投稿日:2006年07月04日 (火) 16時53分
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くろべえさん、oyajiさん、ご無沙汰しています。 自分の家?でありながら、あまりにも長く留守をしていると、敷居が高くて、、入るに入れない(^^;; というか、あわせる顔がありません(^^;;;;
弟の状況をかいつまんで、 昨年の8月22日に入院し保護室へ。 12月3日に面会に行ったときは(毎週1回行きます)1人部屋に変わっていた。 12月29日には4人部屋に。 保護室から相部屋になるまで4ヶ月かかったことになりますが最初の錯乱した状態を思うに、よくここまで回復できたなぁ、と思いました。 その間、いろいろあったのは言うまでもありませんが。 保護室でもよくなると時間制でオープン状態にしてくれ、ラジカセやウオークマンの持ち込みもOKでした。 9月は台風で病院も浸水し停電になりスタッフの方々が汗だくで作業しているときに、そうとは知らず面会に行ったときもこころよく応対してくれました。総じて対応がよく信頼できる病院です。
今年5月25日 本人から「外泊したい」という言葉が出て正直あわてる(^^;; この頃は同じ病室の人同志お菓子などのやりとりをしていて、「あの人が○○をくれたんでこれをあげて」と気を使う。かなりしっかりしてきたのは間違いないが「外泊」はねぇ、、、と思っていたら、「まず外出からという手順になりますね」といわれほっとする(^^;; すると3日後婦長さんより「まだ外出は無理なんですよ」との電話が入りまたほっとする。本人は残念がっているだろうなぁと少し不憫に思っていたらその翌日「洗濯物がたくさん溜まっているので取りにきてくださいと」という電話が入りまたびっくりする。面会後まだ4日しかたっていない。しかも持っていったものの全部を汚したらしく半分はスタッフの方が洗ったようだ。普通病院側が洗濯することはないのにとイヤな予感がし、病院にいくと上から下(スリッパ)まで汚して(部屋の中も)たいへんだったようだ。妄想も出て入院当初と同じ状態になり保護室に逆戻りとなった。 「外出不許可」が原因かと思いきや、反対で「外出できるのは嬉しいが不安」というこころの揺れが原因、、、、とも考えられますと先生が仰った。先生とは外出の話をしていたそうだ。 保護室に舞い戻って1ヶ月ちょっと、初めはわたしの顔を見ても「自分の姉」だと理解できないくらいだったがだんだん良くなってきている。 でも会話があまり成立しない。 食事はちゃんととっている、ようだがかなり痩せた。
という状況です。 本人は辛いと思うけど、わたしとしてはずっと病院に「預かって」いただきたいのが本音です。 周りから見れば冷たいと思われるでしょうが、お互いにこのほうがいいんです。 病人とひとつ屋根の下で暮らすというのはきれいごとでは済まされません。くろべえさんの気持ちよくわかります。
家で母とふたり暮らし、というわたしにとっては夢のような状況の今ですが、それでも10年前から続いている「喉にパチンコ玉ぐらいの鉛の玉が入っているような違和感」がなくならないのは何故でしょう。以前より安定剤の量が増えたのは何故でしょう。 3日前、午前2時に腹痛で目を覚まし下痢みたいだとトイレに入ってもなにも出ず、お腹はますます痛くなり、悪寒が走り、生汗が出て歩けなくなり救急車で病院にいき点滴を受けました。 これと言って原因がなくカルテには「腹痛、不安発作」とありました。 「ストレスや疲れからでしょう」と言われました。 以前より開放されたのに何故でしょうか。 人間のこころと体というものは不思議なものです。
今日は書きたいだけ書き散らかしてしまいました。 くろべえさん、oyajiさん、あらためましてこれからも よろしくお願いしますm(__)m
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