ)−21ばかりだと聞いていた。F−22Aにとってはそんな旧式を相手にするなど、よほどの腕利きが乗っていない限りは、赤子の手をひねるようなものだ。 「私はウイスキー隊を狙う敵をやる! 皆は市街地を爆撃する敵をお願い!」 「諒解!」 後続の2機が翼を翻した。 F−22のレーダーは、既にウイスキー隊を狙う2機のF−4を捉えていた。 メイはF−22のミサイルベイのハッチを開いた。その中には、空の暗殺者としてのF−22に欠かせない中射程空対空ミサイル、AMRAAM(アムラーム)が搭載されている。 メイは2機のF−4をロックオンする。これでAMRAAMを2発撃てば、それで終わりだ。 「ウインド1、フォックス3!」 ミサイル発射を表す無線コードを叫び、メイはトリガーを引こうとした。
突然、コクピットに警報音が鳴り響いた。 ヘルメットのバイザーには、MISSILEと赤い文字で表示されている。 「ミサイル!?」 ほとんど反射的にミサイルベイを閉じ、操縦桿を倒して、機体を大きく旋回させる。辛うじて避けられた。 ふと、メイは味方の事を思い出した。味方の方を見ると、地に墜ちていく1つの火球が見えた。 「こ、こちらウインド3! ウインド2が殺られました!」 寮機からの悲痛な声が響く。 「待ってて! 今そっちに……」 「……駄目です! こいつは、この前進翼は、うわぁぁぁぁぁぁッ!!」 寮機からの通信が途絶えた。 前進翼――という言葉を聞いて、メイは少し身震いした。
現時点で実戦投入されている前進翼の戦闘機は、世界にただ1機しか存在しない。そして、その機体に出合った連邦軍の航空機は、まず生きて帰ってはこれないと言われていた。 メイの口元に笑みが浮かんだ。そのジンクスを、自分の手で壊してみせようじゃないか。腕には自信がある。旧ホウエン空軍1のエースとして、負けるわけにはいかない。 メイはレーダーに映った敵機の機影に機首を向け、エンジンを全開にした。 「敵となったからには容赦はしないわよ……『悪夢の十字架』……カイト・マツバラ君!」
――同日 7時40分 マサゴタウン――
走りに走って、ユウキとヒカリはやっと市街地にたどり着いた。改めて、自分達の暮らす学校と学生寮が、どれだけへんぴな場所にあるのかを思い知らされた。 「民間人か! ここは危険だ、早く防空壕に!」 すれ違った兵隊がそう叫んだのを聞いて、ユウキは足を止めた。 「ここから一番近い壕は?」 稲妻のように頭の中に浮かんだ言葉を、ユウキはそのままに発した。 「西の大通りを北に進んで、右側の公園にある! もたもたしてないで、早く!」 ユウキはその兵隊にお辞儀をすると、すぐにヒカリを連れて駆け出した。
大通りはそれほど遠くはなかった。 「あともう少しだ、ヒカリ、頑張れ!」 「う…うん!」 ヒカリは既に息も絶え絶えだった。良くついてこれたものだ。 だが、それも後少し。大通りには車も走っていない。ユウキは北へ足を向け、ラストスパートをかけようとした。
その時、再び頭上で轟音が鳴り響いた。 足を止めて空を見上げるユウキ。そこでは、2機の戦闘機が激しいドッグファイトを繰り広げていた。追われているのは連邦空軍のF−16C。それを追っているのは反乱軍のSu−27 フランカーだ。連邦軍が負けているというのに、ユウキは不思議と見とれてしまっていた。 「ユウキ! 何してるの!? 早く逃げないと!!」 ヒカリは必死にユウキの腕を引っぱる。しかし、ユウキは微動だにしない。
翼端から雲を引きつつ、2機は急旋回を続けている。急に、F−16の動きが鈍った。パイロットが高G機動に耐えられなくなったのだろうか。 「駄目だ! 相手の思う壺だぞ!」 ユウキは叫ぶ。しかし、そんな声がパイロットに届くはずもない。 フランカーの機関砲が火を吹く。たちまちF−16は蜂の巣にされてしまった。コクピットを見事に撃ち抜いている。パイロットはまず生きてはいないだろう……
「もう知らないから!」 ヒカリの一声で、ユウキは我に帰った。防空壕のある公園目掛け、ヒカリは一目散に走っていく。 嫌な予感がユウキの心を過ぎった。もう一度ユウキは空を見上げる。勝ち誇ったように飛び去って行くフランカーの下に、炎上しながら墜ちて行くF−16の姿が見える。 その向きが問題だった。 「ヒカリ! 駄目だ! 戻って来るんだ!」 声の限りに叫ぶユウキ。幸運にも、ヒカリは立ち止まってくれた。そうしている間にもF−16はどんどん迫ってくる。 「早く!!」 ヒカリはすぐにこちらへ駆け寄ってきた。
耳をつんざくような轟音が鳴り響いたと思うと、その音は爆発音へと変わった。 爆風に煽られ、ヒカリは転んでしまった。
「ヒカリ!」 慌ててヒカリの許へ駆け寄るユウキ。幸い、小さな擦り傷しか怪我らしい怪我は無かった。 「何……?」 ヒカリは恐る恐る後ろをむいた。公園からは激しい炎が上がっている。その炎は公園の木々に燃え移り、公園は一面の火の海と化していた。 2人は何も言えなかった。もしユウキがあの時、足を止めていなかったら……そう考えると、背筋が凍り付くようだった。
――同日同時刻 202番道路上空――
コクピットの中で、少年はマシンのような精密な動きで機体を操っていた。 「隊長……貴女も僕を殺してはくれないんですか……僕を殺せないのなら、どうなるのか分かってるんですか……?」 激しいドッグファイトの最中でありながら、少年はやはりマシンのように、抑揚のない声で呟く。
彼にとって、既に感情は不要な物だった。空で戦い、空で死ぬさだめを与えられた彼は、その空で一番大切な存在を自らの手で壊してしまった。 誰に向けられたわけでもない悲しみと憎しみ。それを拭い去るには自らの感情を消し去る他は無かったのだ。 与えられたさだめ、ポケモンの本能の奥底に潜む破壊衝動に従って生きる事で、彼はポケモンではなく、戦闘マシンとして生きようとしていた。
彼の名はカイト・マツバラ。種族は図鑑番号470番、リーフィア。 この世に1機しか存在しない前進翼の戦闘機、Su−47ベルクトを駆り『悪夢の十字架』と呼ばれる反乱軍最多の撃墜記録を持つエースである。
――同日 7時45分 マサゴタウン――
轟音が再び、マサゴタウンの空に響いた。先程までの戦闘機の空気を切り裂くような爆音とは異なる、甲高い音。ユウキは三度空を見上げた。 そこに飛んでいたのは、大型輸送機、C−17グローブマスターVだった。それも1機ではない。4機程が編隊を組んで飛んでいる。 その中から、孵化したばかりのカマキリの幼虫のように、わらわらと小さな影が飛び出して行く。そしてその影は次々と空中に花を咲かせていく。 「空挺部隊……」 ユウキの心に絶望が過ぎった。ここまで来たからには、もう逃げ場など無い……
* * *
「イ〜ヤッホ〜ィ!!」 無人の街に、甲高い声が響いた。それと同時に、路面の塵が濛々と舞い上がる。 「いや〜、空挺降下ってもんは何度やっても飽きないねぇ! このスリル、たまんねぇな!」 埃まみれになって呑気に現れたのは、人間では無い。 図鑑番号157、バクフーン…それも鎧を纏い、手には2丁の銃を携え、鼻には眼鏡さえ掛けている。 「こちらロッソリーダー、RX、今何処にいるの!?」 ふと、通信が入って来た。RXというのは、彼の名前だろうか。 「イヤ、通常歩兵のお守りしてたらいつの間にか……」 「ふ〜ん、その割りには随分呑気だったじゃない?」 レシーバーの向こうの女性の声は、少し怒っているようにも聞こえる。痛い所を付かれたRXは、何も言えずに苦笑いするしかなかった。 「……まぁ、今はそれよりも作戦に集中しないとね。こっちの位置を転送するから、後で合流しましょう」 その声が聞こえている間にも、既にヘッドギアのバイザーには地図が表示され、その一か所に光点が表示されていた。
彼――RXが身に纏っている鎧。それこそが反乱軍の切り札にして連邦軍最大の脅威、PRAGである。 PRAGはポケモン特有の様々な力――技や特性――を生み出す力、『ルートエナジー』を最大限に利用した、ポケモン専用の強化外骨格、所謂パワードスーツである。 PRAGは、ポケモンのみが持つ器官『ルート』から生み出されるルートエナジーを『ジェネレータ』と呼ばれる装置で電力に変換、増幅し、それを動力源として駆動している。 ジェネレータが生み出す豊富な電力によって、推進装置であるホールスラスタや磁力による揚力発生装置、マーティルグシステムを駆動させ、飛行さえ可能となった。 さらに体を覆う装甲は、通常のライフル弾は苦も無く弾き返す。また、無線機、誤射を防ぐためのIFF(敵味方識別装置)、火器の照準を行なうFCS(火器管制システム)外傷の状況から体温、血圧までが瞬時に読み取れるバイオセンサーといったハイテク装備を備え、それらで得た情報をデータリンクで共有することも可能だ。 これらの実に贅沢な要素を一纏めにしてしまっているPRAGは『軽装甲車並の装甲、戦闘ヘリ並の機動力、戦闘機並の電子機器を備えた歩兵』と呼ばれ、この戦乱の世界に於いて最強の歩兵装備として君臨しているのだ。
「諒解、そいじゃまた後で……」 RXは無線を切ると、大きなため息をついた。 「おうRX! そこにいたのか!」 後ろから、誰かが彼を呼んだ。 「あぁ、あきおか!」 そこにいたのは、何人かの人間の歩兵を連れているポケモン――図鑑番号028、サンドパンだった。そのサンドパンもまた、RXが身に着けているものと同じPRAGを身に着けている。 「さて、これからはどうやって他の面々と合流するかだな」 あきおと呼ばれたサンドパンは、空を見上げて言った。
彼らは、反乱軍陸軍に身を置くポケモン兵である。 反乱軍の主戦力は空軍であり、PRAGを擁する『装甲歩兵隊』の数さえ空軍に劣っている陸軍は、やや影に隠れがちな存在である。 しかし、陸軍がいなくては当然戦争は出来ない。いくら優秀な飛行機や軍艦があったところで、最終的に戦闘の行方を左右するのは歩兵なのだ。 そんな陸軍に於いては、ポケモン兵士の多くは生身で戦っている。装甲歩兵隊に配属されるのは、養成所で優秀な成績を納めたポケモン達ばかりである。 その甲斐あってか、陸軍の装甲歩兵隊の平均的な技量は、歩兵は否応無くPRAGを持たされる空軍よりも上であり、それが陸軍の装甲歩兵の誇りでもあった。 彼らが身に纏うPRAG、APS―101E/L ディーナ・シー陸戦型は、空軍のPRAGと異なり、揚力を生み出すマーティルグシステムが搭載されていない。 しかし『空軍歩兵が空を飛ぶのは汚れるのが嫌だからさ』と言うジョークをよく口にする彼らは、地を駆け回るこの機体をこよなく愛していた。 「隊長の位置なら受け取ってるよ。心配すんなって」 RXはあきおの肩を軽く叩いた。転送された位置のデータは、GPSとリンクして、常に対象の現在位置を見ることが出来る。 「じゃ、そろそろ行きますか。お〜い、はぐれ歩兵さん達、行くぞ〜」 「あ、はい!」 RXは後ろの歩兵達にもそう呼び掛けると、スタスタと歩いていってしまった。それに続いて、歩兵達もまた歩いていってしまう。 「お…おい、一人で行くつもりか?」 あきおは慌ててRXの後を追った。
* * *
「どうするの、これから……」 ヒカリは空を見上げながら言う。その声には不安が満ちていた。 「どうするもこうするも、もう反乱軍の為すがままだろうね……」 「そんな! じゃあ私達、どうなっちゃうの?」 ヒカリはユウキの肩を揺する。結構な力を入れているらしく、少し痛いくらいだ。 「大丈夫だよ。反乱軍は民間人を殺すような軍隊じゃないよ……行こう。それしかもう方法はないよ」 ユウキは左手でヒカリの手を握り、右手ではポケットの中を探っていた。丁度白いハンカチが出て来たので、それを白旗代わりにする事にした。
既に、町のあちこちで銃声が響き渡っていた。音の感じでは、やはり反乱軍のほうが押しているように感じられる。 ユウキは、出来る限り狭い小道を選んで、周囲を警戒しながら慎重に道を進んでいく。いつ、何処から敵が現れるか分からないのが市街地戦の恐ろしさだ。大通りに出たら、銃撃戦の真っ直中、という状況も容易に想像がつく。今は銃声もまだ遠いが、連邦軍の戦力では長くは保たないだろう。 「ユウキ……」 細い声でヒカリは言う。握っている手が震えているのが分かった。 「心配しないで。大丈夫だからさ」 動揺しているヒカリに声を掛けつつ、ユウキは曲がり角からゆっくりと顔を出した。
銃を構え、鎧を纏ったバクフーンが道を歩いている。ユウキは知るよしも無いが、彼は先程やけに明るく降下して来た、あのRXである。 ふと、そのバクフーンがこちらを向いた。すると、すぐこちらに銃を向けてきた。 「誰だ!」 こちらに気付いたらしい。ユウキはハンカチをひらひらと振りながら、ゆっくりと歩き出した。 「銃を下ろして下さい……僕達は民間人です。敵じゃありません」 バクフーン――RXの表情が、急にきょとんとした物に変わる。こちらの意図を理解してくれたらしく、銃口をゆっくりと下ろしていく。 「……そうか」 やはり分かってくれたようだ。ユウキは安堵のため息をついて、RXの許へ歩み寄った。 「白旗は持ってるようだが……一応ボディチェックはさせてもらうぞ」 RXの持っていた銃がいきなり光り出す。そしてその光は、彼の右手首の辺りに吸い込まれるように消えた。ユウキはそれを見て一瞬驚いたが、このような光景は『モンスターボール』という形で日常的に見られるものであり、それほど驚くものでもない事にすぐ気がついた。 「どうした? RX?」 RXの後ろから声が聞こえた。彼の同僚のあきおの声だ。 「あぁ、民間人が投降を申し出てきたんだよ。今一応ボディチェックをしてる所だ……そうだ、あきお、あの女の子を調べてくれないか?」 「え!?……あ、あぁ……」 種族は違っても、異性の体に触るのは流石に抵抗があるのか、あきおは少し戸惑いながら言った。
その一方で、ヒカリはこの現状に理不尽さを感じずにはいられなかった。 海辺の軍隊にあんな卑怯な攻撃をかけ、間接的にではあるものの、彼女の目の前で公園を火の海にした軍隊を信用しろと言われても出来る筈がなかった。ましてや、彼らは政府を討伐するためなら手段を選ばない凶悪な連中だと聞いている。捕まったとなれば、何をされるかわからない。 「お願い……」 ヒカリはポケットからモンスターボールを取り出すと、相手に気付かれないように、自分の後ろへ静かに転がした。 「仕方ねぇな……お嬢さん、悪いけど仕事なんでね。セクハラとか言わないでくれよ」 あきおは面倒臭そうな、不満そうな顔を浮かべつつ、ヒカリの着ている赤いコートの腰ポケットに手を触れた。 「今よ!」 ヒカリはいきなり大声を上げる。その途端、彼女の後ろから眩い光が放たれた。 「え!?」 それに驚いたあきおは、すっ頓狂な声を上げた。 光を放ったのはモンスターボール。中から飛び出したのは図鑑番号393番、ポッチャマである。 「うずしおッ!!」 「ポチャアアアアアアアアアア!!」 ポッチャマは頭上に巨大な水の塊を作り出す。その水の塊は渦を巻き、更に大きくなっていく。 「きっ、貴様ッ!」 あきおの左腕が光るや否や、彼の右手に12式突撃銃が握られる。しかし、一瞬遅かった。狙いをつけようとしたあきおの眼前に広がっていたのは、渦を巻きながらこちらへ向かってくる水の壁。 「うわ……おわあああッ!!」 避ける間も無く、あきおは水の塊に呑まれてしまった。 「ユウキ、離れて!!」 「!?」 ヒカリの言葉に、ユウキとRXはほぼ同時にヒカリのほうを見た。彼等の目に入ったのは、先程あきおが見たのと同じ、水の壁。ただし、先程と違うのは、その水の壁の中に、洗濯機の中の洗濯物のごとくかき回されるあきおの姿があった事だ。 ユウキは反射的に身を伏せた。 「あ、お……ぐぁっ!」 ユウキに気を取られていたのが仇になった。RXもまた、渦巻く水の塊に飲み込まれてしまった。 後ろにいる歩兵達も、水の壁が盾になって手出し出来ない。かと言って、前に進めば自分も水の塊に呑まれてしまう。 「ユウキ!」 今度はヒカリがユウキを連れて逃げる番だった。水の塊を潜り抜けたユウキの手を取って、ヒカリは一目散に先程まで通っていた道へ逃げ込んだ。
「ぐはッ……げほッ……ごほッ……」 しばらく経って、RXとあきおを呑み込んでいた水の塊が引いた。 RXもあきおも、道路までもがずぶ濡れになっていた。 「だッ……大丈夫か、RX?」 「あぁ……こんなんで死んでたまるかよ……!」 むせながらもこちらを気遣ってくれるあきおに答えつつ、RXは先程までユウキ達がいた場所を見た。彼らの姿は消えていた。 「ゲリラが……やってくれるじゃねぇか……!」 RXの首筋から、紅蓮の焔が吹き出す。その焔の帯びた熱は、彼の怒りを代弁しているかのような陽炎を浮かび上がらせた。 「あきお、はぐれ歩兵を頼む」 「……おい、どうするつもりだ?」 いきなり切り出されたRXの要求に、あきおは戸惑う。 「奴等を取っ捕まえてくる! お前は隊長の所へ、はぐれ歩兵をエスコートしてやってくれ!」 「ちょっと……待てよ、おい!」 あきおは止めようとしたが、その言葉を聞くよりも前に、RXは背中に背負ったメインエンジンをふかし、住宅の屋根の上まで飛び上がっていった。
「はぁはぁ……ユウキ、ダイジョウブ?」 少し走った後、ヒカリはユウキの手を離して、肩で息をしながら言った。ユウキの様子を見たら、すぐにまた逃げようと思っていた。 だが、ユウキは彼女が考えていたのとは全く違う反応を見せた。
ユウキはいきなり、ヒカリの肩を強くつかんだ。それもずいぶんと必死な形相でだ。 「どうして……どうしてあんな事をしたんだ!!」 ユウキはヒカリの肩をゆする。ヒカリは驚いた。自分が何か間違った事でもしたのか、と一瞬感じた。だが、その考えは結局間違いだったと、彼女はすぐに知る事になる。 「な……なんで? あんな奴らに捕まるより……」 「ポケモンで不意打ちしたりなんかしたら、ゲリラだって思われるかもしれないんだぞ? 下手をしたら殺されるかもしれない!」 「え……?」 必死な声で言うユウキだが、当のヒカリは何がどうなのかすぐには理解出来なかった。いきなりゲリラだの何だのと言われても、敵から逃げる事にてんやわんやになっていた頭では咄嗟の判断がつかない。 「とにかく、こうなったら見つからないように逃げるしか……」
ユウキが再びヒカリの手を取って逃げようとした時、なにかが空気を切り裂く音が響いた。 「!!」 何が起こったのか、ユウキにはすぐに想像がついた。音が飛んで来た方向――右斜め上の方向をユウキは見た。 そこには、2階建ての屋根が平らな住宅、そして、その屋根の上に立っている、銃を構えたポケモンの姿があった。先程ユウキをボディチェックしていたバクフーン、RXだ。 「もう逃げられないぞ! 投降すれば悪いようにはしない!」 RXは民家の屋根から路上へ飛び降り、ヒカリとユウキに改めて銃を向ける。激しく燃え盛る背中の炎が陽炎を作っているその様は、まるで地獄の番人のようにも見える。 「冗談じゃないわ! あんた達みたいな連中に捕まってたまるもんですか!」 「俺達はあんたらを連邦の独裁から助けるために戦ってるんだ! あんただって連邦の体たらくに不満の一つくらい持ってるだろ?」 ポケモンであるRXに、人間の政治の事はよくはわからない。だが、人間達から教わった限りの事では、連邦政府が一般市民にした『政治』という物は最悪のものである、という事はわかっていた。 「ラルースで何の罪もない人を巻き添えにしたくせに、大きなお世話よ!」 ヒカリは自分の思った事をはっきり言う性格だ。それは時と場合によって長所にも短所にもなりえるが、この局面ではマイナスの方向へ傾いてしまった。 「……聞き捨てならねぇな。連邦政府の言う事は全部正しいとでも思ってるのか?」 懐疑のまなざしをこちらに向けるRX。ヒカリにとってそれは、この上なく不快なものに感じられた。かつてポケモンコーディネーターとして各地のポケモンコンテストに出場していた彼女にとって、ポケモンは人間を信頼して人間のために尽くしてくれる、そんな存在だと思っていた。これほどにまであからさまな反抗姿勢をとるポケモンを、彼女は心の片隅で『ポケモンらしくもない』と思っていたのかもしれない。 「何が聞き捨てならねぇ、よ! ポッチャマ、バブルこうせん!」 ヒカリは再びモンスターボールを投げた。先程のポッチャマが光となって現れ、実体化してすぐバブルこうせんをRXに向けて放った。 「おっと」 RXはエンジンをふかし、左へステップを踏む。かなりのスピード。たちまちバブルこうせんはRXのすぐ右を通り過ぎていった。それでもポッチャマは果敢にRXに挑みかかる。息継ぎを堪えつつ、バブルこうせんを吐き続ける。しかし、RXはそれを嘲笑うかのごとく、余裕で回避していく。まるで遊んでいるようだ。 バブルこうせんが止まった。 「ポチャ……ポチャ……」 ハアハアと苦しそうに息を継ぐポッチャマ。 「チッチッチ……ダメダメ。俺が手本を見せてやる。いいか?」 挑発のつもりか、余裕たっぷりに言って見せるRX。その屈辱的な態度に、プライドの高いポッチャマは憤慨した。 「飛び道具が駄目なら……つつく攻撃!」 ポッチャマは怒りに身を任せてがむしゃらにRXに向かって突っ込んでいく。 「さぁ来い、戦い方を教えてやるぜ!」 RXは左手を12式突撃銃のボディに添えた。3点バースト。と彼は念じる。眼前のバイザーに映るポッチャマの前に、『3BARST』と文字が表示された。PRAGを装備したポケモンが装備する事を前提に設計された12式突撃銃は、ドライバーの意志で制御可能なPRAGのメインコンピュータと連動し、射撃モードのセレクトが可能なのだ。
――撃て!――
銃口から炎が一瞬噴き出し、乾いた3つの音、軽い反動と共に、3発の5.56o弾が銃口から放たれる。ケースレス弾であるため、薬莢が排出される事は無い。 弾丸はポッチャマのすぐ横をかすめた。だが問題は無い。元から当てるつもりは無かったのだ。そして、ポッチャマは彼の思惑通りに行動していた。 「ポッチャマ、ダイジョウブ?」 ダメージこそ無いが、ポッチャマはかなり動揺している。民間人が競技用に使っていたポケモンだ。銃の事など知る由もあるまい――RXはそう思い、ポッチャマを動揺させるためにわざと外して撃ったのだ。そして彼の思惑通り、ポッチャマはへっぴり腰になり始めていた。 「どうしたどうしたぁ? さっきまでの意気込みはどこへ行ったんだ?」 コンピュータを介して、彼は射撃モードをフルオートに変える。そして彼は再び『撃て』と念じる。ポケモン用に設計されたこの銃には、トリガーが存在しない。手に流れるルートエナジーを感知して作動するこの銃を、ドライバーは手から技を出すような感覚で撃つ事が出来る。 毎分900発の鉛の弾丸が、ポッチャマ――の足元に当たる。 「ポチャアアアアアア!!」 仰天して逃げ惑うポッチャマ。どんなポケモンの技とも異質な『銃撃』は、このポッチャマのような幼いポケモンであれば尚更、強い恐怖を感じるだろう。RXは逃げ惑うポッチャマを追いながらも、ポッチャマに当てないように銃口を動かしていく。 ポッチャマが住宅の生け垣に背中を付けた所で、銃口から弾が飛び出さなくなった。 「おっと……」 視界の右下にある残弾カウンターがゼロになっている。発射速度毎分900発とはいえ、12式突撃銃のマガジンには30発しか弾丸が入っていない。調子に乗ってフルオートで撃ち続けようものなら、あっという間に弾切れになってしまう。最近の突撃銃にはそれを恐れ、フルオート機能を外してしまった銃さえあるほどだ。 こんなあからさまな隙を、ヒカリは見逃す訳が無かった。武器が使えないなら普通のポケモンと同じ、相性ならこちらが有利だ。勝てるはず、とヒカリは思っていた。 「チャンスよポッチャマ、うずしおでやっつけちゃって!!」 ヒカリの声が飛ぶ。ポッチャマは再び渦を巻く水の塊を頭上に作り出す。
少しからかいすぎたか。そろそろ本気を出したほうが良いかな――と、こんな考えがRXの頭を過ぎった。その刹那に、RXは行動を起こしていた。 RXの左腕が光った。そしてその光は形を変え、実体化する。――もう1挺の12式突撃銃だ。 「ゴッコ遊びは終わりだぜ、そこのポッチャマ!」 射撃モードはセミオート。素早く狙いを定め、そして発した言葉も終わらぬ内に、銃声は響き渡っていた。
「ポチャアアアアアアッ!!」 渦巻く水の塊が、バケツをひっくり返したようにポッチャマを飲み込んだ。ずぶ濡れになったポッチャマは、右の翼をもう片方の翼で押さえている。そこからは、赤黒い液体が翼を伝って流れていた。 「ポッチャマ!」 ヒカリは反射的にモンスターボールを取り出していた。モンスターボールから光が飛び出し、ポッチャマを吸い込む。ヒカリはすぐに次のポケモンを出そうとした。 「動くな! 少しでも動いてみろ、お前の眉間に風穴が開くぞ!」 しかし、その手はRXの言葉によって遮られてしまう。RXはこちらに銃口を向けていた。突き刺さるような鋭い視線と、その背後に陽炎を登らせる灼熱の焔が、彼が本気になっている事を物語っている。 「手を上げて、頭の後ろで組むんだ……」 RXは銃を持ったままの左手にマガジンを取り出すと、それを右手の銃に取り付ける。結構な隙のようにも見えるが、背中に燃える焔を見るとそうもいかない事が分かる。相手はバクフーン。銃に頼らずとも、灼熱の焔で焼き殺す事も出来るのだ。そのあたり、彼の余裕さが見て取れる。 ユウキとヒカリをなめるように見回しながら、RXはゆっくりと2人の後ろへ回る。 ユウキは只黙って俯いていた。希望が無かった訳ではないが、最悪の結末ばかりが頭の中を駆け巡っていた。元はと言えば勝手にヒカリが手を出したとばっちりを受けただけとも言えるが、ここでヒカリを罵倒しても何かが始まる訳では無い。それ以前に、自分もヒカリと一緒に逃げた時点で同罪だろう。今はただ、RXの言いなりになるより仕方が無かった。 「一緒に来てもらおうか」 威圧的な声でRXは言う。それと同時に、ユウキの背中に固い物が突き付けられた。突撃銃の銃身だ。 「……」 彼の言うとおりにする事しか、今の2人には出来なかった。2人は重い足取りで1歩1歩と歩き始めた。
突然、轟音が響き渡った。砲弾の炸裂する音とも、ジェット機の爆音でもない。もっと甲高い、鼓膜を突き刺すような音。 「!!」 RXが突然発砲した。ユウキとヒカリにではなく、彼の背後に広がる空にだ。ユウキとヒカリも、思わず真後ろへ目を向けた。 その先には、空を飛ぶ人型の物体――否、生き物がこちらに向かって舞い降りてくる。RXが放った弾丸が、火花を上げて弾け飛んだ。 「何ッ!?」 RXは右へ側転するような形で、突進してくるその生き物の体を避けた。着地した生き物は、そのままRXのいた場所へ着地した。
その生き物は6〜7歳の子供くらいの大きさで、人間に近いシルエットをしている。ナイフを握る手と、鳥のような足には鋭い爪が生えていた。そしてその生き物は、淡黄色の羽毛の上に橙色の鎧を纏っていた。そしてその肩には、思いもかけない文字が書かれていた。
「WF……世界連邦!?」 RXとユウキは、ほぼ同時に叫んだ。
「君達、大丈夫?」 少年のようだが、芯の通った声で発されたその言葉に、ユウキは愕然とした。その言葉は、他の何者でもない、目の前に立っている鎧を纏ったポケモン――図鑑番号256、ワカシャモの口から発されていたのだから。 「君、喋れるの?」 「今はそんなこと話してる場合じゃない!」 ヒカリの問いを一蹴し、そのワカシャモは立ち上がるRXを凝視した。 「ちょっと狭いと思うけど、中に入ってて!」 ワカシャモはそう言って、今度は体をこちらに向ける。 「えっ、中にって、ちょっと……」
ヒカリが言い終わらないうちに、彼女の眼前が真っ白になった。 それはユウキも同じだった。眼前が真っ白になった――というよりは、視界全てが発光したといった方が差し支えないだろう。 それが数秒続いたと思うと、視界が元に戻った。
「あれ?」 だが、何かがおかしい。いつの間にか座っているのだ。それに、座っているにしてもやけに視線が低い。さらには、その視界全てが、自然のものではなかった。モニター越しに見ているような、無機質な光の点がちらほらと見える。 「!?」 周りを見て驚いた。ユウキはいつの間にか、戦闘機のコクピットのような、モニターに囲まれた狭い空間の中に座っていたのだ。 左右にはスティックの備え付けられたコンソールがあり、目の前のモニターには何やら文字が表示されているのも見える。 「ユウキ……これってどうなってるの?」 ヒカリの声。ヒカリはシートの後ろに、その体をちぢ込ませるようにしてしゃがんでいた。 「詳しいことは後で話すよ。それより今は!」 ワカシャモの声を聞いて、ユウキは我に帰った。彼らの目の前には敵がいる。そいつを倒さない限り安心は出来ない。 「……どんな手品か知らねぇが、そんな姿で出て来たんだ……ただで済むと思うなよ!」 相手には目の前の人間が消えたように見えたのか、その事には驚いているようだった。だが、それはそれと割り切っている様子もまた、彼の言葉から読み取れる。 「見せてもらおうじゃねぇか……連邦のPRAGの性能とやらをなぁ!」 RXは右手の突撃銃を構える。但し、発射したのは5.56mm弾では無く、銃身の下にマウントされた40mmグレネードだった。 こんな物が直撃したら、いくらPRAGを纏ったポケモンとはいえひとたまりもない。だが、ワカシャモは動じない。相手に向かって突撃しながらも、連射されるグレネードを、右へ左へと動きながら的確に回避していく。 「は、速い!?」 動じるRX。ワカシャモはその隙を見逃さなかった。右手に持っていたナイフが光をまとって消え、代わりに角張った剣の柄のような物が右手に握られた。その刹那、柄から光の刃(やいば)が伸びる。摂氏1万度もの灼熱でいかなる物も溶断する光の剣、プラズマセイバーである。ワカシャモは左手のナイフをしまい、そのままその柄に手を添えた。 「はあああああッ!!」 「うッ!?」 RXの懐に飛び込んだワカシャモは、プラズマセイバーを力強く振り上げた。バックステップしてそれを辛うじて避けるRX。だが、ワカシャモのプラズマセイバーは、RXの右手に携えられていた突撃銃の銃身を切り裂いていた。 「クソッ……貴様ッ!!」 RXは切り裂かれた突撃銃を投げ捨てると、右手を光らせる。実体化したのは、ワカシャモの持つセイバーよりも、やや小振りの柄であった。 RXは逆手に持ったそれを体の前に構える。すると、ワカシャモのセイバーと同じ光の刃が現れた。だが、それはワカシャモの持つセイバーよりも随分と短い刃だった。この武装は12式プラズマ短刀と呼ばれる、いわばプラズマのナイフである。 「ぬあああああッ!」 今度はRXが叫びを上げ、ワカシャモに突っ込む番だった。こちらを切り裂かんとするRXのナイフをセイバーで受け止めた。 実体を持たないプラズマの刃を持つプラズマ兵器ではあるが、プラズマ兵器は、プラズマの刃の形を維持するために、エネルギーシールドと呼ばれる指向性を持つバリアで覆われている。プラズマの刃同士がぶつかりあうと、そのエネルギーシールド同士が干渉しあい、動かす事が出来なくなる。つまり、プラズマの刃はプラズマの刃でなら切り結ぶ事が出来る、と言う事なのだ。
「負けないで! あんな奴やっつけちゃって!」 謎のコクピットシートの中で、眼前に広がる光の剣の鍔競り合いを見ながら、ヒカリはワカシャモの応援に精を出している。まるでポケモンバトルでも見ているかのように。 ユウキは呆れていた。実感が湧かないのは分からないでもないが、こんな血なまぐさい戦いを応援する輩を、ユウキはあまり好んではいない。そんな考えの彼は、ポケモンバトルやボクシング、プロレスなど見ないだけでなく、ポケモンを持った事すらない。 他者を傷つける力を自慢するなんて、野蛮な人間のする事だ……というのが、彼の考えだった。
「アゾット3、聞こえますか? 撤退命令です。直ちにピリアに帰還してください」 ぼんやり考え込んでいると、ふとスピーカーから知らない声が流れた。大人びていて穏やかな、しかし何処か感情が押さえられたような、軟らかい女性の声だった。 ワカシャモは相手のナイフを払い、バックして相手との距離を取る。 「撤退? どうしてです!?」 女性の声にワカシャモは答える。 「連邦軍の防衛線は完全に崩壊。各地域で既に撤退を始めています」 「くっ……」 悔しげな声を漏らすワカシャモ。彼の歯ぎしりする音が、僅かにスピーカーから漏れたような気がした。
「真ん前がお留守だぜ、ワカシャモさんよ!!」 RXの叫びで、ワカシャモは我に帰った。RXはナイフを順手に持ち替えて、堪忍袋の緒を切らしたチンピラのごとく、ナイフを構えて突撃してくる。――この至近距離ならかわせまい――RXはそう思っていた。だが、その考えは思いも寄らない形で裏切られる事になった。 「終わりだああああッ!!」 距離はすでに、ワカシャモに腕が届くまでに縮まっていた。勝った。そう思いながら、RXは思い切り力を込め、ワカシャモにナイフを突き立てた。
「あ……?」 RXは愕然とした。彼はワカシャモにナイフを突き立てたと思っていたが、実際にナイフを突き立てていたのは、彼の目の前に立ち込める空気だった。 RXは咄嗟に視線を上げる。彼の目に映ったのは、腰に装着されたメインエンジンを唸らせ、プラズマセイバーをこちらへ叩き込もうとするワカシャモが、逆光を浴びてそのシルエットを浮かび上がらせている光景だった。 彼がナイフを構えてから突き立てるまで1秒もかかっていない。空を飛べる空軍型のディーナ・シーだって、こんな爆発的な上昇性能は持っていない。 「馬鹿な……!」 殺られる。RXは思わず目をつむった。今までの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。 相手は頭を狙ってくるに違いない。痛みを感じるよりも先にあの世に行けるだろう……それがせめてもの救いだと、RXは開き直る事にした。
「う……?」 意識がある。RXは目を開けた。 目の前のバイザーは全ての文字が真っ赤になっている。そこには、メインエンジン異常を伝えるメッセージが表示されていた。 振り向くRX。そこには、背中のラインに沿って根元から切り落とされた、メインエンジンを積んだバックパックが転がっている。ワカシャモの姿は既に消えていた。 「チッ……」 RXは舌打ちする。生の喜びなどというものは全く感じていなかった。圧倒された悔しさと情けなさのほうが、彼の心をより強く支配していた。 しかし、RXは勝ち誇った気分でもいた。あのPRAGを纏ったワカシャモの映像は、ヘッドギアに装備されたカメラにしっかりと記録しておいた。 「一思いに殺していれば良かったのによ……次会ったらタダじゃすまねぇぞ……!」 不思議と、RXの顔に笑みが浮かんだ。 この戦いが始まって以来の強敵との邂逅。今まで装甲も纏っていない通常歩兵や生身のポケモンを、弱い者いじめのように倒してきた彼にとって、倒し甲斐がある強敵という存在は願ってもないものだった。 悔しさと情けなさはいつの間にかどこかへ去り、代わりに強い決意が彼の中に生まれた。あのワカシャモを必ず倒す、と。
――同日 8時21分 202番道路上空――
ユウキとヒカリの眼下に流れる景色は、次第に市街地から田園と森の広がる郊外へと映っていく。高度は7m。戦闘中、PRAGは飛行する時も高度を10m以上上げる事はまずない。それ以上高い空を飛ぶとしたら、空挺降下を行う時か、あるいは緊急時に航空機の相手をする時くらいである。 「そういえば、まだ名前を教えてなかったね」 ふと、コクピットシートのスピーカーから声がした。ワカシャモの声だ。 「僕はユウ。『ワイバーン』っていうPMCで働いてるんだ」 先程までの真剣さに不釣合いなほど、ユウの声は嬉しそうに聞こえた。 「ぴーえむしー?」 ヒカリは首を傾げる。 「Private Military Company……民間軍事会社の略語さ。所謂『傭兵』の延長線上にあるけど、直接戦うだけじゃなくて、輸送や飯炊きや、兵隊の訓練なんかをやる物もあるんだ」 「まぁ、僕達は『直接戦う』部類に入るんだけどね」 スピーカーの向こうで、ユウと名乗るワカシャモは苦笑しながら答えた。 「ところで、君達の名前も教えて欲しいんだけど」 今度はユウが、ユウキとヒカリに尋ねてくる。 「私はヒカリ。フクヤマ・ヒカリ。ポケモンコーディネーターなの。でもこんな御時世だから、ポケモンコンテストなんて最近ちっとも出ていないんだけどね……」 嬉々として答えるヒカリだが、その言葉には、彼女の日常を奪っていった戦争に対する憎悪も含まれているように感じられた。 「……僕はナカジマ・ユウキ。ヒカリとは学校の同級生なんだ。よろしく」 ユウキは正直、何も話したくは無かった。嬉しそうに話しかけてくる声に、うざったささえ感じていた。 戦争に巻き込まれたことへの苛立ちもあるが、それ以上に彼は、ユウに対して憎悪とも取れるどす黒い感情を抱いていた。だから、彼はユウに対して抑揚の無い声で、ぶっきらぼうに答えたのだ。 「ちょっとユウキ、失礼でしょ! 私たちを助けてくれたんだよ?」 そんなヒカリの言葉も、ユウキの耳には入っていなかった。ユウキは不機嫌そうに膝を組んで、何も言わずにただシートに座っていた。
「……ピリア、応答願います。こちらアゾット3、戦線を離脱しました。回収願います」 ユウの声がコクピットに響く。通信をしているらしい。 「こちらピリア。遅かったじゃねぇか。どうした?」 通信相手の声は、低い大人の男の声だった。彼の上司――もとい、トレーナーなのだろうか。 「撤退の途中で、民間人2名を保護しました。今スフィアに入れてます」 「……民間人?」 スピーカーの向こうの声は驚いているようだった。 「……分かった。対応はこちらで考えとく。帰ったら、その民間人とやらに会わしてくれ」 「諒解」 男は無線を切ったようだ。どこか困ったような、思案しているような印象を与える声だった。ユウが想定外のお客を連れてきてしまったせいだろうな、とユウキにはその理由はあっという間に理解できた。
森林の上空を、1機のヘリが飛んでいる。機体の前後に1つずつ、計2つの巨大なローターを回していた。こんな風体を持つヘリコプターはそうは多くない事をユウキは知っている。大型輸送ヘリコプター、CH−47・チヌーク。機首に付いた長い空中給油用の給油口と、とんがった鼻の様に突き出した機首から見るに、特殊部隊輸送用のMH−47だろうか。いずれにせよ、連邦の正規軍では既に使用されていない機体。PMCが使っているのも納得だ。 機体後部の搬入ランプはすでに開け放たれている。ユウは機体の後ろに回りこんで、進入の体制に入った。 カーゴベイの中で、誘導用のライト――工事現場の作業員が交通誘導に使っているような、棒状のモノだ――を振っている人間の姿が見える。ユウはそれを目印にして、ゆっくりとその体をチヌークのカーゴベイに滑り込ませる。 ユウの足がランプに付いたようだ。同時に、甲高いエンジンの音も消えていく。ユウは機体の内部へと駆け込んだ。 誘導員は足早に後ろへ去り、変わって黒髪の男が前に出てくる。30代半ばといった所の、大人の男。 「ユウ、帰って早々にすまないが、連れてきた民間人を見せてくれないか」 彼の口から発せられた声は、先程の無線の声だった。 その刹那、ユウキとヒカリは再び眩い光に包まれる。視界が元に戻ると、2人はいつの間にかチヌークの機内に座り込んでいた。 「お前達、何か身分証明書みたいのは無いか?」 男はユウキとヒカリに向かって手を広げる。2人は言われるがままに、学生証を男に手渡した。 「……ウエマツ大学附属校、か。見た感じじゃ、ここいらじゃ良い学校らしいな」 その言葉が、自分達を褒めたものなのか、それとも坊ちゃん嬢ちゃんだと馬鹿にしているのか、ユウキはよく分からなかった。 「……まぁ、こんな時世じゃ学歴なんざ役に立つもんでもねぇか」 男は学生証を2人に返すと、ユウの方を向き直った。 「こいつらをどうするかは、俺達じゃ決められん。雇主なり社長なりに決めてもらうしかない。ただ……」 その先の言葉はユウにもある程度予想が付いていたのかもしれない。彼は少し俯いて、ユウキとヒカリを心配そうに見つめた。 「……お前達、これからどうなるかは俺達にもわからん。だが、最悪ブタ箱送りになる可能性もある……という事も覚えておいて欲しい。無論、こちらも君達の保護には全力で努めるつもりだがな」 男の表情はひどく不愉快そうに見える。先行きが分からないユウキ達の身を案じているのか、それとも厄介な荷物を抱えてしまった事を悔いているのかは、ユウキにはやはり分からなかった。 「ユウキ君……」 心配そうにこちらに声をかけるユウ。だが、そんな彼の優しさも、ユウキに届く事はない。 ポケモンのくせに馴れ馴れしい、とでも言いたげな表情で、ユウキはユウからさっさと目を背けてしまった。彼の感情を、ユウキは完全に拒絶していた。
この出会いが、これからユウとユウキの運命を大きく変えていくことに、この2人はまだ気付いていなかった。
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