【語・り・場】

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名前 田中　洌 題名 処女作からの距離 内容 熱っぽいが昨日よりだいぶよくなった。 一日、『戦争と人間』読み、少しだがノートもとれ、散歩にも出た。 彼の**作『人間の条件』に魂の底まで震撼された読者としてこのドキュメンタリータッチの広大な大陸小説はどうしても物足りない。**作から七年経って小説的な技巧ははるかにうまくなっていて、関心の方向はるかに広範にわたり、突くべき急所は突いているし、何よりも歴史を動かした政治・経済の暗部に真っ向から挑戦している。彼には自負もあり、成功の確信もあった。事実成功したのだが、感心したり、堪能したり、じんと来たりはするが、「震撼」されることはない。 その理由はとても簡単だ。 たしかに、使命感と、たぶん物語を随所で支える個人的な経験と、作家としての矜持はあった。歴史を描くために設定した五代家という、彼の出生とは縁遠い世界を描かざるを得なかった不幸（二流の三島由起夫張りの心理描写に何度も辟易した）がこの作品を不幸にしただけではない。彼は、**作『人間の条件』を書いているときの切迫した情熱、飢えと渇きを失っていたのだ。 むろん、そのことに気づいていても彼にはどうすることも出来ない。 歴史の表舞台とは無縁な人びと、表舞台にあがろうとあがいても手がかりもないし、あがれもしないし、あがろうともしない人びと、作家もまたそういう世界の一人ではないのか。 それでこそ作家ではないのか。 彼は『人間の条件』（３０００枚）一編で沈黙すればよかったのだ。 [92] 2005/11/16/(Wed) 19:29:12

名前 田中　洌 題名 五味川純平のこと 内容 熱が少し下がった。 うなされながら臥せっていると、野心に燃えているときには無関心だった事柄に想いがいく。 出会って別れてきた様々な人たち、彼らの苦悩、転落、悲しみや……はかなさ。 どこで何をして食べているか、知りようもないが、どういう風に生きているのは、弱気になって呆然としていると何となくわかりそうな気になるのだ。 何とかやっているのだ、と。 茫然自失し、疲労困憊し、眠り、目を覚ますと出かけていき、働き、ぶつぶついいながらも笑みをつくる。 明日などあるものか。 それでもいいのさ、とにかく、今日は今日やることで手一杯なんだから。 だいぶ前、池袋の古本市で見つけた五味川純平の『戦争と人間』（全十五巻８０００枚）をめくっているうちにいつの間にか夢中になった。 彼は書く。 なぜ戦争が起こったのか、なぜ人びとは壊滅的な十五年戦争を闘わなくてはならなかったのか、それはいったい何だったのか、そしてそれは今日を生きる者にとっていったいどんな意味があるのか。 それは、「僥倖と奇蹟で」戦争をくぐり抜けてきた一兵卒の人間としての義務だ。その義務感が、物語りを人工的にしてしまっているが、厖大な資料を読み込んでいるせいで台無しにするまでにはいたらない。 厖大な資料を読み込む労を己に課したのは、その、義務感からだ。 彼は時代を描くために、時代の動きを先読みしなくてはたちまち破綻する新興財閥のひとつ、五代家を設定する。 由美子という自由気儘な美女（彼はこの女をこの世の最高の女性として描こうとしている）のほか、それぞれ性格の違う兄弟姉妹や優秀な社員がいる。優雅なサロンがあり、軍将校や策士が出入りし、いつ消滅するか知れない植民地（満州）の莫大な工場資産があり、それをまもらなくてはならない汚れ仕事がある。何よりも、飢餓に瀕した時代状況がある。 昭和七年、５・１５事件後の五代家の姉弟を彼は次のように描く。 「あたしの部屋でお茶を入れてあげるわ。いらっしゃい」 「ちょっと待って。その前に姉さんに見せたいものがあるんだ」 俊介は姉を部屋へ連れて行って、ノートに書き写してあるところをひろげて見せた。 「一田アキって人の詩なんだ。漂君のところで写してきた。題は味噌汁。読んでみて」 由紀子は目を走らせた。 『仕立物を急ぐわたしの腹も空いたけれど 　刑務所の晩飯はもうすんだろうか 　思えば二年も経ちました 　わたしは屋根裏の三畳の部屋に 　慣れない賃仕事で腰が曲がってしまった 　そしてひとりですする味噌汁はほんとに味がない 　……………… 　わたしはあなたの女房なのに 　逢いに行けばガラス戸が下りている 　手紙を書けば消されてしまふ 　わたしは時々泣く 　わたしも下のおかみさんのように 　あなたの茶碗に味噌汁がよそひたい 　わたしはあなたの女房です 　……………… 　愛するあなたの茶わんにあついおいしい味噌汁を 　よそふことのできる日まで 　わたしは一人で味噌汁をすすりませう 　それはおおくの女の味噌汁です 　………………』 由紀子はノートを見つめた。もう読んではいなかった。 「わかるの、あなたに、これが」 声まで青ざめているようであった。 「わかるよ」 俊介の低い声が返ってきた。 「どうして、あたしにこれを見せたかったの？」 「五代にはこんな味噌汁がないからだよ。その女の人は味噌汁に涙を落としただろう。僕にはわかるんだ。僕も、いつか、味噌汁に涙を落とすことがあるだろうって」 俊介は、このときはじめて、かつて見たことのない涙の雫が姉の睫に溜まるのを認めた。 　　　　　　　　　　　　　　『戦争と人間』５巻p21 [90] 2005/11/15/(Tue) 14:52:10

名前 田中　洌 題名 とうとうダウン 内容 久しぶりにダウンして、岡谷どころかものも書けないし、本を読む気力もない。年は取りたくないものだ。それでもやっぱり、なにか書きたくて、とりとめなくＰＣに向かう。 社会が病んでいるから、大なり小なり、みんな病んでいる。どこかおかしくなくっちゃ持たないわけだ。おまけに風邪にかかって、ぶっ倒れるなんて、早く直れ、直ってくれ、と焦っても、どうにもならない。ちょっと話くらいならと電話しても、相手はみな留守と来る。あああ。わびしいな。 ■誤字訂正 車屋長吉→車谷長吉 [86] 2005/11/13/(Sun) 12:01:57