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塚越電脳音楽工房 掲示板

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[2143] 湯浅みか
From:呑苦斎

 「湯浅みか」は、藤田まさとの変名とされていますが、「大江戸出世小唄」のレーベルには、
湯浅みか作詞 藤田まさと増補 と記載されており、2人が別人のような扱いとなっています。
他の盤にも、同じ表記が見られるのですが、このあたりの経緯について、御存じの方がありましたら、
御教示下さい。

2020年05月11日 (月) 19時11分


[2144]
From:ガタビシ

「湯浅みか」が藤田まさとの変名であることはいくつかのサイトに載っており、間違いないと思います。
ここからは想像ですが、レコーディングしてみると元の歌詞では歌いにくいので、その場で藤田まさとが歌詞の一部を変えて吹き込み直したのかもしれません。
歌手が本業でない高田浩吉の場合、そのような可能性もあったかと思います。

2020年05月13日 (水) 22時55分

[2145] 〔2144〕は誤りでした
From:ガタビシ

ツイッターでお尋ねしたところ、湯浅みかと藤田まさとは別人とのご助言をいただきました。
たしかに同一人物としているサイトもありますが、塚越様の「流行歌制作者名簿」中「藤田まさと」の変名欄に「湯浅みか」は載っていませんし、湯浅みかの詞に佐伯孝夫が補作詞している曲(市丸「濡れつばめ」)もあり、森本敏克「SPレコードのアーティスト」など過去の懐メロ解説書にも言及がないということです。
当方の不勉強から不正確なお答えを載せてしまい申し訳ありませんでした。

2020年05月14日 (木) 18時21分

[2146]
From:呑苦斎

 別人ですか。『流行歌総覧』の別名変名リストでは、藤田まさとの変名と
してありますが。どうなんでしょうか。尚、「濡れつばめ(お小夜恋慕の唄)」
のレーベルには、湯浅みか作詞とあるだけで、佐伯の補作詞とは記載されて
いません。
 別件ですが、先日の「今宵横笛」の件は、東海林太郎音楽館から、こちらでは
その事実を掴んでいないので、一度調べてみます、との回答でした。

2020年05月15日 (金) 01時06分

[2147]
From:ガタビシ

Wikipediaで「濡れつばめ」を主題歌としている「巷説・濡れつばめ」を見ると、「濡れつばめ」は作詞湯浅みか、補作詞佐伯孝夫となっています。
たしかに流行歌総覧には、塚越様の製作者名簿と異なり藤田まさとの変名として載っていますし、菊池清麿氏のサイトにも同様の記述がありますから、どちらとも決め難い感じです。
ただ藤田まさとの他の変名はすべて男性の姓名なのに、なぜこれだけが女性らしい名前なのかも不思議に思われます。

2020年05月15日 (金) 08時46分

[2148]
From:呑苦斎

 P社刊行の資料を見ると、曲のリストでは、「大江戸出世小唄」は、
「作詞湯浅みか 補作藤田まさと」とあって、曲解説では、
「藤田まさと作詞」としてあります。まあ、これは両方を別の人が
担当しているのでしょうが、それにしてもいい加減なものです。

2020年05月15日 (金) 22時55分


[2138]
From:井上飾道

この曲名が判りましたら教えて下さい・
1・白い雲湧いて崩れる あのあたり
青い地平に誰が呼ぶ ああ馬車よ行こう
今日も旅 若い愁いは 鈴の音に
鈴の音に ラララ 散らして
2・閑古鳥何を 啼くやら  たそがれの涙ささえた・・・ と続きます
宜しくお願いします。

2020年03月29日 (日) 15時16分


[2140]
From:ガタビシ

「若い旅愁」藤間哲郎作詞 林 伊佐緒作曲 唄林伊佐緒 昭和30年9月発売です。

2020年04月04日 (土) 18時38分

[2141]
From:井上飾道

ガタビシ様こんにちは。お調べ頂き誠に有難うございます、ガタビシ様のツイートはよく拝見させて頂いてます、富山県の方から教えて頂きました、詳しいですねΣ(・□・;)ました、個人的にメールをしたいと思ったほどです、お願い次いでと言っては何ですが、三波春夫の「権八忍び笠」の発売年月が判りましたら教えて下さい、ツイートの中で「藤島桓夫」の話が載っていましたが、マーキュリー時代の素直な歌い方はいいですね。エト邦枝と唄った「女給哀歌」などは好きです。

2020年04月07日 (火) 15時32分

[2142]
From:ガタビシ

思いつくままに記したツイートに過分なお言葉をいただき恐縮致しております。
「権八忍び笠」は「元禄名槍譜俵星玄蕃」の片面で昭和39年4月発売、レコード番号S-26、サイズはEPですが回転数はLPと同じ33回転で、同じ面に台詞入りの「俵星玄蕃」が収録されています。
 いくつかのオークションサイトに載っていますから比較的簡単に入手できると思います。

2020年04月07日 (火) 23時18分


[2136] 名月赤城山
From:呑苦斎

 赤城山に、東海林の筆による「名月赤城山」の碑がありますが、碑文が、「浮世横笛」のところ、
「今宵横笛」となっています。改作されたのか? と思って調べたのですが、よく判りませんでした。
東海林が、自分のこだわりから、歌詞を変えて書いたのか、などとも思いました。
 ところが、32年の、「平凡」付録の歌本に、「今宵横笛」と書かれていて、やはり改作の事実が
あるのでは? と、疑問に思っております。どなたか御教示下さい。

2020年03月04日 (水) 10時59分


[2137]
From:ガタビシ

いくつかの歌詞のサイトを見ると「浮世」と「今宵」と両方あるようです。
作詞者の矢島寵児さんは終戦後すぐに亡くなったそうですから、ご本人の改作でないことは確かでしょう。
歌碑が東海林さんご本人の筆によるとのことですから、東海林さんが改作を了解していたのは間違いないと思いますが、YouTubeにupされている2件のご本人の歌唱シーン(たぶん昭和40年台)では、どちらも「『浮世』横笛」と歌っているので、恐らく晩年には原作の方を好んで歌われたのかと推測されます。

2020年03月09日 (月) 10時47分

[2139]
From:呑苦斎

 ガタビシ様、有難う御座いました。東海林本人の「今宵横笛」での音源は、
聴いた事が無いので、実際に歌われていたのかは、判りませんね。只、
御指摘のように、実際に両方の歌詞が存在しているようです。やはり、
明確なところは不明と云う事でしょうか。
 一度、秋田の顕彰会へ尋ねてみようかとも思います。

2020年04月02日 (木) 13時03分


[2134]
From:矢島 渡

ガタビシ様、点手胡 舞様ありがとうございます、体調を崩し一週間、病院に入院しておりました歌詞をお教えいただきまして、老齢による体調不良で病院に出たり入ったりのこの頃です。昔の唄はいいですね喜びも悲しみも思い出されます。

2019年10月26日 (土) 21時00分


[2130] 追伸
From:ガタビシ

作詞 東条寿三郎  作曲 細川潤一です

2019年10月19日 (土) 07時48分


[2131]
From:ガタビシ

上の投稿は、[2126]〜 への追伸です。
別のフォームにしてしまい失礼致しました。

2019年10月19日 (土) 07時54分


[2126]
From:矢島渡

manabuoka23の先生がまたシンセサイザ^で
作り出して呉れました、ありがたいですね、ただ私の好みが先生の演奏で聴きたいのですが、出てきません・
ところで「旅路遙かに」歌:春日八郎の歌詞が知りたいのですが、判る方法あったらご教示ください。

2019年10月11日 (金) 20時00分


[2127]
From:矢島渡

manabuoka23様この塚越さんのHPをみていますか?、「村雨小唄」は好きですね、樋口静雄さんの「白衣の蔭に」なぞ私の好みです、できれば「国境の灯」「長江の月」「心ひそかに」など唄ってみたいものです。

2019年10月17日 (木) 21時13分

[2128]
From:天手胡 舞

春日八郎の「旅路遥かに」は今から40年前に新興楽譜出版社から発行された「昭和歌謡大全集・第10巻」・福田俊二・監修に載っていますが、すでに在庫はないと思います。この本を買われた人がいたら、このHPに載せられたらとおもいますが、どうだかなーです。

2019年10月18日 (金) 17時35分

[2129] 旅路遥かに
From:ガタビシ

サイトばかり検索しており、書籍を考えていませんでした。著作権の関係で掲示板に歌詞を載せてはいけないのかもしれませんが、アマゾンやヤフオクなどにも上記の本は現在出品されていないようなので、暫定的に載せさせていただきます。差し支えがありましたら削除して下さるようお願い致します。

1.捨てた故郷は 山また遥か
 呼んでみたとて 届きもせぬに
 茜空(あかねそら)みりゃ 心が騒ぐ
 男しみじみ 
 男しみじみ 里ごころ

2.幾夜重ねた 仮寝の枕
 抱いた望みも 儚い(はかない)ものを
 夢にあの娘(こ)の 悲しい言葉
 男しみじみ
 男しみじみ 恋ごころ

3.野越え山越え 何処まで続く 
 細い吾身を 踏み踏みたどりゃ
 昏れてなお増(ま)す 寂しさばかり
 男しみじみ
 男しみじみ 旅ごころ

この曲はLP,CDに復刻されていないようなので、音源を確実に聴くことができるのは、まず国会図書館でしょうか。

2019年10月18日 (金) 19時46分

[2132] 旅路遙かに
From:天手胡 舞

ガタビシさん、歌詞を載せて頂き有難うさんです、発売年月は「なつめろ魯人さん」のHPで分かります、この全集買われたんですか?私も持ってはいるので賀、著作権云々で載せていいものか迷ってました。

2019年10月19日 (土) 17時20分

[2133]
From:ガタビシ

著作権について詳しくは知らないのですが、ご本人(または相続人)の許諾なしに公開してはいけないだろうと思います。
「昭和歌謡大全集・第10巻」がネット通販でも入手できないようなので暫定的に載せさせていただきました。
矢島様がこの歌詞をご覧になって記録なさったら(私には手順はわかりませんが)管理人さんにお願いして削除していただければ幸いです。

「昭和歌謡大全集」は戦後編(たしか第6巻以降)を買ったのですが、引っ越しの際にどこかにしまい込んだままで、第10巻以外はちょっと見当たりません。全音の歌謡曲集には載っていない曲も多く掲載されており貴重な資料でしたから、できれば復刊してほしいものです。

2019年10月22日 (火) 10時32分


[2125] SPレコードの回転数
From:名和苗児

初期のレコードで最初から78回転だったのはビクター系だけです
日蓄系(後のコロムビア)は最初から80回転で 昭和10年頃
(マトリックスがENからMに変わるあたり)に78回転になります
それ以外のレコード会社は 昭和10年前後までは ほとんどが
80回転と83回転が主流で これが電気吹込みになって他の
レコード会社(ビクター以外)がコロムビアに倣って80回転に
なって行きます その後 ビクターに歩み寄る形でコロムビアを
含め他社も78回転に統一されていきました

英・米コロムビアが78回転になったのが1929年頃と
いうことなので 昭和で言うと4年頃になりますね!
これを受けて日本のコロムビアも78回転に以降しよーと
思ったんですが 傘下の合同蓄(オリエント、ヒコーキ
イーグル)が80回転のままだったので移行が遅れたの
かもしれません(合同蓄は昭和7年に解散) ちなみに
独グラモホンが78回転に変わるのが1935年(昭和10年)
ということなので 親会社の移行と同時に日本ポリドールも
78回転になってます

 「某研究者の話」だそうですが 些か素直に
受け取れる話でも無いので 真偽のほどが
判れば 御教示下さい これが正しいのならば
今迄に拾ってきた 初期の盤の音は 実際とは
違っている事になります

2019年09月27日 (金) 20時34分


[2124]
From:矢島 渡

塚越さんのHPも塚越さんがお亡くなりになり何年もたつと昔投稿してた方がたも、全く少なくなりました、答えられる懐メロに詳しい人がいなくなったのでしょうか、そういえばなつめろのカラオケユーチューブに流していた、マナブオカ23氏・上原敏の曲をながしていた、スパー徳山さんらはお元気なのでしょうか?

2019年08月30日 (金) 14時12分


[2122] 民族の総進軍 作者名などについて
From:タラマック

民族の総進軍 タイヘイ 30074(片面 怒涛を衝いて)は昭和16年〜17年発売と思われますが 作詞者・作曲者および歌唱者名などにつきましてご教示お願いいたします」

2019年08月23日 (金) 20時46分


[2123] 民族の総進軍 追記
From:タラマック

あッ それと歌詞分かりましたらお願いします

2019年08月24日 (土) 05時13分


[2121] 天草小唄・横山良一
From:佐々木志郎

平野正夫作詩・大村能章作曲編曲。横山良三=横田良一

(1)波に揺られて不知火消えりゃ
朝日ほのぼの有明そめる
ここは天草あの切支丹(キリシタン)
かなし殉教の夢の島

(2)浮かぶ白帆に絵の様(よう)な島に
走る汽船の煙が残る
上と下との縁(えにし)の瀬戸を
渡りゃ本渡の文華(はな)の町

(3)※歌唱されてない※
雲か山かと山陽が詩(うた)の
灘の彼方に夕陽が沈みゃ
やさし巴の白洲の腕に
抱かれて眠る袋湾 

(4)温泉(いでゆ)白鷺ドライブ疲れ
明朝(あした)牛深今宵は崎津
熱い情けの一夜を明かしゃ
出船別れの涙雨

「『天草小唄』の吹込み、さてその資金が幾ばくを要するか、まあ五百圓 (※現在の約100万円) は要るだろうとの事。レコード会社で自ら企画して、全国的に販売して採算のとれるものならとにかく、地方のもので、こちらの注文品だから相当の金が要るというのである。そこで、横田良一 (横山良三) は熊本電気の上田萬平社長を訪ねた。これに力を得て八幡市に向かった。八幡には郷土の先輩中井励作氏が製鉄所長官をしているから、これに相談したら必ず工面できると信じたのである。しかし、中井長官は上京中で不在だった。ガッカリしたが、元天草支庁長の鶴田豊氏が戸畑市長をしていたので、その私宅に出かけた。鶴田氏も我等の意のあるところを諒とし、翌日戸畑市役所で五十圓を渡してくれた。これで先ず横田の上京旅費はできた。横田は製鉄所の宿舎に住む親元に帰って、その翌日上京の途についたのだ。八幡で泊まった宿は "とみや" という高級の旅館だった。作曲を古賀政男に依頼するはずだったが、病気でできなかったので、大村能章に持っていった。大村氏は天草特有の情調をだすために、"ハイヤ節" や "新地節" などのメロディも聞いた上、作曲にとりかかった。そこでA面の天草小唄は横田が吹きこみ、B面の天草民謡 ~ 天草ハイヤ節 (肥前泰隆作詩・大村能章作曲編曲) は小倉生まれの小梅にきまった。歌手の横田も作詩の平野正夫も肥前泰隆も同年の二十三歳で、小梅は少し上だったかも知れないが同じ九州出身だった」 "横田良一伝" 浜名志松著より

※ 録音の都度関西・東京のスタジオと九州八幡を往復していた横田良一、「専属制歌手」にならなかったのは両親と過ごすためだったらしい

2019年08月18日 (日) 21時24分







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