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三丁目文夫 |
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From:ふろあ
三丁目文夫の『港よさらば』(若杉雄三郎作詞、山田栄一作曲、ビクター)。マドロスもののひとつですが、三丁目の甘くて伸びのある声はジャズ調の曲と相俟って、同じマドロスでも岡晴夫や上原敏とは随分印象が違います。元々はジャズ系の方みたいですね。 後にポリドールに移籍して吹き込んでおられますが、三丁目文夫のエピソードや消息などについて、ご教示いただけましたら幸いです。
2010年01月30日 (土) 21時16分
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以前読んだ資料 |
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From:ガタビシ
たしか北廉太郎と親友で彼が病に倒れた時付き添って看病したこと、戦後は「あの娘あの街」他数曲を発表しただけで引退したとの記事があったことを覚えております。当時(昭和40年代後半)の消息も載っていたと思いますが今思い出せません。断片的な記述だけで申し訳ありません。
2010年01月31日 (日) 18時15分
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From:ふろあ
ガタビシさん、ご教示ありがとうございます。 北廉太郎は資料によると山形県鶴岡市出身とのことですが、三丁目文夫も同郷のようであり、おそらくその関係で親友だったのでしょうね。御返事に感謝致します。
2010年01月31日 (日) 21時07分
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三丁目文夫について |
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From:橘ひろし
私の好きな歌い手の一人です。嗽麻の灯影で・雨の天城路・砂丘の旅など好きです。砂丘の旅は売れた方でしょう。大正4年5月山形県鶴岡市の生まれ、北廉太郎と同郷です。本名の城山一夫で幾つか作曲もしています。北とは武蔵野音楽学校も同じ、三丁目は途中で退学してます。ムーランルージュ新宿座(東京は新宿の角筈にあった・今は新宿3丁目36番地あたり、フランス語で赤い風車)大衆劇場の歌手をしていてビクターにスカウトされ、港よさらばでデビューします、このあとS15・4に三丁目の作詞による、なつかしのキャロライナ・想い出の花束を吹き込みS15年にポリドールに移籍します。北がS15年の秋に白血病で倒れ、20歳の若さで急逝した時、徹夜で看病して最後まで付き添い、涙ぐましい友情は、ガタビシさんの書かれたとうりです。40年くらい前、東京の築地で食堂を経営していたと、ものの本にあります。
2010年02月04日 (木) 18時21分
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From:ふろあ
橘ひろしさん、ご教示ありがとうございます。 三丁目文夫も北廉太郎も武蔵野音楽学校出身で、三丁目はムーランルージュ新宿座の歌手をしたいたなど、私には初めて知ることばかりです。 ご紹介の『なつかしのキャロライナ』は昭和15年ですが、この頃は支那事変の真っ最中でありながら、洋楽系の歌謡もまだ許されていた時期でもあったのですね。 戦後はやっと三丁目の時代が到来したような気もするのですが、さにあらず戦後数曲を発表しただけで引退、食堂を経営・・・。 三丁目の歌唱が渋すぎて、賑やかなブギウギなどが受ける時代には受け入れられなかったのでしょうか。 貴重な情報、ありがとうございました。
2010年02月06日 (土) 04時37分
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