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名前 |
田中 洌
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題名 |
はじめて書いたノンフィクション『幻のわが故郷』 |
内容 |
29日頃はちょっと無理か、と思ったが、31日必着なら持参すればいいと考えた。 それで、30日の夜に書きあげてはじめてプリントアウトし、31日の朝、読みなおしながら二時間かけて赤を入れた。散歩から戻ってきて、赤を打ちこんで印字し、ざっと少し手を入れた。午後二時過ぎ、焼きそばを食べながら綴じ、最寄りの駅を聞こうと電話してみると、地図をFAXしてくれた。代々木は代ゼミの学生(みなファショナブルで学生というより今風の若者たちだ)でひきも切らぬ流れだ。地図を見せても、なんだか要領をえない。五時少し前にやっと、文芸出版という標識を見つけた。変わった格好の編集者かライターのような変な若者が行ったり来たりしていた。 幻冬舎は、予想に反して自社ビルだった。持ち込んだ原稿を渡して、目と鼻の先の工事現場を見ると、幻冬舎の第二ビルだ。くい打ちを終え、基礎工事を始めているところだった。出版不況のなかでずいぶん儲かっているようだ。 帰りに、風雲舎の山平さんを神楽坂にたずねた。 ふと、なくなっているかも知れないと思ったが、行ってみると古ぼけたちいさなビルの五階に相変わらずごった返したオフィスがあり、めずらしく彼はいた。 今年は、五冊出したが数百万赤字だという。来年は編集者を雇い入れて、十冊出すらしい。最新刊を貰い、ついでに書棚で見つけた柳田国男を頂戴し、「友あり遠方より来たり」というのでごちそうになった。「話を耳にしていると、ことばの端々にそろそろ書けそうなけはいを感じるぜ」彼はいった。「ありがとうございます」私は素直にいった。私は、二十歳を過ぎた頃、どうしても労働者を書きたかった。書くことで、ひどいというよりひどすぎる労働現場から、逃げだしたかったのだ。うまくいかず、ミイラ取りがミイラになるように私は、歩合セールスに没頭し、そしてひとりの労働者となった。 そのことと、この夏知った沖縄の体験をつないでみたのが、今回はじめて書いたノンフィクション(200枚)だ。読み返してみると、おもしろいのはおもしろいが(四、五回、嗚咽した)、うまくつなげなかったと見えて強烈なおもしろさはない。 それでも、よかった。 何とかかんとか書いたのだ。 そして、久しぶりに昨日、完全休息した。 今日は秋晴れのすばらしい天気だ。 これから何とか、遅れに遅れた地域密着ミニ新聞をだして、出来れば来週早々には諏訪湖畔の「岡谷」へ行きたい。あと少しで書き上がる短編小説の取材のためだ。 |
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[75] 2005/11/02/(Wed) 08:36:40 |
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