[2067] |
スタンダードレコード |
|
|
From:先客万来
先日骨董市で昭和8年頃発売された、スタンダードレコードのSP盤で片面が喜多三郎の「島の燈台」片面に澤文子の「流浪の旅」が入ってるのを見つけ購入した、しかし擦り切れていてなんとか、題名と歌手名が判り気になって調べると、喜多も澤も「楠木繁夫」に行き当たったが、作詞・作曲者が判らない、レコード番号は3144AとBになるが、この頃の楠木は「松平操」「中野忠夫」「黒田進」ほかの変名で20曲位ある、それもほとんどが、作詞・作曲発売月など不明である、この2曲の作詞作曲者の名前が判るお人が居りましたら、ご教授願いたい、また「澤文子」は女性名なるも読み方は「ふみこ・あやこ・ぶんこ・もん(こ・し)」いずれか、お教え願いたい。
2018年10月03日 (水) 15時38分
|
|
|
[2069] |
澤 文子 |
|
|
From:鈍足2
失礼ながら、貴殿の文章から 澤文子は楠木に行き着いた、とあるが、確かにその様に言っている懐メロの大御所がいるのは事実。ただ私はその音源にお目にかかったことは無い。貴殿はSPレコードをお持ちの様であり音源を聞いている筈と思いますが、男性の声なんでしょうか?この音源を持っている人は 他にはいないと思われ、私も勿論持ってません。若干のコメントをしようと思いましたが、男性であれば言うことは全くありません。
2018年10月22日 (月) 22時16分
|
|
|
[2070] |
|
|
|
From:先客万来
鈍足氏へ・貴殿はよくこのHPに回答しているが、懐メロの研究をしている御仁ですか?もちろん男の声だからここに出したのであって、「子」を女性と考えているのでは、三木ノリヘーも名前に子が付いている、当然わしゃ、楠木であるかは別にして、作詞・作曲家が知りたい。貴殿はよく勉強している凄いぞ。以上
2018年10月24日 (水) 20時10分
|
|
|
[2071] |
|
|
|
From:鈍足2
私が聞いたのは 男の歌と女の歌では 話が全く異なると云う事だからです。男の声とすれば、楠木でしょう。平成4年頃、ある雑誌に「仲辻秀綱」なる人が楠木繁夫の変名盤一覧を投稿していた。彼は高校生の頃から研究を始め、この頃までで二十数年研究し、多くの同好の収集家の協力もあり、600枚を超える楠木の変名のSPの一覧を作った様です。現在は62歳ぐらいであり、何処かで活躍されているのでしょう。タイヘイ、コロムビア、ニットー、キリン、コメット、内外、ツル、サロン、ルモンド、サンデー、テイチク、スタンダード、フクスケオリエント、ヒコーキの他10社ほどの小レーベルまで全て調べているもので、楠木研究の第一人者と思います。スタンダードレコードも勿論あり、この中でレコードNO3144A及びBで2曲リストがあるが、作詞、作曲は不明となっている。多分SPを見たわけではなく、月報などの確認のみではないかと思います。従い貴殿のSPで確認する以外に手はない様です。塚越電脳の芸術家一覧の澤文子が変名として載っているが、この辺りの資料に基ずいたものでしょう。仲辻氏によると、澤文子は喜多次郎のミスプリであるとはっきり述べています。この名前はこの1曲の様で、私もそうではないかと思います。従い 両曲とも作詞、作曲は判らないということでしょう。 澤文子は女性歌手として存在していました。大正末期は童謡を歌い(金鳥、オリエント、ヒコーキ)S3,4年頃オリエント、ニットー、ヒコーキなどで歌謡曲など歌っている。S8年頃、リーガルで「丘銀子」名で「艶歌傑作集」を吹き込みこの中に「流浪の歌」がある。男か女かを確認したのはそのためです。この歌は大正時代に作られたもので、作詞後藤紫雲 作曲宮島郁芳によるもので、艶歌師などに唄われ、後年東海林太郎、鶴田浩二等も吹き込み、S52年冠二郎が「旅の終りに」でパクって出した曲の元歌です。そちらのSPの曲の出だしが「流れ流れて 落ち行く先は 北はシベリヤ 南はジャバよ・・・・」ならば同じとなります。 少し」長くなったが、判っているのはこの程度です。
2018年10月24日 (水) 22時15分
|
|
|
[2073] |
中辻氏 |
|
|
From:明月涼風
残念ながら数年前急死されました。研究熱心で有能な方でしたが・・・
2018年11月04日 (日) 19時43分
|
|
|
[2078] |
丘銀子 |
|
|
From:Apollon
僭越ながら、某氏のブログを見た折、「丘銀子」は「沢智子」の変名とありましたが…
2018年11月09日 (金) 22時09分
|
|
|
[2079] |
澤智子 |
|
|
From:鈍足2
澤智子はS5年にニットーで8曲ほど吹き込みをしているが、この年のみ。ただ「酒井ゆり子」(5年)「水島京子」(6,7年)が同一人物と言われている。澤文子は4年頃以降は見当たらない。この二人の関係が良く判らないし、記録もなさそうである。 澤文子が丘銀子という根拠は、S50年代に出た「リーガル全集」(正式名称は忘れた)の解説で西沢爽、森一也と共に林淳という方が書いておられるが、この方、コロムビアにS9年に入社し46年で辞めたが、後半はディレクターとして活動されている。彼が調べた中で、丘銀子は澤文子であるという記述が有り、これが根拠である。さらに著名な研究家2氏も同じ記述をしており、反対する要素が無いと思っている。 ただ私は丘銀子の音源のみしか無く、比較しようがないのが実情。 プログの某氏が言う根拠を是非聞いてみたいものですね。
2018年11月16日 (金) 12時46分
|
|