終戦の年,いつものように台中公園へ遊びに行っての帰り道。幸町三丁目一番地の我が家へと,弟と一緒に今の公学校の前の道路を挟んで「テーシキャク」の樹木の下を通りかかった時,公学校の表門から銃を向けて何やら言っている2〜3人の兵隊姿。・・・子供乍ら異常さを悟りもう必死。弟をオンブして走って帰った事がある。その時は,もう打たれたと思った。私が明治国民学校四年生の事だった。昨日と今日ではこうも違うのかと動悸がおさまってからようやく正気に気づいた。発砲されなかったのが幸いだが,何処の兵隊だったか容易に分かって頂けるでしょう。その弟は引き揚げ後,肺炎に罹り良薬に恵まれず幼児のうちに他界した。終戦後の台湾での忘れられない或る日の出来事でした。