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[146]はじめまして

 こんにちわ。自分は九州大学の写真サークルで活動しています。カメラはNikon F-601,NikonCOOLPIX885 OLYMPUS-PEN EE-3 (中古)です。
作品集を拝見しましたが、個人的には立山さんの作品が好きでした。特に『憂鬱』が良いですね。(自分なりの解釈ですが・・・)『憂鬱』・・・何かをしなければならない、でも、僕は何をすればいいのだろう?大学生活という、世間的なモノトリアムに埋もれたくない。言葉や、思考を凌駕した何かを見つけたい。でも、それが何なのか分からない。
そんな時に見上げた空・・・僕の心を映すかのような空。そんな曖昧で、呆然とした空の住民、お月さんが語りかける。君には分からないだろうね、僕と彼女との二人だけの世界。慰められるわけでもなく、励まされるわけでもない・彼女は僕をただ見つめてるだけ。僕は憂鬱と言う名の下に、現実逃避をしていたのかもしれないと、ぼんやりと・・・思う。ね?君もそう言いたいんだろ?空の君? 
 ・・・と、自分の中に物語(妄想)が湧きました。立山さんの意図とは違うと思うのですが、そこは寛大に見てやって下さい。
 あと、本坊さんの『春天気』も良いですね。やはり、日本人は桜が好きですし、出来るならば満開の桜の木下で、気の会う仲間と花見がしたい・・・となりますが、あえて嵐のあとの花弁を切り取った絵。良い視点ですね。所謂、無常観を感じさせられました。個人的なことですが、ある女性に告白したのも別れ話を聞かされたのも、桜の季節でした。ほんとに良い女の子だったな、と懐古するとき、散った花弁と春の陽を反射する水溜りに希望と絶望を感じました。きっと、本坊さんは冷静な、時に冷徹なまでの感性と、それに相対する柔らかな感性を共有してる方なんでしょうね。他の作品からも、そのような印象を抱きました。
 写真とか絵画とかは、作者の意思から独立し作者の世界観から独り立ちして、見る側に見る側それぞれのイメージを与える時に初めて『作品』と呼べるものだ、と僕は解釈してフィルタ越しに世界を眺めます。本当に、ふてぶてしい意見ですみません。
 出来れば、皆さんの写真観をお伺いしたいです。
 鹿児島という南国の、良い意味での田舎(決して卑下しているのではありません)で素朴な中に強さを秘めた写真が撮れる皆様が羨ましい限りです。今、僕は中洲の夜とか、屋台の人情といった都会の中で暮らす人の哀愁や儚さを撮ってます。明け方帰宅時のお水さんって本当に良い絵になるんですよ。
 同じカメラという趣味(趣味の粋では失礼かもしれませんが)を持つ者として、全員の作品は良い刺激になりました。今後も、時折訪問されて頂きますので宜しくお願いします。

From:ゼロの者 / 九 州 / MAIL / HOME
2004年06月06日 (日) 18時29分


[147]追加

 この掲示板で皆さんの写真に対するポリシーや思い入れを聞けたら幸いです

From:ゼロの者 / 九 州 / MAIL / HOME
2004年06月06日 (日) 23時41分


[150]遅レスすいません

はじめまして。カキコミ、感想大変ありがとうございました。
写真に対するポリシーですか。。。

当初は漠然ときれいな写真を撮ろうとしていたんですけど
最近は感情の垣間見えるような作品を心がけています。
しかし、躍動感とか幸せとかそういったものではなく
軽い胸騒ぎというかやるせなさや切なさみたいな世間から無視されがちな感情のほうを大切にしています。

こんな感じでどうでしょう??
よろしかったですが?

From:もときち / 北海道 / MAIL / HOME
2004年06月14日 (月) 07時06分


[152]お返事ありがとうございました

 僕も最初は綺麗な絵を撮ろうとしてましたが、一般的な綺麗という概念に囚われすぎてはいまいか?と疑問に感じたことがありました。一般的な綺麗は誰が見ても、間違いなく綺麗なのは当たり前。そこに自分の本心はあるのか?自分は本当に綺麗と思ってるのか?と考えた末、自分にしか見えない『綺麗』と切り取ろうと考えるようになりました。でも、少し考えると、奇を衒っていると思われるかもしれませんから、またそこで悩みました。
 例えば、桜は綺麗であるという一般的な事実がある。そして僕もまた、桜は綺麗だと思う。よし、綺麗な桜を切り取ろう。・・・と思ったは良いが、ありふれた桜を撮るだけではつまらない。そこで桜の木に棒を突っ掛けて、『破滅への序曲』なんて不思議な題を与える。その絵を見た人は「何と独創的な人なんだ。芸術は深いなぁ」なんて思う。
 僕の中での芸術とは、空間を埋めるモノ、と捉えてます。音楽は空気を、絵画は壁を、調度品は空いたスペースを、と言ったように。日常の生活の中に活きてこそ芸術、と思うので、それが所有者に不快感や懐疑の念を持たせてはいけないと思うんです(不思議さを日常に欲する人もいるでしょうが・・・)。
 だから、写真と向き合うとき、レンズ越しの世界を見るとき、自分が素になって心地よいもの(桜などの一般的な綺麗)を撮るべきか、自分の技術を駆使して撮るもの(作り上げられた綺麗)を撮るべきなのかをいつも悩みます。仲間内では作り上げた美を求める風潮がありますが、自分としては諸手を挙げて賛成とはいきません。
 このことに関して、皆さんの意見をお伺いしたいです。

From:ゼロの者 / 九 州 / MAIL / HOME
2004年06月16日 (水) 20時36分


[153]そうですね。。。

大変難しい問題ですね。自分は恥ずかしながら技術も知識も未熟なので賛成も反対も出来る立場ではないことだけは事実です。

大変「個性」を尊重している部ですので
インスピレーションを大事にしたかった自分は技術習得に必要以上の欲が生まれなかったかもしれません。それが良いとか悪いとかは決められませんが。。。。

でもま、技術はあったことに越したことはないと考え、撮りたい写真にどうしても必要な技術がでてきたら勉強をするといったマイペースな向き合い方です。私個人は。

作品に関しては確かに反応が多いとうれしいですが、一人でも作品に写っていない部分の風景にまでストーリーや世界を感じようとしてくれたらいうれしいです。

自分は一瞬を切り取る写真も作為的な演出の元に撮る写真もその思いは変わらないです。

From:もときち / 北海道 / MAIL / HOME
2004年06月17日 (木) 00時35分


[154]真摯な態度ですね

 もときちさんの言うところの「作品に写っていない部分の風景にまでストーリーや世界」は、僕も大切にしたいと考えてます。見る人に撮影者の意図とは異なった想像が湧いたとしても、それはそれで良いと思います。でも、出来れば撮影者の意図に限りなく近いモノを汲み取りたいし、また汲み取ってもらいとい、と感じてます。
 そのためにも、技術は大切になりますよね。自分も先輩にかなりしごかれました。『ありのままの自然をありのままに撮っても、伝えたいものは伝わらない』という先輩の言葉が思い出されます。
 個人の感覚、インスピレーションにまかせて切り取るのではなく、それらの中にもある程度の計算が必要なのかもしれませんね。

From:ゼロの者 / 九 州 / MAIL / HOME
2004年06月17日 (木) 09時46分


[157]かなりな遅レスですが・・・

おそばせながら、はじめまして☆
先輩に連絡を受けて書き込みを見たのですが、持ってるカメラが一緒で、他人とは思えずレスしました(笑)
私の写真の感想ありがとうございますm(__)m
未熟な写真ですが、誰かに気に入ってもらえることは本当にうれしいことです。

写真を始めて1年の私には写真観なんて恐れ多くて述べられませんが、あえて言うなら写真の雰囲気を大事にしたいといつも思いながらシャッターを押すようにはしています。
なかなか思うようにはいきませんが…
そのモノの雰囲気、自分の気持ちの雰囲気、いろいろあってその時々で素で撮ったり、技術を使って撮ったり使い分けていけたらいいですね。あえてどちらと区別する必要はないのではとも思います。難しい問題ですね。
写真について本当に真剣にいろいろなことを考えていてすごいと思います。何も考えていない私は関心するばかりです。きっとステキな写真を撮られるのでしょうね☆これからも写真頑張ってください!

From:saki / 九 州 / MAIL / HOME
2004年06月23日 (水) 18時18分




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