[129] この歳で・・・麦畑 |
- Gene - 2003年08月31日 (日) 01時02分
…といっても、昔流行った宴会向けデュエット曲ではありません(笑) 昨年、村上春樹氏による新訳が出て話題になった例の『ライ麦畑でつかまえて』です。 あのときに、(この歳になって)初めて読んでみようと思ったわけで。
んで、村上版と野崎孝氏の訳と、どっちを読もうか?と迷いまして、結局一番安価だった(笑)古本のペーパーバックになりました。 英語の勉強にもなるだろうから…たぶん。 村上版は評価があんまりにも分かれていたので、どうも手を出す気にならなかったんですね。 村上春樹は割と好きですが、まぁ「村上ワールド」なんて言葉もありますが、翻訳をやってもやっぱり「村上ワールド」。 村上春樹の描く男性は穏やかというか、割と性格の丸い人物が多いですが、誰もみんなそんな感じになってしまう。 『ライ麦畑』はひねくれ者で自意識過剰な10代の男の子の話だから、そんなに穏やかになってしまっては面白くないんじゃないか?と思っていたら、読んで同じような思いを抱いた人は結構いたみたい(各所のレビューを見る限り)。 一方、村上版を評価する人は(明らかに「村上春樹だから」という熱烈な村上ファンもいるけど)、「野崎版は原作が持っている"毒"が薄すぎる」という意見を寄せていたりして、ふむ、と考えてしまったわけです。 そしてコスト的な問題もあって(笑)英語の原作に落ち着きました。
さて、読み始めてみると… まだ全体の1/4ほどしか読んでいないけれど、この話が書かれた当時にしてみれば、やはり相当な問題作であったろうなあ、と容易に想像がつきます。今のところ"F"で始まる4文字言葉は出てこないものの、まぁあんまりよろしくない感じの言い回しが多いので。 でも主人公が妙に丸くなってしまった(らしい)村上版も、表現が丸められてしまっている(らしい)野崎版も、選ばなくてよかったかなー、という気がします、今のところ。
で、「結局アナタ何が言いたいのよ?」ですが。 やっぱり翻訳はしょせん翻訳なんですよね。 訳者の目、訳者の感性というフィルターがかかっている。 個性の強い作家の作品ほど、フィルターのかかり方も強くなると思うのです。 外国語の本を読むのは疲れるし、原作よりも翻訳のほうが面白いこともあるけれど、たまにはちょっとがんばってみるのもいいかもしれません。
…以上、ちょっと語ってしまいましたが。 失礼いたしましたm<(_ _)>m
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