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名前 |
田中洌
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題名 |
トナーを待っているあいだ |
内容 |
五時起きで、千枚ほど刷り上げたところでトナーが切れた。それを見越して注文を入れておいたのに、今だトナーーは、到着しない。 待っているあいだ、中上健次全集(三巻)の月報をめくっていると、ビートたけし、坂本龍一、柄谷行人が寄稿していて、刺激的言辞を弄しながら通り一遍な解説をたれる文芸評論家・柄谷行人のつまらない批評まですっかり読んだ。 柄谷は、小説に対する中上健次の巨像のごときエネルギーに乗っかることで批評家としての身過ぎ世過ぎを考えたのだろう。登場人物の個々の物語が、反復によって深められていくはずのその手法を……中上の『岬』は、反復によって次第に盛りあがり、大団円で爆発する、というようにはなっていない。むしろ、それぞれの人物の物語を薄めることで、反復の手法をとらざるを得なかったといったほうがいい。……柄谷の解説は、『岬』ではなく『枯木灘』の反復について書いているのだが、「反復の自覚が出現したことが、日本の近代文学の歴史において画期的に新しいのだ」と持ちあげる。 知的エリートは、黒を白に出来る錬金術を持っていると、性懲りもなくうぬぼれたまま死んでいくものだ。 これでは、持ちあげられたほうも、たまったものではない。 あほか、てなもんだ。(中上健次はその手の手合いを「あいつら、ちょろいもんさ」と嘲っていたものだ。) 時流を見るに敏な坂本龍一も糞面白くないあほだが、やはり、ビートたけしのあほさ加減は、どん底の手触りがあって面白い。 文学や小説が、この社会からやがて沈没していくのを承知で、中上は前へ前へと、進んだ。 それにひきかえ、「オレ」は(と、ビートたけしは「オレ」と書く)、「前ではなく、横へ横へと悪あがきしていくしかないようだ。」と。 その通りだ。
芥川賞を読めば、小説がどこまで陥没しているかが一目瞭然だ。欠点は何一つない。修練されていて上手だし、無駄なことばは何一つない。面白いといってもいい。しかし、どうしても「物足りない」。今回の糸山秋子の作品は、パソコンをばらして、ハードディスクを傷つけ、元通り組み立てる、というところに物語のポイントがあり、その場面では、パソコン解体作業で四苦八苦した経験があるので、びっくり仰天した。要するに、短い時間でそんなことをすることは、不可能だ。うそ書くのが小説だが、生身で、初めての人間では不可能な場面をでっちあげるのは、この世の現実をなめているのだ。 小説も小説家も、とうとう、陥没するところまで陥没して、「数あるニートから晴れて正社員に採用されて、おめでとう」「なぜあたしか、選ばれたのか分かりませんわ。もっと豊かな感性のひともいるのに」「これはオフレコですが、彼は生まれが貧しいので、罰当たりなことを書きかねません」と、陥没を褒めたたえ、印税でほおげたを張り、文部科学省推薦図書と帯をつけかねない惨状だ。
トナー屋に電話を入れたのに返事も来ない。これ以上書くと、糞味噌になりそうなので、ここでとめる。乱文、深謝。 |
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[178] 2006/03/07/(Tue) 14:19:43 |
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