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名前 |
ksmy
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題名 |
6月15日 父の日 |
内容 |
母は、感情の起伏、喜怒哀楽が激しい。 私を褒めるのも怒るのも、たいてい母だ。 記憶をさかのぼっても、父のそういう姿は浮かばない。
私は以前、母をひどく責めた。 弟が障害をもって生まれて来たとき、 つまり私が3歳のとき、 「弟のために自立してね」という、母の無意識の強要で、 恋愛において依存心が生じたのだ、と。
子どもの頃、母は障害のある弟を育てるのに必死で、 「こっちを向いてもらう」ために、当時の私には、 勉強という手段しか思いつかなかった。 もともと優秀な家系ではない中、私は親戚の中で1番の 成績を残してきた。当時の私は、母に褒められることでしか、 「自分」の確認ができなかったのかもしれない。 そのせいか、父のような「優しい人」と言われる男性に 甘えても、何も満足感はなかった。逆に母のような…、 過大な表現をすれば、「私には冷たい男性」に甘えることでの 満足感が異常に大きく、見事に過った道を進んだ。 それを母のせいにしてしまい、泣きながら責めた。 …母は、同じように泣きながら私を抱きしめてくれた。 ある年の12月31日に。
今でも母は、相変わらず感情の起伏が激しく、 「お父さん何とか言ってよ」と思うときもあるが、 泣きながら責めた自分のことを考えると、私は母に似ているな、 と思う。私には、父のような男性が合っているのかもしれない。 あのとき母が私を抱きしめてくれた時点で、 「私には冷たい男性」に甘えたいという依存心は きっとどこかへ消え去っているだろうから。 もう必要ないから。
母の姿を書くことで、父の姿も浮かべばと思いつつ、 私を産んでくれたことへの感謝をこめて・・・。
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[66] 2003/06/17/(Tue) 01:50:41 |
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