[202] 大丈夫か? |
- b - 2004年06月27日 (日) 11時00分
1. 無言の自治体職員 奇妙ではないか?一番大きく変化を余儀なくされるのは、住民でもあり、町の住民として影響力もある、実際に行政を担当してきた町職員。彼らの意向が見えない。今までのちょっとした変化の時にも腕章をして意思表示してきたはずなのだが、なにも聞こえてこない。不自然すぎるではないか。
町職員がいくら北見と同じ給料になるなどの、合併に利点があるとしても地域に密着した行政の必要性の信念を捨てたりはしないだろう。少なくとも我々のパートナーとして、また一町民としても「地域に密着し町民から支持される町職員でありたい」と思っているはずなのだ。
そうで無ければ一体何を誇りとして仕事をしているのか。もしもそうでないのであれば、地方公務員ではありえない。それでは町民にも新市民にも必要とされはしない。あいも変わらず公務員批判の波にさらされるしかないのだろう
理不尽な公務員批判はするべきではないと町民だって思っている。町民はいつでも自分たちのことを考えてくれる有能な職員を必要としている。だが、常に一線引いているのは町民側ではない、カラに閉じこもっている職員側だ。それらの関係を改善するのに、今対話や意思表示できる環境を町や町民が作ってやれなくて、いつ出来るのだ?
自治労もコメントなしだが「何が自治労の存在価値」なのか、真摯に自問自答してみてほしい。それぞれの「自治の根幹」を問いたい思いがする。職員が発言すると影響が大きいので無言でいる。などとコメントしたとの噂も聞くが、それほど影響が大きいことを隠しているのならばそれこそおかしい。再度公務員法を読んで、法の精神を理解してほしいと思う
2. 情報の開示の疑問 情報の開示要求は、自立か合併かと言う、争点以前にある問題を解決しようと言うもの。
町は、言葉では町民に説明すると言っているが実際には「日程」という2次的なものと「他町と足並みをそろえる見栄」といったくだらないもので、住民との合意を見ないで、そのまま流れ込もうとする意図のもの。(下記疑問1と2)
その手続きに客観的に見て不備があるから行った要求や訴えでもあるし、逆に町民の理解を早期に浸透させることに協力できる申し出でもあるのに、かたくなな態度を取ることは愚かしいことだ。
自立だとか合併だとかはその後の話。ただ、町が言う「合併の利点」にほころびが見え疑義が生じるから意見が噴出しているので、対立しているように感じるのかもしれないが「行政改革にまじめに取り組んで住民に同意を得ろ。」要求はたったそれだけなのだ。
3. 見過ごすことの出来ないこと 行政はどんなことがあっても自ら煽動して、あるいは無為によって住民間に対立構造を生じさせてはならない。町民の意見の集約をさせないのは、「させると不都合が起きる」事を恐れる事が動機になるが、それすら不誠実で犯罪的とも言える。
そのような不実を隠しそのままでいると、新たな火種を生み、今後の自治にどれだけ影を落とすことなのか予測しないのか。
4. 町民を軽視すべきでない 話し合いのテーブルを用意しないで守ろうと言うモノは、町民との信頼と引き換えにするほど価値があるものなのか。行政の存在理由としてそれは絶対にありえない。理由があるとすれば関係個々人の保身・体面・つじつま合わせ・私欲など、公務ではない、個人的なものに起因する事柄しかありえない。断じてそのようなことが無いのか、十分内省するがいい。
自立派もいれば合併派もいる。当たり前のことだ。それを権力や手続き論をかさにきて、合意なしに押し通す愚挙。それは町民を愚民として「話してもわからない」とした扱いか、あるいは町側で説明できないのか、あるいは根拠が無く説得しきれないのか。
5. 姿勢を改める必要がある 理念抜きの自治は妥協と懐柔の積み重ねとなる。そのような低い信念では、高いところを飛べず、遠くへの展望も見ることも出来ず、低空飛行すぎてちょっとした尖がりにもつっかえる。町は、自信も信念も無さ過ぎる。説明根拠が希薄と言うのはその表れではないか。
自治体は自ら進んで住民との合意を取り付ける事が原理付けられているもの。その自治の原則も出来ないのか。それに反する事を意図するから、空虚な言葉で糊塗する事が始まる。そのような事がまかり通るならば、議会を含めた自治体体質は恥じてしかるべきだろう。
いかなることでも解決するのだと言う信念も持たず、努力をも怠り、「自治とは何か、行政改革とは何か」そんな基本の共通目的を見出す事もしないから「合併か自立かの方法論ごとき」でつまづく。共通認識は公平なスタンスからしか生まれないし、それを実現させるのは、寝技・裏技・口裏合わせのようなテクニックではなく、真正面から問題に向かう姿勢の有無だ。
6. 筋は通せ 目的は町も住民も同じ「よりよい町民生活」だ。それ以外にあり得ないからこそ、それに至る努力を惜しむなと進言してきた。一つの自治区の住民合意こそが、その行く末を決める唯一の正当な動機だ。町長でも町職員でも議員でもない。それ以外にありえないではないか。何を町は勘違いしているのか。
現在の議員や首長の選挙では、合併が争点になっていなかった。だからこそ住民には説明する必要性がある。もし、町がコメントした「議員が民意を反映しているもの」とするならば、地方公共団体の議会の解散に関する特例法に則り、住民の意思をきく方途を講ずるために、議会の解散してからその言葉を使うべきだ。同時にそのように「住民の信義や付託に答えない、解散もしない議会」をアリバイとして利用する正否を、自ら問え。
意見の集約を行わないことが、隠された意図であったり利権者への疑いが起こり、町民間の中に溝を作る原因だ。また、それゆえに協議会でも何も主張・要求できなく追従するばかり。現在、他町からみて、一番信用されてはいないし、危ういと見られている。それは町民の支持を得ていないからだ。揺らぐ町が参加しても相手も困る。もし、協議会に出席するならば、真の町民の支持を持って堂々と主張すればよい。担当自治区をもまとめようとしないならば、新市の協議など出来るはずが無い。協議会に出席する資格すらない。
話し合いは、町側が信頼回復するためのチャンスでもあるはずだ。少なくとも、自立だとか合併だとかを分断させたままでいるのはよくない。早期に同じ話し合いのテーブルに着かせるべきだろう。「愚民たちとの話し合いではどうせまとまらん」としりごみしてきたのを改めて「正攻法で民意をまとめるのだ」と信念を持て。
本来、真っ先にやるべき事は、多くの理解者を得ることだろう。町民に理解が得られないのならば、手続きがどうあれ、理事者がどうであれ、それは進むべき道ではないのだ。
「町民の理解を得る努力を怠る体質」を改善することが、行政改革の一歩だと肝に銘じ、やるべき事をやってほしい。
------------------------ 疑問の1 それぞれの町での事情がちがうのが当然。そろえることが不自然。それとも、足並みがそろわない事情も理解できない他町なのか?そのような強制をされているのか?
それぞれの市や町でも同じ様に民意反映問題を抱えているが、民意よりもスケジュールで押し切れと言う首長ばかりなのか?そんなおかしい集合体になろうとしているのだろうか?それだけで合併に反対する人たちが増える理由になってしまう。どこの首長がそんな馬鹿を言っているのか調べる必要があるかも?
疑問の2 任意協議会の目的の判断材料が作られないままになっている。任意協を行ったというアリバイだけであって、成果品の判断材料が足りない。だが、それなしに法定協議会へと?
町は法定協議会に入らないとそれが出来ないという説明。この町にとって(他町にとってもいい加減)機能しなかった任意協議会を口実に法定協議会へと?。まるで本末転倒。
筋からいけば「法定協議会を行うかどうかの判断材料」が出来上がるまで任意協議会を行うのが筋。それを持って住民の合意を得て「法定協議会に参加の可否」だ。
正しく任意協議会を運営しない1市4町の理事者達。これでいいのか? ここでもこの首長たちの手法は前近代的。スケジュールに追われてなだれ込もうとする目的は、数年間に限定された特例債という借金をしたいこと(ただし建設用資金で福祉など他の民生分野に使うことはできない)。
今まで利権政治の元凶と十分批判されてきたはずの「ハコモノ行政」が欲しいのか。 首長さんたち、モラルはどうした?あなた達の副市長の椅子は、各町民と引き換えなのか?この先、この地方の自治は大丈夫か?
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