|
名前 |
田中 洌
|
題名 |
物語り |
内容 |
感覚のひらめきが物語を構成するのか。早朝から手を入れていて、入れ終えてから書き直しにかかった。当初漠然と想定していた物語が立ってきた。個の、きわめて普遍的なテーマーは自己陶酔を駆逐する。力業で物語を押さえ込む必要が無いだけ、力がこもる。描く対象にぴたりと寄り添う。悪を形象化できないのに形象化しようとしてあがいていて(このことは『病棟の豚』で指摘された通りだ)、今だにあがいているが、善が存在しないように悪は存在しない。破壊する形象は、いやな上司と裏の売人と、まだとおりいっぺんだとしても、とにかく、やっつける相手をふたつ形象化して、身体障害者と老人との出会いを描こうとして、何とか、年の瀬を迎えた。
来年は、ひょっとしたら無駄書きはしなくてもすむかもしれない。あれこれ手をつけて、手を入れるということは、自分固有のテーマがないということだ。ひとつずつ書き終え、ひとつずつ完成して行ければ最高だ。
桐野夏生の『メタボラ』はもたついている。夜勤コンビニアルバイトの生活と意見をはさみたくなるのは仕方ないにしても(ほんとうは、行動描写のなかで表すべきだ)、「僕」が急に失速した。突如無垢となった青年の困惑を意識の流れをたどることで表そうとするからだ。ちょっと気になる。まっすぐ、冒険譚に飛び込むべきだ。
|
|
[127] 2005/12/21/(Wed) 13:59:48 |
|