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こんにちわ。自分は九州大学の写真サークルで活動しています。カメラはNikon F-601,NikonCOOLPIX885 OLYMPUS-PEN EE-3 (中古)です。 作品集を拝見しましたが、個人的には立山さんの作品が好きでした。特に『憂鬱』が良いですね。(自分なりの解釈ですが・・・)『憂鬱』・・・何かをしなければならない、でも、僕は何をすればいいのだろう?大学生活という、世間的なモノトリアムに埋もれたくない。言葉や、思考を凌駕した何かを見つけたい。でも、それが何なのか分からない。 そんな時に見上げた空・・・僕の心を映すかのような空。そんな曖昧で、呆然とした空の住民、お月さんが語りかける。君には分からないだろうね、僕と彼女との二人だけの世界。慰められるわけでもなく、励まされるわけでもない・彼女は僕をただ見つめてるだけ。僕は憂鬱と言う名の下に、現実逃避をしていたのかもしれないと、ぼんやりと・・・思う。ね?君もそう言いたいんだろ?空の君? ・・・と、自分の中に物語(妄想)が湧きました。立山さんの意図とは違うと思うのですが、そこは寛大に見てやって下さい。 あと、本坊さんの『春天気』も良いですね。やはり、日本人は桜が好きですし、出来るならば満開の桜の木下で、気の会う仲間と花見がしたい・・・となりますが、あえて嵐のあとの花弁を切り取った絵。良い視点ですね。所謂、無常観を感じさせられました。個人的なことですが、ある女性に告白したのも別れ話を聞かされたのも、桜の季節でした。ほんとに良い女の子だったな、と懐古するとき、散った花弁と春の陽を反射する水溜りに希望と絶望を感じました。きっと、本坊さんは冷静な、時に冷徹なまでの感性と、それに相対する柔らかな感性を共有してる方なんでしょうね。他の作品からも、そのような印象を抱きました。 写真とか絵画とかは、作者の意思から独立し作者の世界観から独り立ちして、見る側に見る側それぞれのイメージを与える時に初めて『作品』と呼べるものだ、と僕は解釈してフィルタ越しに世界を眺めます。本当に、ふてぶてしい意見ですみません。 出来れば、皆さんの写真観をお伺いしたいです。 鹿児島という南国の、良い意味での田舎(決して卑下しているのではありません)で素朴な中に強さを秘めた写真が撮れる皆様が羨ましい限りです。今、僕は中洲の夜とか、屋台の人情といった都会の中で暮らす人の哀愁や儚さを撮ってます。明け方帰宅時のお水さんって本当に良い絵になるんですよ。 同じカメラという趣味(趣味の粋では失礼かもしれませんが)を持つ者として、全員の作品は良い刺激になりました。今後も、時折訪問されて頂きますので宜しくお願いします。 |
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From:ゼロの者 / 九 州 / MAIL / HOME
2004年06月06日 (日) 18時29分
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